第一一九話「どうしてお前が知っている」
崖から転がり落ちた為に全身の骨が砕けているが、それを仕向けた犯人であろう、目の前に居るアデリナのお陰で皮肉にも意識を保てている。意識を失ったが最後、俺は二度と目を覚まさないような気がしていた。
しかしこの女は今はっきりと「息の根を止めてみせる」と言ったし、このまま見逃してくれる筈も無い。だからこそ回復薬を取り上げたのだろうしな。
「……もう一度、尋ねよう。何故……生きている?」
俺は少しでもこの状況の打開に向けた策が思いつくように時間を稼ぐべく、先程の質問をもう一度投げ掛けてみた。……実際、気になっていることではあったが。
「わたくしが湖に落ちたくらいで死ぬと思っていたのが間違いだったのでは?」
「……だったら……竜に乗って、尻尾巻いて……逃げない、だろ?」
と、思わず減らず口を叩いてしまったのが間違いだった。アデリナに無言で頬を思いっきり蹴りつけられたのである。全身の骨折に響いて激痛が走り、俺の口から声にならない悲鳴が上がった。
「……御自分の立場を理解しておられないようですわね?」
今理解した、とでも言おうかと思ったが、余計なことを言うとまた蹴られそうだ。喋る時は要点だけに絞ろう。
「まあ、良いですわ。教えて差し上げます。わたくしは一度死にました。……いえ、今も死んでおりますわ」
「死んでいる……?」
いや、俺に蹴りを入れられる位にピンピンしているのだし、幽霊のようには見えない。一体何を言っているのか――
「……まさか」
一つの可能性を思いつき、俺はアデリナの顔を凝視した。……思った通りに、白い。病的なほどに蒼白とも言える。
それはまるで、死人のようだった。
「あら、お気付きのようですわね」
「……不死者と……なったのか……。用意周到な……ことだ」
自信満々な様子のアデリナを見て、俺は確信を覚えた。既に死んでいるにも関わらず実体があると言うことは、不死人、それもリッチとして動いている他に無いだろう。
不死人、とりわけその中でも上位の存在であるリッチとなるには、生前に儀式を済ませておく必要があると聞いた事がある。万が一命を落とした際に、邪神の力を借りて再び稼働出来るように準備をしておくのだ。此奴は邪術師なのだから、その可能性は否定するべきではなかった。
「ええ、ええ、それでもここまで回復するには半年も時間を掛ける必要が御座いました! どれもこれも、貴方の所為で、ねっ!」
「ぐっ……!?」
アデリナにヒールで顎を打ち上げられた。いやいやお前が魔竜の背から落ちたのは俺の所為じゃねぇよ、と言いたかったが声にならない。
「まったく、生前は貴方のお陰で散々な目に遭いましたし、こんなものでは気持ちが治まりませんわ。どうしてくれましょうか」
そりゃこっちの台詞だ、とも言いたいのをぐっと堪える。全くもって自分勝手な女だ。どれもこれもお前がちょっかいを出して来ただけだし、崖から落としただけで足りないのか。
「……そうだ……、まだ、訊かねば、ならない、事がある……」
「……は? 何ですの? この期に及んでまだ御自分の――」
「『先生』の……姿も、幻術……だったのか……?」
また蹴りを放たれる前に、俺は先んじて質問を飛ばした。ここに至るまでのこと、俺が追い掛けていた『先生』のことである。
そもそも、『先生』を追い掛けていた途中で此奴の幻術に嵌まったのだ。それが偶然と言うならば出来すぎている。
すると、此奴は俺と『先生』の関係を知っていたということになる。それは何故なのか。
「……はあ?」
だが、アデリナは俺の疑問に対して素っ頓狂な声を上げ、眉根を寄せた。まるで「お前は何を言っているのか」とでも言っているようだ。
しかしそれも一瞬のことで、何やら合点のいった表情を浮かべ、「ああ、そう! そうですのね!」と言い出した。一体何だよ。
「ふふふ、そういう事でしたか。貴方は、そうだったのですか」
「……何がだよ」
「それは――」
と、含み笑いを上げていたアデリナが何かを言い掛けた所で、真顔に戻った彼女はかぶりを振り、そして俺に背を向けた。
千載一遇の好機に、俺は腰の魔石を一つ手に取った。これは『ギフト』の魔石で、〈神殺し〉の力を持つ邪術師のアデリナが居ては使えない類のものだ。だから、今は効果を発揮しない。
それでも、これでなくては逆転が不可能だ。上手いこと行ってくれると信じるしか無い。
「……そこまでお話しする義理も御座いませんし、ここまでにしましょうか」
「は? おい――がっ」
引き留めようとした俺の言葉は、最後まで口にすることは出来なかった。
何故ならば、アデリナが背中を見せたまま放った金色の触手が、俺の胸を貫いていたからである。
「……かはっ」
俺は息をすることを許されず、最後の呼吸を口から放ち痙攣した。
「さようなら、付与術師リュージ。これであの御方の障害が、一つ取り除かれましたわ」
今の俺には、アデリナの言葉は既に遠い彼方の向こうから聞こえるように感じられていたのだった。
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