まっちゃん
その日の夕方、19時前、
「じゃあまたね」
安道が言うと、
「うん! いつでも来ていいからね!」
と、フランス製のスポーツタイプの車に乗る杏奈が、安道を見つめて言う。
「おう!」
と、答えた安道。
杏奈のマンションから、宇治の小倉駅まで車で送ってもらったのだ。
運転席に見える杏奈を、手を振って見送っていると、
「おうおう、女に送ってもらうとは、良い身分だな、おい」
と、背後から声がする。
振り向いた安道が、
「おう! まっちゃん久しぶり! 生きてたか!」
と、軽い調子で言う。
その相手は、黒の高級ドイツ車の後部座席から降りてきて、運転手に向かって、
「その辺のコインパーキングに停めてこい。店は知ってるな?」
と、言った。
「へい。頭」
と、運転席の男が言うと、車をスタートさせて去って行く。
「生きてるに決まってんだろ。俺が死んだニュース流れたか?」
そう言った、まっちゃんと呼ばれた男。
明らかに堅気ではない雰囲気で、目付きが険しい。
黒髪の短髪で、夏場なのに長袖の黒いシャツに、緑色のカーゴパンツ。
どことなく安道の服装に似ている。
「流れちゃいないから、生きてるだろうとは思ってたが、連絡してるのに、返信こねぇからさ」
安道がそう言うと、
「わりぃわりぃ。めちゃくちゃ忙しいんだよ。アイツら俺を取り込もうと必死でよ。親父に楯突いたくせに、劣勢になった途端に、俺に裏切ってこちら側に来いとか、ナンバー2にしてやるとか言いやがる。俺は既にナンバー2だぜ? それをわざわざ手放して、危ない橋渡るもんかよ。馬鹿かよって感じだぜ」
と、まっちゃんが言うと、
「全国に下部組織を持つ、盾菱組の若頭は大変だねぇ」
と、安道が返す。
「ちょっと親父に小突かれたくらいで、腹立てて分裂したバカ野郎は、自分で振り上げた拳の落としどころを探すのに、俺の手を借りてえとか、アホかっての」
「小突かれたって、実際は何されたの?」
「左の小指と薬指詰めさせられただけ」
「何やって詰めさせられた?」
「バカが、若頭補佐の癖に上納金を誤魔化した」
「盾菱の大親分は、金に厳しいねぇ」
「今は不景気で、どこもシノギが悪いからな」
さて、ここまでの会話で分かると思うが、このまっちゃんと呼ばれる男、全国に下部組織を持つ広域暴力団のナンバー2である。
本部は兵庫県にある組織で、この男のシマは京都府南部、つまり京都市を含む京都の南部である。
現在、愛知県にシマを持つナンバー3の男が、本部と揉めて他の組を巻き込んで、分裂騒動の真っ最中であるが、愛知の組側が劣勢である。
「まっちゃんとこは?」
と、安道が聞くと、
「うちは景気良いぞ。デリヘルにハコヘルで儲かってるからな」
「風俗は強いねぇ」
「馬鹿みたいに、株とかやって大損こいちゃ、おまんま食い上げだからな」
とのまっちゃんの言葉に、
「あ、その馬鹿は株で損したのか」
と、安道が聞く。
「大した頭の中身してねえ癖に、仮想通貨とか言うやつと、株だとさ」
「ああ、最近流行りのやつね」
そう言いながら、2人は小倉の飲み屋街を歩く。




