第21話 王の再誕
親父が死んだ後もオフクロが親父の帰りを密かに待っていることを、俺は知っている。家の入り口がよく見える二階の部屋を好んで使っているのも、親父の帰りを待っているからだ。
周囲には天才だなんだともて囃され、死んだ後も帰りを待つ人間が居る。そんな贅沢な人生を簡単に投げ打つ親父が、俺は嫌いだ。
- 王の再誕 -
あの男の張った結界が突然消え失せたのは、ユーイの魔力が限界に近づいていた頃だった。突如として室内の圧力が減り、オルディオが驚いたように声をあげる。
「!? け、結界が解けましたよ、ご主人様ぁ!」
「一体何が……」
周囲の安全を確認したうえでユーイが結界を解く。サリムの野郎が近くにいないか確認するために部屋から出ようとした時、ぶわっと体が熱くなった。熱風を体に受けたような、そんな感覚だ。
まさか野郎がいるのか。咄嗟に身構える俺だったが、すぐに違和感に気付く。
「どうした、フレイ」
立ち止まった俺にユーイが問いかけてくる。しかし同時に、別な声が耳の中に響いた。
『……レイ、……フレイ、聞こえる?』
思いもよらない声に後ろを振り向いた。急に振り返った俺に驚いているユーイを押しのける。お前じゃねーっつの!
しかし後ろには誰もいなかった。なんだよ、コレは!なんでアラセリの声が聞こえるんだ!?
『説明は後でするから、早く外に出て!』
「外って……中庭か!?」
「外?中庭?1人で何を言っているんだ?」
「俺にも分からねー!いいから走れっ」
引き気味のユーイの膝を蹴り飛ばして走り出す。よくは分からないが、アラセリの声が聞こえているのは俺だけらしい。アラセリの奴、こんな高度な魔法使えたか?
階段を駆け下り、廊下を抜けて、エントランスへ出ようとしたその時、向こうに二つの人影があることに気付いた。ユーイが緊張して変な声をあげたが、すぐにそれがアイルークとリクだということに気付く。
「アイルーク!リク!」
ユーイが安堵したように名前を呼んだ。しかしそれとは対照的に、アイルークは肩をすくめてガッカリしたような表情を浮かべ、リクは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
どちらも機嫌が良くない。
「出迎えはアラセリ嬢が良かったなぁ……」
「うるせー!そんなことより、コレがどうゆうことか説明しろ、アイルーク!さっきからアラセリの声が頭に響いてくんだよ、何だよコレは!」
俺もだいぶ混乱している。だが、俺の言葉に対する2人の反応は冷ややかだ。
リクは更に眉間にシワを寄せ、深いため息をついている。アイルークはその様子を見て肩をすくませた後、俺に向かって口を開く。
「へー、それは羨ましいな」
羨ましい、じゃねーよ!つーか説明しろ!一発殴ってやろうと拳を握りしめると、ユーイが慌てて俺を抑える。
ギャアギャアと喚いている俺たちに呆れたのか、リクが歩きながら話しだした。
「……先ほど契約の魔法が行われた。おそらくアラセリだろう」
「あぁ?アラセリが……?」
アラセリの契約。どの蛉人かは容易に想像がついた。この非常時に相手を選ぶ余裕はない。だとすれば、蛉人はおそらくサーティだ。
俺は嫌な予感を覚えてアイルークを見る。アイルークは大げさにため息をついてみせた。
「眷属の蛉人との間でホットラインが出来ると聞いた事があったけど……フィオにも眷属いないかな。できれば美女が使役してる蛉人とかで」
ホットライン。俺は聞き慣れない言葉に後ろを振り返る。興味深そうに聞いていたユーイが、話をまとめた。
「つまり、フレイのとこのヴァルナと、アラセリのとこの蛉人が術者の意識を中継するのか。凄い仕組みだ」
『感想はいいから、とにかく外に出て!』
聞こえてきたアラセリの声が切羽詰まったものに変わる。それと同時に、今まで感じた事のない巨大な魔力の発芽を体が感じた。
他の3人も同様だろう。会話が途切れる。
アイルークは真剣な表情で天井を見上げ、口を開く。
「……アラセリ嬢と合流しよう」
俺たちは頷き合い、エントランスへと急いだ。
☆
外へ出た瞬間、俺たちは空を覆う暗雲に目を奪われた。まだ朝の時間帯だったのにも関わらず、空はまるで夜の色をしていた。稲光が雲間に瞬き、強風が庭園の花を嬲っている。
アラセリの姿は巨大な赤い花の影の下にあった。風を遮るように周囲に草花の蔦がアラセリを守る様に壁になっている。
「アラセリ!」
俺が駆け寄ると、アラセリは僅かに安堵した表情を浮かべた。
「フレイ。良かった、無事だったのね」
「それよりこれは……」
ユーイが空を見上げて呟く。アラセリは頷いて天を仰いだ。
「サリム様のしわざよ。……集会に来た魔術師達に蛉人との契約を解除させる禁術を使って、その後に彼らの魂をナラカに献上してるの」
魔力の抽出、そして異界への転送。親父の部屋にあったいくつかの本が脳裏を掠める。
親父があの本を持っていたってことは、サリムは親父が生きている頃から禁術を繰り返していたことを意味する。
「な、ナラカへの献上って……一体、なんの為に」
「魔術師の魂が何の為に使われるのか、それは分かっているだろう。ユーイ」
遅れて追いついてきたリクが言う。魔術師の魂は蛉人へ食わせてやるものだ。蛉人の再誕を早める為に。
アイルークは口笛を鳴らして上を見上げると、一人だけ関心したように笑った。
「そろそろ再誕の時期とは聞いていたけど、まさかこんな強引な手を使っているとは思わなかったな」
「つまり、殺した奴らの魂で強引に再誕させる気か」
「そして契約するつもりよ……蛉人の王、デルヴァと」
見上げた空に契約の儀式を表す魔法陣が浮かび上がっていた。城の上空、最上階の辺りが稲光のように光り、そして巨大な黒い影が空に飛び上がる。
ジジイの使役した蛉人デルヴァ。ガキの頃一度しか見た事のない、蛉人の王。
ぞわぞわと背筋の毛を逆撫でされるような感覚。舌打ち1つして、俺は上空を睨みつけた。
『もし何かあったら……貴方が全てを決めなさい。ここからは貴方が族長よ』
オフクロはこの事態を予想していただろうか。
黒い影が徐々に人に近い形に変化を始める。それにしたって巨大なヤツだ。比較的大柄なヴァルナでも比にならない。だがその分、完全に召喚されるには時間がかかりそうだ。
「……」
可能性があるとすれば今だ。
「……ユーイ。お前、もしデルヴァが攻撃してきたとして、あの結界で防ぎきれるか?」
「は!?」
呼ばれた本人が素っ頓狂な声をあげる。俺はユーイを睨みつけた。押し問答をする余裕は今の俺たちにはない。
ユーイは困った顔でオルディオに視線を向ける。チビの蛉人は主人より更に困惑顔を浮かべていた。
「……オルディオ?」
『……』
オルディオは小さな目で上空の暗雲を見上げる。やがてその顔が渋い表情に変化した。
『ち、力の差で言えば到底敵いません……僕の結界ではもって数分……』
先ほどの対サリムの結界で30分と答えたオルディオが、デルヴァに対しては数分と答えた。結界魔法に関して最高位の蛉人でもデルヴァが相手では敵わないらしい。
でも、と蚊の鳴くような声でオルディオは付け加える。
『ま、まだデルヴァ様は契約中ですし、初めての召喚で魔術師がデルヴァ様を上手くコントロール出来るかは分かりません……』
蛉人と魔術師の関係はバランスが必要とされる。互いをサポートするか、もしくはどちらかが完全服従の立場を取るのか。それは当人同士の問題だが、関係のあり方で術の出力が大分変化することは確かだ。
そして互いの呼吸を見極めるのには経験が必要となる。
俺はリクに視線を移した。
「リク。お前はどうする?」
「……元々サリムの禁術を暴く為に集会に参加した。粛正も仕事のうちだ。お前の意に従おう、フレイ」
リクはそう言うと、召喚の呪文と共に蛉人を呼び出した。体に炎を纏って現れたそいつは、リクに付き従うようにして膝を折る。
そして俺は後ろにいたアイルークとアラセリに向き直った。アラセリは全てを理解した様に頷く。
「私はフレイを援護する。……さっき使ったホットラインから、私の魔力をフレイに送るわ」
「んなこと出来んのか」
「ヴァルナが中継してくれれば、ね」
アラセリが苦笑してみせる。どうやらあのホットラインは蛉人の許可で繋がれているらしい。アラセリの後ろに顕現したサーティが、こちらの様子を窺う様に顔を出した。恐る恐るこちらを見ているのは、俺じゃなくヴァルナの反応を知りたいからだろう。
悪ぃが、今ヴァルナの姿を此処に現すことはできない。俺が代わりに頷いておく。
「……んで、アイルーク」
「ああ、俺パス」
辺りの緊張した空気を一切無視して、アイルークは首を横に振った。アイルークを頼みの綱と思っていたユーイが驚きのあまり変な声をあげる。リクも眉間にシワを寄せ、ため息を吐いた。
アイルークは飄々として態度を変える様子はない。
「負け戦はしない主義なんだ」
「だろうな」
「でもアラセリ嬢の守護ならしないでもない」
アラセリの肩を抱いてニヤつきながらそう言うアイルーク。アラセリが何か言いたそうな顔をしているがそれを無視して視線を空に向けた。
「勝手にしろ」
アイルークの我が侭の相手をする気はなかった。別な苛立ちが腹の中を煮え立たせていたからだ。
別に親父を殺した相手が今頃になって現れたことに苛立っているわけじゃない。昔のように、こんな面倒毎に巻き込まれて腹を立てているわけでもない。
全ての元凶は親父だ。
何が天才だ。何が出来た人間だ。禍根を残して死にやがって。ジジイは昔を恨みながら死んだ。オフクロは未だに淡い希望を抱いている。
親父が死んでもう何年たったと思ってんだ。此処はもう過去じゃない。アンタのいない未来だ。
「……おい、ヴァルナ。やることは分かってんだろうな」
『言われなくとも伝わってくる』
ヴァルナの声が耳に響いてくる。やけに低い声だ。言葉と共にじわりじわりとヴァルナ自身の感情も伝わってきた。
滲み出した色がやがて溶け合う様に、二つ分の意志が融合する。俺は右手で顔を覆うと、ククッと笑った。
こいつはやべぇな。清々しいまでにキレてやがる。
『……1つだけ言っておこう』
「なんだよ」
苛立つ内面の中に、この状況を笑っている俺がいる。おそらくヴァルナも同じだろう。
『フォルカーよりもお前の方が気が合いそうだ』
そりゃどうも。
そう言い返した後のことは、ほとんど覚えていない。




