第十八話 将軍アルドレフト
上座に座るハーツェルは、ほくほくした顔で隣の神経質そうな若い男と話を始めたノルテから視線を移すと、右隣の体格の良い中年男性に目顔で頷いた。
一つ咳払いをした男は席から立つと、教授に軽く目礼をした。
「シューリッツアの軍権を預かる将軍、アルドレフトだ。今回は我が国の軍事に関する懸案を解決してくれると聞き、参内した。それでよろしいな?」
目礼に目礼を返しつつ彼の話を聞いていた教授はぎょっとしてハーツェルを見遣るが、当のハーツェルはそ知らぬ顔で楽しげに羊皮紙上に皮算用を躍らせる文官二人に目をやっている。
(タヌキめ……しかしどうしたもんか)
教授は旺盛な知識欲と若い頃からの行動癖のおかげで、自分の専攻分野である民族学や文化人類学だけでなく、あちこちの学問やら雑学やらに首を突っ込んできた。おかげでさっきのような経済の話でも、ぼろを出すどころかそれなりに正しい結論を引き出す事も出来る。
ただ、軍事問題となると話はややこしい。軍事とは政治の延長であり、技術の結晶だ。この世界の事でいまだ知らぬ事が多い自分に、果たして正しい答えが出せるかどうか。
(まぁ聞いてみるしかないかの)
教授は渋々頷き、将軍に先を促した。かいつまむと将軍の説明はこうである。
シューリッツアの軍というのは一朝事あらば貴族階級と騎士階級から騎士と従士をかき集めて編成して軍を立ち上げる。ただ貴族の中には義務である兵の拠出に応じなかったり、騎士の中には手元不如意で従軍を拒む者がいる。それらを何とかして、強い王国軍を作る事は出来ないか。
「今のままでは、南の……失礼。何処かの国から攻められた時には持たぬ。他国からの侵攻を防ぐためにも、ある程度の軍は必要となるのだ」
「ふむ。幾つか聞かせて欲しいのじゃが」
なんなりと、と鷹揚に頷く将軍に、教授は指を立てた。
「王国の常備している兵力、最大の動員数、予測される敵軍が用いるであろう兵力、予測される敵軍の最大動員兵力。そんなところじゃな」
将軍が目配せして席に着くと、さきほどの将軍副官ニーニルが席を立った。
「我が国で即時投入出来るのは2個騎士団、約60人です。動員は農民兵と貴族の持つ騎士団が召集に最大限応じた場合ですが、およそ2万から3万ほどではないかと。
予測される敵軍は、以前の戦争から見て5万から8万を想定しています。国力から見て、最大動員数は15万を越えるほどかと」
最大で3万とはいえ、農閑期にしか大量動員出来ない農民兵と、我が強く団結して事に当たるのが決定的に苦手な貴族の私兵を合わせて3万。
それを考え、教授は眉間に皺を寄せた。
「……王国軍として信頼して動かせるのは、せいぜい5千ほどではないかと。それでも無理をしている数字ですが」
教授が考え込み、特に質問が無さそうなのを見て副官も席に着いた。
さてどうするか。
5倍近い兵力で押し寄せる敵軍から国を守る為に、どうすれば軍は強くなるだろうか。
農民を主体にして徴兵するか?
駄目だ。近代的な国家感や市民意識が無い徴兵軍は弱い。
常備軍を鍛えるか?
……たとえ精鋭でも60人では、効果は薄いだろう。
となると……
教授は幾つか脳内で試案を考え付くと、財務担当官ノルテに話を振った。
「騎士団の規模を拡大するか、新しい部隊を編成できんかの?」
ノルテは楽しい皮算用が軍備によって削られる未来図を幻視したのか、いい顔はしなかった。
「騎士団は、とにかく金がかかるのですよ。特に馬が金食い虫です」
ああ、と教授は頷いた。
馬は繊細な生き物だ。食べるのは草で良いとはいえ、そのへんに生えている青草ばかりでは腹を壊すので、定期的に飼い葉を与えなければならない。また水をガブ飲みするので水の確保も必要だし、ストレスを貯めないように毛の手入れやマッサージも欠かせない。
それだけの人手と資材をつぎ込むわけだから、どうしても騎士団や騎兵隊というのは金が掛かる。かつての地球だと「騎兵1個師団を編成する予算で歩兵3個師団を編成できる」と言われたほどだ。
……師団。そうか。
「騎士団をバラして、近代的な軍事組織にするのがいいか……」
軍人のプロフェッショナルというのは、言うまでもなく士官学校を卒業した士官、将校である。
何故彼らがプロと呼ばれるかと言えば、彼らは軍を動かすための最適な方法を知っているからだ。それはつまり兵を動かしたり、兵を育てたりする方法を知っているということ。それらを何処で学ぶかと言えば、実地で学ぶものは多いものの……おおもとは士官学校で学ぶことになる。
「士官学校を創立して騎士一人一人に専門教育を施して将校にし、有事の際には農民兵や貴族の騎士団を指揮する指揮官にする……どうじゃろうか」
「……騎士に。農民兵を直接率いて戦えと言うか」
憮然とした声音の将軍に、教授は笑いかけた。
「1個騎士団30人と、騎士が指揮する槍を持った農民兵100人。戦えばどちらが勝つかの?」
「それは……農民兵に分がありそうだが」
気が付いてはいる。だがそれを認めたくはない……そんな顔の将軍に、教授は畳み掛けた。
「騎士というのは身分じゃ。だが、身分で指揮を取れと言っとる訳ではないんじゃよ。
軍に就く者として指揮を取れ、そう言っとるんじゃよ」
教授はいまだ知らない事だが、シューリッツアの制度では騎士階級も世襲である。つまりランクは低いが貴族のようなものだ。
教授の言い方を変えれば、「お前らは軍人なんだから、爵位ではなく階級で考えろ」と言う事だ。
「おぉそうじゃな。階級もあったほうがいいのか」
少尉から始まって佐官、将官へと至る階級の整備は、近代軍制には必要不可欠のものである。指揮系統を明らかにする事で「誰がこの場で一番偉いのか」をはっきりさせるのは、戦場では死活問題となる。
「つまり……家格が上の貴族であろうが、階級が下なら騎士にすら従う事になると……?」
それはさすがに無茶だろう、と将軍どころかこの場にいる人間はみな思ったようだが、教授は平然としたものだった。
フランス革命後、それまでフランス王国軍に仕えていた貴族将校を追放し、ろくに軍事教育を受けていない市民出身の将校や指揮官を採用した結果、フランス市民軍は外国からの干渉軍に連戦連敗の憂き目を見ている。
逆に、追放から復帰した軍のプロフェッショナルが市民軍を指揮するようになると、フランス軍は各地で戦勝を重ねるようになった。
軍事教育の有無は、軍にそれだけの影響を与える事になるという事だ。
「戦争に勝ちたいのであればプロに任せるべきじゃし、プロがいないなら育てるべきじゃろ」
「では貴族をその、プロにするという訳にはいきませんか?」
ノルテの恐る恐るといった言葉を聴き、教授は重々しく頷いた。
「出来るじゃろ。ただ、その場合は王国軍の強化にはならんじゃろう。貴族の私兵が強くなるだけじゃよ」
「あ……」
「王国に直接仕える騎士と貴族から軍事教育を始め、階級を割り振り、王国軍を強化する。最初に言っておった『手元不如意で参戦できない騎士』もここで教育してしまうかの。
有事の際には貴族の騎士団に派遣して指揮を取らせるか、副官か参謀として補助させる。
これでどうじゃね」
「その前に軍事教育というものについて伺いたい。具体的に何を指すのです?」
教授がまとめた提言に賛否を答えず、将軍は問うてきた。そのあたりをはっきりさせないと、何とも言えないということなのだろう。
「そうじゃなぁ……たとえば、ここから北のオルデン子爵領に出兵するとしようかの」
他意はないぞ、他に土地を知らんからじゃ。と前置きして教授は続けた。
「さてオルデンについて詳しく調べたい。どうするかね」
「斥候を出す」
「その斥候は何を見て来る?」
「それは……」
口ごもる将軍。教授の言いたい事が掴めて来たらしい。
「オルデンの地勢、侵攻ルートになりうる街道が使えるかどうか。特に川や橋、砦といった障害。それにオルデン軍の配置と兵力、出来ればオルデン領民の様子なんかも知りたいの」
指折り数えた教授は、さてと将軍と副官を見やった。
「斥候がもたらした情報を元に、オルデン遠征軍を組織しようかの。
必要とされる兵力、食糧、物資の算出をしなければならない。兵を進軍させるルートを決め、兵に休憩を取らせる場所もあらかじめ決めておきたいところじゃ。
さてさて。これらは誰が決めるんじゃね」
「……大抵、私か副官が決めておる」
「それは自分の経験に基づいてじゃろ?
軍事教育ではそのへんもしっかり教えておく。経験が無いんじゃから当然じゃな。斥候と情報の大切さ、地図の見かたを教えれば侵攻ルートを読む事も出来るし、簡単な算術が使えれば食糧の算出もはかどる。当然戦争のやり方も教えるがの」
経験があるならば、その経験に基づいて作戦を立て兵を動かす事が出来る。
では経験が無い人間が指揮権を与えられ、戦場に投入されるとしたらどうだろう? そしてその時、もしも戦う為の最低限の「知識」を持っていたら?
経験は実際の戦場でしか増やす事は出来ない。だが、知識は机上で増やす事も出来るのだ。
「優秀な副官が増えるな……」
「それだけではないぞ」
嘆息する将軍の顔を覗き込むようにして教授は続けた。
「優秀な指揮官が増えれば軍を二分、三分に分けて戦う事が出来る。それだけでも、選択肢は幾つも増える事になる訳じゃ」
撹乱、挟撃、包囲。そう言った戦術は、複数の部隊がいないと行う事は出来ない。
有能な指揮官が増えれば、王国軍の取れる戦術の幅は、何倍にも広がる……。
将軍の横に座る副官もそれに気づいたらしい。高揚した顔色でしきりに頷いている。
「なるほど、お話はわかりました。面白い試みです」
その副官の様子をちらりと見た将軍は重々しく頷いた。
「……で。その士官学校とやら。教官は誰がやるのです?」
教授は虚をつかれ、ぽかんとした表情になった。
そうだ、士官を育てるための指導教官から用意しなければいけないのか……
その時、話が始まって以来沈黙していた宰相ハーツェルがぽつりと口を開いた。
「ワシヅカ教授が勤めればよろしいのではありませんか?」
と。
なんとなく士官学校マンセーな内容になったのは「軍靴のバルツァー」が面白かったから、ということで(笑)。てか教授、軍事にえらく詳しくなってしまった……どこかで折り合いつけないと。
う・ん・ち・く
本文内でも触れていますが「階級」というのは近代軍制に必要不可欠のものです。面白い試みとして革命直後のソヴィエト労農赤軍や、第二次世界大戦後の中国共産党軍が階級を廃止し、「指導員」と「兵士」のみの軍隊を作り上げた事があります。
が、ソ連軍は白衛軍との内戦、中共軍は朝鮮戦争への介入の際、階級が無い事の不具合を痛感し、階級を復活させています。
階級とは、上位者が指揮不能(戦死・負傷病・行方不明など)になった時、下位者にスムーズに指揮権を移譲するためのシステムだからです。軍隊は「人員が必ず欠ける」事を想定して作られた組織ですので、指揮権の委譲も混乱無く行う必要があります。
上で挙げた「指導員」と「兵士」だけの軍隊では、指導員が指揮不能になった時、複数いる指導員の誰が指揮を取るかで混乱が起こります。このあたり、中世の騎士達が従士や郎党を率いて戦ってるのに近いところがあります。
階級が敷かれていれば、大尉が倒れれば中尉が継ぎ、中尉が死ねば少尉が率います。そうしてスムーズに戦い敵を倒す組織。それが近代の軍隊なのです。