過ぎし主、今の主、御側にありて14
大きな式典は昨日で全て終わり、翌日――。
ラディウス様はフィオリア様と共に離宮でゆったりとした時間を過ごされていた。私はお二人が心安らかにお過ごしいただけるよう、細やかに気を配り、サポートに努める。
ただ一つ。お二人には告げていないことがあった。
昨夜、アレクサンドル様の従者ヴィンス殿が私のもとを訪れ、小包を手渡されたのだ。
「アレクサンドル様が先ほど驚かせたお詫びだそうです。受け取っていただけないと、私が叱られますので……ぜひお受け取りください。」
そう言われては断れず、私は渋々受け取り、自室に戻った。
包みを開けると、上質ながら派手すぎない白布のハンカチが一枚、丁寧に畳まれて入っていた。角には小さな銀糸で繊細な模様が刺繍されており、素朴でありながらも心のこもった仕上がりだ。
その下には、掌に収まるほどの香り袋が添えられていた。袋を手に取った瞬間、ふわりと微かな香りが鼻をかすめる。どこかで覚えのある香り。落ち着きを与えるような、凛とした香りだった。
「……いい香り。でも、どこかで……?」
小さく呟き、首を傾げる。だが、それが誰のものかまでは思い至らず、ただ妙に胸がざわつく感覚だけが残った。
香り袋には短い手紙が添えられていた。アレクサンドル様の直筆で、端正な文字が並んでいる。
――枕元に置いて眠れば、心が安らぎ、よく休めるはずだ。
式典続きで疲れているだろう。どうか寝ている間だけでも、深く休んでほしい。
アレクサンドル
私はそっと手紙を伏せ、香り袋を見つめる。その温かな気遣いに、自然と頬が緩んでいた。
(今日は……早めに休もう。)
そう決めて自室内にある浴槽に湯を張り、体を清めた。
さっぱりとした気持ちで香り袋を枕元に置き、横になる。柔らかな香りに包まれながら、私は自然と微笑みを浮かべ、深い眠りへと落ちていった。
――翌朝。
目を覚ました私は、驚くほどすっきりとした気分で体を起こした。
枕元に置いた香り袋を手に取り、そっと鼻先に近づけると、昨夜のアレクサンドル様の直筆の手紙が思い返される。
「……お礼をしなければ。」
自然と口から零れた言葉に、自分でも苦笑する。
いただいた想いをそのままにしておくことは、どうしても落ち着かなかった。
「チョーカーのお礼も、まだ出来ていないのに……」
ぽつりと呟きながら、私は机に腰を下ろし、指先で香り袋を弄びつつ思案を始める。
アレクサンドル様は、何を差し上げれば喜んでくださるのだろうか。
誰かに相談できればよいのだが――ラディウス様に尋ねれば、それを耳にしたフィオリア様に揶揄われるのは目に見えている。
胸の奥にもどかしさが募りながらも、それ以上にひそやかな期待が芽生えている自分に気づき、思わず苦笑する。
私は香り袋をそっと胸元に当て、ひとり考えを巡らせていた。
ふと窓から射し込む朝の光に気づいて、はっとする。
「……っ! ラディウス様がご起床されるお時間だ!」
慌てて香り袋を机に戻し、身支度を整える。胸の奥にまだ残る温かな想いを押し隠すように、私は足早に部屋を後にした。
廊下を抜け、いつもの従者の顔に戻る。
(今はまず、ラディウス様のお支度だ……)
そう心に言い聞かせながら離宮の一室へ向かう。
ラディウス様の朝のご支度を滞りなく終えたころ、ちょうどフィオリア様が軽やかに部屋へ入ってこられた。私は二人を食堂へご案内し、すぐに朝食の準備に取りかかる。
ほどなくして整えられた食卓に並んだお二人は、和やかな会話を交わしながら食事を始められた。朗らかな笑い声が響く中、私は静かに控えながら、その様子を見守る。
けれど心の奥では――。
(アレクサンドル様に、何をお返しすればお喜びいただけるだろうか……)
ふと気づけば、手元の水差しを持ったまま考え込んでしまっていた。慌てて姿勢を正し、誰にも気づかれていないことを祈りながら、再び従者としての務めに集中する。
「ねぇ、リアン?リーアーン!」
「…はい。なんでしょうか?フィオリア様。」
「なんだか今日変だよ?疲れが出たんじゃない?」
「心配をおかけして申し訳ございません。少し考え事をしていただけです。」
「考え事?」
首を傾げたフィオリア様の視線に、私は一瞬言葉を詰まらせる。
「……大したことではありません。お気になさらず。」
そう答えると、ラディウス様が柔らかく笑みを浮かべられた。
「フィオ、あまり追及しなくていいよ。リアンだって考えたいこともあるだろう。」
「むー、でも気になるなぁ。リアンがぼんやりするなんて珍しいんだもん。」
困ったように眉を下げるフィオリア様と、宥めるように笑うラディウス様。
私は二人のやり取りに小さく頭を下げ、水差しを丁寧に扱いながら食卓へ注いだ。
「そういえば、今日は花束が届いてないね?」
「……そうだね。きっと諦めたんだろう。」
そんな会話をしていた矢先、扉を叩く音が響いた。
確認のために開けると、やはり噂をしていた花束が届いた。届けてくれた使者は息を荒げ、汗で顔を濡らしていたので、水を一杯差し出すと、安堵の笑みで一気に飲み干し、慌ただしく去っていった。
――嵐のようだったな。
そう思いながら花束を抱え、ラディウス様のもとへと運ぶ。
「……ラディ、止めないと、部屋が花で埋まっちゃうよ?」
「……そうだね。」
「勿忘草と霞草……まるで“また会いたい”って言っているようなものだよ?もう、いっそお茶会にお誘いしたら?」
「離宮は許可されたアルファでなければ、立ちいることを禁止しているから、するにしても……ね?」
「ラディ、それを言い訳にして流そうとしているでしょ?」
「……ダメかな?」
フィオリア様は困ったように眉を寄せ、ラディウス様は曖昧な笑みで返される。そのやり取りを横で見ながら、私は胸の奥に小さなざわめきを覚えていた。
(……ラディウス様はお優しすぎる。だからこそ、時に強引な想いに押し込まれてしまうのでは――)
けれど、それを口にするのは従者の分を越えること。私はただ花束を整え、静かに場を取り繕うしかなかった。
「はぁ……わかったよ。アレクに東宮の庭を借りてできないか聞いてみよう。リアン、朝食後にお願いしてもいい?」
「かしこまりました。」
そう応じると、フィオリア様はぱっと顔を輝かせ、ラディウス様はどこか気恥ずかしそうに視線を逸らされた。私は二人の様子に小さく微笑みつつ、心の奥でそっと決意を固める。
(……ちょうどいい。東宮へ伺う時に、アレクサンドル様のお好みをそれとなく聞いてみよう。)
朝食を済ませられたお二人はお部屋でゆったりと過ごされている。その間に東宮へ向かい、アレクサンドル様のお部屋へ向かう。その途中で、いつも花束を届けるレガトニアの使者と出会った。
「先ほどのお水へのお礼です。どうかお受け取りください。」
そう言って差し出されたのは、白く可憐な一輪のマーガレットだった。
どうすればよいのか戸惑いながらも、私は両手でそっと抱えるように花を受け取る。使者は深々と頭を下げると、そのまま足早に去っていった。
残された私は、小さな花を見下ろし、胸の内にわずかな困惑を抱えたまま、アレクサンドル様の部屋へと歩を進めた。
アレクサンドル様のお部屋の前に辿り着き、軽くノックをする。
声をかけるより早く、扉が静かに開き、そこから顔を覗かせたのは従者のヴィンス殿だった。
「おや?リアン殿。ようこそ、アレクサンドル様のお部屋へ!どうぞお入りください。」
ヴィンス殿は大きな声でそう言い、柔らかな笑みを浮かべて出迎えられた。
私は胸元に抱えたマーガレットをそっと押さえる。けれど隠す間もなく、奥からアレクサンドル様が現れ、私の姿を目にした瞬間、その視線は自然と花へと吸い寄せられた。
「……その花は?」
低く落ち着いた声なのに、わずかに不機嫌さを帯びているように聞こえて、私は思わず背筋を伸ばす。
「さ、先ほど……レガトニアの使者から。お水のお礼にと……」
そう答えると、アレクサンドル様は一瞬だけ視線を細め、次の瞬間ふいっと顔を背けた。
「……花を貰って、そんなに嬉しいのか?」
明らかに拗ねた声音。子どもが駄々をこねるような響きに、私は言葉を失う。何か言葉を発そうとしたその時、横から控えていたヴィンス殿が小さく溜息をついた。
「アレクサンドル様、みっともないですよ。」
「……っ!」
たしなめられたアレクサンドル様が、さらにむっと眉を寄せる。私は胸に抱えた花をどうすればいいのか分からず、ただ居心地の悪さに立ち尽くすしかなかった――。
「だって、こーんなに可憐なリアン殿ですからねぇ。他の者が黙って見ているわけがないでしょう?」
「……っ!」
わざとらしく肩を竦めて笑うヴィンス殿。アレクサンドル様の表情が一層険しくなる。
「どこの誰かさんがモジモジしているから、こんなことになるんですよ~?」
「……ヴィンス!口が過ぎるぞ!!」
「ハイハイ、シツレイ イタシマシタ~」
ヴィンス殿はひらりと手を振って軽口を締めるが、空気の重さは消えない。私は抱えたマーガレットを見下ろし、胸の奥が妙に落ち着かないのを感じていた。
「あ、あの……」
思わず口を開いた私より早く、ヴィンス殿がぱっと声を上げる。
「リアン殿、すみません!アレクサンドル様の不機嫌はあくまで個人的なものでして、リアン殿にはまっっったく非はございませんので!」
「は、はぁ……?」
余計に困惑して言葉を失う私。横目でちらりと見れば、アレクサンドル様は気まずそうに視線を逸らしたままだ。
「――ところで!」
ヴィンス殿は場を変えるようにわざとらしく咳払いをし、にっこりと笑う。
「本日はどのようなご用件でお越しくださったのでしょう?」
「ラディウス様からアレクサンドル様にご相談があり、その言伝を伝えにまいりました。」
そう告げると、アレクサンドル様はわずかに咳払いをして姿勢を正し、こちらに視線を向けられる。
「……兄上の言伝を聞こう。」
「はい。今朝もレガトニア王から花束が届きまして……。これ以上贈られては部屋が花で埋め尽くされてしまうと、お困りでして。」
「……ああ、なるほどな。」
「しかも今回の花言葉が“あなたに会いたい”という意味でございましたので……。それならいっそ東宮のお庭をお借りしてお茶会を開いてはどうか、と仰せでした。」
そう告げると、アレクサンドル様は一度小さく息を吐き、顎に手を当てて思案される。
「……なるほど。確かに兄上らしい考えだ。」
そう呟いた後、くるりと踵を返し、低く短く言い放たれる。
「――ヴィンス。兄上のところへ行ってくる。」
「かしこまりました。どうぞ、行ってらっしゃいませー」
軽やかな声を背に、アレクサンドル様は私の方へと視線を向けられた。その瞳がわずかに和らぎ、唇に微笑みが浮かぶ。
「リアン、行こうか。」
不意に名を呼ばれて、胸が熱を帯びる。
「……はい。」
小さく頷いて返すと、アレクサンドル様は満足げに目を細め、私の歩調に合わせるように扉の外へと歩み出された。
アレクサンドル様の隣を歩くのが居た堪れなくて、そっと一歩下がる。けれど、それに気づかれたのか、歩調を緩めて私に並ばれる。再び肩を並べる形になり、歩を進めるたびに袖がかすかに触れ合った。
わずかな感触が、妙に意識をくすぐり、心臓が静かに早鐘を打つ。
「リアン。」
「……はい。」
「君は、花だったら何が好きだ?」
思いがけない問いに、思わず足を止めそうになる。
「……花、ですか?」
「そうだ。」
アレクサンドル様の横顔は、何気ないようでいて、どこか真剣に見える。
胸元に抱えたマーガレットの存在を意識してしまい、私は自然と視線を落とした。
「……考えたこともなかったので、これといったものは……」
「じゃあ、私が贈った香り袋は?」
思わぬ問いに足が止まる。慌てて顔を上げると、アレクサンドル様もこちらへ向き直っていた。
至近の距離に、その真摯な眼差し。鼓動が一気に速くなる。
「あ、あの……昨日はハンカチと香り袋をいただき、ありがとうございました。香り袋のおかげで、ぐっすり眠ることができました。」
「……そうか。なら、よかった。」
安堵を滲ませる声に胸が熱くなる。けれど私は、ずっと抱えていた思いを勇気を出して口にした。
「……アレクサンドル様。一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか。」
「ん? なんだ?」
「その……アレクサンドル様に、お礼をしたいのです。何を差し上げれば、喜んでいただけるでしょうか。」
問いかけに、アレクサンドル様はふっと笑みを浮かべた。いつもの凛とした笑みよりも、どこか柔らかい。
「そうだな……君の淹れたお茶を、これから先ずっと飲めたら嬉しいな。」
唐突に告げられた言葉に、私は思わず瞬きを繰り返した。
(ずっと……?)
ラディウス様のために淹れるだけでなく、東宮に来られた時にも――そういうことだろうか。
「はい。では、東宮に伺った際にはお茶を入れてお持ちいたしますね。」
真剣にそう答えると、アレクサンドル様は一瞬きょとんとし、それからわずかに肩を落とした。
「……そうか。」
どこか諦めにも似た笑みを浮かべるその姿に、胸の奥がざわめいた。けれど理由は分からず、ただ「何か拙いことを言ったのだろうか」と自分を省みるばかりで、私は深く頭を下げることしかできなかった――。
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