前編
短編と同じです
まるで絹糸を思わせる手触りの良さそうな黒髪。きらきらと煌めく宝石を思わせる澄んだ青色の目。すっと通った鼻筋に薄めの唇。きめ細やかな透き通る白い肌。
美しい、と一目見ただけで分かるその人は全く笑顔を浮かべない堅物と名高い宰相の子息で、レスティアーナの婚約者のジェライアスである。
伸ばしている髪の毛をひとつ括りにしている彼は、禁欲的で笑わないからこそ無駄に色気がある、とレスティアーナは判断していた。
その証拠に、堅物と言われているのに女性人気は高く、婚約者のレスティアーナは殺意のこもった目で睨みつけられているのだから。
◇◇◇
レスティアーナの家は南部地方の端、熱砂の国と呼ばれる国の半分以上が砂漠に覆われたサンデミオ王国と接している辺境伯家である。隣が砂漠地帯と言うことは、ノルスタイン辺境伯領も一部は砂漠地帯で、文化的にはサンデミオ王国に近い物があった。
辺境伯領の中でも北の方に行けば次第に緑が増えていくのだが、国境に接している地域に領主邸があり、衣服などはサンデミオ王国に似た物が多かった。
土地が土地だけに、サンデミオ王国とは良き隣人関係にあった。
そんな地域なので、レスティアーナは陽の光を避ける為に薄布を羽織ることはあれど、屋敷の中では暑さを凌ぐ為に薄手の布を巻き付けるような格好が多かった。
自国よりも他国の影響を受けていることがよく分かるのが服装であり、装飾品である。
リンデルグ王国はそれなりに大きな国なこともあり、南北は辺境伯家が、東西は公爵家が国境を守る形になっていた。
王都はやや北側にあるので、社交シーズンになると当主夫妻か、次期当主夫妻、つまりレスティアーナの兄夫婦が交代で行く事になるのだが、レスティアーナは十二歳になるまで領地から出たことはなかった。
それが、宰相令息のジェライアスと婚約した事で毎年行く事になったのだが、少しばかり面倒だった。
と言うのも、ノルスタイン辺境伯領は最南端にあり、冬以外は基本的に暑い土地だ。その環境に慣れていたので北部にある王都はレスティアーナにとって寒い場所だった。
体感に合わせれば冬に着る服が適切なのだが、王都では春の終わりから秋にかけてが社交シーズンであり、レスティアーナが涼しい、寒いと言えば変な目で見られることが多かった。
それに、眩い日差しの下で生きる為には肌の色が自然と濃くなるのだが、王都では白い肌こそが美の基準で、レスティアーナは平民のようだと馬鹿にされていた。
地域によって肌の色が変わるのは当たり前のこと。仮にレスティアーナを馬鹿にした白い肌の令嬢がノルスタイン辺境伯領に来たならば、間違いなく真っ赤に肌が焼かれて痛い思いをするに違いないのだが、自分たちの常識こそが全ての彼女達に通じるわけがない。
レスティアーナの社交嫌いはシーズンの為に出た最初の一年、親に言われた通りに参加したお茶会で決定づけられた。
ただ、唯一良かったのは婚約者のジェライアスがレスティアーナの肌の色や服装に文句を言わなかったことだろうか。
赤金の髪の毛に小麦色の肌、エメラルドのような緑色の目をしたレスティアーナをジェライアスは貶さなかった。それどころか「砂漠の女神の色ですね」と王都の令嬢たちがきっと知らない事をさらりと言った。
国で信仰する神がいるが、南北の辺境伯領はそれぞれの地域にあった神を崇めていた。
北部は雪の男神、南部は砂漠の女神である。
豊穣の女神を国は信仰しているが、南北の辺境伯領に対しての恩恵は少ない。故に、異なる神を信仰することを国は認めていた。
そもそも、雪の男神と砂漠の女神の子が豊穣の女神なので、親神を信仰することに何の問題もないのだが、その知識が不足している令嬢達は「異教徒だわ」とレスティアーナを異端者扱いした。
流石にこれに関してはあまりにも知識が不足しているので親を通じて国王や教会に密告したのだが、全く改善される様子は無く、レスティアーナは次第に令嬢達の頭を心配するようになった。
◇◇◇
そんなレスティアーナが十六歳になった年、そろそろジェライアスとの結婚を見据えた上で王都での人脈作りを本格的にする為、ジェライアスの家であるマルディトラ公爵家に身を寄せて学院に通う事になった。
二年間という期間で公爵夫人から教えを受けながら、王都周辺に慣れることが目的で、レスティアーナは非常に憂鬱だった。
「学院はこれまでのお茶会以上に色々言われそう……」
「何か言われたら俺に必ず言え。どうにかする」
「はぁい」
少人数のお茶会でボロクソに言われてきたのに、それが大人数になればどうなるかなど簡単に想像出来るだけにレスティアーナは嫌だった。
そんな憂いをすぱっと切り捨てるのは何時だってジェライアスだった。彼は割と正直者だ。その言葉に偽りを混ぜる時は必要な時で、そうでない時は本心を口にする。
今がそうで、嘘をつく必要がないから彼の言葉は本音で、信用できた。
レスティアーナとジェライアスは同じ年齢なので、入学も卒業も同時にし、卒業後に結婚するのは決定事項だった。
この婚約は王家が介入しているので、白紙撤回も解消、破棄などありえなかった。それだけ意味がある婚約なので、周りがあれこれ口出しをしても意味がないのにと思っている。
レスティアーナは人前でこそお上品に淑女らしく振る舞うが、ジェライアスの前では実家にいる時のように気の抜いた話し方をしている。彼がそれを望んでいるし、レスティアーナも身内の前で堅苦しいのを好まなかった。
「レスティ。ところで、ドレスはどうする?」
「うーん……家で着てるドレスは駄目だよねぇ」
「俺は好きだがな」
「……むっつりめ」
ジェライアスは堅物そうな見た目だし笑顔を浮かべないが、年相応の男性らしい所があった。いや笑顔を浮かべないのは公の場だけで、私的な場所では結構笑っている。寧ろ、レスティアーナは笑顔の彼しか知らなかったので、仏頂面のジェライアスを見た時はとても驚いたものだ。
婚約してから年に一度はわざわざノルスタイン辺境伯領まで来てくれるのだが、その度にレスティアーナが着ている服に大変満足している様子だった。
王都育ちでは慣れないだろう気候だろうし、白い肌を赤くしているが、彼は割とノルスタイン辺境伯領を好んでいた。
「男女問わず開放的で、俺としては堅苦しい格好から解き放たれて楽しいけどな」
「まあ、分かるよ。だけど日焼けしないもんね。火傷してるけど」
「そうなんだ。この生白い肌が嫌だ」
「仕方ないよ。環境だもん」
隣に並んで座り、お互いの腕の肌の色を比べると、レスティアーナの方が濃い色をしている。
こちらで暮らせば白くなるのかなぁ、と零せば「お前の肌の色がいいから白くなりそうなら定期的に家に帰ることを許すし俺も行く」なんて答えるジェライアスに笑い声をあげた。
「ドレスねぇ……寒くなければいいかなぁ」
「仕方ないこととは言え、悪いとは思っている」
「仕方ないんだよ。北の方は逆に暑い暑い言ってるじゃない?」
「あれは馬鹿だからな」
王妃が子を孕めばそれに合わせて貴族の家は子作りをするので、王子や王女がいる年は子供が多い。
辺境伯家もそれに合わせているのでレスティアーナと北の令息シュナウフェンは同じ歳で、親の関係で何度も顔を合わせている。シュナウフェンはジェライアス以上に白く儚い見た目をしている。
銀の髪の毛にアイスブルーの瞳、真っ白で日焼け知らずの肌。見た目はとても儚いのに、狩猟を得意として毛皮を好み、王都に来ればレスティアーナは寒くて震えているのにシュナウフェンは「あっちー」と言いながら全裸になろうとするのだ。
流石に全裸になる前にジェライアスが止めたけれど、この男が南に来たらどうなるんだろう、溶けるのかな、とレスティアーナが考えた回数は両手の指の数を超えていた。
「あ、でも、夏の舞踏会はサンデミオ王国の国王が参加するから、その時なら着れるな」
「こっちのドレス?ジェイも合わせてくれる?」
「もちろん。楽なんだよなぁ」
「わかる。コルセット付けないからほんっっとうに楽」
「そもそもレスティにコルセットは要らないだろ」
マルディトラ公爵家のタウンハウスの一室。客も来ないプライベートな場所だから、と楽な格好をしているレスティアーナの体をまじまじと見るジェライアス。
コルセットはドレスの時だけでいい、とソフトなタイプを付けているレスティアーナだが、ジェライアスが言うように腰を細く見せる為という意味では要らないのは確かだ。
「そりゃあ、動き回ってるからね。こちらのお嬢さん方みたいに優雅に座りっぱなしな生活とか無理だから」
レスティアーナは領地にいる時は積極的に外に出てサンデミオ王国の商人とやり取りをしている。
ノルスタイン辺境伯領の人々、特に国境付近に居を構える人は平民だろうが当たり前のように二カ国の言語を話す。子供の頃からサンデミオ王国の子供と遊ぶ中で培われた言語力だが、レスティアーナは更にサンデミオ王国内の少数部族が使う言葉も習得している。
語学の楽しさに目覚めた彼女はそれだけで満足せず、様々な言語を片っ端から学んで身に付けている事で、政治の中枢部にいる人々はジェライアスの婚約者にどうかと話をあげたほどだ。
レスティアーナはただの政略と思っているが、癖の強いサンデミオ王国の王族やいくつもある少数部族の族長と円滑にやり取り出来ているからこそ、彼女を奪われないように囲うことになった。
ジェライアスの父ですら息子よりもレスティアーナの方を重要視している時点でその価値の高さはわかる。
彼女を守る役割を与えられたのがジェライアスだ。レスティアーナが社交嫌いになったのは国の政を理解していない、気位の高さだけしか持たない令嬢のせい。
ジェライアスはいつだってレスティアーナに追いつこうと必死なのだ。
「サウラリオ陛下が来られるならジュナの果実は手配しておいた方がいいかも」
「そうなのか?」
「うん。この前会った時、最近ハマってる果実だって言ってた。あの方、一度ハマると暫くは続くから、三年分は確保してた方がいいかも」
「分かった。レジルッド伯爵に話を通しておくよ」
「そうして。あ、あとね、北のお酒に興味があるって言ってたよ。あ、これはサウザーヴ族の族長も言ってたなぁ。シュナウフェンに頼んだら取り寄せてくれるかな」
「代わりに南の酒を求められるかも。火炎酒はサンデミオ王国でしか手に入れられないし」
「そっかー!じゃあ陛下に手紙送っておくね」
レスティアーナはサラリと言うが、一国の王に手紙を軽い気持ちで送れるなど考えにくい。だが、それをやってのけるのがレスティアーナだ。
ノルスタイン辺境伯の人間は大らかな性格をしている。礼節は忘れないが、駆け引きはしても後暗いことはしない。そんな性格だからあの地に封じられているし、上手くやってのけている。
レスティアーナと会話をジェライアスは好んでいるが、世間話のように大事な情報を投げつけてくるところが刺激的で堪らない。
見た目や家柄だけを褒められるつまらなく無益な会話よりも、気楽に話す中で溢れ出す刺激の方が余程楽しくて、だからジェライアスはレスティアーナと話している時は常に笑っていた。
◇◇◇
学院に通うのは義務ではないが、暗殺や毒殺の心配なく同じ年頃の子供達と交流出来る貴重な場として活用されているので、余程金銭的に困難でなければ大抵の貴族は学院に通う。
昔は男だけの寄宿舎だったらしいが、女性にも学ぶ権利を、と言う風潮が広まってからは男女関係なく門戸が開かれた。
それは出会いにも繋がるのだが、同時に面倒事も引き寄せることになっていた。
「ジェライアス様ぁ♡ランチをご一緒しませんかぁ?」
「断る。婚約者と約束している」
「えぇ~。毎日なんてつまらなくないですかぁ?ね、あたしと一緒にランチしましょう?」
と、下位貴族の名前も知らない女に迫られてジェライアスは苛立っていた。
入学してひと月もしない内に、この女は多くの令息を誑かして学院の風紀を乱しに乱していた。
男爵家の娘が公爵家の中でも宰相職を世襲しているマルディトラ公爵家のジェライアスに馴れ馴れしく接近することがおかしいのに、それが許されている、という空気なのは彼女を囲う男の中に第三王子がいるからだ。
「ジェライアス。チェリルがこう言っているし、偶にはこちらを優先しろ」
「断ります」
第三王子が命令のように告げてもバッサリと断るのがジェライアスで、ひくりと頬を引き攣らせた第三王子が尚も言い募ろうとしたが。
「ジェイ?食堂に行かないの?」
「すまない、レスティ。待たせたか?」
「ううん。待ってはないけど……いいの?殿下のお誘い断っても」
「構わない。俺の中の優先順位が高いのはレスティだ」
「恥ずかしいことを平然と言うわね」
レスティアーナとジェライアスはクラスが同じだが、授業科目によっては分かれることもある。今回がそうで、礼儀作法の授業を終えたレスティアーナが迎えに来てくれた事でさっさとその場を去るジェライアスを、くすくすと笑って追いかける。
「あの子すごいよね」
「何が?」
「うーん。先の見通しが出来てないこと、かな」
歩くペースを落としたジェライアスがレスティアーナに腕を出すと、当たり前のように手をかけてエスコートを受ける。婚約者同士のこういった行動をさり気なく監視している教師達がチェックしている事をどれだけの学生が理解しているか。
夜会やパーティーで男性が女性をエスコートするのは当たり前で、その時の見栄えもまた重要視されている。
婚約して四年。身長の変化はあれど、エスコートする、される時の感覚はお互いに叩き込まれていた。
「婚約者のいる男性に近寄る、まではまだあるけれど、派閥を考えていないのはまずいよね。私もまだ学んでる最中だけど、リンデルグはサンデミオよりも面倒じゃない?あの子、卒業までに生きていられるのかなぁ」
「知らん。興味も無い」
「知ってる。あ、そうそう。今日のランチはシュナウフェンとローレンナもいるからね」
「分かった」
ローレンナとはシュナウフェンの婚約者で、北の大国フォレロニア王国の辺境伯令嬢である。国境を境に隣り合わせの領地の二人は狩猟と言う共通の趣味特技から国を越えて婚約を果たした。
レスティアーナが付き合えると思えた貴重な令嬢であり、正反対の地にいるのだが中々に話が合っていた。
「寒ささえなければ北にも興味があるけどさぁ。雪が積もってるとか想像出来ないや」
「向こうも砂漠の暑さを想像できないだろうな」
「だと思う。ジェイもだけど、皆肌が白いからうちに来たら火傷しちゃうね」
そんな会話をしながら着いた食堂。ここには個室があり、予約をしていればそちらを使うことが可能で、ジェライアスは年間を通して一室をキープしていた。
学院側もそれを理解している。と言うのもレスティアーナが割と重要な事を世間話のように話してしまうので、国王と宰相が隔離させないとまずいと判断したのだ。
シュナウフェンが混ざれば大惨事である。その為、個室を貸し切っているのだけれど。
「ジェライアス様ぁ♡あたしも混ぜて下さぁい♡」
四人でランチをしている時、突然扉が開いて入ってきた女にジェライアスの限界は超えた。
「貴様、俺の名前を許しもなく何度も呼んでいるが、誰が許可を与えた」
「え?」
「学院の方針で『教育を受ける権利は平等』とあるが、身分の平等は謳っていない。マルディトラ公爵家より貴様の家に抗議を入れる。覚悟しておけ」
楽しい婚約者や気楽に話せる友人との癒される時間を邪魔されたジェライアスは、あっさりと限界を迎えた。元々嫌いな者に対しての限界点は低いので、レスティアーナは「あーあ、お馬鹿ちゃんだなぁ」と笑いながらも止めなかった。
結果として、第三王子始め取り巻き一同は特別講義としてハニートラップ対策をとことん教え込まれ、ジェライアスが最後まで名前を覚えなかった男爵家の娘は学院から消えた。
学院側も一連の事は把握していた。静観していたのではなく様々に根回しをしていた。何せ王族が絡み、婚約にも影響が出かねないので慎重にならざるを得なかった。
しかし、学院としても有難いことに、ジェライアスが手を回した事で火種の一つはあっという間に排除された。
彼が述べたように、学院は本格的な社交の場の縮小図で身分の差について平等だと言ったことはない。
教育を受ける権利の平等、とは高位貴族だからと言って授業を受ける生徒の邪魔をして良いというものではない、という事だ。誰にだって同じように学びの機会を与えられている、と言うだけのもの。
それ以外の場ではきちんと振る舞うことが求められている。
それを容易く踏み躙る存在は不要だと言うだけのこと。
◇◇◇
とは言え、問題が男爵家の娘一人で終わるという話ではない。
学院で結婚相手を探すものはそれなりにいる。そして波乱の元になった男爵家の娘に惑わされなかったジェライアスを、理想的だとして望む令嬢がいない訳はなく、レスティアーナを排除して隣に立とうと望む令嬢はそれなりにいた。
この婚約の意義を理解せず。
レスティアーナの見目が王都貴族と異なっていることや信仰する神の違いを理由に、そういった手合いは何の疑問も抱かずにレスティアーナを排除しようと動いていた。
王家が介入してレスティアーナの枷としてジェライアスが選ばれた事を理解せず。
「腹立たしいです」
「落ち着きなよ。可愛い顔がぐしゃぐしゃだよ、エランジェ」
「レスティアーナ様ぁ~!好きです!」
南部地方から来ているのは何もレスティアーナだけでは無い。エランジェと呼ばれた少女は子爵家の生まれでノルスタイン辺境伯領の端に位置する領地を治めている。レスティアーナと似たような肌の色を持つ彼女もまた、王都貴族の令嬢達から下に見られていた。
主家のご令嬢たるレスティアーナの本質を理解していない者の多さに、エランジェは何時でも苛立っていた。
サンデミオ王国からの侵略がないのはノルスタイン辺境伯家の人柄の良さがあるからなのに、そういった事を理解しないでバカにしたり、蛮族だと平気で言う令嬢達への怒りが収まらない。
エランジェは幼い頃からレスティアーナと交流がある親戚でもあり、いずれマルディトラ公爵家に嫁ぐレスティアーナの侍女としてつく事が決まっていた。
そんなエランジェは生まれが下位貴族なのもあり、侍女教育の授業なども全部下位貴族用の学舎で受けていたので全てを把握している訳では無い。
しかし、講義の一環でお茶会の給仕をしている時に悪意をもって広められるレスティアーナを蔑む発言に苛立ちが止まらなかった。
ジェライアスが教師に呼ばれて不在の為、エランジェがレスティアーナの傍に控えていたのだけれど、つい先程の出来事に地団駄を踏んでいた。
王都貴族らしい、白い肌に金色の髪の毛のどこぞのご令嬢が、レスティアーナに向かって「ジェライアス様との婚約を取りやめなさい」と上から目線で命じてきたのだ。
当然だが、レスティアーナは相手にしなかった。
この婚約に異議を唱えると言うことは国王へ弓引くことと同義だと理解しているからなのだが、相手は更に喚いた上で取り巻きに囲まれて去って行った。
「そもそもさ、あれ、誰?」
「レスティアーナ様のそういうところ好きですよぉ」
レスティアーナは幼い頃から沢山の大人たちに囲まれていたので、何の力もない令嬢を覚えることは苦手であった。社交嫌いになったお茶会がそれを加速させ、人脈作りにも影響はあったが、必要な家の娘達とはきちんと交流出来るようにはなっていた。
だから、名前を覚えていないと言うことはどうでも良い存在なのだな、とレスティアーナは判断していたが、エランジェはそうはいかない。
大切なお嬢様に対する無礼を見逃す事など出来るはずもなく、その日の内にジェライアスに報告をあげた。
ジェライアスの動きは早かった。子供の仕出かしたことは親の責任、と父に話をすれば速やかにレスティアーナに阿呆な事を言った令嬢の家に手紙を送った。
『この婚約は王家が介入しているけれど、その意味がわからないおたくの娘、何で学院に通っているの?』
といった内容だ。
受け取った家は当然混乱する。レスティアーナが持つ人脈は南部の国々の中心人物で、サンデミオ王国は半分が砂漠地帯だが、金鉱脈や、特にサンデミオ王国でしか取れない貴重な鉱石を有している。
砂漠地域以外の場所は豊かな自然のあるかなり変則的な環境で、サンデミオ王国はかなり豊かな国である。
だからこそわざわざ他国を侵略しなくとも国として成り立っている。
そのサンデミオ王国の国王サウラリオがリンデルグ王国の中で一番気に入っているのがレスティアーナである。
何があったのかはジェライアスも知らないのだが、何かがあった上でレスティアーナは気に入られた。その証拠が、レスティアーナの腕輪で、嵌め込まれた宝石はサンデミオ王国でしか採掘されない『ルーベンシアス』と言う不思議な色合いの宝石である。赤やオレンジが不思議に混ざり合いながら、そこに混じる緑の筋が美しい『ルーベンシアス』は滅多に他国に出ない。
全ては王家が管理しており、誰の元にあるのかという所までを確認し、所有者一覧が作成されている。
それだけ貴重な宝石を使った腕輪は、サウラリオ自ら「小さな我が友人」と手渡した友愛の証である。
己の婚約者の装飾品を他の男が、と思うジェライアスでも流石に外して欲しいと言えないほどの逸品をつけているのがレスティアーナである。
そんなレスティアーナを国内に留めたい、サンデミオ王国に奪われないようにする為の婚約だと知っている令嬢の家は、当主は激怒した。
リンデルグ王国は豊穣の女神の庇護下で飢えることのない豊かな食料事情だけれど、鉱石などにはあまり恵まれていなかった。それは砂漠の女神の管轄であった。
元々ノルスタイン辺境伯家のお陰でサンデミオ王国とは友好的であったが、レスティアーナのお陰で更に鉱石の輸入量が増えたのだ。
その恩恵に与っているのは高位貴族の常識である。
ノルスタイン家は上昇志向は無いし、権力欲も無い。その割に国へもたらす利益が大きいので、足の引っ張り合いや蹴落としなどが常態の王都貴族も下手に手を出さない家だ。
そんなレスティアーナに「ジェライアスとの婚約を取りやめろ」など見当違いも甚だしい事を言った娘を当主は許すわけにはいかなかった。
最低でも半年の謹慎。それは夏の舞踏会への参加を禁じるものだった。学院に入学した者にとって夏の舞踏会は未成年ながら初めて公の場に出るものだ。貴族令嬢にとってはデビュタントでもあり、ここに参加するしないは大きな意味を持つ。
その令嬢は泣き喚いたそうだが、宰相であるマルディトラ公爵から直接手紙を送られた時点で国王にも報告がなされていることは想像出来る。
そんな中で参加させる事を当主として選べなかった。
なお、レスティアーナはそこまで怒ってはいなかった。この令嬢に限らず、ジェライアスを狙う女性は多く、それはもう散々な目に遭ってきたのであれ位はいなせる範囲だった。
ただ、彼女の周りが許さなかっただけで。
直接物言いをしに来た令嬢の謹慎と休学の話を聞いて「あ~可哀想~。でも、まあ、仕方ないか」と納得するあたり、レスティアーナに繊細な心はなかった。
◇◇◇
「ティーナちゃん!お出かけしましょう!」
「お義母様……観劇ですか?」
「ええ。チケットを手に入れたのよ。だからティーナちゃん、一緒に行きましょう」
学院が休みの日、ジェライアスとまったり話をしながら課題をこなしていた所に突撃してきたのは、ジェライアスの母。つまり公爵夫人のソラリアである。
ソラリアは婚約の為に顔合わせをした時からレスティアーナを気に入った人で、学院に入学するにあたり本来であれば辺境伯家が有するタウンハウスで生活するレスティアーナを、花嫁修業として公爵家に引っ張ってきた人である。
「母上。普通、そこは婚約者同士で行け、と俺にチケットを譲るべきでは?」
「嫌よ。だってこの公演はわたくしも楽しみにしていたのだもの」
「なら、他の夫人を誘えばいいでは無いですか」
「嫌。ティーナちゃんとお出かけしたいの!」
「まあまあ。ジェイ、私も興味はあるからお義母様と行ってくるよ。ジェイとは、ジェイが選んだ劇に行きたいな」
「分かった。手配しておく」
「ありがと」
課題自体は難しいものではないし、そもそも言語学でレスティアーナが苦労することはまずない。ジェライアスもレスティアーナに少しでも近付きたいと努力していたので、課題をしながら雑談をしていたに過ぎない。
折角の休日だが、夕方からの観劇に合わせて準備ともなればこれから始めるしかない。本来ならばもっと早くに連絡があってしかるべきなのだが、ジェライアスがそれを阻止する為に外出する可能性もあるので、当日直前に襲撃するのがソラリアのやり方だったし、二人も慣れてしまった。
レスティアーナは原色を基調としたドレスをよく着ている。肌の色や髪色に合わせた結果、淡い色合いはあまり合わないと分かっていたからだ。
公爵家ともなればボックス席があるので、レスティアーナはジェライアスが選んでくれた華やかなオレンジ色のドレスを着る事にした。
これが通常席ならば目立つので大人しい色を選ぶのだろうが、人目のないボックス席ならば、と遊んでみることにした。
胸の下に切り返しがあり、そこからすとんと落ちるデザインはサンデミオ風で、堅苦しいコルセットを着けなくても済むのでレスティアーナは気に入っていた。
着替え終わってソラリアの支度が整うまでの間、ジェライアスは「俺が行きたかった」とぶちぶち文句を言う姿が可愛らしくて、彼の頬に手を伸ばした。
「ジェイ、お義母様が私を誘って外出する意味を分かっているでしょう?」
「……分かっているよ」
「感謝しなきゃね」
一緒に出かけたい気持ちがメインなのだが、それとは別にソラリアは周りに見せつけているのだ。レスティアーナはマルディトラ公爵家に大切にされている。夫人自ら教育を授けている、と。
東西の公爵家は公爵家の名がある為に敬われているが、南北の辺境伯家はどちらも蛮族扱いされているところがある。
シュナウフェンはややその気があるが、レスティアーナは狩りをすることはしないし略奪もしない。ただただ、人との交流を楽しみ商売を愛しているだけだ。
「レスティ、来週は俺と出掛けよう」
「うん。楽しみにしてるね」
踵を浮かせて背伸びをすると、ジェライアスが腰を曲げて顔を近づけるので頬にキスをする。
この触れ合いも最近になって許されるようになったのだ。
劇は大変素晴らしいものであった。流行り廃りはいくらでもあり、時に戦記を主題にしたものから悲恋物、溺愛物などがあるが、昨今は穏やかな中に潜む不穏さ。起きてしまう殺人事件。それを解決する、いわゆるミステリー物が人気であった。
「犯人がまさか叔母の元恋人だなんて」
「演出が見事だったわね。一瞬の暗闇の後に立ち位置が変わっていることに気付かなかったわ」
馬車の中でソラリアと興奮のままに感想を話し合うレスティアーナは、この舞台が実は毎回犯人や動機が変わると聞いて驚いたのだ。トリックや死ぬ人は変わらないけれど、なぜ殺したのかの犯行動機が多彩で連日通う人がいると言うのも納得の理由だった。
偶然ソラリアの知り合いの夫人が五回目の観劇だったということで話を聞いたのだが、殺す手口は同じなのに前回犯人だった人が今回は目撃者で、アリバイも完璧で初めはわからなかったそうだが、毎回変わっていると理解してからは次は誰が犯人なのかが楽しみで仕方ないというのだ。
「登場していた人は多かったですし、もう少し期間もあるからまた行ってみたいです」
「わたくしもよ。ああん、でもジェライアスの邪魔をしたら怒られてしまうわ。次は二人で行ってちょうだい」
手渡されたのは来週分のチケットで、こういう気配りをしてくれるからソラリアの事が大好きなのだとレスティアーナは笑った。




