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自然状態について考察する

まず自然状態がどのようなものかについて考察する。

 この文章では、表券主義に基づいた社会契約論を展開する。表券主義とは、ある国家が通貨をその国土内で財やサービスとの交換を可能とするために発行し、法律によってその通貨でのみ税の支払いなどを認めることで貨幣の価値を保つという貨幣の在り方を表すという貨幣理論である。この記事では、政府が通貨を発行し、その通貨の価値は徴税によって保たれているという表券主義の考え方を前提として、自然状態から政府設立、そして理想の政治の在り方について考察する。

 この文章では、自然状態という仮想的状況から論を始める。なぜ自然状態を出発点とするのか。それは、どのような権利が政府の存在に依存せず、どのような権利が政府による制度創設によって初めて生じるのかを明確にするためである。この区別は、政府の正当な権限の範囲を画定する上で不可欠である。

 自然状態論はロック、ルソー、ロールズなど多くの政治哲学者が用いてきた手法だが、本稿の自然状態論は以下の点で独自性を持つ。第一に、表券主義(chartalism)という貨幣理論を明示的に前提とする。表券主義によれば、通貨は政府が発行し、徴税によってその価値が保証される。したがって、政府なき自然状態には通貨も市場も存在しない。第二に、この通貨不在という事実から、所有権の内容が政府設立前と後で根本的に変化することを論証する。第三に、市場を政府が創設した制度として位置づけることで、政府の責任範囲を明確化する。

 この文章における自然状態は、歴史的事実の記述ではなく、純粋に規範的推論のための論理的装置である。ここで狩猟採取生活やグループといった具体的状況に言及するのは、読者の理解を助けるための例示であり、特定の歴史的段階を指すものではない。重要なのは政府が存在しない状況で、人々はどのような権利を持ち得るかという論理的問いである。したがって、以下で述べる自然状態の特徴は、もし政府が存在しなければ、論理的に認められる権利はこれらに限定されるという規範的主張として理解されるべきである。

 歴史的に実在しなかった状態を出発点とすることに疑問を持つ読者もいるだろう。しかしこの方法には正当性がある。なぜなら、規範的理論すなわちどうあるべきかを構築する際、記述的事実すなわちどうであったかから直接導くことはできないからである。これはヒュームが指摘した「である」から「べき」を導けないという問題である。自然状態論は、政府の正当性を基礎づけるために、政府が存在しない状況で人々がどのような権利を持つかを思考実験として明らかにする方法である。これにより、政府の権限の正当な範囲が画定される。

 以上の方法論的前提を踏まえ、自然状態の分析に入る。

 ここでいう政府とは、制度化された強制力を持つ権威システムを指す。したがって、慣習的権威や非公式な影響力関係は存在するが、組織化された支配機構は存在しない状態を自然状態として想定する。仮想的な自然状態では、人々は自己所有権を持っていた。この自己所有権は自分の所有権は自分が持っているということである。この自己所有権の中には、以下のようなものが含まれる。

・精神の自由

 ・信教および思想および良心の自由

 ・言論および表現の自由

 ・学問の自由

・身体の自由

 ・身体を傷つけられたり殺されたりしない権利

 ・労働の自由

・自己決定権(決定の自由)

・自分の個人情報を自分で管理する権利(プライバシーの権利)

 自己決定権とは自分の生き方や生活についての選択を行う際に、最終的に誰が決めるかを自分で決められる権利である。なお、重要なこととして、自己所有権には自分を売ったり譲渡したりする権利は含まれない。なぜなら、自己所有権は自己と不可分の権利だからだ。これは奴隷制を排除するためである。なお、通貨が存在しない自然状態では奴隷制も存在し得ないため、この問題は政府設立後に生じる問題への予防的措置である。

 また、人々は誰もが同様に十分で良質なものが残されており、かつ無駄になるほど多くのものを自分の一部としない限り労働によって自然から切り離したものを自分の一部とする権利を持っていた。それにより、人々は誰もが同様に十分で良質なものが残されており、かつ無駄になるほど多くのものを所有しない限り自己所有権の延長線上として労働の産物の所有権を得ることができた。つまり人々は自然状態において所有権を有していた。なお、自然状態ではこの但し書きに反するほど多くの物質を所有することは個人の生産能力という制約のせいでできなかった。したがって、この但し書きは自然状態では事実上の制約とはならない。なお土地に対する所有権は認められなかった。なぜなら土地は労働で生産できるものではないからだ。

 また、この所有権にも、所有物を売ったり譲渡したりする権利は含まれていない。

 なぜ所有権に譲渡の権利が含まれないのか、二つの理由を詳述する。

 一つ目の理由は、自己所有権との論理的整合性である。自己所有権は自己と不可分であり、譲渡不可能である。これは奴隷制を排除するための根本原則である。労働の産物に対する所有権は、自己所有権の延長として認められる。すなわち、私が私の労働力を使って作ったものは私のものであるという論理である。この論理が成立するためには、自己所有権の一部の労働力と労働生産物の間に本質的な結びつきが維持されている必要がある。もし労働生産物を自由に譲渡できるなら、労働力そのものを譲渡することとの区別が曖昧になる。たとえば、一生分の労働生産物をすべて譲渡する契約は実質的に奴隷契約と区別がつかない。したがって、自己所有権の譲渡不可能性を維持するためには、その延長として認められた所有権にも譲渡制限が論理的に帰結する。自己所有権が譲渡不可能である以上、その延長として認められた所有権も同様に譲渡不可能でなければ、論理的一貫性が保たれない。これが所有権から処分権を除外する第一の、そして決定的な理由である。

 さらに、この論理的帰結を事実的に裏付ける理由がある。それは通貨の不在である。自然状態では政府が存在しないため、通貨も存在しない。表券主義によれば、通貨は政府が発行し、徴税によってその価値が保証される。政府なき自然状態では、徴税システムが存在しないため、通貨も存在し得ない。通貨が存在しない以上、市場も存在しない。市場が存在しない以上、売ったり譲渡したりする行為の制度的基盤が存在しない。リンゴを食べる権利は所有権に含まれるが、リンゴを売る権利は市場という制度があって初めて意味を持つ権利である。したがって、自然状態では事実上、所有権に譲渡の権利が含まれないのである。

 これら二つの理由により、自然状態における所有権には譲渡の権利が含まれない。

 また、前述の理由により通貨は存在しない。故に所有物に対する所有権は事実上時間による制約があった。なぜなら食べ物は早く食べないと腐るからだ。よって人々は一度に多くのものを所有しようとは思わなかった。故に人々にはそこで健康で文化的な最低限度の生活を送るのに十分な土地が残されており、故に人々は健康で文化的な最低限度の生活を送ることができた。なおかつ自然状態では人の格差があまり広がらず、人々の経済的平等はある程度実現されていた。つまり人々は自然状態において生存権すなわち健康で文化的な最低限度の生活を送ることができ、かつ経済格差に苦しめられない権利を有していた。

 また人は狩猟採取生活のためにグループを作っていた。つまり自然状態でも集会および結社の自由があった。

 また人は自然状態では、あらゆる土地を自由に移動することができた。つまり人は自然状態で居住移転の自由があった。

 また、人は自然状態では、その人の人種や民族や性別や文化や思想や宗教によらずに個人として平等に取り扱われた。つまり人には平等権があった。

 また、人々は人が持つこれらの自由を侵害する人を裁く権利があった。

つまり、政府がない時代でも、人々は以下の権利を持っていた。

・自己所有権

・所有権

・生存権

・集会および結社の自由

・居住移転の自由

・平等権

・人の自由を侵害する人を裁く権利

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