第一三二話「幕間:そして幻のザルツシュタット」
※三人称視点です。
ザルツシュタットから北北西の海上で、一七隻の軍船が南を目指していた。語るべくもなく、バイシュタイン王国へと侵攻してきたゴルトモント王国の船団である。
いずれも全長二〇メートルから三〇メートルはある最新型の軍船で、彼等が本気であることを示しているかのようであった。
だが、中央の一際大きな船の甲板上に居る将校の顔は苛立ちに満ちたものであった。ザルツシュタットを落とした筈の先鋒が何時まで経っても北へ戻らなかった為である。
そう、彼等は先鋒隊がザルツシュタットを落としたことを何一つ疑って居ないのである。何時までも戻らないのは先鋒隊の怠慢に過ぎないとしか考えて居ないのだ。
「まったく、どうせザルツシュタットで略奪などに明け暮れているのだろうが、仕事はきちんとして貰わねば困る。……まだ通信魔術の範囲に入らんのか!」
将校は苛立ちを他へぶつけるかのように、通信魔術兵からの連絡係を呼びつけた。航行している場所を考えればそろそろザルツシュタットの筈なのだが、彼等の通信魔道具が全く反応していないのである。
「おまけにこの霧だ……、町の方へ近付くにつれ深くなっていく。衝突せんように気を付けて貰わねばならんな……。……おい、まだなのか!」
「はっ! まだ先鋒隊の通信可能範囲には入っていない模様です!」
「くっ……、どういう事だ……? 航路を考えれば既に町を通り過ぎたとも考えられる位だ。海の魔物に化かされているのか……?」
彼等を覆っている霧は深いものの視界ゼロ、という訳ではなく、将校も東側の船からは岸が見えているとの報告を受けている。だと言うのに、彼等はザルツシュタットを見つけられずにいるのだ。
それはまるで、ザルツシュタットという町が隠されてしまっているようであり、彼等は徐々に不気味な霧も含めて不安を感じ始めていた。
そんな時である、船団の左前方、方角にして南東側で大きな衝撃音と共に数々の悲鳴が上がった。
「何事だ! 速やかに状況を伝えろ! 魔力の供給を止めて船の速度を落とせ! 各方面にもその命令を伝えろ!」
「はっ!」
俄に慌ただしくなった甲板上で、海兵たちはそれぞれの役目に奔走する。彼等は船の推進力として魔石を利用して居る為、魔力の供給を止めれば船も停止するのが道理である。
だが、混乱した船団で統制が取れる筈も無く、彼等が気付かぬうちに陣形は滅茶苦茶になっていた。
「東側の四号船より連絡あり! 岩礁に乗り上げた模様! その衝撃で船から落ちた者も多数居るとの事です!」
連絡係のその報告を聞いた将校は一瞬唖然とした表情を浮かべて固まっていたが、すぐ我に返ると、握った拳を振るわせ歯軋りを始めた。
「岩礁だと……? そんなもの、ザルツシュタット北の海域には無い筈だ!」
将校の言う通り、ザルツシュタット北の海域には岩礁が無い。あったとしても、余程岸まで近付かない限り乗り上げるような事態は起きない筈なのである。
だが、岸に近付いていれば別なのである。
「東側の三隻が乗り上げたようだ。上出来だな」
「そうですね……っとと」
「あぶなっ! ちょっと! 気を付けてよね!」
満足そうな表情を浮かべて崖の上から覗いていたのはバイシュタイン王国のゴットハルト・フォン・ホフマン公爵その人である。彼の言葉に相槌を打ったリュージであったが、よろめき危うく崖から落ちそうになった所を慌ててミノリが支えていた。
「すまんすまん、流石に〈アウレレの魔石〉を使い過ぎて魔力が尽きた。スズ、魔力回復薬をくれ」
「ん。そう思って用意してある」
出来るリュージの末妹は、彼が言うより早く魔力回復薬の瓶を差し出していた。〈アウレレの魔石〉で巨大な幻を創り出している為に、リュージの魔力は低空飛行しているのである。
幻により船団はザルツシュタットを見失い、その上、沖だと思っていた場所が岩礁だとも知らずに乗り上げた訳である。海の魔物では無く、リュージに化かされていたのだ。
「ああ、リュージよ。矢を射かけ始めたら幻を切っても良いぞ。奴等も訳の分からぬ内に死にたくはあるまいよ」
「了解です」
リュージが頷いたことを確認してから、ゴットハルトは周りの兵たちへと向き直った。皆、弓に火矢を番えている。
「聞けい! 奴等は王女殿下が結ばれた友誼を蔑ろにし、勝手な都合で攻め入ってきたのだ! だが我々とて黙って攻め落とされる訳には往かぬ! 今こそ我が国の力を示し、奴等に相応の報いを受けさせるのだ!」
ゴットハルトの激励により兵たちの士気は高まり、彼等の目も火矢のように燃え盛っていた。
兵たちが十分に鼓舞されたことを確認したゴットハルトは、自らの剣を抜き放ち、船の方へと掲げた。
「放て!」
崖の上から断続的に放たれた火矢により、船団の大半が炎に包まれ沈没したのは、それから時間にして二〇分後の事であった。
次回は明日の21:37に投稿いたします!