第一〇七話「こうなるとレーネは長い」
崖から落ちた女性へ応急処置をしてから管理小屋へ運び入れた後、手当てをレーネに任せてから、俺はその小屋で伐採場の現場監督のハイムさんと仕事の話をしていた。
「確かに導入費用は魔石の方が高いですが、回復薬は永続的に効く訳ではありません。魔石を導入しない場合、結果的に回復薬を使い続ける方がコストは嵩みますよ」
「成程……、しかし……実際に作業員たちの疲労がピークに達しており、不満が上がっているのは確かなんですよ。魔石では疲労回復の効果はありませんよね?」
「はい、魔石では能力の底上げをするだけですのでに疲労回復の効果はありません。ただ先程申し上げました通り、継続的に薬を使用する場合は今後もコストが掛かります。であれば、導入時にのみ回復薬を支給する、というのは如何でしょうか? 初期投資額は微増しますが、今後掛かってゆく費用は有りません」
ハイムさんは魔石に掛かる初期費用が悩ましいらしく疲労回復薬の支給で乗り切りたいようだが、目先の安さで回復薬を選ぶと費用は今後も掛かってしまう。そういった理由で俺は根気よく魔石による運用のメリットを説明していた。
それにしても、俺も立派な商売人になったものだ。ザルツシュタットに来たばかりの頃はまだまだ商売のイロハも分かっていなかったもんだが、習うより慣れろって奴だったな。
で、結局ハイムさんは俺の案を検討してくれることになった。幾ら定期的に金が入るとは言え長期の継続的な納品はこちらとしても負担が大きいし、第一に新規顧客を得る暇が無くなる。魔石案ならハイムさん側も総額が抑えられるし、お互いハッピーって奴だ。
「……ちなみに、さっき助けた女性は誰なんですか?」
俺は気になっていたことを思い切って尋ねてみることにした。だってさぁ、あんな落ちたら大怪我するような場所でわざわざ採掘してるなんて、気になるだろう。
「あー……、実は、最近になって『作業の邪魔はしないので、あの崖で採掘をさせて欲しい』と言われただけで、よく素性は分からないんですよ。一応、崖の方の土地はうちの管理下では無いし誰の所有地でも無いので許可も何も無かったんですが……」
なんと、ハイムさんも知らないのか。となれば、本人に事情を聴いてみるしか無いか。あんな事をやっていたら命が幾つ有っても足りないし。
「リュージ、あの人起きたよ
「お、噂をすれば」
ベッドの有る仮眠室で女性の手当てをしてくれていたレーネが戻ってきた。妻の表情を見る限り、深刻な怪我などは無かったと見える。
俺は打ち合わせの休憩がてら、レーネと一緒に女性の下へと向かったのだった。
「助けて頂きありがとうございました!」
ベッドから半身を起こした女性は元気にそう声を張り上げると、俺に向かって大仰に頭を下げた。なんだなんだ、大人しそうな外見だと思っていたら随分と活発な人だな。
「どういたしまして。助けた恩を返してくれとは言わんが、どうしてあんな所で採掘なんてしていたのか、事情だけ聴かせてくれ。あ、俺の名前はリュージだ。付与術師をやっている」
「はい! レーネちゃんから伺いました! 私は学者をやっておりますアイネと申します!」
レーネちゃん、と来たか。まあ、この人からしたらレーネは年下だし呼び方は気にしないことにしよう。俺を同じように呼んだら考えるが。
しかし、学者様かぁ。となれば、益々崖で何をしていたのかは気になる。魔石職人として。もし珍しい鉱石でも見つけているのだとしたら、一枚噛ませて欲しいものだ。
「それで、崖で採掘をしていた理由ですが……〈石炭〉を掘っていました!」
「……せきたん?」
なんだか馴染みの無い単語が出てきた為に、レーネが首を捻る。俺だって付与術師であり魔石職人でもあるため鉱物には詳しい方だが、聞いた事が無い。
「ええと……これですね!」
アイネは自分のマジックバッグを漁りだしたかと思うと、一つの小さな麻袋を取り出した。この中に石炭とやらが入っているのだろうか。
「中、見てみてください。あ、石炭には触らない方がいいですよ、手が真っ黒になりますからね!」
「ああ」
俺はアイネから受け取った麻袋の中を、そっと覗いてみる。何とも言えぬ薬臭さがあるな。しかし、ただの黒い石にしか見えない。一緒に覗いていたレーネも正体不明の石に戸惑っているのか、変な声で唸っていた。
「宝石……では無さそうだな。何なんだ石炭って」
俺には価値が分からず、降参して問うてみた。一見してただの石であり、学者が危険を冒して採掘する理由も分からない。
問われたアイネはと言うと、こちらは「よくぞ聞いてくれました!」と薄い胸を反らしながら勿体付けている。はよ答えんかい。
「それは燃える石なんです! ゴルトモントでは薪や木炭に代わる燃料として製鉄などに用いられているんですよ!」
「……燃えそうには見えないんだがなぁ……」
半信半疑よりも疑い寄りに倒れている俺とレーネの視線が、アイネに集中する。石の類が燃えるだなんて思えないんだが……。
その後俺とレーネは、アイネの熱が籠められた説明を受けて石炭の魅力を知ることになった。どうやらこの石炭という物、木炭と同じように乾留させると非常に高い温度で燃焼するらしく、鉄の生産効率が上がるんだそうな。
彼女はその石炭について調査していたゴルトモントの学者だったが、そう言った基礎研究について理解の無い上司から解雇されてしまったらしく、ここバイシュタイン王国までやって来たのだと言う。
「……理解の無い上司から解雇、か。一年ほど前に似たような経験をしたな……」
「そうなんですか?」
何処へともなく遠い目を向けた俺へ不思議そうに尋ねるアイネ。レーネは意味が分かったのか苦笑している。そうだよ、〈ベルセルク〉を追放されたことだよ。
「でも、燃える石かぁ……。私、すっごく興味あります。副産物のコールタールって液体とか錬金術に使えそうですし」
「おお! この鉱物の魅力が分かりますか!」
何やらレーネとアイネが意気投合して俺について行けない話を始めてしまった。こうなると妻は長い。前も鍛冶工房の長であるドワーフのガドゥンさんと長話を始めた時は夕方まで続けてたからなぁ……。
居心地の悪さを感じ溜息を吐いた俺は、女二人の会話が終わるのを待たずにハイムさんの下へと戻ることにしたのだった。
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