第一二八話「幕間:幻の大時化」
※三人称視点です。
ザルツシュタット港より少し離れた海域。
そこで待機している中型軍船の船室に壮年の将校が入って来ると、作業中だった若手の通信魔術兵は慌てて立ち上がり敬礼を行った。
「良い。首尾はどうだ?」
「はっ! 予定通り上陸を果たしたようです!」
「ふむ、結構なことだ」
朗報に将校は満足そうな表情を浮かべる。ゴルトモント王国の輸送船は、最初から兵士を運ぶつもりで貨物船に扮していたのだ。
「ならば我等も急ぎ上陸を図るぞ。〈デルフィン〉と〈オルカ〉にも伝えよ」
「はっ! 了解であります!」
〈デルフィン〉と〈オルカ〉は、この中型軍船〈ヴァール〉と併走しているやや小型の軍船である。先程ザルツシュタットへの急襲を果たした〈ゼーシュランゲ〉に続き、港へ次々と上陸する手筈となっていた。
彼等は貿易の為にザルツシュタットからゴルトモントの王都グロースモントまで航行している定期便から見つからぬよう、わざわざ迂回をしてここまで辿り着いている。結構な長旅になっている為、将校もようやく陸へ上がれることに安堵していた。
「私は戦闘の準備を整えておこう。まあ、とは言えザルツシュタット港は手薄だとは聞いておるし、激しい戦闘などは起こらぬと思っておるが――どうした?」
ザルツシュタットの占領までの手筈を頭の中で組み立てながら余裕の言葉を零していた将校であったが、通信魔道具に触れている魔術兵の表情が怪訝なものに変わっていることに気付き、小さく声を掛けた。
「はっ、〈デルフィン〉と〈オルカ〉に連絡を取っていた間に、〈ゼーシュランゲ〉からの応答が無くなりました」
「ザルツシュタットからの応答が? 魔術結界でも張られたか?」
「いえ……、通信自体は繋がっておりますので、通信魔術兵が居ない状況と考えられます」
「ふむ…………」
まさかこの状況で魔術兵が持ち場を離れた、という事は無いだろうと将校は考える。
「となると、兵たちに何かあったのか?」
「我が軍精鋭の急襲隊ですし、それは考えにくいですが――」
そう言い掛けた魔術兵を、将校は一睨みして黙らせた。一兵卒が意見を言う事も以ての外なのだが、この兵士が心構えとして未熟であると感じたためである。
「戦場では常に最悪の想定をしておけ。上陸兵たちにもそのつもりで伝える。また何か状況が変われば連絡せよ」
「は――はっ!」
魔術兵は萎縮しながらも震える腕を引き上げ、将校の背中へと敬礼したのだった。
だが、ザルツシュタット港では、彼等の最悪の想定を遙かに超えることが起こっていた。
「……どういう事だ、これは……」
遠見の魔術である〈テレスコープ〉が使える観測兵から状況を聞いた時は質の悪い冗談かと一瞬思った将校であったが、段々とザルツシュタット港が近付くにつれ、その悪い冗談は現実だという事に気付き、歯軋りしていた。
港に上陸している筈の兵たちは見当たらず、桟橋には一人の大男が立っており、その後ろには少ないものの敵側の兵士らしき姿があった。
それだけならば彼らにとってはまだ悪夢とは言えなかったのだが、肝心の急襲を果たした〈ゼーシュランゲ〉が――転覆しているのだ。
「何が、何があったのだ! 軍船が転覆するなど、大時化でもなければ有り得んぞ!」
船の縁を叩き将校は叫ぶ。残念ながら本日は細波一つ無く穏やかな天気である。例え上級魔術であろうとも大時化を呼ぶようなものを発動させられる存在は神くらいであろう。
「……どういう魔術を使ったのかは分からんが、三隻から同時に矢を射かければ流石に対応しきれんだろう。弓の準備をするよう、〈デルフィン〉と〈オルカ〉にも伝えよ!」
「はっ!」
将校が命令を出したその時だった。
桟橋に居た大男へ一人のドワーフが近寄り、長い筒のようなものを渡した。それは彼等ゴルトモントの兵士たちにとっては初めて見る物体で、筒の端には横への出っ張りのような物が付いており、何をする物なのかは見当も付かない。
しかし、彼等は思った。「あれは兵器だ」と。桟橋を海の方へと歩いて向かってくる大男の姿がそれを物語っているのだ。
大男は桟橋の先に立ち、何かの魔術を行使するような素振りを見せた後、筒の先を〈ヴァール〉の甲板へと向けた。
「少佐! 撤退を進言いたします!」
「は? 何を言って――」
一人の兵卒の上申に不快そうな表情を浮かべて振り返った将校。
その直後、将校の頭は呆気なく吹き飛んだ。
ゆっくりと甲板に倒れつつある頭の無い身体を呆然と見つめる兵士たちの耳へ、遅れてやって来た破裂音が響き、甲板は大パニックに陥ったのだった。
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