うっかり迷子編
ユーリカ・ベルが去ったあと。
もうすっかり目が覚めてしまった勇者さんは、寝間着のまま部屋を出た。いそいそとベッドメイキングしてくれた山腹のひとには悪いが、二度寝する気にはなれなかった。
午前中は五人姉妹を着せ替えして過ごすとしよう。寝ぼけ眼の姉妹たちを連れて衣装室へ向かう。
勇者「……?」
ややあって、廊下を歩いていた勇者さんはぴたりと立ち止まった。
妙だ。使用人と誰もすれ違わない。まさか、これは……。
ハッとした五女が念波を飛ばした。五人姉妹の末妹、コニタは強力な異能持ちだ。四人の姉は力が分散したため平均をやや上回る程度にとどまったが、彼女たちの力を束ねる役割を持って生まれたコニタは、まれに見るほど強力な受信系の適応者だった。
精密性と射程距離を兼ね備えている。
放たれた念波はコニタの意思を無視してうねり、小鳥の像を結ぶ。一つ目の、すずめ鳥……メトラと呼ばれる異能だ。
気のせいでは済まされない大きな力が動くとき、目に見えるビジョンがなくてはならない。ボディビルダーが磨き抜かれた肉体を誇示するとき、はちきれんばかりに膨張した筋肉が蠕動するように。
小鳥を頭に乗せたコニタが小さな悲鳴を上げた。
五女「力が外に届かないっ、ねじ曲がるっ。アレイシアンさま……!」
勇者さんはまっすぐ伸びる廊下を見つめている。言った。
勇者「……結界」
どういうつもりだ……。すかさず勇者さんは、こきゅーとすにinした。
空間に擬似的な仕切りを設けて迷路を作り出す結界魔法は、妖精属が標準装備している特性の一つだ。
勇者さんの視界の端を、ユーリカさんの白々しい述懐がよぎった。
コアラ『あら、ついてきてしまったのですか? てっきり二度寝すると思っていたのに。お寝坊さん』
意識の端をかすめるように放たれた声には、笑いさざめくような響きがあった。
こきゅーとす上で遣り取りされる言葉は、厳密には文字ではない。加工前の純粋な情報であり、目に届かず耳に届かず、されど見えるし聴こえもする。
人間の身体は他人の心が見える仕組みになっていないから、錯誤により意識の片隅に浮かんだ文字を読んでいるのだと、自分を誤魔化すことになる。
黒い妖精は言った。
コアラ『弱ったわねぇ。……アリア姫、わたしもひまな身ではありません。自力で踏破なさいませ。出不精なあなたには、良い運動になるでしょう』
結界は出口を閉ざす魔法ではない。歩き続ければ、いずれは抜けることができる。
勇者「…………」
勇者さんは無言でいちばん小さなコニタの手をとり、歩き出した。歩きながらでも追求することはできる。
道中を、頼みもしていないのに、鈴の鳴るような声が鮮やかに路端を飾るかのようだ。
コアラ『ああ、もしかしたらすでに試したかもしれませんが、異能で助けを呼ぼうとしても無駄ですよ。わたしたちの結界魔法は、法典を閉ざしている扉の理屈を真似たものですから。あの扉は、完全な魔物を隔離するためのもの。完璧ではありませんが、精神干渉の異能ならば封殺できる筈です』
うかつだったか? 勇者さんは妖精の声を聞き流しながら計算している。ユーリカ・ベルは、おそらく最初から結界にはめるつもりで自分を訪ねたのだろう。目的は何だ……?
コアラ『元より、結界とは異能持ちに対抗するために編み出されたものです。討伐戦争のすべてを知る、バウマフ家の心を読まれては面倒ですからね。……無理に遠ざければ揺り戻しが生じる。先代管理人のツケが、今になって現れたように』
子狸さんのまわりに強力な異能持ちが集まってくるのは、お屋形さまが管理人だった頃に魔物たちが異能持ちを遠ざけたせいだ。
勇者さんは、目についた扉を開いて先に進む。ずっと廊下を歩いていてはダメだ。姉妹たちが不安がっている。
無駄にひろい食堂は、無人だった。現世と隠世の狭間。王都の地下を走る広大な地下空間と似たような理屈が働いている。
しかし完全ではない。精霊たちの誘導魔法と魔物たちの連結魔法は、魔導配列……すなわち魔法の遺伝子が異なる。
あの地下通路は、はるか昔に精霊が掘ったものだ。
ひるむことなく歩き続ける勇者さんの耳元で、黒い影がささやきを落としていく。
コアラ『安全な回り道と険しい近道は、あなたたち人間にとっては別物なのでしょう? けれど、わたしたちにとってはそうではない。目指すところは同じなのですから。その二つをすり替えるのは大した手間ではない』
似ているものは近い。魔物たちがよく口にする、魔法の理屈だ。高度な魔法環境において、となり合った家よりも同じ間取りの家のほうがご近所さんになる。
空間の隔たりが大きな意味を持たないから、銃器を開発するよりも投射魔法を撃つほうが容易い。
優先される順位が違う。法則が異なるというのは、そういうことだ。
今、少女たちは異界に足を踏み入れている。
妖精の里に通じているかもしれない超空間。ここでは人間たちはまれびとでしかない。右も左もわからず、惑うばかりだ。
音はすれども姿は見えず。小さな妖精の声がにじんだ。
コアラ「花の名を持つ子供たち、怖がることはありませんよ。じきに結界の終わりが見えてくるでしょう。その間、少し世間話でもしましょうか」
五人姉妹の名前は、勇者さんが名付けたものだ。彼女たちは亡国の出身であり、勇者さんのお父さんに拾われてアリア家にやって来た。王国で生きていくなら、王国語の響きを名前に持ったほうが余計な軋轢を避けることができる。
一例を挙げると、コニタというのは王国語で「たんぽぽ」を意味する。
コアラさんの声は優しかった。どことなく笹の葉を頬張るパンダさんのようであり、言葉運びや息遣いに勇者さんと重なる部分がある。妖精属の姫という話だったから、それでかもしれない。
コアラ「わたし、忙しいです。うちの里の女王が旅に出てしまっていて……。大変なの。女王がいないから、わたしが代理をすることになっていて……」
一転してコアラさんは愚痴りはじめた。
勇者「…………」
コアラ「わたしの言うこと、聞かない子の多いこと。まず、わたしの次席からして、次期女王の座をめぐるライバルなのよね。その次もライバル。その次も。そのまた次も。ずっと下まで行って、衛兵あたりでようやく従順な子が出てくるの」
妖精属の王位継承権は腕っぷしで決まる。
妖精の姫とか言われるコアラさんは、ベル女王の娘ではなく、ベル族で二番目に強い妖精なのだ。
女王が出奔した里は、存続するにあたって根本的な無理が生じてしまう。
とはいえ、妖精属の女王と武者修行の間には切っても切れない密接なつながりがある。自分よりも強いヤツに会いに行こうとするのは、妖精たちが生まれ持った業のようなものだ。
コアラ「だから、まぁ対策はあるの。それが宝剣のレプリカ。究極の妖精魔法を……わたしは今預かっている。あのズィ・リジルだって一撃で倒せるんだから、本当に反則的よね、聖剣って……」
それなのに、あなたたちのお姫さまと来たら……。
コアラさんの愚痴が延々と続く。勇者さんのライバル、魔軍元帥つの付きは夜な夜な脱走を繰り返しては連れ戻される日々を送っているらしい。闇夜に紛れると保護色なので本当に面倒くさいだの、さいきんパワーストーンの蒐集に熱心だのと、様々だ。
五女「パワーストーン、って何?」
コアラ「さあ。よくわからないわ。ひとことで言うと……どこにでも転がってなさそうな石ころね」
相槌を打ってくれる五人姉妹に気を良くしたコアラさんは、より一層饒舌になって日々の不満を吐き出していく。
言葉の切れ目に割り込んだ勇者さんが、ついに言った。
勇者「あなた、何をしに来たの?」
コアラさんは間髪入れずに言った。
コアラ「教えなーい」
教えてくれなかった。
だが、真実とは常に身近にあるものだ。
そのことを、勇者さんは思い知ることになる。いや、ならないかもしれない。ならないが、いつかきっと……
きっと、いつかは。
きっといつかは一方その頃。
遠い異国の地で、子狸さんは天井から吊り下がっているバナナを見つめていた。
子狸「…………」
試されている。
孤立無援、絶体絶命の状況下、ひとの真価は問われる。
今、子狸さんの孤独な挑戦がはじまろうとしていた。
〜fin〜




