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魔術師の宴  作者: 由城 要
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第18話 愛しい貴女へ


 冷たい筈の水の中は、思ったよりも暖かかった。予想したよりずっと深くまで体が落ちていく。空気が泡になって、水の底へと落ちていく。

 私は一瞬だけ、その美しい世界を見た。上には水面に映る月夜が、そして下には泡が導く朝日が光り輝いていた。





  - 愛しい貴女へ -





 まるでそれは朝と夜の狭間だった。体は揺蕩っているのに、水中の息苦しさはない。精霊の棲む領域……ナラカの気配を感じる。私はふと辺りを見回し、そして見覚えのある光を見つけた。

 泳ぐ様にして光に近づくと、それは徐々に形を変えていき、やがて人に似た姿へと変化する。

 シャラン、と金属の枷の音がした。


「サーティ……貴女が助けてくれたの?」


 焼けることをしらない白い肌と、対照的な赤い瞳。つま先まで届きそうな長い髪が、光を浴びてキラキラと輝いている。

 花の香りがふわりと私の鼻をくすぐった。


『……アラセリ……』


 優しい声でそう囁かれて、私は不思議な気分になった。こうして彼女に呼び出されたことが、私には殆どない。いつも私が彼女を呼んで、サーティはそれに答える側だった。

 サーティは完全に姿を表すと、両手を広げて私に抱きついた。


『アラセリ……私はっ』


 魔術師は蛉人を召喚している間、以心伝心の間柄になることが出来るという。異常契約を破棄した私達にそれが当てはまるのかはわからないけれど、彼女の気持ちは言葉と行動と、そしてその温もりから感じ取ることが出来た。

 初めてサーティと『約束』を交わした時のことを思い出す。私はとにかく蛉人との契約をしたかった。おばあちゃんを安心させるためには、一人前の証が必要だったから。

 けれどサーティは『約束』という名の異常契約を提示した。その理由を私は、時折夢の中に現れるサーティの記憶から紡いでいった。


「サーティ。謝らないで?」


 彼女はヴァルナによって生み出された花の精だった。本当は手駒として作り出したサーティに、ヴァルナは一度距離を置いた。それが親心としてなのか、それとも彼女の力量を見限ってのことかは分からない。

 花の精は蛉人の女王となるフィオの下女となった。けれどヴァルナはフィオの美しさに魔が差したのか、サーティを利用して不義密通し、それが露見して蛉人の王デルヴァに牢獄へと落とされた。サーティもまた、仲立ちをした罪で祠の中に閉じ込められた。


「貴女はただ、待っていたんでしょう?」


 蛉人は何度も転生する。ヴァルナもフィオも、数えきれない転生を繰り返してきた。蛉人は再び同じ蛉人として生まれ来る。前世で行った罪も、功績も、全てを肯定して生まれてくる。

 けれど、サーティは違っていた。転生すらせずに、祠の中で待っていた。自分を作ったヴァルナのことを。


「だから、あの花に騙された」


 もはや待つ気力すら失いかけていた時、あの精霊が彼女を騙した。甘い言葉を並べて。


『アラセリ……』


 サーティはヴァルナとの再会をずっと望んでいた。最初は純粋に、ただそれだけの気持ちだった。

 私はサーティの体に手を回した。触れることは出来ないけれど、感じることは出来る。アイルークには異常契約のことをしかられてしまったけれど、私は間違っていたとは思っていない。

 サーティの足枷が音を立てる。私は静かに目を瞑った。彼女は蛉人としては幼いかもしれない。けれど、誰かを愛し、信じることが出来る心を持っている。


「私、怒ってなんかないわ。むしろ、貴女に感謝してる」


 彼女はいつからか、心の片隅に私を置いてくれていた。私はそれを知っているから、彼女の探し物のために体を貸した。


「それに……また助けてくれたでしょう、私を」

『……』

「アイルークには釘を刺されてしまったけれど……今はそんなことを言っている場合じゃないわ。また、手を貸してくれる?」


 アイルークもリクハルドも結界の中に閉じ込められたままだ。もしかしたら、フレイも同じように、別な結界の中にいるのかもしれない。

 サーティは目尻を擦って、そして頷いた。


『勿論。……でも、アラセリ』


 体を離して、サーティは私を見つめる。サーティの赤い瞳の奥に、あの城が浮かんでいた。


『ここは危険だ。……先ほどから、契約を強制的に解除させられた仲間の悲痛な声が聞こえてくる』

「契約の解除?」


 私は顔を顰めた。魔術師と蛉人の契約の解除は普通ならば行うことが出来ない。解除された蛉人は転生のための魂を失い、消滅してしまう。魔術師も蛉人との契約を切ってしまえば、もう二度とその蛉人との契約は行うことが出来ないというのに。

 サーティは遠くを見つめるような瞳で呟く。


『誰かが強制的にその類いの術を行っている……何の為かは分からない』

「でも、それは禁術のはずなのに」

『フィオ様……ヴァルナ様』


 サーティの呟きに私は顔を上げる。


「フレイとアイルークと合流するわ。その為に……もう一度『約束』をしましょう、サーティ」


 私の言葉にサーティが驚いた顔をした。ああ、そんな表情もするんだ、と私は心の中で呟く。サーティの心は以前よりももっと澄んだものに変わっていた。

 私は足下に目を向けた。気配でなんとなく分かる。朝日の差し込む水面。そこがおそらく、結界の一番外。澄んだ水が上から下へと流れていく。


『でも』

「サーティ」


 フレイもアイルークもあの結界の中にいるならば、術式はおそらく結界の外に存在しているはず。なら、それを解くことが出来るのは私しかいない。

 ごめんなさい、アイルーク、フレイ。それにリクハルド。この状況を変えるには、これしか方法がないわ。

 私はサーティを見て右手の小指を差し出した。心配しないで。


「『約束』よ」


 今度は私の意志で、それを受け入れるのだから。









 目を覚ますと、朝日が降り注いできた。眩しさに目をぎゅっと閉じて、そして大きく咳き込んだ。口の中に入っていた水を吐き出す。あの噴水に落とされた瞬間に水を飲んだみたい。

 咽せながらも周りを見回す。見覚えのある場所だった。周りには花壇があって、噴水が庭園の中央に位置している。顔をあげるとそびえ立つ城の影。唯一違うのは、今が朝だということだけ。

 私は濡れた髪を耳にかけて、呟いた。


「ありがとう、サーティ。ここからは私が行く」


 異常契約では、サーティの体を召喚することが出来ない。私の体を共有するしか方法はないけれど、彼女に意志の全てを任せることもできる。

 でも、あの禁術の話を聞く限り、サーティを表に立たせるのは得策じゃない。

 私は城に向かって歩き出す。同時に彼女の能力のみ展開させる。


「……」


 私もフレイと同じで繊細な魔法は得意じゃない。けれど、サーティの能力を使えば、何処に誰がいるのか感知することくらいは出来る。地に根付く花の精霊だから出来る感知方法。ただし、探し物や探し人が地に足をつけていることが前提になる。

 感知する場所の範囲を、歩きながらジリジリと広げていく。なぜだろう、先ほどから使用人達の気配を一切感じない。もしかしたら、彼らもまた魔術師達と同じ様に結界の中に知らず知らずのうちに閉じ込められているのかもしれない。

 階段を上り、集会の会場へ。そこにも気配はない。ただ、時折チリチリと首筋を焦がすような感覚を覚える場所が何カ所かある。

 私は集会会場の扉の前で足を止めた。


「結界の出口?……違う、結界と結界の継ぎ目?」

『アラセリ』


 サーティの声が耳の奥で響く。


『私はナラカを利用してアラセリをあの夜の結界から解放した。だがあの時、途中でいくつかの結界をすり抜けた。……ここには複数の結界が存在している』


 複数の結界。その中にはおそらく、時間の経過すら操るものも存在している。

 私は鳥肌の立った腕をさすった。時を操る魔法はそれ自体が禁術だと、昔ファーレン様がそう言っていたのを思い出す。

 足早に会場を離れて、そして城の上階を目指す。結界のある場所は分かるけれど、私にはその1つ1つを壊すほどの力がない。サーティと交代すれば可能かもしれないけれど、蛉人の気配は禁術を行っている魔術師に気付かれかねない。


「サーティ。……貴女達にとって、魔術師の禁術ってどうゆうもの?」


 周囲を警戒しながら、私はサーティに問いかける。彼女はしばらく考える様に黙り込んだ。


『……魔術師は契約の相手でしかない、と遠い昔にヴァルナ様が言っていた。魔術師と蛉人は立場、力量ともに対等であるべきだ、と』

「対等」


 私の言葉で、頷く気配を感じる。サーティの言葉はおそらくヴァルナの考え方。

 自分の靴音と彼女の声が鼓膜に響いてくる。私は静かにその言葉を記憶した。


『禁術はその対等であるものを壊す。ある種の術では術師を「神」に変える』


 神。

 思いもかけない言葉だった。その言葉を、まさか人ではなく蛉人から聞くとは思わなかった。

 神という考え方を私達魔術師は持たない。私達にとって、それに限りなく近い存在が精霊だから。そして精霊は呼び出す者の才能に左右されるけれど、触れられない存在ではない。召喚すれば言葉を交わし、その目で見ることができるもの。


『神になった術師との契約は続けられない』

「どうして?」


 私がそう問いかけると、サーティは話すのを止めた。申し訳なさそうにしている姿が瞼の裏に浮かんでくる。

 きっと、そうなった魔術師が今まで存在しないのだろう。だから、それ以上のことは彼らにも分からない。


『対等の関係はそれだけ大切なことだ、と。……私には、それしか分からない』


 気にしないで、と人気のない廊下を歩きながら、私は呟く。前例のない話を想像しろと言った私の方が悪かったと思う。

 薄暗い階段を上りながら、私はふと上を見上げた。螺旋階段の先の天窓が、朝の薄い水色の空を映している。


「……」


 私の独り言が沈黙の中に響く。

 ヴァルナはサーティに神と対等の関係は築けないと教えた。おそらく、自分にも彼女にも不可能なことだと暗にそう言ったのかもしれない。

 もし、そうだとしたら、何処かにいるのだろうか。神と対等になれる蛉人が。


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