第一〇八話「ほら見たことか」
ハイムさんとの打ち合わせをレーネ無しで続け、魔石の導入と最初のみ疲労回復薬を納入ということで交渉は妥結した。仕事も決まったし後は作って納品するだけだ。
「おいレーネ、帰る――って、居ないし」
仮眠室を覗いてみたら、レーネとアイネの姿は無かった。まったく、一つのことへ集中すると他のことが疎かになってしまう癖があるからな、うちの妻は。それでも別に良いんだが、俺にだけ仕事をさせないで欲しいものだ。
外に出てみると、二人は少し離れた場所で焚火をしていた。もう暖かくなってきたと言うのに、何故。
「レーネ、仕事の話はもう終わったぞ。俺にだけ働かせて何やってんだ」
「あ! ご、ごめん、リュージ! つい夢中になっちゃってきゃははは! やめて! やめて!」
しゃがんで焚火の様子を窺っていたレーネを背後からがっちりホールドし脇腹をぐりぐり弄ってやったら、身体をよじらせ嬌声を上げた。ふっ、弱い。
「ちょっと! 独り者の前でイチャイチャしないでください! 目の毒です!」
「おっとすまない、気が回らなかった」
ぶーぶーと文句を垂れるアイネに対しまったく悪びれる事無くレーネを弄り倒した後、倒れて痙攣する妻を放置して俺も焚火の中を見ることにした。
「何やってんだ、一体?」
「石炭を燃やす所を実演しているんですよ! ほら! 見てください!」
アイネはそう説明すると、枝切れで焚火の中から小さな石炭を取り出した。おお、本当に燃えている。あと煙が凄いな。
「あ! 煙は有害ですので吸わないようにしてください! 喉をやられますよ!」
「そりゃまあ、好き好んで吸ったりしないが。それにしても、石炭はそのまま使わずに一旦乾留するんじゃなかったのか?」
さっきアイネが説明していた内容によれば、そうだ。乾留して〈骸炭〉というものに変えると言っていた。
ちなみに乾留とは、物体を窯などで蒸し焼きにして変質させる事だ。詳しい理屈は分からんが、物体の中に含まれる成分が分離される、ということをレーネから教えて貰ったことがある。
「ゴルトモントでは石炭をそのまま使うことは無かったんですけどね! 実際に燃えている所をご覧に入れた方が魅力も伝わると思いまして!」
拳を握り締め、瞳を輝かせたアイネが石炭や骸炭の特徴を力説してくれるが、生憎レーネと違って俺はそんなに執着していないので頭に入ってこない。
……いやまあそれでも、色々と解説してくれるのは嬉しいが――
「……しかし、良いのか? 俺たちに色々と説明しても。ゴルトモント王国の技術がバイシュタイン王国に流出するぞ?」
「え? 何か問題ですか? 私はもうバイシュタイン王国民になったつもりですので、気にしていませんが?」
「え、守秘義務とか無かったのか? と言うか、そんな特級の技術知識を抱えたままでよくゴルトモントから出国出来たな」
普通、こういった先端技術は流出しないように人材を管理しているものだと思うのだが。俺の『ギフト』の生産方法だって他言しないように王女殿下から釘を刺されているし。
「守秘義務……? なんかそんな事を言われた記憶が、あったような、無かったような……」
「…………おい」
余りにも適当すぎるアイネの態度に、俺は背中に汗を掻いてしまった。此奴、やべー奴じゃないか。研究職をクビになったのはこれが原因じゃあるまいな。
「あははは! まあ、細かいことは良いんです! 少しでも多くの方へ石炭の魅力をお伝え出来れば、こんなに嬉しいことは無いですから――」
アイネが言い終える前に、俺は一歩踏み出し、飛来したそれを杖で弾き落とした。ぎぃん、という鈍い金属音と共に、地面に先端の尖った棒のようなものが突き刺さる。
「っておわっ!? なっ、なんですか!?」
「ほら見たことか」
俺はアイネへ非難を続けたい気持ちを堪えながら、飛来した方向への警戒を怠らないまま慎重に足元の棒へ目を向けた。うっすらと濡れている。
「……毒が塗ってあるのか。明らかにアイネを狙っていたが……レーネ、敵の正確な位置は何処だ?」
「あっちかな。足音を殺して移動してたけど、私の耳にはばっちり聞こえてるよ」
復活したレーネが指さした方向には一本の太い樹が生えている。どうやら敵はそこの裏に潜んでいるらしい。
「…………エルフとは厄介なものだな。私の足音まで聞こえているのか」
観念したのかそんな事をぼやきながら、樹の反対側から一人の小柄な少女が姿を現した。カラスのように黒い髪を肩口で切り揃えており、髪と同じ色の動きやすそうな服を身に纏っている。年の頃はスズよりも幼く一二、三歳と言ったところか。表情からは強気そうな所が窺える。薄手のブーツは足音を殺す為か。
「ご苦労なことだ。お喋りなアイネを殺しに来たのか?」
俺はその少女に向けてストレートにそう尋ねてみた。少女は一瞬だけ目を細めてみせたが、溜息を吐くと、何処からとも無く取り出した大ぶりな片刃のナイフを右手に携え、小さく頷いた。
「答える義務は無い、と言ってやりたい所だが、半分正解と言っておこう」
「半分ってどう言う事だ?」
少女の言葉の意味が何となく分かったものの、俺は杖を構えて問うてみた。相対する俺とレーネに視線を泳がせながら、少女は小さく口端を上げて見せる。
「決まっているだろう? 口封じに来たのだから、お前等も標的だ」
次回は明日の21:37に投稿いたします!