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殿下、私の執事は貴方様より八つも年上でございますが、何か?  作者: 秋月 もみじ


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10/10

第10話 では、これから生涯。よろしくお願いいたします、ロディオン


新緑の季節は、思ったより早く来た。


冬の終わりに、屋敷の庭の木々がまず先に芽吹いた。

春の真ん中で、旧モンセラ侯爵領の、丘の上の小さな教会の周りが、薄緑から濃い緑に色を深めた。

私たちが結婚誓約式の日に選んだのは、その緑がいちばん濃くなった日だった。


教会は本当に小さかった。


石造りの四角い建物。

天井は高くなく、窓は四つしかない。

鐘楼に下がっているのも、両手で抱える程度の慎ましい鐘。

ロディオンの母君が生前、何度か通われたお気に入りの教会だ、と、彼が前夜に教えてくれた。


参列者は両手で数えられる程度。

モンセラ商会の幹部たちが三人。

旧侯爵家の家臣たちが四人。

父と、リネア。

それで終わりだった。


カイは、いちばん後ろの席に、副会頭の正装で座っていた。

朝、教会に着くなり、彼は私を見て、ふっ、と短く笑った。


「ようやく、堂々とお祝いできますなあ」


その笑い方が、十年、彼が抱えてきた重みのようだった。

私は頷いて、それから、自分の方も少しだけ笑った。


父は教会の入口で、私を待っていた。


朝の光の中で、父の表情は半年前よりも、ずいぶん若返って見えた。

若返ったのではなく、責任をようやく、自分の肩に乗せるべき形で乗せ直したのだ、と私は思った。


「ヴィオレッタ」


父が私の名を呼んだ。


「ご自身で、歩かれたいか」


「お父様」


私は軽く頭を下げた。


「最後の数歩だけ、ご一緒に、歩いてくださいませ」


父が頷いた。


私は父の腕に手をかけた。

父の腕は、私が子どもの頃、何度か握ったあの腕より、痩せていた。

ただ、緩んでいるわけではなかった。

私を支える分の必要な硬さが、ちゃんと残っていた。


祭壇の前で、ロディオンが待っていた。


白い正装。

襟元に銀のモンセラ家紋。

半年前の披露宴で見たのと同じ装い。

ただ、表情はあの夜より、ずっと柔らかかった。


私が祭壇に近づくと、父がロディオンの方に、私の手をそっと預けた。


「ヴィオレッタを……頼む」


父の声が一度、詰まった。

詰まったまま、続きを父は言わなかった。

言わない方が、たぶん、父らしかった。


「公爵様」


ロディオンが軽く頭を下げた。


「お預かりいたします」


父が頷いて、後ろの席に下がった。

父の足音が、思ったよりゆっくりだった。


司祭が誓いの言葉を、短く読み上げた。

私たちがそれを繰り返した。

言葉はシンプルだった。

複雑な誓いは、もう、私たちの間に必要なかった。


「ロディオン」


私が、彼にそっと囁いた。


「私、二十六のままですの」


「存じております、ヴィオレッタ」


ロディオンも囁き返した。


「私は、三十三のままです」


「では、これから生涯、よろしくお願いいたします」


「こちらこそ」


ロディオンが私の手を、改めて握り直した。


「一年と申し上げた契約は」


彼が続けた。


「あらためて、生涯に、変えさせていただきます」


私は頷いた。


司祭の言葉が、最後の一言を告げた。


ロディオンが私の唇に、唇を寄せた。

触れたのはほんの一瞬だった。

ただ、その一瞬の触れ方が、彼が十年抱えてきた重みの、確かに半分くらいの長さは、あった気がした。


教会の中で小さな拍手が起きた。

カイがいちばん大きく、手を打っていた。

リネアが扇の陰から、目元を拭うのを、私は見た。


私はリネアの方に、ありがとう、と口だけで形を作った。

リネアはしかめ面をして、それから笑った。


【五年後】


商会本部の最上階の応接間に、私は机を移していた。


ロディオンの机と、向かい合わせ。

書類を、お互いに滑らせ合えるくらいの距離。

午後の遅い時間、私たちはたいてい、ここで仕事をした。


五年で、私たちには息子が一人、生まれていた。

名前はレナルド。

ロディオンの父君のお名前をいただいた。


正式な侯爵家再興の儀式と、王室への婚姻届は、結婚誓約式の翌年に済ませていた。

社交界復帰も、その秋から始めた。

第二王太子殿下が、私たちに小さく頭を下げてくださった夜会の話は、もう、ずいぶん前のことのように感じる。


その日、執事が銀の盆に、一通の手紙を乗せて入ってきた。


「奥様、お手紙でございます」


差出人は王都の片隅の、小さな住居から。

クリストフ・エルデアム、と署名されていた。


「あら」


私は手紙を軽く持ち上げた。


「五年で、二通目ですわね」


ロディオンが机の向こうから、視線を上げた。


「お読みになりますか」


「いいえ」


私は首を振った。


「読まなくても、書いてあることは、たぶん、分かりますの」


封筒の蝋に、指で軽く触れた。

蝋は、思ったよりざらついていた。

封蝋を仕入れた業者が、最近、変わったのかもしれない。


私は暖炉の前に立って、封蝋に火をかざした。

封筒が音もなく、火に乗った。

炎の色が薄い茶色から、明るい橙にゆっくり変わっていった。


ロディオンが机の脇から、私の方を見ていた。

止めはしなかった。

止める理由が、彼にもなかったのだろう。


「ロディオン」


私は暖炉から振り返った。


「もう、年齢で、女を測る方の話など、興味ございませんわね」


「ええ、ヴィオレッタ」


ロディオンが机の上で、書類を一枚整えながら答えた。


「私たちは、年齢で人生を作る側でございますから」


執務室の窓の外、商会本部の庭で、レナルドが乳母と遊ぶ声が低く響いていた。


【十年後】


モンセラ侯爵領の丘を、私たちは二人で歩いていた。


レナルドは十歳。

下の子のセシルは七歳。

二人とも、屋敷で家庭教師の試験勉強をしている時刻だった。


私たちは教会の方へゆっくり歩いていた。

十年前の、結婚誓約式の教会。

鐘楼の鐘は当時より、ほんの少し塗り直されていた。


「ロディオン」


私は隣の彼に声をかけた。


「年齢で、人を測ることほど、愚かなことはありませんわね」


「ええ」


ロディオンが頷いた。


「では、私たちはこれから、何で人を測りましょう」


私は軽く彼を見上げた。


ロディオンがしばらく、考えるふりをしてから答えた。


「その人が、どれだけ、誰かを大切に思えるかで」


「気の長い物差しですわね」


「気の長い物差しを、妻に呆れられたばかりでございますので」


私は笑った。

今度は、声がしっかり出た。


教会の鐘が午後の四時を告げた。

鐘の音は、十年前より少し低い気がした。

気のせいかもしれなかった。


私はロディオンの腕に手をかけた。

彼が私の手を、上から軽く覆った。

朝、家を出る前、私の好みのお茶を淹れる時の手つきと、ちょうど同じ動きだった。


丘の上で、新緑の風がゆっくり吹いていた。

私たちはそれから、もう何も話さずに、教会の前まで歩き続けた。

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