海峡にて想いを馳せる
シノーペー強襲によってポントスの船を手に入れたカエサルたち。
勢いにのって、レスボス島を目指す。
流れるように水面を進む船の甲板で思慮に耽りながら痩身の若者はつぶやく。
ついにレスボス島を攻める。
緊張するな、というのは嘘になるな。
気持ちが高ぶらないはずがない。
そう思いながら、風になびく髪を鏡を見ながら梳かしていた。
私の力を見せつける舞台ができたわけだ。
緊張と不安の隙間から、自分自身に対する自信がわきでてくる。
ビティニアに来てから海上の戦闘訓練も行った。
自分を信じろ。
大胆に動くこと、それが自分の信条だったはずだ。
気持ちを少しずつ熱くしていこう。
まだ早い。
努めて冷静にカエサルは考えることにした。
トルバイの話では船で流れに乗ってもボイラズコイから丸1日はかかるようだった。
ずっと緊張感を保っていては、レスボス島について動けなくなっているだろう。
だから、休めるときはできるだけくつろいでおくべきだ、と心に決めて深呼吸をする。
それから数時間がたって、いまいち休みきれないカエサルはだらだらと時間を過ごしていた。
流れに乗っている今、特に指示することも自分が動くこともない。
漕ぎ手も交代制でしっかりと休みがとれている。
マルマラ海は快晴で、冬がちかくなってきたこの時期は遠くまで見渡せる絶好の航海日よりでもあった。
「海軍の練習を受けたが、皆良い感じで動いてくれるからあまりやることがないな。」
とぼそりと言うカエサル。
ダインが、
「良いことじゃないですか。今までちょっと頑張り過ぎたから英気を養いましょう。」
カエサルは笑顔になって
「そうだな。食糧もしっかりあるし、ちょっとの間、通り抜けたボスポラス海峡とマルマラ海周りを楽しむか。しかし、少し行くとダーダネルス海峡と本当にここは世界をつなぐ場所でもあるな。誰かこのあたりを細かく説明出来る人はいないのかな?」
ダインは、「休み方が違いますよ、カエサル。英気を養うってのは、何もしないでゆっくりしたり葡萄酒を飲んでパンとハムを食べて栄養をとったりすることですよ。」
カエサルは、「馬鹿な。こんな素敵な場所について何も聞かず、考えずに通り過ぎるなんてできないな。ダイン。われわれが通り抜けたボスポラスというのは、ゼウスが嫉妬深い女神から自分が愛したイオという娘を牛に変えてのがしたというギリシアの神話になっている場所で、名前が雌牛の通り道となっている神話に関わる場所なんだ。」
と自分の知識を少し大きな身体の若者にわけてあげる。
「なるほど。」と食べ物を口に加えながら大柄な若者が関心を示しつつあった。
それを見て、さらにカエサルは続けた。
「そういうことを知ると、その後のイオの運命を考えても非常に悲しい話だと思う。酒を飲むのは賛同するが、やはりそういった神話等に想いを馳せたりする時間な気がする。瞼を閉じると、神話を感じられる・・・。」
少し瞑想に浸り気味のカエサルだった。
ダインは苦笑いして主人の好きなようにさせた。そこへシノーペーで合流したジジが加わってきた。
「ボスポラス海峡は、確かにユピテルとイオの話でもでてきますが、ヘーローとレアンドレスという青年の話になった場所でもありますよね。西側のへレスポントスに住む巫女、ヘーローに、東側の岸に住む若者、レアンドレスが恋をした話ですね。」
カエサルはその話に乗ってきた。
「ああ、レアンドレスが、ヘーローに会うために、毎晩海峡を泳いでわたって恋人達は素敵な時間を過ごした、というものだな。メルヘンチックだ。」
ダインは、
「しかし、毎日この海峡を泳いで渡るってのはちょっと度が過ぎますね。」と海を見ながらいう。
カエサルが頭をふりながら、「そういう意見を求めているんじゃない。人間の尺度で考えるところじゃないんだよ。」という。
ジジがダインに丁寧に話す。
「神話の時代の話ですからね。われわれだったら大変でも、その時代だったら違うかもしれません。そのレアンドレスが冬の嵐の夜にヘーローに向おうとして悲劇がおきます。」
ダインがごくりと唾を飲み込む。
ジジがもったいぶって時間を使って言う。
「嵐がヘーローの明かりを消し去ってしまうんです。それによってレアンドレスは方向を見失い、波に飲まれて溺死します。目の前で恋人が死ぬのを見たヘーローは発狂してしまい後を追って嵐の夜に自ら身を投げ出しました。」
ダインが目を白黒させている。どうもこの手の話はあまり得意じゃなさそうだった。
ジジとカエサルは顔を見合わせて笑う。
カエサルは「うーん、ロマンチックだと思う、しかし男は毎回海峡を渡る愚を犯さない方法はなかったか、女は光を送るのではなく、自分から神官の道をたつ方法は無かったのかを考えてしまうな。」と言った。ふとローマにおいてきた政略結婚ではあったが、自分の妻である人を思い出した。
そしてエフェソスにおいてきてイレイアを思い出す。彼女たちはカエサルと同じような立場だったらどうするだろうか?
少なくとも自分は、毎回海峡を渡ったりはしないが、それでも自分が彼女たちのために死んだりした場合、彼女たちはどうするだろう。悲しんでもらいたいが、思いつめて自殺するようなことはしないで欲しい、と心の底から思った。
ダインは「怖くて悲しい話だ!」と震えるような反応をした。
ジジが「ダインはこういった話があまり得意じゃないのかな?」
ダイン「大っ嫌いだよ。」と叫ぶように言った。
カエサルも子供じみたダインの反応を笑いながら、皆の雑談がもりあがる。
突然、カエサルは「ジジは、なんか前よりもよく喋るようになったな。」と少しからかい口調でカエサルが言う「自分が喋る機会が増えてるからでしょうか?」
と素直に返してくるジジを見て、うなずく。
「シノーペーでの工作も見事だったよ。人員をかけさせることなく船を奪取することに成功したのは、ジジたちのおかげだ。」
「ありがとうございます。アルバニスが準備してくれた火が燃え広がりやすいように脂を浸したしめ縄も火をかなり早く拡大させましたし、ザハがまだ子供に見えることを利用してあちこちに入り込んでシノーペーの役人が港に近づかないようにしてもらいましたしね。みなの力ですよ。」
カエサルはそれを聞き嬉しく感じた。
活躍の場を与えられて!そこで期待以上の活躍ができることは喜びだ。自分自身も今、大変であるが楽しいと感じていた。
そんな雑談をしているうちに、カエサルは気がついたらうつらうつらとしていた。
ジジとダインが相変わらず話をしているが、他のことを真剣に考えることで、少し緊張もほぐれた。
少しだがゆっくりと休めた。今になって身体が緊張と今までの行動で疲れ切っていることが感じ取れたのだった。
身体を休めながら、2人の会話に口を挟む。
「帰ったら仲間たち全員で宴をしよう。ミティリーニには、ルチャたちも潜入してくれているはずだ。」
「それは心強いですね。」とダインが言う。
「一小隊だけど、ミティリーニを混乱させるには十分な兵力だ。」
そう会話を続けているうちにバラッシとこの船の船長で中隊長が並んでやって来た。
「カエサル!こんなところで油を売ってやがったのか?」
と文句を言いつつ、俺も今は休憩時間だ、ちょっと酒を飲むのに混じらせろ、と言って自前の葡萄酒を出してカエサルの横に座って飲みだす。中隊長の手伝いをしていたバラッシも同じようにして真っ白な歯をむき出しにして笑い、酒を飲みだした。ダインもならう。カエサルはのんびりしたかったのだが、結局甲板で交代で騒ぎながら休むことになった。
兵士たちもシノーペーでの最初の仕事をやりきったのか、皆飲みたそうにカエサルたちを見ている。結局最後はトルバイの判断で少しスピードを落としても、交代で飲んで英気を養おうとなり、少しのんびりとした船での旅はその日一日続いた。
交代で飲んでいた兵士たちも一巡したのだろう。
みな、黙々と自分の役割をこなしながら、休むものは休んでいる。それも収まってきた夕方、カエサルは改めて海をみながらトルバイと話をした。
「このまま勢いに乗っていけば、明日の夜明け前にはダーダネルス海峡を超えてレスボス島が見えてくる。」
とトルバイが言う。もう明日の夜明けにはミティリーニに入れるだろうということだ。
明け方、レスボス島の北端が見えてくると、カエサルは船に指示を出す。
「松明を掲げろ!」
松明が船の上になびく。
他の船もあわただしく松明を付け始めた。
それから、松明の列の前にローマとビティニアの旗を持ってこさせた。
「旗を掲げろ!」
松明に映し出されたローマの旗とその横にビティニアの端が水面にも映し出された。
船の動きは早いが、レスボス島の北部にいるローマ軍から十分に見えるだろう。
ビティニア海軍が着くのは伝わるはず。
松明と旗をかかげた船は30分以上もの間、そのままだった。
それからレスボス島の北端を超えて旋回しだしたあたりで松明を掲げることを終了させる。
夜明け前にはレスボス島が見えてくるだろう。いままでは知恵を使う戦いだった。
ここからは剣で戦う時間がはじまる。
初めての大規模な攻防戦になることが予想されるがカエサルは力強い仲間たちを引き連れて必ず勝てると自分に言い聞かせていた。
シノーペーから急ぎレスボス島に向うカエサルたち。
船が順調ななかで一時の休息を楽しむ




