過ぎし主、今の主、御側にありて 3
従者として、そして時には同じオメガの友として、私はラディウス様の傍に在った。
そんなある日、「同じオメガの性を持つ従兄弟を紹介したい」と、ラディウス様から声をかけていただいた。その方との顔合わせとして、離宮の中庭で開かれたお茶会に、私も同席させていただくこととなった。
その方は、ルシエル公爵家のご次男――フィオリア・ルシエル様。
穏やかな微笑みと気品に満ちた物腰が印象的で、一目で「選ばれし者」の風格を感じさせる方だった。お噂によれば、フィオリア様は近衛騎士団長を務めるアルファのご子息と婚約されており、十八歳を迎えられた暁には、正式に婚姻されるご予定だという。
ラディウス様とフィオリア様は、お互いの近況を穏やかに語られていた。しかし、話題が私のアレクサンドル様への発言に及ぶと、空気が変わった。
「それでね、リアンが一歩も引かずに言い返したんだ。アレクも、側近たちも、呆気に取られていたよ。」
ラディウス様の言葉に、フィオリア様は目を見開き、肩を小さく震わせた。
「リアン、君は本当に最高だね! アルファだと分かってからというもの、側近にそそのかされて生意気な態度ばかりだったアレクと、取り巻きたちを黙らせるなんて……!」
その目には、うっすらと涙がにじんでいた。嬉しさと、悔しさと、そして誇らしさが入り混じった、感情そのままの表情だった。
「お恥ずかしい限りです……」
そう頭を下げた私に、フィオリア様は眉をひそめながら即座におっしゃった。
「どうして? アルファだからと言って何も努力しないのでは意味がないよ。ラディウスがオメガとわかったことで、次期国王はアレクになった。ならば尚更、国を総べる者として、物事を平等に見る目を養ってもらわないと困るじゃないか。」
その言葉は、優雅な響きの中に確かな芯を秘めていて、思わず私は心の中で強く頷いた。
――本当にその通りだ。フィオリア様のような方が、この国にもっといらっしゃれば……。
「ふふっ、フィオリアは相変わらず手厳しいね」とラディウス様が微笑む。
「ラディが優しすぎるんだよ! ああいった者には少しくらい厳しくしておかないと、あとが大変なんだから……」
「君の婚約者殿にも、同じように諭したのかい?」
そう問いかけるラディウス様に、フィオリア様はくすりと笑って肩をすくめた。
「もちろん。アルファのプライドなんて、叩き割るくらいでちょうどいい。」
穏やかな笑みと涼やかな物腰の奥に、鋼のような意志を感じて、私は思った。フィオリア様は、見た目の優しさとは裏腹に、芯の強い方なのだ、と。その思いを見透かしたように、ラディウス様が私を見て微笑む。
「リアン、驚いたかい? フィオリアの見た目と内面の差に」
「……はい。ですが、素敵だと感じました。」
私の素直な言葉に、フィオリア様が照れたように笑みをこぼす。お茶会の席には、ささやかな共感と信頼の芽が、静かに根付いていた。
和やかな雰囲気に包まれた離宮の中庭、私たちのティーテーブルに近づく影がひとつ。
「楽しいひとときの中、失礼いたします。アレクサンドル様が、ラディウス様にお詫びを申し上げたいと、申しつかっております。」
見慣れぬ従者が、花々に囲まれた庭の小径を辿って姿を現した。緊張した面持ちで立ち止まり、ラディウス様に丁寧に一礼する。
「……お詫び、とは。アレクが自ら?」
「はい。先日の件につきまして、ご自分の言葉で直接お詫びを、と。」
ラディウス様はティーカップをそっとソーサーに戻すと、やわらかな声で応じられた。
「今は客人を招いている最中だ。伝えてくれ、後ほど伺うと。」
「かしこまりました。」
従者は再び一礼し、花咲くアーチの下へと引き返していった。細い砂利道の先にその背が消えるまで、誰も口を開かなかった。すると、フィオリア様がくすりと笑って言う。
「随分と殊勝な心がけじゃないか、アレク。リアンが痛い目見せてくれたおかげかな?」
「見慣れぬ従者をよこしてきたのだから、そうかもしれないね。」
お二人は顔を見合わせて微笑んでいる。
「心を入れ替えたとしても、私はラディウス様に放ったあの言葉は一生忘れません。」
「そうだね。リアン、またアレクがラディに嫌味を言ったら言い返さなきゃ!」
フィオリア様の言葉にラディウス様は「ほどほどにね。」と言って笑っておられた。
楽しいお茶会を終え、フィオリア様をお見送りした後。私たちはそのまま、アレクサンドル様がお住まいの東宮へと向かった。扉の前には、先ほど離宮の中庭に現れた従者が立っていた。ラディウス様が軽く声をかけると、恭しく一礼し、中へと通してくれる。
私はいつものように扉の外で控えようとした――が、アレクサンドル様の声がそれを遮った。
「兄上の従者も、共に。」
不意の呼びかけに戸惑いながらも、ラディウス様の後ろへと控える形で部屋へ足を踏み入れる。東宮の客間は、格式のある内装ながらもどこか静謐で、今の空気にふさわしい重さがあった。アレクサンドル様は、兄であるラディウス様に向き直ると、恭しく頭を下げる。
「兄上……こちらに。」
柔らかな声とともに、ソファへと促す。ラディウス様がその言葉に従い腰を下ろすと、アレクサンドル様も深く頭を垂れた。
「先日は、兄上に対して失礼な発言、ならびに差別的な言葉を浴びせてしまい……深く、反省しております。本当に……申し訳ございませんでした。」
アレクサンドル様が頭を下げると、静謐な沈黙が室内を満たした。中庭で感じた風とは違い、ここに流れる空気は重く、張りつめていた。ラディウス様はしばらく言葉を発さず、膝の上にそっと手を重ね、アレクサンドル様を見つめていた。その瞳は、どこか優しさと寂しさを湛えていて、けれど怒りはなかった。
「……謝罪の言葉をいただけるとは思っていなかった。正直に言えば、驚いているよ。」
ゆっくりと、ラディウス様はそう口を開いた。
「だが、私のことを“兄ではない”と切り捨てたのは、アルファとしての誇りからか。それとも、従者の言葉に流されたのか……」
問いかけるように穏やかに放たれたその声に、アレクサンドル様は静かに顔を上げた。
「……どちらでもあり、どちらでもありません。」
その答えに、私は思わず胸の奥がざわついた。
「皇太子の座を退かれた兄上が、それでもなお堂々とされている姿を……私は尊敬しておりました。けれど、兄上がオメガと知れ渡り、周囲が蔑むようになったことが、苦しかったのです。そして同時に、兄上と同じ器量を持つことを求められるようになった私には、その期待に応えられない焦燥がありました。」
まっすぐに、迷いのない目でラディウス様を見つめるアレクサンドル様。その真摯な瞳を前に、ラディウス様はふっと優しく微笑まれた。
「……そうか。」
「兄上……私の未熟さゆえに、側近を諫めることもできず、兄上と従者殿に多大なご迷惑をおかけしました。次期国王となる者として、決してあってはならないことです。深く反省しております。」
そう言ってアレクサンドル様は静かに立ち上がり、深く、そして丁寧に頭を下げた。するとラディウス様は席を立ち、アレクサンドル様の前へと歩み寄る。
「顔を上げて、アレク。」
ラディウス様の言葉に促され、アレクサンドル様が顔を上げると、その瞳には揺るがぬ優しさが宿っていた。
「私もまだ未熟だ。オメガとして、そして一人の人間として――これからも、自分の道を模索していくつもりだ。だからこそ……アレクにも、道を見誤らぬようにあってほしい。」
「……ありがとうございます、兄上。そして……リアン殿。」
私の名を呼ばれた瞬間、ぴくりと背筋が伸びた。
「貴殿の言葉は、確かに私の胸を打ちました。礼を。」
「……もったいないお言葉です。」
深く頭を下げながらも、私は心の奥でひそやかな安堵を覚えていた。ようやく――この兄弟が、ほんの少しだけ、歩み寄れたのだから。
「……今まで仕えていた従者と側近は、その任を解きました。彼らはすでに実家へ戻し、更生の道を歩ませるよう手配しております。」
その言葉には、アレクサンドル様の覚悟と、今度こそ自らの足で立とうとする意思が込められていた。ラディウス様は一瞬、目を伏せたが、やがて柔らかに口を開かれる。
「君がそう判断したのなら、きっとそれが最善なのだろう。彼らの行いを赦すつもりはないが……立場を正す機会を与えたことは、アレクの成長の証だと受け取っておこう。」
「はい……ありがとうございます。」
再び頭を下げるアレクサンドル様に、ラディウス様は微笑みながら言葉を続けた。
「次に会う時は、兄弟として――ではなく、“次期国王”と“その臣下”として、改めて向き合えると良いな。」
「……その日を迎えられるよう、精進いたします。」
アレクサンドル様の返答に、ラディウス様は静かに頷かれた。私もまた、胸の奥にじんわりと広がる熱を感じながら、その光景を見守っていた。そして、しばしの沈黙の後――
「では、そろそろ失礼するよ。」
ラディウス様が穏やかに立ち上がると、アレクサンドル様も席を立ち、出口まで見送るためにその後を歩まれた。
扉の前で丁寧に一礼したアレクサンドル様の背に、ラディウス様はふっと微笑まれる。
「歩み寄ることを、恐れぬアレクでいてくれて……嬉しいよ。」
「……ありがとうございます、兄上。」
その返事は、どこか照れくさそうでありながらも、確かなものだった。ラディウス様はそっとアレクサンドル様を抱きしめ、軽く背をポンポンと叩かれた。そして、静かに踵を返し、部屋を後にされる。
その背を、アレクサンドル様はまっすぐに見送っていた。
きっと、この日が――
二人にとって、忘れられない一日になるのだと。私の心にも、そう確かに刻まれていた。




