うっかり聖別編
寝椅子を六つ並べ、よいしょと横たわる。
お腹の上で手を組み、身体を揺すって枕の位置を調整すると、ちょうど目線の先に大きな屏風が来る。
その屏風には月と星が描かれていて、夜空を見上げているような気分になる。
悪くない、と勇者さんは思った。
真っ昼間から彼女はいったい何をしているのかと言うと、五人姉妹が提唱する究極のお昼寝を検証していた。
横で早くも寝息を立てはじめた彼女たちは寝ることと食べることを至上の命題としており、その研究成果を実証するというから、こうして仕方なく付き合ってあげている。
ようは五人揃って無職なのだが……
しかし、これはなかなかどうしてばかにできないのではないか?
勇者さんはそう思った。
人間の睡眠時間はおよそ八時間。つまり人生の三分の一を寝て過ごすことになる。
快適な眠りを追求するということは、つまり人生を豊かにするということだ。
彼女たちは、そのことを直感的に悟っていたに違いない。ひょっとしたら天才かもしれない……。
そのようなことをつらつらと考えていると、徐々にまばたきが緩慢になってくる。
もう、いいではないか。そんな気がしてきた。このままでは自分までダメになってしまいそうだったから就職を勧めてきたが、そう躍起にならずとも。
ずっと一緒にいても、べつに……
五女「はっ」
不意に五女がぱちりと目を覚ました。
彼女たちはとてもよく似た姉妹で、ちょっとよそでは見掛けないほど美しい容貌をしている。
ふだん彼女たちが狐を模したお面をつけているのは、素顔のほうが目立つからだ。
身を起こした五女がぱちぱちとまばたきをすると、くるりとした大きな目を縁取る長いまつ毛がはたはたと儚げに揺れる。
その様子をぼんやりと眺めながら、勇者さんはゆっくりと瞳を閉ざして……
五女「アレイシアンさまっ、アレイシアンさまっ」
駆け寄ってきた五女に身体を揺すられて、はっと正気を取り戻した。
……危ないところだった。危うく五人姉妹の自堕落な暮らしぶりを全肯定してしまうところだった。
こんなことではいけない。自分がしっかりしなくては。
勇者さんは自らを戒めながら、ごろりと寝返りを打って横向きになってから上体を起こした。
彼女は仰向けになったまま腹筋だけで起き上がれると自惚れるほど愚かではなかった。
なんとなく五女の頬を指先でつつきながら言う。
勇者「怖い夢でも見たの? 仕方のない子ね……。いらっしゃい、一緒に寝たげる」
おいでなさいと寝椅子をぽんぽんと叩く勇者さんに、しかし五女はふるふると首を横に振った。
おや、と勇者さんは思った。もしかして反抗期なのだろうか。
だが、そんなことは許さない。この自分が一緒に寝てあげると言っているのだ。
断る理由などあろう筈がない……。
制御系の異能は母体としての役割を持つ。
劣化しているとはいえ、いや、だからこそ。他者の精神に干渉する権能を獲得した勇者さんの異能は、姉妹たちのそれの完全な上位種だ。
ほんの少しでも、敵うとでも思っているのか……?
勇者さんは寝ぼけまなこで宣告した。
勇者「ほら、つかまえた……。わたしの射程距離……」
勇者さんの瞳が怪しくきらめき……
五女「アレイシアンさまっ、しっかりしてっ」
とうとう幼女に叱られた。
ぱちくりと大きくまばたきをした勇者さんが、次の瞬間には取り澄ました顔をして何事もなかったかのように言った。
勇者「そんなに怒鳴ることないでしょ。どうしたの?」
すると五女は、胸の前でぎゅっと両手をきつく握りしめて悲鳴を上げるように言った。
五女「お館さまが、来るっ」
勇者「ちっ……!」
鋭く舌打ちをした勇者さんが跳ね起きた。
お館さまとは、勇者さんのお父さんのことだ。
勇者さんはお昼寝会場と化している自分の部屋をざっと見渡す。
姉妹たちは末っ子を除き、すやすやと寝入っている。
部屋の真ん中にでんと居座っている屏風の存在感と来たらどうだ? 芸術に目覚めたなどという言い訳が通用する状況ではない。
なんてざまだ……!
もう一度言う。
なんてざまだッ……!
勇者さんは焦燥を露わにした。
勇者「マズイわ……!」
五女「姉さま、姉さま……!」
ぱたぱたと部屋の中を駆け回る五女が、惰眠をむさぼる姉たちを叩いて起こして回る。
間に合うか? 勇者さんは、かつて魔王軍との戦いでそうしたように素早く計算する。いや、間に合うかどうかではない。間に合わせるのだ。
細かく状況を確認している場合ではない。多少のリスクは覚悟の上で勇者さんは叫んだ。
勇者「コニタ!」
コニタとは五女の名前だ。
勇者さんは姉妹の名を呼び分けることで彼女たちの指揮をとる。
危機的状況にあって五女の名前を呼んだなら、それは思考の共有を行えという合図だ。
アリア家の狐は、五女のコニタを軸にすることでそうしたことが可能だった。これは簡単に言うと、異能によるこきゅーとすの再現だ。
このとき、五人姉妹は勇者さんの計画を忠実に実行へと移す勤勉な手足だった。
足並みを揃えた姉妹たちが勇者さんの指揮下、有機的に連携する。
三女、四女、五女が寝椅子と屏風の角度を調整する。
長女と次女が舞を踊るようにくるりと回り、片手を水平に突き出した。
長女&次女「ゴル・タク・ロッド・ブラウド・グノー!」
開放レベル3、範囲殲滅魔法だ!
放射された炎弾が華麗な弧を描いて寝椅子と屏風に着弾する。
事実上、人類最強の手札と言える中規模攻性魔法は、違えようもなく証拠隠滅の任をまっとうした。
だが、まだだ!
ほっとしたのも束の間、勇者さんの目に信じられない光景が飛び込んできた。
ベッドの上に大きなぬいぐるみが転がっている。
魔物たちに押しつけられた1/1スケールTANUKIぬいぐるみだ……!
抱き枕に最適なのだが、処分に困る逸品であった。
あればかりは、さすがに消し飛ばすのは憚れる。呪いの藁人形みたいなことになっても困るし。
(どうする?)
逡巡は一瞬、勇者さんは片手を大きく振ると共に地を蹴った。
勇者の剣、聖剣の別名を光輝剣と言う。
窓から差し込む陽の光が手中で躍り、伸びた剣尖が声高らかに聖歌を唱うかのようだ。
置き去りにされた光の粒子が戦いのときを告げる。それらは瞬時に二対の光翼を形成し、大きく羽ばたいた。
光は、勇者の力になる。
爆発的に加速した勇者さんがぬいぐるみの前足を掴んだ。
勇者「っ!」
宝剣の力を全開にした勇者さんの身体能力は、もはや人類の域にはない。
慣性を無視して旋回するや、ぬいぐるみを天井すれすれまで投げ飛ばした。
高く舞い上がったぬいぐるみを見据える眼差しは激戦の魔都を駆け抜けた戦士のそれだ。
一挙動で宝剣を握りつぶし、荒れ狂う感情の赴くまま片手を突き上げた。
甲高い音を立てて精霊の輪が駆け上がる。少女の輪郭を彩る波形が、四散した光の粒子を起点に剣の像を結んだ。
乱れ飛んだ光剣がぬいぐるみの全身を貫き天井に縫い止めた。
一部始終を目撃した山腹のひとが悲痛な叫び声を上げた。
山腹「ぽ、ポンポコさーん!」
しかし勇者さんは悲観していなかった。山腹のひとの横を通り過ぎざま、クールに言った。
勇者「わたしの聖剣は、罪もないものを傷付けはしない……」
高速で振動する光剣群は、1/1スケールTANUKIぬいぐるみを優しく包み込んでいた。
宝剣の刃は、聖別の刃だ。勇者の意思に従って斬るものを選ぶ。たとえ貫いているように見えても、勇者さんがそう願ったなら傷付けないこともできるということだ。
くすりと微笑んだ勇者さんに、山腹のひとの身体が感動に打ちふるえた。
山腹「おお……勇者よ……」
姉妹たちのもとに歩み寄っていく勇者を、柔らかな春の日差しが祝福しているかのようであった……。
〜fin〜