40話 新しい指令
真歴1082年11月30日。
ルーラシア帝国南西部、ソーズ地域攻略作戦は膠着状態となっていた。
ヒノクニは本土から前線への補給ルートを整備する為に、進軍を一時停止させたのである。
同盟を結んでいるアラシア共和国は第5師団に所属する全ての部隊を戦線に投入。ヒノクニが占領している各地へ部隊を増援として協力させた。
一方、侵攻されているルーラシア帝国側は防衛の為に2個師団を投入。
それまで防衛にあたっていた部隊にも補給と部隊の再編成が行われ始めていた。
「しかし、俺達の部隊は相変わらず補給の優先順位が低いんだよね」
前線へ補給物資として送られていく戦機を眺めながらトールが呟く。
トール・ミュラー少尉が率いる第9小隊。
彼らは前線より遥か後方に位置する農村跡を拠点として、周囲の哨戒や前線へ送られる部隊の検問などを行っていた。
所謂、後方任務である。
その為か、第9小隊への補給は滞りがちとなっており、それまでに起きた戦闘で失われた戦機は補充される事も無く、12個ある分隊の内、4つの分隊が歩兵分隊として編成されていた。
メイ・マイヤー曹長率いる第5及び第6分隊と、最近になってトールの指揮下に入った第10、第11分隊である。
「何時になったら補給が来るんですかね?」
第7から第12分隊の指揮を執っているロバート・ベッケンバウアー曹長が尋ねる。
「申請はしているよ」
尋ねられたトールは呑気そうに答えた。前線では無いという事もあり、そこまで深刻に考えてなかったのである。
「前線じゃないからな。そこまで深刻に考えていないんだろ?」
トールの心境を言い当てたのは、第1から第6分隊までの指揮を執る事になったアレクサンデル・フォン・アーデルセン曹長である。
「戦闘により人が死なないのは良い事さ」
トールは悪びれる事もなく言う。
ベッケンバウアーはやれやれと呆れた表情になる。
「まぁ、装備は良いさ。問題は食糧だ」
アレクは腕を組んで言った。
補給で送られてくるのは何も戦闘用の物資だけでは無い。医療品や食糧、生活用品なども含まれている。
「そんなに困っていたか?」
今、トール達が拠点としているのはかつて農村だった所なのだ。
水に関しては村の井戸が未だに使えたこともあり心配は無かった。
食糧に関しても前回に補給された分の備蓄は残っていたはずなのだ。
また、周りにある森林地帯には野生の動物が多く存在していたので、射撃訓練としてこれを狩り、獲ってきた獲物を食糧としていたのである。
つまり、食糧もさほど困っていないというのがトールの印象だったのだ。
「射撃訓練として野生動物を狩るのは止めろって、通達が来てたぞ」
「そうなのか?」
「ヒノクニの環境保護団体からクレームがあったそうだ。アラシア軍が面白半分で動物を狩っているってさ」
「面白半分なものか。食糧確保と射撃訓練を兼ねているんだ」
「現場を知らん連中だからな」
しかし、民間からそういう話が出てきた以上は止めなければならない。
仕方の無い話だとトールは諦める。
「隊長? メーリャン基地から通信よ?」
そこへ第9小隊の副長であるサマンサ・ノックス曹長がやってきた。
「通信?」
トールが聞き返す。
「任務でしょ?」
それ以外に基地から通信が来ることはほとんど無い。
「分かったよ」
トールは答えると通信器の前に座って応答する。
相手はメーリャン基地にいる大隊長であった。トールは珍しい事もあるものだと思う。
《急遽、君達にやってもらいたい事がある》
大隊長の淡々とした声が聞こえる。
「何でしょうか?」
面倒な事で無ければ良いのだがとトールは軽い不安を感じながら答えた。
《そこから南の遺跡を知っているかね? ゼイ大尉という者がいるらしいのだが》
例の民間用シェルターか。トールはすぐに思い出す。
「ええ。話には聞いています」
行った事もあるのだが、それを答えると面倒な事になりそうだと思い、曖昧に答えた。
《よし。そこは今、発掘調査を行っているのだが、アラシアからも調査スタッフが出向しているのは?》
「何となく話は聞いています」
《うむ。実はそこの調査がもう少しで落ち着きそうなのだ》
「はぁ……?」
《君にはその遺跡へ出向いてスタッフと発掘された物を回収。メーリャン基地まで移送してもらいたい》
「スタッフの送迎ですか?」
《……護衛だよ。まだ、その近辺には敵の残存兵がいるらしいじゃないか》
「……了解しました。2個分隊を向かわせます」
《そうしてくれ》
大した任務では無さそうだ。
通信を終えてトールはそんな事を思う。
ここ数日、残敵の影も形も見られない。おそらく別の地域に撤退したか、全滅してしまったのだろう。
戦闘になる事は万が一にも有り得ないのだ。
「そういえば、ゼイ大尉に借りた本を返していないな」
遺跡の発掘具合も見てみたいし、今回は自分が出向こうと思いながら、部下を呼び集めた。
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トールが命令を受けた頃である。
遺跡の西側5キロ程進んだ先に一軒のモーテルがあった。
木造2階建てのそれの中には明かり1つ無く、窓ガラスが全て外され、外壁も所々穴が空いている。
当然ながらそこに人の気配は無く、相当前から無人となっていたとのは容易に想像がつく。
そんな所にも関わらず、ヒノクニの軍服を着た1人の男が辺りを気にしながらモーテルの扉を開けた。
薄暗い中、入口の正面に受付カウンターが見える。
男はカウンターの後ろに回り込み、足元の床板を外す。
外した所から小さなダイヤルと鉄の扉が現れた。おそらくは金庫として使われていたのだろう。
男はダイヤルを弄ると、背後の壁が下へスライドして人が1人入れる程の空間が現れた。
そこには下へ続く梯子が壁に備え付けられている。
男は周りを確認して梯子を降りた。
その先に広がっていたのは鉄板やパイプ、配電盤と電源ケーブル等に囲まれた部屋であった。
長机が並び、その上には通信器やコンピューターが乗っている。
そして、何人ものルーラシア帝国兵がそれらを操作していたのだ。
そのモーテルはルーラシア帝国諜報部の秘密施設だったのである。
「例の物が運ばれるそうです」
ヒノクニの軍部を着た男がそこの指揮官に報告する。
「いよいよか……」
そこの指揮官は頷く。
大柄な男であり八の字に生やした髭が特徴であった。
その男の名前はカルル・コトフ。
かつて、アラシア共和国郡に大尉として潜入しており、その時はトール達の上官でもあった男だ。
「どうも、スタッフと発掘された物を回収するのにアラシアの部隊が付くみたいです」
ヒノクニの軍服を着た男が言う。
「アラシアが?」
カルルは片眉を上げて言う。
「この近辺の……、439小隊ですね」
「小隊長は?」
「トール・ミュラー少尉という人物です」
その名前を聞き、カルルは目を見開いて驚く。ここまで驚いたのは何年ぷりであろうか。
「ご存知なのですか?」
男が尋ねる。
「私がアラシアに潜入していた時の部下だ」
自分の正体がバレて、アラシアを追われる事になったのには彼も絡んでいたのだ。
正確に言えばトールの部下であるが、それを仕組んだのは自分である。忘れるはずも無い。
「どういう人物なのですか?」
「ミュラー少尉そのものは、どうしてまだ戦死していないのか不思議なくらいの能力だ」
カルルはそう言うとトール率いる第9小隊の名簿を部下に持って来させた。
それは、まだ438独立部隊と呼ばれていた頃の古い名簿だったが、カルルは構わずに目を通す。
名簿に視線を走らせながら思案顔になる。
その中にはトール以外にも知っている名前があった。
念には念を入れておこうと作戦のスケジュールを脳内で組み立て直す。
「少し時間を早めるぞ。戦機も用意しておけ」
カルルが言うと周りの部下達が動き出した。
いよいよ、隠れるのを止めて表へ出る時間だという緊張感を含んだ空気が部屋を満たしつつあった。




