ひざ
女が道を歩いていると急な痛みを右ひざから感じた。
転んだ覚えはない。
痛めていたわけでもない。
急に痛みを感じたのだ。
その日はズボンを履いていたので、すぐに確認することができない。
痛む膝を我慢しながら何とか歩き続け、駅のトイレに入り膝を確認する。
すると膝に、大きな青痣ができていた。
どこかでぶつけたのかも知れないが、どこでぶつけたのか女にはわからない。
病院に行ったほうがいいのか、と女が考えていると、その青痣が模様のように見えることに女が気づく。
青痣の濃淡で目や口のような模様が確かにできている。
シミュラクラ現象だったかもしれないが、それが人の顔に見えてしまったのだ。
不思議なもので一度そう見えてしまうと、女にはもうそれが人の顔にしか、青痣が人面瘡に思えて仕方がなくなる。
パニックになりながらも、女は一旦家に帰ることにする。
駅のトイレから出て、痛む足を引きずり、バスに乗る。
後から考えれば、だが、この時、先に病院へ行けばよかったのかもしれない。
午前中なこともあり、バスの乗客は少ない。
女はバスの座席に座り一息つく。
すると、どこからともなく話し声、しかも独り言のようなものが聞こえて来る。
ようなもの、と表現したのは、その言葉が女には理解できなかったからだ。
外国語ではなく、恐らく日本語なのだろうが、何を言っているのか発音が非常に悪く、上手く聞き取ることができない。
女は誰が話しているのだろうと周りを見回すが喋っているような人はいない。
そして、気づくのだ。
訳の分からない独り言は自分の膝から聞こえて来ることに。
女は慌てて自分の右ひざを両手で抑える。
鋭い痛みが走る。それと同時にズボンの下で何かが蠢いている感触を手で感じることができた。
女は半泣きになりながら、膝の人面瘡が喋りだしたのだと、そう思えて仕方がなかった。
その後、女はバスを降り、何とか自宅までたどり着き、ズボンを脱ぎ捨てて鏡で右ひざの青痣を見る。
そこには人面瘡…… などありはしない。
あるのは大きくはあるが、ただの青痣だった。
人の顔に見えるようなこともない。
もちろん、痣が蠢いているようなこともない。
後日、病院に行って診てもらうが、打撲によるものだと診断された。
女も気のせいだったと、そう思うことにした。
それからしばらくして、女の性格が、まるで別人のように変わったという噂話だけが流れた。
ひざ【完】




