第一一六話「俺は愛情を求めていたのかも知れない」
「売られてきたって……どう言う事だ?」
商人たちへ詫びを入れ自分たちのテーブルに戻った俺は、アイが落ち着くのを待ってからシンプルにそう尋ねてみた。サクラが滅びた話も気になるが、今は彼女の話だ。
「どうもこうも無いよ。私の身分は奴隷なの。奴隷商人にゴルトモントまで連れて来られ、壊滅状態の暗部に能力を買われたって訳。結局こうして裏切ることになったけどね」
自虐的な笑みを浮かべて、アイは何処か他人事のように話している。
この表情には覚えがある。人生に絶望した者の顔だ。まだ一二歳という若さでこんな顔をするなんて、どんな壮絶な人生を送って来たと言うのか。
「ゴルトモントは、奴隷の売買を禁止していなかったか?」
「表向きはね。私の住んでたエルフの村でも、奴隷商人に誘拐された人は居たよ」
俺の疑問に、レーネは暗い表情でそんな事実を返した。確かに、エルフはその麗しい見た目から奴隷商人に誘拐される話を聞くことがあるな。表向きと言うことは、裏ではその活動を認めていたってことか。
それにしても最近、次々とゴルトモントの後ろ暗い事実を知ってしまうな。殿下は「今まで通りにゴルトモントと付き合うように」と仰っていたが、ちょっと難しくなってきた。
「アイちゃん、奴隷紋はある? お風呂に入ってる時には見えなかったけど」
「……ここに付けられたけど、スズさんが解除してくれたからもう無い……ってアンタはジロジロ見るな!」
服の上から自分の平らな胸を指さしていたアイが、俺の視線に気付いて牙を剥いた。非道い、不可抗力だ。
ちなみに奴隷紋と言うのは主従を強制する隷属魔術と言うもので付けられた紋章で、魔術制約の一種だ。これが有る限り主への反逆は出来ないのだが、流石スズ、仕事が出来る妹だ。
「なら、もう一つの制約も解いてしまうか。家に帰ったら早速やろう」
そう言って俺は立ち上がり、食堂を出る準備を始める。もう一つの制約、と言うのは勿論俺とアイの間に掛けられた魔術制約のことだ。
「え……、良いの?」
「俺たちの娘になって貰うんだ。魔術制約なんて必要無いだろう?」
アイは不安そうな表情で見上げながら尋ねてきたが、俺は苦笑を浮かべてそう答えたのだった。
自宅へと戻った後、俺はスズに頼んでアイの魔術制約を外して貰った。後で殿下にも「色々と話してくれた彼女は信じるに足ると判断してのことです」と、報告しておこう。
「ん、これでアイは自由の身。何処へなりとも行ける」
さくっと魔術制約の解除を終えたスズがそう言ったものの、アイは小さく肩を竦める。そしてちらりと俺とレーネの顔を窺った。
「……自由、ねぇ。でも私はこの家の娘になるみたいだけど」
どうやら、レーネの提案を受け入れ俺たちの子となってくれるらしい。俺は兎も角としてレーネには懐いてくれているようだし、このまま放り出すよりずっと良いだろう。
「おお、ならミノリ姉とスズは叔母になる?」
「え、あたし五つしか違わない子におばさんって呼ばれるの!?」
あくまでドライなスズに対して、ショックを受けているのはミノリである。そりゃそうだ、こんな大きな姪っ子なんて想定していなかっただろうし。
「呼ばない呼ばない。ミノリ姉さん、スズ姉さんって呼ぶよ」
「えー、なんか堅苦しい。お姉ちゃんで良いよ?」
「ミノリ姉、注文が多い」
そんな姦しい様子を見て、隣のレーネがクスクスと笑っている。冬に二〇歳を迎えたということもあるが、すっかり彼女は大人の女として落ち着いてしまったな。ちょっと前までは世間知らずの少女だったと言うのに。
「なんか、良いね。こうして家族で暮らして行けるって」
「……そうだな」
考えてみれば、俺たち兄妹は両親を亡くしており、レーネも生まれ故郷を実姉に滅ぼされている。
そしてさっき聞いたアイの身の上話。あの子は両親の顔を知らず、物心ついた時からサクラ帝国のお抱え忍者として修行をしていたものの、去年国が滅びた時に捕虜となり奴隷となったのだそうな。
俺たち兄妹もそれなりに苦労してきたものだが、奴隷として遙か西の国へと移動している日々は過酷なものだったらしく、多くの同胞たちは命を落としたと言っていた。
「俺たちは皆、血の繋がった家族や同胞、故郷を無くしている。そんな俺たちが集まって幸せな家庭を築けているのは不思議なものだ」
感慨に耽り、ぽつりとそんなことを零してしまった。血よりも濃い絆というのは、確かにここにあるのだ。
俺のそんな呟きに、レーネは少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。
「……みんな、家族に飢えていたからこそ、だよ」
「……そうかもな」
俺も心の何処かでは家族の愛情に飢えていたのかも知れない。だからこそ、俺はミノリとスズを妹にしたのだろう。やっとそのことを、理解したような気がする。
「ほーら、お姉ちゃんって呼んでごらん、お姉ちゃんって」
「ミ……ミノリお姉……ちゃん?」
困惑しながらも、アイは何処か嬉しそうな表情で新しく出来た家族の名前を呼んでいたのだった。
次回は明日の21:37に投稿いたします!