うっかり飼育編
『子狸乱獲事件』
正直なところ、王立学校はこの春に転入してきた勇者をどう扱って良いものか測りかねている。
もしも他に貴族の生徒が居れば話もだいぶ違ったのだろうが、じっさいに居ないものはどうしようもない。
表向きはどうあれ、大陸の学校は子供たちの「将来は騎士になる」という夢を閉ざさないための場だ。
万年人手不足の騎士団は常に若いパワーを欲している。
その内情が透けて見えたから、自らの子弟を学校に預ける貴族は居なかった。
卒業して戻ってきた跡取りが二言目には「騎士団は国の宝です」とか言うようでは困るのだ。
三大国家に蔓延する義務教育制度は国民に課せられた義務であったが、王国貴族に関してはその義務を真っ向から無視しても許されている。
大貴族に至っては罰する法律が存在しないという有様だ。
まんまと王立学校に侵入した勇者さんは平民たちにちやほやされる妄想をしていたようだが、現実は厳しかった。
さわらぬ神に祟りなし、である。
完全に孤立した勇者さんに近寄ってくるのはクラスで飼っている子狸くらいのもので、授業の合間の休み時間は前足を上げたり下げたりする日々だ。
そんな勇者さんに転機が訪れたのは、学級委員長に立候補した子狸さんが審議のすえに炎のクリスタルの守護獣という大任を預かった数日後。
しいていうなら魔王の子狸さんと勇者さんは顔見知りであっても不思議ではない。そこに担任教師のアイ先生は目をつけた。
アイ先生は新任の教師ということもあり、子供たちに過度の期待を寄せるタイプの先生だ。
生徒たちは全員仲良しで、廊下ですれ違えば笑顔で挨拶をしてくれるような学級を目指している。
それはしょせん理想論でしかなかったが、勇者と魔王が在籍するクラスでも信念を曲げない夢見がちな部分がアイ先生にはあった。
だから彼女は、大貴族の勇者さんをクラスの一員として扱うという暴挙に出た。
首から上と下で大胆な分離を成し遂げてもおかしくない判断であったが、奇跡的にも勇者さんはとくに文句を言わなかった。
かくして勇者さんはクラスの飼育係に就任し、その翌日には飼育係長へと駒を進めた。スピード出世である。
勇者「っ……」
飼育係「係長っ」
飼育係さんは勇者さんの忠実な部下だ。
不意に失速した係長に何事かと声を掛けると、勇者さんは得意の澄まし顔で言った。
勇者「廊下を走るのは良くないわ」
勇者さんには、常人離れした速度で危険域に突入した体力ゲージを校則で補う狡猾さがあった。
足りないものは他で埋める。そうでなくては数々の激戦を切り抜けることはできなかっただろう。
飼育係さんは始業時間を気にしている。
飼育係「ですが」
勇者「緊急時だからこそ冷静に判断しなさい。始業時間はもう過ぎているわ。鐘が鳴らないのは、教師陣にも動きがあったと見るべきね。予想以上に大事になっているのかもしれない……」
もうこれ以上は走りたくない勇者さんは淡々と自己正当化していく。
ころっと騙された飼育係さんは係長に尊敬の眼差しを向けた。
魔王を打ち倒した勇者がちょっと走ったくらいでバテたなど推測できよう筈もない。
しかしいずれは露見する事柄だ。勇者さんは探るように情報を小出しにした。
勇者「それとね、わたしは元々とくべつな訓練を受けた人間ではないから、あまり体力には自信がないの。期待を裏切ってしまうようで申し訳ないけど……」
飼育係「いえ、そんなことは」
自嘲するように目線を伏せた勇者さんに、飼育係さんは慰めの言葉を掛ける。
いつの間にか同情を惹く小芝居を身につけていた。
慎重に飼育係さんの反応を窺っていた勇者さんの瞳が怪しくきらめく。
勇者「朝からたくさん走って疲れたわ」
飼育係「……係長、そんな。百メートルも走ってないのに」
だが必要なことだ。勇者さんは語気を強めた。
勇者「わたしの手を引きなさい」
飼育係「わ、わかりました。わかりましたから」
都市級の魔物に対抗できる人間は勇者しかいない。
だから勇者さんは王都の平和を守るために体力を温存せねばならなかった。
差し出された手を、飼育係さんは仕方なく握る。
幼児が迷子にならないよう手をつないでいるような感じになってしまったが、勇者さんはアリア家の人間だ。
自らの肉体をほとんど完全に支配下に置けるから、幼児とは比べ物にならないほど効率的に手を引いてもらえる。
飼育係さんの手は温かかった。
手をつないだまま二人はトコトコと廊下を歩いていく。
*
現場につくと、そこにはまるで学級崩壊の見本のような光景がひろがっていた。
廊下の壁を背に一致団結した子供たちを、教師たちが取り囲んでいる。アイ先生と教官も包囲網に加わっていた。
どうやら壮絶な追いかけっこのあとらしい。教師陣の幾人かは肩で息をし、苦しげに片ひざを屈しているものまでいる。日頃の運動不足が祟ったようだ。
ここで飛び出して行っても場が混乱するだけかもしれない。
勇者さんが廊下の曲がり角に身をひそめると、飼育係さんもそれに倣った。
男性教諭の一人が血走った目で言う。
教師「さあ、諦めてさっさとそいつを寄越すんだ」
恫喝するような口ぶりに、子供たちは一斉に拒否反応を示した。
とくに子供たちの中心にいる、この集団の中核と思しき児童の瞳には敵意すら浮かんで見える。
児童「やー!」
激しくかぶりを振って何か小さな生きものをぎゅっと抱きしめた。
縞々のしっぽが力なく垂れ下がっている。
子狸「めじゅっ……」
子狸さんだ。
生徒に激しく拒絶されて、男性教諭はよろめくように一歩下がった。傷付いたようだ。案外、内面が脆いらしい。
教師「……先生はな、お前たちのことを思ってだな」
児童「バウマフ先輩はわたしたちのクラスで飼うのー!」
教師「な、何を……。お前たちに飼えるようなら苦労はせんっ」
なんという会話だ。
勇者さんはめまいを覚えた。
児童がしっかりと抱きかかえているのは子狸さんの分身だ。
完全コピーを生み出す座標起点ベースの分身魔法は魔物ならではの秘術だが、著しく退魔性が損傷したバウマフ家の一族ならば特定の条件を満たすことで再現することが可能であった。
子狸さんの余計な部分を削ぎ落とされた子狸アナザーは多くの面でオリジナルを上回る。
先生「か、飼う?」
教官「待て」
ふらふらと前に出ようとするアイ先生を、教官が押しとどめた。
この二人の女性教諭は奇しくも学年をループしたバウマフくんを通じて交流があった。
教官は、後輩に当たる新米教師に伝えねばならないことがあった。
教官「不用意な発言は慎め。まず言っておく。今、バウマフを捕まえている生徒は男子だ」
先生「えっ」
どう見ても女子児童なのに。
どうして女の子の格好を……と、そこまで考えてアイ先生ははっとした。
先生「……双子ですか?」
教官「うむ」
教官は厳かに頷いた。
大陸には、双子の片方を男装もしくは女装させるという文化がある。
伝搬魔法による感染を防ぐためだ。
しかしそれは飽くまでも一卵性双生児に施される処置であり――
教官「非常にデリケートな問題だ。彼には妹がいるのだが」
先生「妹?」
性別が異なるのであれば、それは二卵性双生児ということになる。
大陸の人間たちは、双子が生まれる理屈を解明するには至っていないが、うり二つの容姿をした子供がまれに生まれることは知っている。その場合、性別も同じ二人になる筈だ。
しっ、と教官が唇の前で人差し指を立てた。非常にデリケートな問題であり、本人の耳には入れたくない話題なのだ。
教官「黙って聞け。あの子とあの子の妹は、あまり似ていない。だから本当なら問題ないのだが……」
教官の声は苦々しい。
教官「……そのようなことは、彼らの母親にとってどうでも良かったのだ」
先生「え……?」
アイ先生は呆然とした。
どうでもいいとは?
二卵性双生児が一般的な兄弟と同じであることはわかっている。
それくらいのことは伝搬魔法を研究していく過程で判明している事柄だ。
ならば、女装させることにいったい何の意味があるのだろうか。
教官「子への愛情なのか、それとも趣味なのか。判然としないが……とにかくそういうことだ」
似ていないけど双子だから。
そうした理由でお兄ちゃんは女装を強要されている。
学校側としても家庭訪問を実施したのだが、では何かあったら責任を取れるのかと言われれば口を閉ざすより他なかった。
これもまた人の業なのか。
似たような説明を飼育係さんから聞いた勇者さんがコメントした。
勇者「遣る瀬ないわね……」
女装男子やら男装女子やら子狸さんのまわりは常に倒錯している。
一方、教師陣は子供たちの説得に手こずっているようだ。
児童「バウマフ先輩は、わたしと一緒のほうが幸せだもん! ねー?」
子狸「めっじゅ~」
バウマフ先輩は意外と低学年の子たちに人気がある。
とくに男子児童らには好評で、校内最強の戦士は誰かという議論になると決まってランキング圏内と圏外を行ったり来たりする猛者として有名であった。
同意を求められた子狸さんが鳴いた。
と、そのとき。
子狸「お前は戦ったのか?」
廊下に一陣の風が吹き、のこのこと子狸さんが歩いてきた。
悲しそうな瞳をしている。全てを知り、そして全てを失ってしまったような、そんな瞳だ。
子狸さんは言った……
他でもない自分自身へと言い聞かせるように。
子狸「戦って得たものでなくては……」
意味が、ない。
――そう、かつてペットを飼いたいと言った子狸さんの前に魔物たちが立ちふさがったように。
~fin~