第一二六話「往来のど真ん中で恥辱を受けた」
人が行き交う大通りのど真ん中で、俺は懐かしい『先生』と二人、暫し無言で見つめ合っていた。言葉にしたい事が沢山あるのだが、取り敢えず、言わなければいけないことは――
「……本当に、『先生』ですか? 幻覚じゃなく?」
申し訳ないがアデリナに騙されたばかりなので疑心暗鬼になっていた俺はそんなことを聞いてしまった。視覚的な幻に加えて聴覚まで支配されていたら、俺はもう駄目かも知れない。
「何で幻覚なんですか、私は本物ですっ」
ぷぅ、と頬を膨らませる『先生』。年齢ならば俺よりずっと上なのだが、エルフだけあって人間で言えば二〇歳そこそこにしか見えないのでちゃんと可愛らしく見える。
「す、すみません。ちょっと最近色々ありまして」
自分よりも遙かに小さなエルフに対してへこへこと頭を下げる図体のデカい俺。傍から見ると滑稽な光景かも知れない。ほら、通り過ぎる人たちが物珍しそうに眺めてる。
「それにしてもお久しぶりです、『先生』。俺たちと別れる前、北へ旅に出るって行ってましたよね。まさかここで逢えるだなんて思いませんでしたが……旅は終わったんですか?」
もう七年前の話だが、『先生』は北の帝国を目指すと話して旅立ったと記憶している。旅の目的は聞いていないが、厳寒の国であるし楽な旅では無かった筈だ。
そうか、もう七年にもなるんだな。ミノリとスズもでっかくなったし、会ったらびっくりするんじゃないか。別れた時はまだ一〇歳と八歳の子供だったからな。
「まあね、旅の目的は達成出来たわ。でもここへは立ち寄っただけなの。リュージたちは今、ここを根城にしているの?」
「はい、色々あってザルツシュタットで工房を構えることになりました。あと、去年結婚もしています」
「へえ、工房を持ったのねってえええええええ!? リュージが結婚んんん!?」
ここが大通りのど真ん中であることも忘れて叫ぶ『先生』である。……そこまで驚かれると傷つくんだが。「俺が結婚」ってどういう意味すか。
「どうせ俺は女性の心の機微も分からないような男ですよ……でもそんな俺にも嫁が出来たんですよ……」
「ご、ごめんごめん! まさかあのヘタレリュージがゴールインだなんて思わないじゃない! こんなスタイル抜群の美人を前にして思春期にも関わらず覗き一つしなかったリュージが! あのリュージが!」
「先生、声がデカいです。ここは往来のど真ん中です」
俺は頭痛を堪えながら掌で『先生』を制止する。覗きをしないからヘタレってどう言う事だ。俺は水浴びだとか着替えだとかで何時も気を遣っていたと言うのに。涙が出そう。
「でー? お相手は何処の誰? 馴れ初めは? あ、ちょっとあそこ座って話そっか!」
「あー、はい……」
こりゃ根掘り葉掘り聞かれそうだと覚悟しながら、俺は『先生』にベンチの方へと引っ張られて行ったのだった。
「なるほどねー、同じようにパーティを追放されたエルフの錬金術師と工房をねぇ。付与術師と錬金術師の工房なんて聞いた事無いわ」
俺から色々と尋問した『先生』は、感心した様子でうんうんと頷いている。俺の素質を見抜いて付与術師に推した『先生』としては興味深い内容なのだろう。
「付与術と錬金術とを組み合わせると色々と出来ることが分かりましたし、俺たちの弟子たちにもその技術は教えていこうと思っています」
「弟子まで居るのね……。そりゃ私もおばさんになるってものだわ」
「全然外見は変わってないじゃないですか」
「外見『は』ね。エルフにだって色々あるのよ」
そんなことを言いながら、『先生』は溜息を吐いて黄昏れている。まあ、長命だとそれだけ色々と悩めることがあるのかも知れない。
「それで、そのレーネって子がリュージのお嫁さんなのね。子供の予定はあるの?」
「あ、はい。もう居ます」
と正直に答えたら、数秒間お互いに無言の空気が流れた。『先生』が固まっている。どうしたん――
……あれ? 今の回答、ひょっとしてマズかったんじゃ?
「……待って? 去年の冬前に結婚したって、言ったわよね?」
しまった。あらぬ誤解を与えてしまった所為で『先生』が俺を軽蔑の眼差しで見つめている!
俺は慌てて養子をとった事について話したのだが、誤解が解けるまでの間、『先生』の視線が非常に冷たく感じていたのだった。
「んーっ! 聞きたいことも聞けたし、私はそろそろ行くね」
ベンチから立ち上がった『先生』は大きく伸びをすると、杖と荷物を持ち上げた。って、あれ?
「え、ミノリとスズに会って行かないんですか? 二人とも今なら居ますよ?」
ミノリは大怪我をして療養中だし、その相棒のスズは冒険に行けないから待機中だ。二人とも工房へ行けば会えると言うのに。
「ふふ、ごめんね。この町には長居出来ない理由が有るのよ。いや、正確には『有る』じゃなくて、『出来た』かな?」
「は? それはどういう――」
俺が聞くよりも早く、『先生』は小さく笑い、くるりと俺から背を向けた。折角逢えたと言うのに、長居出来ない理由とは何なのか。
まさか、俺と話している内に何かその理由が出来たのか? だとするとますます分からないのだが――
「またね、リュージ。たぶんまた会えるわ。その時はミノリとスズも一緒だと良いわね」
俺を煙に巻くようにして、『先生』はあっという間に大通りから姿を消してしまったのだった。
次回は明日の21:37に投稿いたします!