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しいていうなら(略  作者: たぴ岡New!
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うっかり落馬編

 今日という日は記念すべき一日になるだろう。


実況「――さあ、各馬一斉にスタートしました。注目の魔人グラ・ウルー、やや出遅れたか? 魔王軍幹部にして最強の魔獣と謳われる魔界のダークホース。初出走ながら圧倒的な前人気ですが……トラブルか? 解説のポーラさんどうでしょう」


 そう言ってとなりの席に座る青いのに紙コップを向けたのは、ベテランのアナウンサーだ。

 大きな規模の催しごとになると、こうした伝搬魔法のスペシャリストが会場に招かれる。

 人間の知覚範囲には限界があるから会場全体に声を届けることは難しいが、そこは同業者を等間隔に配置することで補うことができる。


 魔王軍最強の戦士と言われる馬のひとの生態は謎に包まれている。

 となれば、魔物に聞いてみるしかない。

 身体に蝶ネクタイなどつけておめかししている青いのが言った。


庭園「いえ、作戦でしょうね。初出走、初のコースです。まずは様子見といったところでしょう。冷静ですよ」


実況「なるほど。騎手を乗せて走った経験もそうないでしょうから、戸惑いはあるのかもしれません。ポンポコ騎手、こちらも初のレースということですが、大胆な策に出ましたね」


庭園「苦肉の策、と言えなくもありません」


 庭園のひとの声は苦々しい。


 ――時間の勝負になる。

 あえて誤解を恐れずに言えば、バウマフ家の全財産をお馬さんに突っ込んでスッてしまった。良かれと思ってやったことなのだ……。しかし「善意」が常に良い方向に転がるとは限らない。高い授業料を支払った、そういうことだ。

 現在、母狸さんが大切に保管している「がま口」に――お財布には……河原で拾ったきれいな石が詰まっている。パッと見たときはイケる! と思ったものだが……冷静になって考えてみれば誤魔化しきれるかどうかは五分と五分。


 ひとは、常に、試される――。


 今、会場のどこかでは運命の馬券を握りしめた魔物たちが固唾をのんでレースを見守っていることだろう。

 いつ父狸が乗り込んできても不思議ではない……この危機的状況に――

 魔物たちは、最後の切り札である子狸さんを投入することで立ち向かおうとしていた。

 あの父狸は意外と子煩悩なところがあり、子狸さんが絡むと途端に態度が軟化するのだ。


 庭園のひとは言った。


庭園「“圧倒”はできるんです。あの魔人は、今はおとなしくしていますが、戦闘形態に移行すれば時速200とか平気で叩き出しますからね……」


 馬のひとは悪夢の化身だ。人間たちの恐怖を糧に際限なく強くなるという特性を持つ。

 バウマフ家の経済危機に立ち上がった魔王軍最強の戦士が、今――千年の歴史で培った全てをこの競馬場で燃やし尽くそうとしている。


 実況は冷静だ。静かで、淡々としていて、重みがある。良い声をしている。それもまた才能だ。


実況「第一コーナーを抜ける。魔人は集団のやや後方を維持。これは先頭にいつでも追いつけるという余裕の表れか? 慎重に機会を窺っているような不気味さがある。おっと、集団がややバラけたか? 接触があったのかもしれません。大きなチャンス。しかし魔人は動かない。ふらついた馬を気遣っているようにも見えます。馬社会の縮図を見たような思いだ」


庭園「……意外な展開ですね。八百長があったかもしれません」


実況「解説のポーラさん。と言いますと?」


庭園「これは情報戦ですよ。手元の資料によりますと、魔人のオッズは1.1倍。欲をかいたか?……魔王軍は一枚岩ではないんです。もしも裏取引があったとすれば……」


 都市級は強力な魔物だ。まず勝ちは揺るがないと見るのは必然だろう。

 馬のひとに人気が集中しているから、あえて他のお馬さんに賭ける。危険な賭けではあるが……当たればデカい。馬のひとは競馬界の闇に呑まれてしまったのか?


実況「ご覧ください。会場席にそびえるひときわ大きな影。同じく魔王軍幹部、砂漠の蛇の王、ディ・リジル。同僚へと向ける期待は大きい。声援が大気を揺さぶるかのようだ」


庭園「ポーズですね。どうやら黒幕ははっきりしたようです。凄くイイ笑顔ですよ」


実況「レースは中盤に差し掛かりました。すでに大勢は決したか? 魔人は依然として集団の後方をキープ。じりじりと引き離されつつある。会場のあちこちからため息が漏れる。ここからの巻き返しは――いや、動いた。蠢く影が目に焼き付くようだ。魔人グラ・ウルー、かの勇者アリア姫でさえ直接対決は避けたいと言葉を濁した魔王軍最強の戦士」


 あまり知られていないが、馬のひとは実体を持たないタイプの魔物だ。

 人間の目を通して見ると、輪郭が網膜に焼き付いて帯をひくように映る。

 戦闘形態への移行は、まばたきをするごとに変じていく。例えるとすれば紙芝居だ。


 悪夢の住人だから、まぶたの裏にしか真実は映らない。

 このレースを落とすかもしれないという「恐怖」、妻のへそくりをちょろまかしてきたという「恐怖」、仕事をサボッて真っ昼間から競馬場に出入りしているという「恐怖」――

 心に影を落としたそれらが魔人の輪郭を現世に焼き付ける。


 馬頭の怪人が子狸さんを肩車してコースを駆ける。

 意外と恥ずかしがり屋な一面を持つ1002歳。オフの午後に小洒落た店で紅茶を嗜むのがさいきんの楽しみ。


実況「速い、速い。大外を一気、大外を一気。ごぼう抜きだ。魔王軍幹部のグラ・ウルー。今は競走馬のアルバイト。時給は出来高、優勝賞金に目がくらんだか? ポンポコ騎手との連携もばっちりだ。速い、速い。先頭に躍り出る。おっと、ここで同僚のディ・リジルが乱入した。石死の魔眼で知られる砂漠の蛇の王。裏切りは許さない。魔王軍で一、二を争うこのふたり。紫電が走る、降り注ぐ。かつて共和国を一夜で瓦礫の山と化した秘術、他視点魔法による超高等魔法だ。しかしここで――黒い妖精だ。観客席の別方向から黒い妖精が飛び出した。討伐戦争で一躍名を馳せた可憐なる妖精の姫。憎き魔軍元帥のパートナーながら根強い人気がある。闇夜に濡れたような佇まい、正々堂々とした気質が人気の秘訣か。不正は許さない。ここで強ぉー烈なボディブロー。ディ・リジルの巨体がくの字に曲がる。防御力には定評がある蛇の王ですが……ポーラさん、今のは?」


庭園「……浸透KEIですね。あれは効きますよ。内臓をつままれて、ひねられるような地獄の苦しみです」


実況「ありがとうございます。浸透KEIをまともに受けたディ・リジル。悶絶している、地獄の苦しみだ。立てるか、立てるか? 1、2、カウントが進む。5、6……目にはまだ光がある。今、ファイティングポーズを、いや崩れた。立てない。ここでゴング。壮絶な幕切れだ。振り切った魔人が第四コーナーを曲がる。やや膨らんだが後続を大きく引き離している。ここから更に加速する。コースレコード更新は確定か? ラストスパートだ。ポンポコ騎手が鞭を振り上げ――いや掴まれた。睨み合っている、睨み合っている。叩かれる覚えはないと言いたげな魔人の表情」


 追い抜いていくお馬さんたちを尻目に――

 魔王軍最強の戦士と子狸さんがついに対峙した。


 討伐戦争では叶わなかった夢のカードだ。


 馬のひとがぐいっと前足をひねると、子狸さんはたまらず鞭を取り落とした。


子狸「ぐあっ……!」


 子狸さんの表情が苦痛にゆがむ。

 なんて力だ。これが最強の魔獣……魔人グラ・ウルー……!

 ――しかし負けられない。どんなものにも譲ってはならない一線というものはある。


 馬のひとは、もっとも王種に近いとされる存在だ。

 その身に宿る膨大な魔力が、子狸さんの魔性を呼び覚ます。


子狸「るぅぁああああっ!」


 馬のひとが瞠目した。

 凄まじい力だ。貧弱な子狸のいったいどこにこんな力が?

 地盤を削り、押し込まれた馬のひとが苦痛に身をよじった。


馬「このおれを圧倒するだと……!」


 イケる! 子狸さんの瞳に希望が灯った。自分の力が通用している。魔王軍最強の戦士に噂ほどの力はない。

 

馬「なぁんちゃって」


 だが、もちろんそんなことはなかった。演技だ。

 馬のひとの姿が霧のように掻き消え、勢い余った子狸さんが転倒した。

 あっさりと背後に回った馬のひとが、子狸さんのしっぽに頬を寄せる。


馬「ふさふさだ」


 手加減していたとはいえ、魔人と拮抗するほどの膂力は有機生物の域を越えていた。

 越えてはならない一線を、子狸さんはとうに踏み越えていた。


 肩で息をしている子狸さんに、馬のひとは親しげに微笑みかけた。


馬「聞いたぞ。あの古狸を退けたらしいな。素晴らしい力だ。魔王の血だ……」


子狸「言うなっ!」


 振り下ろした前足が地面を大きく陥没させた。

 馬のひとから目を離したつもりはなかった。それなのにこの魔人は悠々と子狸さんの視界を横切った。通り抜けざま、耳元に囁きを落としていく。


馬「意地を張っても仕方ないだろう。それは」


 ちらりと陥没した地面に目線を落として続ける。


馬「どう見てもヒトの分を越えた力だ。魔法が積極的に手を貸している……わかるか? お前の体内に魔法が生じているんだ」


子狸「っ……!」


 掴み掛かってきた子狸さんを、馬のひとは今度は避けなかった。

 あっさりと組み伏せられ、子狸さんはきょとんとしている。

 何が起こったのかとっさに理解できないほどの力の差があった。


馬「だが、まだ足りない。お前の中でしつこく生き延びている退魔性が、お前の足を引っ張っているんだ。だから“常識”に縛られる。そんなものは捨ててしまえ」


 それは、未練だ。

 馬のひとは子狸さんを片腕で持ち上げると、転ばないよう丁寧に立たせてあげた。


子狸「このっ……!」


 すかさず殴り掛かってくる子狸さんの前足を、片手であっさりと受け止める。


馬「何が足りないのか?……憎しみだよ。ずっと教えてきたことだ。魔王は人間たちの憎悪から生まれる」


 そう言って馬のひとは子狸さんの身体を吊り上げると、羽虫でも払うように軽く放り投げた。

 地面と水平に飛んで行った子狸さんが、観客席とコースを仕切る壁に衝突して止まった。

 壁にめり込んで、なお意識を保っている強靭さは、以前の子狸さんにはなかったものだ。

 それでも一瞬、意識が遠のいた。ぐっと歯を噛みしめて顔を上げた子狸さんに、いつの間にか眼前に立っていた魔人の手が迫る。


 子狸さんの顔面を鷲掴みにして引きずり出した馬のひとが、夢の終わりを告げるように言った。


馬「愛だの――勇気だの――そういった感情は“薄い”んだ。薄っぺらなんだよ。わかるだろう? そんなものは、けっきょく自分を押し殺して他人に合わせているだけだ」


子狸「そんな、ことは……」


馬「そんなことはないとお前は言うだろう。しかし……」


 馬のひとは子狸さんの反論を制して言った。


馬「事実だ。認めろ。憎しみに勝る感情はない。人間どもの歴史がそれを証明している。……だが、別の考え方もあるようだ」


 破り捨てられた馬券が、花吹雪のようにコースを舞っている。

 大きめの紙片が馬のひとの視線を遮った一瞬を子狸さんは見逃さなかった。

 最後の力を振りしぼって突き込まれた前足は、馬のひとの意表を突くことに成功した。

 それなのに、ふらつかせることもできなかった。


 絶望的なまでの力の差があった。

 子狸さんにとっての渾身の一撃が、馬のひとにとっては児戯に等しい。

 側頭部を叩いた前足を、馬のひとは意に介していない。言った。


馬「あの忌々しい竜人どもに言わせてみれば、愛と憎しみは区別がつかないらしい。面白いとは思わないか?」


 西湖の国に暮らす竜人族は、他者を苗床に繁殖する生態をしている。

 つまり彼らにとっての「恋人」とは「敵」であり、敵対し打ち倒すことが求愛行動なのだ。

 だから竜人族にとって、ひんぱんに戦争を繰り返す他国の人間たちは、ところ構わず求愛行動に及ぶ破廉恥な存在だった。


 動物ならともかく、理性を持った人間があのような……。

 昂ってしまうではないか……などと。

 それが文化の違いから来るものだと理解はしていても、他国では修行僧のような禁欲を心掛けねばならないことは確かだ。


 そんな彼らからしてみると、人間たちの憎しみという感情は理解しがたいものであるらしい。

 とくに復讐についてはまったく意味がわからないと強調していた。

 いや、もう、なんだかとにかく破廉恥であるらしい。大興奮して口の先端をしゅっしゅと伸ばす竜人G氏(匿名)に、魔物たちはどうしていいのかわからなかった。


 馬のひとが目を見開いて嗤った。


馬「哀れなことだ! 復讐に燃える人間の心をへし折るのがイイんだよ。追い詰めて、追い詰めて、追い詰めて――やがて、ぽきりとへし折れる。あの音を。もしも再現できたなら、どんなに素晴らしいことだろう……!」


 ふらりと動いた子狸さんの前足が馬のひとの手首を器用に掴んだ。


子狸「…………」


 夜の帳が落ちてくるかのようだ。

 黒く、大きな翼が馬のひとを覆い隠すように包んでいく。


 掴まれた手首が今にも握りつぶされそうだ。

 馬のひとはとても嬉しそうに笑った。


馬「だが、まだだ! まだ足りないッ」


 急げ、急げと煽るように子狸さんを責め立てる。

 魔物たちは焦っている。


 ――残された時間は、あまりにも少なかった。



 ~fin~



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