うっかり連行編
これまでのあらすじ
ファンクラブなんてなかった。
殿下「ほほほほ……」
勇者「…………」
校庭の片隅。
意中の人に告白して思いが通じたなら生涯寄り添うことができるとか、そんな伝説がありそうな大きな木の下で、この国の第一王女と若き勇者が対峙している。
状況が状況なら、国家を揺るがしかねない組み合わせだ。
殿下さんは上品に微笑んでいる。無言で佇む勇者さんの目の前を行ったり来たりしながら、その鉄面皮に隠された表情を探るようにあらゆる角度から彼女の顔を覗き込んでいる。
長い……
長い旅のすえに、ようやく待ち望んだ再会を果たしたかのようだった。
心の底から信頼できる友人とめぐり会えたとき、人はこうまで悪辣になれるのか。
殿下さんは言った。
殿下「アレイシアンよ。そなた、成長したのぅ」
王族の言葉遣いは独特だ。「そなた」というのは「あなた」もしくは「お前」を意味する二人称である。
殿下さんは、年頃が近く家柄も申し分ない得難い友人の成長を心より歓迎した。
殿下「わらわに嘘をつくとは。以前のそなたでは考えられなかったことじゃ。面白いぞ……もちろんアリア家の血をひくそなたゆえに許すのじゃ……誉めてつかわす」
殿下さんには撫で癖がある。
心の琴線に触れる働きをしたもの、かつ美しい容姿をしたものに対し、小さな子供をそうするように撫でる癖だ。
勇者さんの頭を撫でながら、殿下さんは周囲の警戒に当たっているアテレシアさんに声を掛けた。
殿下「アテレシア。そなたも撫でて良いぞ。そなたの妹は、わらわに勝利の愉悦をもたらしてくれた。他のものではこうはいかぬ。誉めてやるが良いぞ」
アテレシアさんは勇者さんのお姉さんだ。どちらかと言えばマフィアのボスみたいな風貌の父に似ていて、世界の終焉で最後の歌を奏でるラスボスみたいな雰囲気がある。
王族の「提案」は「命令」に等しい。ただし、それは相手が大貴族でなければの話だ。
アテレシアさんは第一王女の提案を却下した。
アリア姉「王女殿下。わたしはあなたの護衛としてここに居ます。アレイシアンの姉として、ではありません」
殿下「む。そなたは真面目じゃのぅ」
殿下さんは拗ねたように口をとがらせた。
王族と大貴族は、子々孫々に至るまで朽ちることない永遠の友情を結んだ間柄だ。主従の関係なれど一方的な怒りをぶつけて良い相手ではないと、幼い頃からしつけられる。だから癇癪を起こす気にはなれなかった。
職務に忠実なアテレシアさんに、直属の近衛兵たちが尊敬の眼差しを向けている。選りすぐりの綺麗どころを揃えた女性騎士隊であるが、彼女たちの関心をさらっているのがアテレシアさんということであれば腹も立たない。むしろ鼻が高い。どうだ、羨ましいだろうという気持ちだ。
武門の棟梁、アリア家に対する絶対的な信頼がある。
極めて強力な退魔性を刃として振るう彼女らは、魔物に対する切り札になりうる。
魔法の恩恵に預かれないという欠点はあれど、優秀な魔法使いをそばに置けば補うことは可能だろう。
一方、剣士の代わりを務めることができる魔法使いはごく限られる。
剣術使いに肉薄を許した魔物は、大半の力を封じられ使い物にならなくなるのだ。
非常に効果的な存在であるが、王国のライバル、帝国と連合国に剣士は居ない。
剣術使いは、優遇されなければ真価を発揮できないからだ。
王国の貴族は出世しようがないから、オイシイところを剣士に譲るという戦法が成り立っている。
それでも、やはり妬みは生じる。とくに際立った戦果を挙げるアリア家は、他の大貴族にとってあまり面白くない存在だ。
その点、優秀すぎる姉と何かと比較されて育った勇者さんへの風当たりは強くない。なんだか放っておくと勝手に坂道を転がり落ちていくダメ貴族みたいな扱いになっていた。
そのダメ貴族が、ニマニマとわざとらしい笑みを顔面に貼り付けた第一王女の言葉責めに晒されている。
殿下「のぅ、アレイシアンや。わらわは、何もそなたを責めているわけではないのじゃ。そなたには、わらわがついておるぞ……このわらわがのぅ……」
勇者さんは、殿下さんの数少ない友人だ。
王族ともなると、友誼を結んでも問題視されない相手はごく限られる。第一に、出世しようがない貴族であること。第二に、政治への影響が懸念される長子ではないこと。第三に、うっかり恋仲に落ちてしまいそうな異性ではないことだ。
勇者さんに注がれる殿下さんの眼差しが、タイヤに掴まってごろごろするパンダさんを見つめるように優しい。
毎度のごとく三時のおやつをスルーされた小さな緑のひとが、もはや抗議することもなくカップラーメンにお湯を注いでいた。
セルフおやつだ。そこには言葉では言い表せない深い悲しみがあった。
一緒に悲しみを乗り越えてくれる子狸さんの不在が悔やまれる。
殿下さんとの接触を避けたのか何なのか、闇に溶け込むように姿を消してしまったのだ。
本気で逃げに回った子狸さんを捕獲するのは、本職の騎士ですら難しい。チームによる組織的な追跡を行わねばならないだろう。
緑のひとは湯気が漏れないようカップラーメンのフタを念入りに閉めて、その上に箸を置いた。マイ割り箸だ。麺類は割り箸で食べるのが緑のひとのこだわり。むろん、ただの割り箸ではない。割り箸の質感を忠実に再現しながらも、洗って再利用できる鬼のひとたち特製の「割りきれない箸」だ。現在、ドワーフの里で特許出願中。一発当てれば一攫千金も夢じゃない。小鬼、小鬼、小鬼マークは安心のしるし。提供、モグラ商会は自然に優しい省エネを推奨している。今、何ができるかじゃない。何をせずに暮らしていくか、ここからはじめよう。もっと気楽に、自然体でエコ参加。子供たちのヒーロー、おれガイガーとの約束だ。
おやつの準備を終えた緑のひとが、後ろ足を折り畳んで猫みたいに座る。
丸まった背中が、何かを雄弁に物語っていた。
じりじりと緑のひとのヘイトを稼いでいる殿下さんに、パンダさん、もとい、勇者さんは屈さなかった。
勇者「殿下。何か……誤解があるようですね」
勇者さんは冷静だ。
憧憬、嫉妬、親愛、畏怖、複雑な感情を抱いている姉が見守る中、これだけは勘弁してほしい三者面談みたいになっている。それでも、彼女は一歩も退かなかった。
生まれながらに目には見えない不思議な力を備える異能持ち。別名を適応者とも言う。また一部の国では、こう呼ばれることもあった。天使憑きと。
異能は魔法の反作用だから、魔物たちを以ってしても駆逐することができない。魔物たちによる干渉が強まれば、同じだけ反作用が生じるからだ。
だから魔物たちは、積極的に適応者を排除しようとはしない。やむを得ず干渉する場合は、揺り戻しを覚悟せねばならなかった。
異能とは、極めて厄介な感染病みたいなものだ。これを除去するためには、宿主の人間たちをどうにかするしかない。
勇者さんも、そのどうにかしなければならない人間の一人だ。
言葉は悪いが、「世界」を支える柱の一つ。法と秩序を司る番人の力を……
今、勇者さんは自らの矜持を守るために振おうと決めた。
どんなものにも
譲れない一線というものはある!
勇者さんは言った。
勇者「殿下。わたしのファンは奥ゆかしい子たちなのです」
勇者、アレイシアン・アジェステ・アリアの一日は、子狸さんの登校をチェックすることからはじまる。
友と呼べるものは学校には居ない。
子狸さんの前足を上げたり下げたりして孤独ではないと錯覚する日々だ。
それでも、彼女は勇者だった。
勇者「わたしに迷惑を掛けまいとしているのです。健気だとは思いませんか?」
ファンクラブとは何かを、勇者さんは問うている。
徒党を組んでいることか? 否。
会員費を支払っていることか? 否。
断じて否である。
もっと大切で、もっと本質的なものがある。
それは、心だ。
いっさいの感情を捨て去った勇者さんには、反論を許さない迫力がある。
殿下さんは気圧された。
殿下「い、いや。しかし、じっさいに……」
勇者「殿下」
勇者さんはぴしゃりと言った。
勇者「せめて彼らがファンであることを許しては頂けませんか?」
殿下「うっ……」
一転して殿下さんが窮地に立たされた、まさにそのときである。
子狸「そこまでだ!」
颯爽と子狸さんが駆けつけた。
学校では危ないからやるなと教えられる空中機動を駆使し、力場から力場へと飛び移る。
ぎゃあぎゃあと女子生徒の悲鳴が校庭に降り注ぐ。勇者さんの腹心の部下、飼育係さんだ。
飼育係「なんなんですか! なんなんですか! バウマフ先輩っ、しまいには本気で訴えますよ!?」
子狸さんにおんぶされている。
空中機動が怖かったらしい。涙目で子狸さんの頭をぽかぽかと叩いている。
校庭に降り立った子狸さんが、くわっと目を見開いた。
子狸「かぁッ!」
踏み出した後ろ足を起点に紫電が走る。
全身を駆けめぐった稲妻が大気に溶け、バチバチと爆ぜるような音がした。
しかしとくに意味はなかったらしい。
背中におぶった飼育係さんを丁重に地面に降ろした。
透き通った眼差しをしている。子狸さんは言った。
子狸「ここに何をしに来たのか? それはわからない……。だが、キミを連れてきた。そこには何か意味がある筈だ。さ……」
全ては思い出の中にある。子狸さんの前足が、飼育係さんの背中を優しく押した。
飼育係「……え?」
しかし肝心の事前説明がなかった。……そう、全ては思い出の中だ。
子狸さんは寂しそうに笑った。
子狸「けっきょく……」
太陽がまぶしい。日の当たるところは自分には似合わない。子狸さんは前足をかざし、クールに去って行った。
子狸「真相は闇の中、か……」
誰も声を掛けることができなかった。
緑のひとがカップラーメンのフタをめくって、中を覗き込んでいる。もう少しだ。
――残された時間は、あまりにも少なかった。
〜fin〜