第一二五話「こっちは幻覚じゃなかった」
「ふぅ……、こんなもんか」
昨日伐採場へ持って行く魔石を作り終え、今日の午前中に納品の為の最終チェックを終えた俺は大きく伸びをして凝った身体をほぐしていた。今日は弟子たちも休みの日なので、工房には俺とレーネしか居ない。
回復薬の納品は終わっているので、残りはさっき作り終えたこれらの魔石を伐採場に持って行くだけだ。大仕事が一つ終わるってものだな。
「レーネ、伐採場への納品が終わったら少しは暇になるし、アイとラナたちを連れて何処か遊びにでも行くか」
アイだけではなく、隣家の姉妹も俺たちにとっては可愛い娘たちみたいなものだ。気晴らしになるだろうと思いそう提案してみたのだが――
「………………」
「……レーネ?」
再度声を掛けると、調合途中にも関わらず意識が何処かへ飛んでいたレーネがやっと我に返り、慌てて俺の方へと向き直った。またか……。
「ごめん! 聞いてなかった!」
「……フラスコ片手にぼうっとするな、危ない」
「ごめんなさい……」
と、邪術師である実姉のエメラダが近くに居る可能性が話に上がってから、こうして気もそぞろな様子のレーネである。まあ無理も無いと言えば無いのだが、調合中は集中してくれないと命の危険もあるから勘弁して欲しい。
「今日の納品が終わったら暇になるし、子供たちを連れて何処か遊びに行こうって言ったんだよ。レーネも気晴らしになるだろ?」
「う、うん……、ありがとう……」
そう言ってレーネはしょんぼりと俯いてしまう。自分の姉が事件の糸を引いている可能性があることが申し訳ないとか考えているのだろうか。
「それとレーネはもう今日は休め。納品は俺がやっとくから、偶にはアイたちと一緒に遊んでこい」
「で、でも――」
「返事」
「…………はい」
有無を言わせず畳みかけると、レーネは観念したように器材を片付け始めた。些か強引ではあったが、最近は体調も悪そうだし無理をして倒れられても困るからな。
荷物はそれなりにあったものの、頑張って一人で伐採場へ運びなんとか納品を終わらせた。ようやく肩の荷が下りたってものだな。
伐採場の現場監督、ハイムさんにはとても感謝して頂けた。それ程に魔石の運用による業務の効率化は効果があったようなのだ。こうやって仕事が上手く行って感謝されるというのは気持ちが良いものだ。
「と言う訳で、伐採場の仕事は終わりました」
「もうですか!? 早いですね、お疲れ様でした!」
伐採場からの帰り、そのまま俺は商工ギルドへ足を運び職員のトールさんに報告をしていた。報酬は現地で貰ったが、これが無いと商工ギルド内での評価は貰えないからな。
「凄いですね、報告書を読む限りリュージさんの魔石もレーネさんの薬も劇的な効果があったようで、良いことしか書かれていませんね」
「それは何よりです」
興奮するトールさんからお褒めを頂き、自然と俺の顔も綻ぶ。去年登り窯を導入したお陰で、大量生産とまでは行かないが魔石生成の効率化が出来るようになったのは大きいな。
「そう言えば、大型船の方はどうなってるんです?」
俺はトールさんへ若干小声でそう尋ねてみた。伐採場での生産効率が上がったと言う事は、その木材発注元である造船所の方も順調なのではないか、と思ったのである。
だが俺の想像とは裏腹に、トールさんは苦笑しながら「それはまだ進められない理由があるんですよ」と答えた。んん? どう言う事だ?
「木材が手に入っただけじゃ造船は出来ないんですか?」
単刀直入に聞いてみる。そりゃ木材は乾燥しないと使えないというのは知っているが、そんなのは水魔術を使えばどうにでもなる話だろうし。
「木材はすぐにでも使えるのですが、大型船を造れるドックが存在しないので……。今増設している所なんですよ」
「あ、成程。港の端っこでやってる大きな工事はそういうことか」
何かやってるなーというのは気付いていたが、新たな造船所だったか。そりゃ、大型船には大型船用のドックが無いと造れんわな。
「ドックが完成次第、急ピッチで造船に入る予定です。その時に合わせてまた〈軽重の魔石〉をお願いすることになると思います」
「承知しました、楽しみにしています」
大型の船なんて男にとっちゃロマンだ。完成したら是非家族揃って乗せて貰おう。
商工ギルドから大通りへ出る。以前よりも多い人の流れは、確実にこの街が大きくなっている実感を与えてくれると言う物だ。
トールさんからは新たな依頼は無かったものの、「近いうちに港関係でお願いすることがあると思います」と言っていた。どうやら束の間の休息となりそうだ。
「さて、帰るか。レーネもミノリも、大人しくやってるだろうか」
そんなことを呟きながら、自宅への道を進み始める。レーネはさっき言い聞かせたばかりだから大丈夫だろうが、ミノリは見てない隙に鍛錬を始める可能性がある。ベルが見張っている筈だが、アイツじゃ止められないだろうからなぁ……。
「リュージ」
「ん?」
俺を呼び止める声に、足を止めて振り向く。その声は、何処か遠い昔に聞いた覚えがあったのだ。
「…………え」
俺は自分を呼び止めたのだろう目の前のその人を見て固まってしまった。別れた時と変わらぬ若さはエルフならではであり、萌葱色のセミロングも拘りがあるのかその長さを保っていた。右手で金属製の長い杖を携え、左手は口に当ててころころと笑っている。
「やっぱり、リュージね。久しぶり」
「……『先生』…………?」
俺は目の前で優しい笑みを浮かべるその人を、呆然と見下ろすしか無かった。
そう、その人は先日同じ場所で見失った、過去に俺たち兄妹へ生きる術を教えてくれた恩師――『先生』だったのだ。
次回は明日の21:37に投稿いたします!