炎上するシノーペー
カエサルたちは、静かに、すべての準備を終えて夜の闇へ消えていった。
目指すポントス王国のシノーペーの町へ到着して日を待ってから行動に移る
黒海に面した港湾都市であるシノーペーの街は、祭りでにぎわっていた。
ポントス山脈から取れる良質な木材を船で運び出すことで一大生産地として名をなしたシノーペーは財にも恵まれて交易の町として知られていたが、ポントス王の支援と経済施策によってさらに発展し、町には大きな神殿なども立ち並び、造船業も盛んになり大きく発展してきたここ数年だった。
ポントスの英雄ミトリダテス6世はアレクサンドロス大王を彷彿させるように、近隣諸国を併合して、シノーペーの街に大きな富をもたらしたのだった。
それから、ギリシャをローマの圧政から自由にするためにと言ってギリシャ各地を解放しに行ったポントス王はローマの異端の天才スッラによって2度の大敗を喫してシノーペーへ戻ってきたのだった。
それでもポントス王国とシノーペーに多くの富をもたらしたミトリダテスがローマに負けたことは残念だったが、ローマは遠く、パルティアもまた離れている黒海近辺でポントス王国の興隆を邪魔する国はどこにもないのだ。
だから、シノーペーの民は王の大敗を責めることもなく、この秋の収穫祭を豊穣の神デメテルと豊かにしたミトリダテス王に捧げられようとしていた。
豊穣を祝う水と火を使った祭りは、そこかしこで光を放ち、沈みかけの太陽の光が薄い青と緑色になっていくなかで、ひときわ輝いて見えた。
市民の安全を守る衛兵たちも、火の扱いに気を付けつつも、この秋の収穫祭を祝い未来の発展を祈ること、そして今の幸せを分かち合おうと、浮ついた気持ちになっていた。
シノーペーの発展を祈っていた市の相談役である老人は笑顔が絶えなかった。
なんて輝かしい日々がつづいていくのだろうか、と目を細めてにぎわう街をながめていた。
人夫たちは、仕事を早く終わらせて、店や道端で酒やつまみを買って街路ですでに楽しく飲んでいる。市内に住む身ぎれいな町人であろう女子供も楽しそうに歩き、いつも以上ににぎやかな街中の市を見て歩いている。
若者たちは、楽士の奏でる音を楽しみながら、仕事から離れて恋人と語らったり、仲間同士で酒を飲み楽しんでいる姿が見える。外から来た商人が街のにぎやかさに喜びと妬みを感じて商売話に花を咲かせているのだ。
老人が若い頃は、まだまだシノーペーは貧しかった。
それを先代の王、そして今のミトリダテス王がどんどん良くなるように仕向けてくれて、大きな街に進化した。
本当に感慨深い。そう目を細めたところで、老人の目が異様なものを見つけていた。
街に多くの火が着くのはいつものことだった。水と火を祝う祭りだからだ。だが、それが行き過ぎて街が燃えているように見えた。
年をとり、目がおかしくなったかと思い目を擦る。
それでも火は変わらず、さらに燃え広がっていた。
「いかんぞ、こりゃ、誰か火の扱いを間違えて建物に火が移ってしまってはないかいな?」
細い道が多い市街地で火事が起こると大変な事になると思った老人は酒を少し煽っている衛兵に活をいれようと大通りに出ようとしたところで、背後から誰かに殴られその場に倒れこんだ。
シノーペーの市民はいつもと同じように綺麗な水と火の祭典を見ていた。
だが、思った以上に火の手が大きい事に気が付き、少しの者が火の周りを心配しだした。
それから、誰かが叫ぶ声が聞こえた。
「火事だー。火事だぞ。火を消して回れ。」
しかし、多くの市民は祭りの火に気を取られ、いつも以上に人が町に繰り出していたため、火を消しとめようとする者はおらず、気が付けば街の海側が火に包まれてしまった。
人々が祭りではなく大きな火事であることに気が付いたころには、火が大きく延焼しており、もはや止めることはできない状態になっていた。
何人かの人は、その中で火のさらに奥の港に向かって歩く多くの鍛え抜かれた兵士たちを目にすることができたはずだが、実際には煙があまりにもすごく、よく見ることができないでいた。
こうして、収穫を祝う日だったポントスの首都、シノーペーは火を讃えた祭りの日に大火事にあい、海沿いの大半の家が焼け落ちてしまった。
それから造船工場にあった船やシノーペー沖に置かれていた完成した多くの船が燃えて海のもずくとなってしまった。
船を係留していた縄の一部は切り落とされてた跡が残るはずだったが、それらの縄も焼かれてしまっていた。
祭りの日で多くの市民は外に出ていたし、寝てもいなかったために死傷者は少なかった。
街は祭りであちこちに延焼しやすい商品が大量に出ていたために、より早く燃えて結果として火事を助長していた。乾燥した日々が続いていたこともあり、燃え尽きた海沿いの街を検査した役人たちは、タイミングが悪かったという結論を出して終わった。
翌日、シノーペーの街の火事のことを聞き及んだポントス王ミトリダテス6世は、この火事で燃えた市民をいたわり、関係者を動かして市民を一人でも助けること、そして市を立て直すために徳政令を出すことなどを決めた。
王が少し気にしていた海軍の船は、ほぼ壊滅で海の藻屑になってしまったという報告を受けた。
しかし、王は諦めきれず、先年火事で海軍を失った間抜けなビティニア王がポントスの海軍を狙った可能性があるとして、ビティニアに行き、そういった動きがなかったか斥候を出して調べさせることにもした。
ただ、実はビティニアの火事はミトリダテスが後ろで手をひいていたのだったが、そういった事にも気づかないビティニア王だ。この手際の良さは考えられない、と思っていた。
その結果とあわせて、近年力をつけてきている海賊などがやったことかもしれないとも考え、黒海、マルマラ海などの近隣の諸勢力も調べる必要があると考えた。
結果が出るまでの間に、どちらせよ壊滅したポントスの船をどうにかする必要に迫られるのだった。
幸い、シノーペー以外の港にも船もあるので、最低限の船をシノーペーに回すことで急場をしのごうと考えていた。
痩身の若者は一人で甲板に座って海を眺めながら考え事をしていた。
潮の流れに乗っており、船を全員でこがなくても良い状態になり、今は漕ぎ手も交代で休みを取っている。
カエサル自身はトルバイ将軍と部隊長と話し合った結果、船が動いている間は臨時の将軍補佐としてこの調達した船にのって、レスボス島が近づいたらローマ軍との連動などの指示を出す予定のため、現在、比較的自由にしているところだ。
朝方にビティニアの西の端ボスポラス海峡の端にあるボイラズコイの街の先の通常なら漁船が多くいるところに、補給物資と人員を手配していたのだった。
そこで人員や食糧、一部の追加の船と合流して、一挙にマルマラ海を抜けてダーダネルス海峡へ向う予定だ。
奪取されたポントスの船にローマの旗をくくりつけ、ポントスの船の印をできるかぎり取り除く。小物は港に置き、補給部隊が後始末をする手はずになっていた。
奪取した勢いにのって、すばやく資材、人員、食糧を必要なだけ補給すると、
ローマの旗を持ったポントスの艦隊は、ビティニアの精兵を載せて、ダーダネルス海峡にむかっていった。
ここまではうまくいった。笑ってしまうくらいに。
仲間たちも大活躍だったし、カエサルも一部の精兵を指揮したが、トルバイの的確な指揮でビティニアの精兵も誰一人欠くことなく船に乗り移ることができたのだった。
火事と大きな混乱の闇の中で船に大人数が乗り込むのは困難だったが、アルバニスの案で発した魚の網を改良して人が身体をあずけられるようにした網をいくつかの船につけたおかげで乗り遅れた者たちも海に飛び込んで後から回収することができたのだった。
ポントス王はどんな感じでシノーペーの街の惨状と海軍の軍船を多く失ったことを感じるだろう。数日の後には必ずビティニアが疑われるかもしれないが、まさか軍船を乗っ取るとは思いもしないだろう。書庫も残っていない。その時にはこの船もレスボス島も名実ともにローマの物になっているはずだ、と思った。
一昼夜が過ぎ、未だ快調に船団は進んでいる。
ダーダネルス海峡の先、レスボス島へ向かって。
シノーペー襲撃を成功させたカエサルたち
ついにビティニア海軍を率いるための船を多数手に入れた。
目指すはレスボス島!




