違和感
その家に引っ越してしばらくすると、違和感を感じるようになった。
朝出て行った時と帰宅した時、同じはずなのに何か違う。間違い探しをしているような、なんとなく気持ち悪い感覚があった。
引っ越した翌日、学校から帰宅して自分の部屋に戻った俺は、ドアを開けると何か違和感を感じて立ち止まった。
あれ?
今朝、閉めたはずのカーテンが開いている。母が開けたのだろうか? 換気でもしたのかな。
それが一番最初に感じた違和感である。
中学を卒業したタイミングで引っ越したこの家は、移住を決めた時に一から建てた家である。この土地にしたのは、父いわく立地の良さだ。
高校もコンビニも自転車で行ける範囲である。駅からは遠いが、車で移動する事が主なのでそこは重要視していない。
都心からも新幹線で、一時間程度である。
坂の下にあり、そばに川が流れている。そのせいか土地が安かったらしい。増水して氾濫でもしたら怖いが、家を買った地元の業者によると。ここは何百年もそんな災害はないらしい。
退職金を貰わず、移住の為に転職した父だ。節約も兼ねているのだろう。
それにここは、周りが田んぼと畑ばかりで家がない。一番近い家まで四百メートルは離れていて、気兼ねなくいられる。
しかし、逆に考えれば周りに人がいない。何かあっても、すぐに助けを呼べないという事だ。
◇
「野呂君、上がっていいよ」
店長が俺に声をかける。
「お先に失礼します」
コンビニの時計は夜九時を指している。
「風強っ!」
俺は自転車を漕いで家路まで急ぐ。四月の夜はまだ肌寒い。
下り坂を颯爽と下っていき、交差点から家は数百メートル先に見える。
密集する住宅街からポツンと一軒だけ離れて建っている姿は、何だか取り残されているみたいで寒々しい。
「ただいま〜」
「お帰り。ご飯用意するね」
母がソファから立ち上がる。
「父さんは?」
「今日は遅いみたい。忙しいのね」
父は、移住するにあたって長年勤めていた会社から転職している。新しい人間関係を築くのも大変だろう。
静かな夜だ。都心のアパートに住んでいた時とは別世界である。
俺はシャワーを浴び終わると、二階の自分の部屋へと向かった。
部屋は六畳の一室に、デスクとベットが置かれている。洋服が少し、床に置いてあるくらいで、綺麗にしている方だと思う。
ベットで横になると、枕の下が一部固い。枕を取ると、そこには赤い口紅があった。
「え?」
思わず声が出る。母の物だとしても、何故こんな所に……
俺はなんとなく部屋を見渡した。眠気が覚めてしまった。口紅を持って階段を降りる。
するとリビングから声が聞こえてきた。父が帰ってきたようだ。
喧嘩している?
「ねぇ、何か私に隠してる事ない?」
母が父へ詰め寄っている。
「何のことだ?」
父はソソファに座って動かない。
「私の部屋にピアスが落ちてたの。ほら、これ」
ティッシュに乗せて、母が父へ見せている。確かに母はピアスを開けていない。
「そんなの知らな……」
父はそのピアスを見て、顔色を変えた。
「これは、何でここに、今更……」
ぶつぶつ何か話しているが、よく聞こえない。
「あなた、誰か連れ込んでるんじゃないでしょうね?」
「そんな事するわけないだろ? むしろ健じゃないのか、高校生ならなくもない……」
え? 俺? 彼女もいないのに、誰を連れ込むっていうんだ。
「健だとしたら私の部屋には入らないでしょ! 何よこれ、本当気持ち悪い!」
母はそのピアスをゴミ箱に捨てると、こちらへ歩いてきた。
やべっ!
俺は急いで自分の部屋へ戻った。
なんで俺が気を遣わなきゃいけないんだ。
口紅を返すタイミングを逃し、とりあえずクローゼットの中に置いた。
◇
「お疲れ様でーす」
「野呂君、お疲れ〜」
店長が手を挙げる。
何処でバイトをしようか考えている時、近所のコンビニが一番に思い浮かんだのは、この店長の人柄の良さが理由だろう。
買い物へ来た時の挨拶、他の従業員への接し方。朝はお店の前を必ず掃除している姿にも好感を覚えた。
都内のコンビニとは大違いである。コンビニ=人間味がないと比喩されがちだが、田舎のコンビニはそこで働いている人も知り合いだったりするからか、人間味が強い。
近所の商店がコンビニに変わった感覚である。
「どうした? 元気ないじゃん?」
従業員のこともよく見ている店長である。俺が悩んでいるのもお見通しらしい。
「いや、何だかよく分からない事があって……」
「なに? 聞いてもいいこと?」
「それが昨日……」
俺は口紅のことを話した。家の違和感についても少し。
「それ、お母さんのか聞きずらいね」
「そうなんです。昨日父親と言い合ってたし、母のじゃなかったら、また喧嘩になるし」
「逆にお父さんに聞いてみるのは?」
「父にですか」
父が母の口紅について知っているとは思えないが……
「野呂君の家って、あの交差点の横の所だっけ?」
「そうです」
住んでいる家までバレているとは、驚きである。さすが田舎と言うべきか。
「あそこ遮る物ないし、景色良さそうだよね」
「確かに景色いいですね。移住する時に、景色も決め手になったって父が言ってました」
「そうなんだあ、あ! 九時だね。もういいよ、今日暇そうだから」
時計を見ると九時を少し過ぎたくらいだ。夕方のピークは終えているし、確かに今日はこのまま落ち着いていそうだ。
「ありがとうございます。お先に失礼します!」
俺は私服に着替えると、自転車に跨った。
街灯が等間隔に並んでいる。外は暗く、今日は曇っていて月も見えない。
「腹減った〜」
コンビニから自宅までは、自転車で十分だ。途中で小さな祠を通る。その祠付近は木が生い茂っていて、より一層暗い。
何を祀っているのか知らないが、夜見ると不気味である。俺はあまり視線をそちらに向けないように意識する。
祠を通り過ぎ、坂を下っていく。街灯の下に人影が見えた気がした。交差点で赤になり、自転車を停める。
コツコツ…
背後に足音が近づいてくる。そっと後ろを伺うと、女が見えた。ワンピースを着ており、髪は腰まで伸びた黒髪だ。
こんな時間に人が?
ここは周りが田んぼや畑である。夜になると人気はなく、むしろ人がいるのが異質である。狸や狐がいる方が不自然ではない。
突然、自転車の後ろが重くなった。
「え?」
振り向くと、女が手で自転車を押さえている。長い髪は風で揺れて顔がよく見えないが、口元が大きく弧を描いているのが分かった。赤い口紅だ。
笑っている?
「あの! 離してください」
俺は勇気を振り絞って、女に反抗する。
「あはははははは」
女は急にけたたましく笑い出した。
俺は全身に鳥肌が立った。
ただ笑っただけ、それだけなのに。
信号がやっと青になった。俺は思い切り自転車を漕いだ。逃げなければ。
女が手を離した。
「あはははははは」




