うっかり襲来編
まずいことになった。
アリア家、使用人頭の爺やは表面上は冷静に、しかし内心では焦っていた。
屋敷の広い廊下。
爺やを筆頭にぞろぞろと使用人たちを率いて歩いているのは、アーライト・アジェステ・アリア。勇者さんの実父にして、アリア家の元当主だ。
当主の座を退いたとはいえ、その身にまとった威風には何ら衰えが見られない。元々、引退が早すぎたのだ。たまたま跡継ぎが早熟だっただけで、本当なら日和見を決め込むような年齢ではない。
ぱっと見、マフィアのボスだ。もしも世界征服を企んでいるとか言われても違和感がない……それが勇者さんのお父さん、アリアパパだった。
つかつかと廊下を歩きながら、アリアパパは振り返りもせずに言った。
アリアパパ「アレイシアンはどうしている?」
アレイシアンというのは勇者さんの名前だ。
まさか部屋でごろごろしているとは言えない。では嘘を吐くのか。それこそあり得ない。こういうときはオブラートで包むのだ。
爺やは丁寧な表現でアレイシアン嬢の今日の午後の予定を発表した。
爺や「お部屋でお寛ぎになられております」
それすらどうかと思うのに、事態は爺やの予想を遥かに上回って深刻だった。
アリアパパ「昼だぞ」
アリアパパのツッコミが鉈のように重く鋭い。
しかし爺やはひるまなかった。爺やは使用人たちを教育する立場にあり、アレイシアン嬢の行状を報告するときはこのようにしなさいと伝える側の人間だった。そして可能ならば報告するという事態そのものを避けろとも教えている。
爺や「昨夜は魔法の訓練を熱心になさっておいででしたから。お疲れなのでしょう」
夜遅くまでというキーワードは避けた。途中で飽きてさっさと寝たという悲報を受けていたからだ。
アリアパパ「あれは体力がないからな」
爺や「はい、ご可憐でらっしゃいます」
よどみなく答えながら、爺やは胸中でエマージェンシーを連打していた。
(コニタ、コニタ。返事はどうしましたか? コニタ!)
アリア家の狐は、五人姉妹の全員が異能持ちだ。
とくに末っ子のコニタは強力な異能を持っていて、他者の心を読むことができた。
射程圏内が広く、精度も高い。
有効範囲と実用性が反比例する傾向にある異能持ちにあって、この二つの要素の合算が例外的に高い数値にとどまるものを「強力な異能」と言う。
生まれながらにして強力な異能を備えるコニタは、定期的に念波を放つだけで、その身に降りかかる多くの火の粉を払う必要すらなくなる。
なのに、その手間すら惜しむから余計に面倒くさいことになるのだ。
ひとは、なにゆえ夏休みの宿題を後回しにしてしまうのか。
コールサインを連打する爺やと寝椅子に横たわるコニタのすれ違いには哲学があった。
ふだんなら、アリアパパはわざわざ娘の部屋に出向いたりはしない。
しかしこの日はそうではなかった。
幾つかの動機が重なったのと、少し前から気になっていたことがある。
それは、一つの疑念。
もしかしたら自分は娘に嫌われているのではないか?
一年ほど前に娘を泣かせてしまったアリアパパは、その疑惑を捨てきれずにいた。
冷たく接してきたという自覚はあったが、アリア家の血を引く娘が、たったそれだけの理由で父を煙たがるなどあってはならないことだ。
しかし、どうも……あれは血が薄いらしい。そのことに思い至ったアリアパパは、転がり込んできた厄介事を口実に年頃の娘の部屋に突撃することを決めた。
アリアパパがそうすると決めたなら、いかにアリア家に長く仕える爺やといえども止めることはできない。いや、してはならない。完全に越権行為だ。
爺やはアレイシアン嬢を実の孫のように愛しく思っていたが、それと同じくらいアリアパパに対して誠実でありたかった。
そんな爺やの思いが天に通じたのか、もはや手遅れと言っても差し支えない頃合になってコニタと連絡がついた。
彼女の読心術で他者と思念の遣り取りをすることはできないが、姉たちと共謀することで思考の共有化を図れる。
これがアリア家の狐だ。微妙に優秀で放逐するには惜しい五人の穀潰しだ。
五女『爺や〜……爺や〜……』
爺や『コニタ……! お館さまが』
五女『うん、わかってる。でも間に合わないから、時間稼ぎして〜』
四女『時間稼ぎ、して〜』
三女『して〜』
エコーが効いた。
時間稼ぎだと? 爺やは目を見張った。いったいアレイシアンさまは何を……。
いや、追求は後回しだ。アレイシアン嬢のふだんの暮らしぶりは、とてもアリアパパにはお見せできない。
父娘のため、アリア家のため。爺やの孤独な戦いがはじまる。
細心の注意を払って、いつ切り出すか悩んでいた事柄を思いきって打ち明けるかのように言った。
爺や「お館さま」
アリアパパ「なんだ」
爺や「コニタのことなのですが……」
アリアパパは、とくべつな力を持つ五人姉妹を気に掛けている。
とくべつな力を持つということは、とくべつな役割を果たせるということだからだ。
アリアパパは、心なし歩調をゆるめて爺やとの距離を詰めた。
たったそれだけのことだったが、半秒は稼げた筈だ。
爺やは続ける。時間は稼ぐ、嘘は吐かない。両方やらなくてはならないのが家令のつらいところだ。
爺や「お館さまが仰った通り、能力の向上が見られます。アレイシアンさまのお付きは頻度を減らしたほうが良いかもしれません」
この春から勇者さんは王立学校に通っている。
不特定多数の思念に晒され続けるということが、コニタにとってどれだけの負担になっているのか。それが傍目にはわからない。
判断基準になる前例でもあればいいのだが、ただでさえ希少な異能持ちのこと。過半数の異能が彼女のそれと同程度の水準であるならば、こうまではっきりと「強力な」とは言わない。
アリアパパ「構わん。好きにさせろ」
そう言ってアリアパパは、更に爺やとの距離を詰めた。これで一秒。
アリアパパ「……王立学校には魔王が居る」
子狸さんのことだ。
完全な感情制御を持つアリアパパには魔物たちの十八番、心理操作が効きにくい。
アリアパパ「魔王が居るならば、魔物どもとて居るだろう。俺は、魔王に関しては一定の信を置いても良いと考えている……」
意外にも高評価だ。やったね。
そういえば、と爺やは思い出した。居たな、魔王がと。
心理操作に絡め取られた人間の認識はこんなものである。
覚えてはいる。覚えているが、些事としか思えない。
爺やにとって王立学校に在籍している魔王は、近所の家で飼っている猫に子猫が生まれた、元気な三毛猫だ、程度の価値しかない。
そういえば里親を探していると言っていたな、どうなったろうか、という風情で爺やは言った。
爺や「魔物たちを利用する……と?」
さしずめボディガードの代わりといったところだろうか。
しかしアリアパパは辛辣だった。
アリアパパ「お前は死なない生きものを信用できるのか? 変わっているな」
ひどい言い草である。
誤解のないよう言っておくが、魔物たちには夢と希望がたくさん詰まっている。
例えるとするならば、北京ダックのようにぎゅうぎゅう詰めだ。
かくして爺やは、アリアパパから一秒という貴重な時間をもぎ取ることに成功し……
「ゴル・タク・ロッド・ブラウド・グノー!」
そして徒労に終わった。
扉越しに聴こえた叫び声は、五人姉妹の長女と次女のものである。
ノックもなしに突入しようとしていたアリアパパが、ぴたりと動きを止めた。
腕を下ろし、しばし待つ。
「わたしの聖剣は、罪もないものを傷付けはしない……」
……。
アリアパパ「…………」
爺や「…………」
ひどく唐突に、爺やはフォロー不能であることを悟った。
アリアパパは、扉の前でゆっくりと瞳を閉ざした。
完全な感情制御を持つアリア家の人間は、おのれの感情を支配することで思考の方向性を縛り付けることが可能であった。
それは心理操作と似て……
ふたたび視界を取り戻したとき、アリアパパの心は凪のように穏やかだ。波風を立てるものは何もなく、静かな湖畔に、しんしんと雪が降り積もっている。
救国の英雄として凱旋した娘が何かやらかすたびに、アリアパパはそうやって記憶のアルバムをそっと沈めてきた。
今までずっとそうしてきたから、これからもそうするのだ。
爺やはうまく隠しているつもりだろうが、四六時中監視することなどできよう筈もない。
アリアパパが本気で問い詰めれば、口を割る使用人など数えきれないほど居る。
アリアパパは何も聞かなかったことにした。
アリアパパ「アレイシアン、入るぞ」
爺や「スルー……!?」
爺やは驚愕を通り越して尊敬すらした。
そして、幸いにもその声は勇者さんの耳には届かなかったようだ。
振り返った勇者さんが、澄まし顔で言った。
勇者「お父さま……?」
部屋に乗り込んできたアリアパパに、整列している五人姉妹が深々とお辞儀をした。
彼女たちはアリアパパの前では礼儀正しい。逆らってはいけない相手だと本能的に理解しているようだった。
部屋に不審な点はない。
頭上で串刺しにされた1/1スケールTANUKIぬいぐるみが前衛的なシャンデリアみたいになっているが、無駄に高い天井が勇者さんの矜恃を保ってくれた。
飾り立てる言葉は不要。
アリアパパは単刀直入に言った。
アリアパパ「姫殿下がおいでだ。お前が相手をしろ」
『殿下さん、襲来』
〜fin〜




