うっかり招待編
勇者さんがハリネズミみたいになっていた頃、子狸さんは自宅の台所でスクワットしていた。
子狸「10、11、12、13、14、16……」
巫女「おい、15。たまに抜けるなぁ……それ終わったら腹筋ね」
エプロンを装着した巫女さんが朝ごはんを作っている。
今日は二人でお留守番だ。
ポンポコ夫妻は早朝に家を発った。何やら怪しいお金の動きがあったらしく、ばうまふベーカリーの定休日を待って夫婦水入らずで用途不明金を追う旅に出た。
留守を預かった巫女さんは、子狸さんが家事を手伝ってくれると言うので、お言葉に甘えて筋トレをして貰っている。
そのすぐ横では、父狸にどれだけ問い詰められようとも知らぬ存ぜぬを繰り返し主張していた王都のひとが妙にそわそわしていた。
子狸「おっ」
巫女「んー? どしたー?」
調理中の巫女さんは熱したフライパンから目を離せない。
子狸さんは「何でもない」と苦笑した。
子狸「気のせいだった」
足元が一瞬光ったあと、頭のてっぺんから魔法陣による転送がはじまってまったく別の光景が見えているのだが、子狸さんはあまり気にしなかった。
何か察することでもあったのか、アナザーが駆けつけてくれたのだ。巫女さんが独りぼっちにならないなら、それでいい。
子狸さんとセットで転送されそうになっている王都のひとが言った。
王都「旅に出ます。探さないで下さい」
巫女「えっ」
巫女さんがパッと振り返ったとき、そこでは子狸さんが行儀良くお座りしていた。
巫女「……ん?」
何か妙だ。巫女さんは眉をひそめた。何かが……。なんだ? 言葉には言い表せない、もやもや感がある。
子狸「めじゅっ」
巫女さんの注意を喚起するように子狸さんが鋭く鳴いた。
巫女「あっ。わわわっ」
目玉焼きが少し焦げてしまった。
巫女「あちゃー。ごめんね、ちょっと失敗した」
目玉焼きをお皿に移し替えながら、巫女さんは決まりが悪そうに目線を揺らした。
人間、誰しも失敗はある。気にするなと子狸さんが鳴いた。
子狸「めっじゅ〜」
*
森の中。
いや、砂漠……森か? よくわからない。砂から木……らしきものが生えている。
見知らぬ土地に召喚された子狸さんは、一瞬で自分が置かれた状況を把握した。
傲然と前足を組み、目の前で呆然としている子供に問い掛ける。
子狸「人間か。おれを喚んだのはお前か?」
世界はひろい。鯉のぼりとよく似た人間が居てもおかしくはない。大陸ではドワーフと呼ばれる民族だ。
子狸さんは武装した少年兵たちに囲まれていた。
少年兵たちは子狸さんの問い掛けを無視して身を寄せ合うと、ひそひそと内緒話をはじめる。
鯉「……狸か?」
鯉「いや……狸じゃない。……いや、狸か? また狸なのか? いや……」
鯉「喋ったぞ……」
鯉「何だあれは?」
鯉「……また狸なのか」
鯉「狸じゃない、と思うが……」
召喚を行った子ドワーフが、ちらりと子狸さんを盗み見た。
鯉「また狸なのか……?」
どうやら子狸さんを召喚する前に何度か失敗していたらしい。
ひそひそと審議を続ける子供たちを、子狸さんは大らかな気持ちで見守っている。
ドワーフと言えば全身をびっしりと覆う黒い鱗が印象的だが、成人していない子供たちは青い。水辺で暮らしていた頃の名残りなのだろう。
ここはドワーフたちが暮らす南砂の国。
国が違えば生態系も異なるから、彼らが言う「狸」は大陸のそれとは似ても似つかない生きものだ。
ただ、狸と呼ばれている以上は生活圏や習性に重なる面もある。
子供たちは審議を終えたようだ。
けっきょく声を掛けてきたのは、召喚を実行した子ドワーフだった。いちるの望みに縋るように小振りな牙を収縮して言った。
鯉「……もしかして、お前は犬なのか?」
子狸「犬、か……」
子狸さんは満更でもさなそうだ。
王都「…………」
王都のひとは砂のお城を作っている。
子狸さんも参加した。トンネルにはこだわりがある。
たっぷり間を置いてから、子狸さんは後ろ足で器用に立ち上がった。
前足を器用に使って砂を払い落とし、不敵に言い放った。
子狸「犬かどうかは……おれの働きぶりを見てから決めても遅くはないんじゃないか?」
子供たちは審議を再開した。
鯉「やっぱり犬じゃない」
鯉「でも、すごい自信だ……」
鯉「……どうする? やり直してみる?」
鯉「やり直しても、また失敗するかも」
鯉「しかし喋るぞ……先生のところに連れて行ったほうがいいんじゃないか?」
鯉「……怒られないかな?」
なかなか答えが出ない。
召喚したかったのは犬だ。狸ではない。
しかし南砂国の未熟な魔法使いにとって、思い通りのものを召喚するのは難しいことだった。
これが国外であれば、大人のドワーフと組むなりしてぐっと難易度が下がるのだが。……国内では単独召喚が可能であるものの、コントロールに難がある。
なんだか森に返されそうな雰囲気に、子狸さんは自己を強烈にアピールする必要性を感じた。このままおめおめと引き下がるわけには行かない。
王都のひとのお腹を前足でさすると、くすぐったそうに身をよじった王都のひとがガンブレードを吐き出した。
ガンブレードを前足にとり、子供たちに声を掛ける。
子狸「相談が終わったら言ってくれ。……身体がなまってはいけないからな」
後半は独りごちるように言って、素振りをはじめる。
足場は悪いが、さして問題にはならない。
はたして子狸さんは幼きドワーフたちのハートを鷲掴みにできるのか。
〜fin〜