第十六話
期末テストと検定が終わりました。
これからは投稿ペースを戻していきます。
草が散る。
土が舞う。
落ちてくる葉っぱまでもが二つに斬られる。
攻撃一つ一つが、木々を薙ぎ倒せるような破壊力を有しているのだろう。
成程、僕があの時感じた「嫌な予感」はこれに関するもので間違い無いらしい。
確かにこの破壊力と俊敏さならば、死を感じ取るのも必然と言えよう。
受け流し、受け止め、必要最低限の動きで抑える。
緩慢な動きだ。普段の僕が見たら、見ていられないと顔を両手で深く大きく覆い、恥だとばかりに目を背けるだろう。
それでもこの肉体ではその動きには耐えられない。
段々と動く箇所が狭まっていく。
それでも少しでも長く動くためには、ゆったりと、惨めったらしく動き、回避に徹するしかない。
「おいおいーィ!お前、本当にその腕輪通じるのかよーォ?!はえーじゃねぇかよ!!」
「貴方とは体の出来から違うんですよぉ!」
「魔族と人じゃあなーァ!とはいえ人間の中では速いってだけだ!俺の方が速いーィ!!」
耳の裏でふぉん、という音が聞こえた。
避けたとて、こんなにもギリギリの、当たるか当たらないかの瀬戸際になってしまう。
「ははん。」
トテップさんがせせら笑うのを感じた。
不利なのは分かっている。
刀はまずリーチが違う。
僕が使うのは針とナイフ。
刀や剣はそもそも間合いが違うが、あれは特に異常だ。
奇妙な形だが、それ以上に大きい。
重たいであろう巨大なあれを振り回せる筋力も、その間合いに入り込めるだけのスピードも、僕は持ち合わせていない。
「逃げてばかりかよ、つまらねぇなーァ。どうやって俺を殺すってんだよ?えぇ?どうしちゃうって言うんだよーォ!」
子供のようだな、と嘲る気持ちが無いでもない。
粗暴なのもそうなのだが、あの男、どうやら相手が自分よりも下だと思えば俄然やる気を出すタイプである。
僕を格下と見ている。
実際そうなのだが。
「なぁなぁ!お前、どうして国から離れたんだよーォ?そんなに弱い癖に!守ってもらって、庇護してもらって、囲ってもらって、のんびりだらだらしとけば良いじゃねぇかよーォ!」
「僕はねぇ、どうしても帰りたいんですよぉ。どうしても、どうしても、帰りたくて、帰りたくて、会いたくて堪らない、今すぐにでも会って、そのままの勢いで殺してしまいたい人がね、いるんですよぅ。その人に会えるのなら、僕はこの身がどうなろうと構わない!そう思える素敵な人がね、いるんですよぅ。僕の歩く道の先に!」
針を投げる。
片手で二本、もう片手で一本。
その内の二本は外れ、一本は脛の辺りに突き刺さる。
「ちっ!変な針だなーァ。」
そう言って針を引き抜く。
針は地面に打ち捨てられ、足で踏んで折られる。
「あー・・・高いのにぃ。」
「そんなこと言ってる暇あるのかよーォ?」
しかし「自己再生」は持ち合わせていないようだ。
痛いだろうに、周囲の肉ごと削ぎ落とされている傷口が治っている気配が無い。
「おらーァ!」
またぶおんと大きな音がする。
「うわっ。」
足から、がくん、と力が抜け、姿勢が大きく崩れ、傾いた体の先には剣がある。
本当に大きな剣だな。
体を捻ると、腕だけが取り残され、取り残された腕の皮膚と肉が裂ける。
折角直した服がまた破れる。
白い、割と綺麗な骨が露出する。
「うわ気持ちわるぅ。」
もう傷口は放っておく。
どうせ次に攻撃が当たろうものなら死ぬだろうという確信を持っている。
「お前よーォ、奇妙な奴だよなーァ!そんなつまんなさそうな顔で生き延びようとしてる奴初めて見たよーォ!!」
そう言って剣を大きく持ち上げ、一旦止まる。
びたり、とそのまま時間が止まったかのような、そんな状況。
「あー・・・いやーァ・・・初めて、ではないかーァ・・・うん・・・そうだなーァ・・・。」
「?」
「いーや!!忘れちった!!おら、次ーィ!!」
そう言ってまた攻撃を始める。
・・・隙を突く必要があるな。
ナイフを投げてみる。
防御の効きにくい足を狙う。
しかしあっさり避けられる。
ナイフは地面に突き刺さる。
投げてみて、思ったよりも速度が出なかった。
前はただ暴れるだけで良かったから反動は後から来た。
今は意識しているから段階的に肉体に負担がかかっている。
意識した途端痛くなる傷口と同じだ。
痛くはないけれど、段々と肉体が限界に近付いているであろうことはよく分かる。
今は少しでも長く時間を作らないといけない。
だから、こんな無様な戦いに身を投じているのだ。
烟るような己への激情の気配を気力だけで抑えながら、ちらと柵の向こう側を見る。
向こうまで斬撃は届いていない。
柵に着弾する、その斬撃が切り裂いた空気までもが、柵の何かに打ち消されている。
あれを用いれば、確かに封鎖し続けるのは可能かもしれない。
「・・・切った空気が刃みたいになって、それに斬られてもアウトとは、中々どうして現実離れしてきましたねぇ。」
横に避ける。
「おいお前本気で勝算あるのかよ!?いつもよりも全然遅いじゃねぇか!!」
「気配読むの忘れてた人は黙っててくださーぁい。」
「それは・・・しょうがないだろ!死ねー!」
「今この状況見えてますぅ!?」
上半身、胸の辺りに歪な刀身が迫る。
また屈んで避ける。
たまに気が向いたら攻撃をする。
それの繰り返しだ。
ふと気が付けば、ぐっと距離を詰められる。
僕は慌てたように身を引く。
何度も何度も同じ方法で時間を貪り続けた。
特段何か、この状況を引っ繰り返せるような何かが思い付いた訳ではない。
ぼんやりとした霞の向こう側、白んだ視界の向こう岸に何かありそうで、それが思考に行く領域、その手前、感覚としてなんとなくありそうだな、と思えるかしら、そういう類の、実態の無い確信がある程度である。
それだけでも充分なのだと、僕は知っているのだ。
「お前みたいな奴を、一人思い出したぜーェ。その人はなーァ、生き辛そうな人でな、毎日苦悶の表情を浮かべて煩悶しながら、それでも人の上に立つ人でよーォ。俺はその人の為に闘っているんだよーォ。」
「魔王様以外にも意中のお人がぁ?」
「ちっげーよ!その人が魔王様だって言ってるんだよーォ!!俺は魔王様一筋なんだーァ!!!舐めんなーァ!!!」
そう言って地団駄を踏む。
子供か。
しかしそれもすぐに落ち着き、平静を取り戻す。
「だからよ、お前のその瞳、どんよりとしちゃってよーォ?辛気臭ェ、辛気臭ェ、見て取れるぜ。濁ってしまって、見てられねーェ。」
「良いでしょう、どんな目をしていようと。」
「どうせあれだろ?周囲の人間も何もかも、人間が作り出した全てに難癖付けて、頭の中で否定して、それすらも間違っていると自覚して、その汚らしさと矛盾に、苦しんでいる自分を見下しているんだろーォ?分かるぜーェ?俺だからな。」
そう言って片眉をく、と上げる。
この人はどうやら、ただ強いだけではないらしい。
そしてその上に立つ存在も、色々と難儀な人物のようだ。
骨盤辺りを切られる。
立てなくなる可能性を加味して、針を加熱して押し付け、焼いて止血をする。
肉の焼ける匂い、血液の焦げる匂い、それが鼻をつく。
思わず一瞬立ち止まり、その隙にまた傷を作られる。それも止血をする。
「気持ち悪ーィ。」
心底不愉快そうに舌を出す。
僕もそう思う。
針を二、三本投げつける。
真っ直ぐに飛んだ針は皮膚に着弾する手前で弾き落とされる。
またか。
数本程度で歯が立つ相手ではない。
仕方なくもう十本でも投げてみようかと思い構える。
すると、トテップさんが全身をわなわなと、細かく隠微に震わせている。
「?」
流石に少し理解が出来なかった。
何で震えているんだあの人。
避けられているとはいえ、ちまちまと小さな傷は出来ている。
このまま何時間も続けられては僕は死ぬだろう。
その状況下で震えること、あるか?
え、武者震いって現実にあるの?
虫を叩き潰すことに闘気を勇ましく燃え滾らせる奴、いるの?
彼は手元の武器を乱暴に、先程よりも随分大袈裟に振るっている。
そして、囁くような声で何かを呟き続けている。
「何だよーォ・・・何だよそれーェ・・・。」
「あのー、攻撃しながら震えるって、物凄い器用ですけどぉ、そろそろはっきり発音してくれますぅー?」
「何だよこれーェ!!全っ然強くねーじゃねーェかよーォ!!結局転移者は「技能」に「恩恵」頼りかよーォ!!!」
そう言って地団駄踏み始める。
地面が荒々しくひしゃげ、凹んでいく。
さっきまで談笑に興じようとしていたとは思えない。
「・・・先生。彼は、その・・・繊細なのでは?」
「君がフォローに回るような痴態を晒している判定ですかぁ。言っときますけど彼、ああしながら僕の攻撃をバシバシ弾いてますからねぇ?」
「知っています。」
「なお酷い。」
針を投げても、切りつけても少しも当たらない。
近接戦は分が悪いとは思ったけれど、本格的に敵の狼狽を引かなければ、これは傷の一つも付けられない気がする。
随分呼吸を荒くなってきた。
肺が激しく動いて、縮小と拡大を繰り返し、血液を溜め込み、その上澄みで酸素が巡っている。
それでも尚、交渉の一つも選択肢に出てこない。
「否定症候群」とは、あちらの世界でもこちらの世界でも厄介なものだ。
「僕はねぇ、他の転移者と違って特別なんですよぅ。いや違うか、劣っているんですよぉ。何も出来やしない。僕は僕なりに、必死に迎合しようとしているのに、それを一笑に付す奴ばかりで。多分、滑稽なんでしょうねぇ。それくらいに弱い奴だ。だからここで何をしても、多分何の功績にもなりはしませんよ。大人しく諦めて内政でも整えては?」
「そんなん楽しい訳ねーェだろうがーァ!!魔王様がやってるんだぞそんな凄いのは!!俺はな、お前を殺してーェ、魔王様に褒めてもらうんだよーォ!!」
「それは僕ではなくて、ホルへさんを追い詰められるような強者、でしょう。別に僕である必要性無いですよぉ。僕が彼女をあぁ出来たのは、どちらかと言うと偶然が重なっただけですしぃ。」
「強いって聞いたんだよーォ!ホルへを殺したのは俺だぞーォ!じゃあ今殺す!!普通に殺す!そうでなきゃここに拘束されてた意味無いじゃねェかよーォ!」
そう言ってまた武器を構える。
あの面妖な武器は、どうにも不気味というだけでは無いらしい。
単純に考えても、あのよく分からない空気の圧、それが鋭く飛んでくることによるかまいたちのような攻撃。
あれが普通の三倍。
と思うとそら恐ろしい。
暮ちゃんを見る。
彼女は少しだけ離れた場所に移動して僕だけを見ている。
僕は暮ちゃんを守る為にあちら側へは逃げられない。
常にそれを意識して立ち回る必要がある。
例えあの子にダメージが行かなくても、だ。
あの王族少女二人組とは違い、トテップさんの攻撃のどこからどこまでがダメージの判定になるのかも、どういう風に発動するのかも不明瞭なのだから。
万が一の危険は避けるべき。
それはきっと、相手も同じことを考える。
僕は針を投げる。
それも外れる。
手持ちの針が減っていく。
「もう良いかーァ・・・。」
ふと、動き方が変わった。
ゆらり、と、煙が燻るような、ゆったりとした動きに変わった。
「こっちからやろう。」
その剣の先が、鋭い三つの切先が、それぞればらばらと、華奢な少女を真っ直ぐ狙っている。
「っ!暮ちゃん!!」
「やーァっぱ恋人だろーォ!?こっちから切ってーェ、動揺させてーェ、殺す!!それとも何か?」
にぃ、と不気味に、不敵に、いやらしく、酷く醜悪に、力を持って、大それて、勿体ぶって、トテップさんは、口元を歪める。
「お前かこいつ、どっちか選べって言ったら、お前、殺されるのかよーォ?」
それは遠回しな脅迫だった。
僕に死ねと、自害せよと迫っているのだった。
何とまぁ、ずるい人間なのだろう。あ、いや、魔族か。
「そんな闘い方、卑怯ですよぉ?」
「みみっちいこと言うなよ。お前も、そうする癖によーォ。なぁ?」
「しませんよぅ、そんなこと。心外な。僕を人でなしみたいに。」
背後の柵の向こうから、「嘘つけ」という声とそれに値する視線が焼き付くように背中に刺さるが、気のせいだろう。
多分。
何よりそんなことに構っている暇は無いし。
僕は彼を睨みつける。
しかしそんなことには怯まない。
そんなもの、どうだって、あったって無くたって同じなのだろう。
暮ちゃんは逃げてくれない。
何も無いみたいに、それがあるべきと言うように、ただただそこにある、現象か何かのように、依然として、変わりなく、真っ直ぐに指先一つ動かさずに、両足を揃えて人形というよりも妖怪のように、佇んでいる。
「逃げてくれたり?」
「しないですね。」
「何故。」
「先生には分かるまい。」
生意気なことまで吐き捨てられた。
「じっくり話そうぜーェ?お前よ、何で生きてるんだよ。」
「・・・お前なんか死んでしまえというニュアンスですかぁ?その類の罵詈雑言なら、僕は喜んで反論しますよぅ?好きですからぁ。そういう、愚かしいことを平気でのたまう常春野郎。」
「そういう意味じゃ無くってなーァ、ちょーーシンプルに、どうして、何故、生きているのか、理由的な話だよ。WHAT。」
「・・・それはWHYでは。」
「あ?・・・多分そうかもなーァ。」
馬鹿らしい会話だが、それでもトテップさんが纏っている雰囲気は一向に変わらず、ビリビリとした威圧感を取り巻いている。
というか、これ、翻訳どうなっているんだろう・・・。
この世界で英語が伝わることあるのか。というか僕今何語話しているんだ。あっちの言葉が英語に聞こえるって、こっちの世界でのどこの国の言葉を話しているんだ。
・・・そんなことを考えている場合でも無いか。
「別に、どうだって良いでしょう。今から殺そうとする人間がどんな大夢を抱いて生きていようとぉ。」
「お前死ぬ気だろ?」
その言葉は、深く、深く、不快になる程あっさりと、気味が悪く、吐き気がする程単純に、明快な事実を知らしめていた。
それは最も簡単な、伏線にもならないような、最初から分かり切っている事実だった。
故にそれを簡単と思っている目の前の男に、心底嫌気が差し、段々とやる気が失せてくるのが分かった。
まずいな、と思いながらも、目の前の男に対する興味が、何かしら、期待に近く、友情への未来への信頼が、僅かばかりのそれが、薄れて、霧散していくのも読み取れた。
それはきっと、何か、期待というよりも、親近感に近かった。
白杖しよう。認めてやろう。
僕は、目の前のこの、見る限り人格破綻者に近い、しかし最もこの場で常識的な男に、この男から紡がれる「魔王」という人物に、親近感を覚えていたと。
親近感を持ち、もしやするならば、トテップさんと語らうことが出来るとするならば、その時は、何かがどうにかなり、この陰惨な胸中が変わるのでは無いかと、期待していたと。
しかしそれももう無い。
これは落胆になった。
この男が幹部たる所以は、こういう、誰にでもまず一旦質問を浴びせ、無意識下で寄り添おうとする心持ちにあるのだろう。
そこがまた、親近感と期待を奪うのだ。
がっかりとしてしまう。
「そんな自分に、酔ってちゃったりよォ、するんだろーォ?可哀想、可哀想、誰も慰めてくれないからせめて自分だけ、それは自慰行為に等しいぜ。何も生まねえ。生産性がねぇ。それは虚しいだろうさーァ。」
そう言って、また、いつも見ていた、あの、恐るべき壮大な、人間ならば誰しもが持っている表情を、どんな人間だろうと等しく僕に向けてくるであろう、哀れみの表情を向けてきた。
とてもどうでも良くなった。
慣れているから。
後ろの森でがさり、と木々が擦れ、揺れる音がした。
良い方向に、状況が向きつつあると思った。
「・・・暮ちゃんには何もしないで下さいねぇ。」
「正義の味方気取りかよーォ?それとも、恋人だけは守りたい、そんな愚直な精神はあるってかーァ?」
「いえあのね、よく言われますけどねぇ、僕とその子は別に恋人ではないですよぅ。友人、でもないかぁ。うーん・・・これが小説の世界ならヒロイン、いやでも別にそういう感情はお互い無いですしねぇ・・・まぁ、仲間なのでぇ。」
「こねくり回しやがって。素直に好きって言えよなーァ。」
「世の中はそう単純には出来ていないんですよぅ。」
そうだったらどれ程良かったか。
単純に好き嫌いしかなくて、嫌いな人は嫌いと割り切れて、殺したい程殺したい相手はそれで済んで、やりたくないことは理由をつけて止めても良くて、人々は単純で、僕も単純で、何が何であるとか、そんな複雑なことは考えずに、誰かを健全に好きになって、前の世界のことなんて割り切って、こちらで新しく好きな人を作ることが出来れば、親や弟、「先生」のことなんて少しも思い出さずに、新しい人生を満喫出来る一種の図々しさがあれば。
それがあれば。
他の人間のように、物語の主人公のように。
誰かを助けて満足できる精神があれば。
記憶力も無く、一つのことに人生を懸けて執着しない精神性があれば。
もっと生きやすかったのに。
人なんて殺さず、人なんて傷付けず、いちいち遠回りをする必要も無く、普通に色々な人を頼って、もっと楽しく過ごせたのかもしれないのに。
しかしそれも机上の空論で、僕はこの世に生まれ落ちた時からこういう人間で、それ以外なんて考えられず、すぐにこの思考は他の思考の濁流に溶けていく。
こんな弱音が脳裏に焼き付くのは、きっと普段は眠っている間くらいだろう。
当のトテップさんは少しだけ眉尻を下げて、神妙そうに言う。
トテップさんが妙なことを言うものだから、こんなことを考えるのだ。
「そうだよなーァ。もっと単純だったら、魔王様の意図も分かるのになーァ。」
この人も戦争の理由を知らないのだろうか?
ならば、何故こんな戦いが続いているのだ?
そこまで魔王様は信奉されているというのなら、本当に謎ばかりが深まる。
後ろでアロト君とディエスちゃんの話し声が聞こえる。
「そうですかぁー。じゃあ、もう暮ちゃんに刃を向けるの止めて貰っても良いですかぁ?会話、大分付き合ってあげたでしょう?」
「ちっげーよーォ。俺が、お前に、付き合ってやったんだよーォ!!」
そう言うが早いか、トテップさんは走り出した。
いや、飛び出した、という方が正しいだろう。
一回の跳躍だけで暮ちゃんの眼前まで辿り着き、そして、その剣を大きく振るい、それはすぐさま暮ちゃんの体に到達する。
皮膚を裂く、それにコンマ数秒も掛からなかった。
瞬間、暮ちゃんの体に薄い膜のようなものが見えた。
「はぁ!??」
しかしすぐに暮ちゃんの体を剣が通過する。
それが酷くゆっくりと、世界の時間がまるっと根本から変わってしまったかのように遅く見えた。
服に僅かに血液が付着する。
服が切り裂かれる。
ローブも、セーターも、纏めて。
けれども、大量の血液が吹き出すことは無かった。
「ダメージ無効」、今まで僕が守ってきたが故に見せることの無かった真髄。
それは、ダメージが通った瞬間に無かったことになる。
そういう類のものなのだろう。
暮ちゃんの体が、比喩表現という膜一才無しに、傷一つ無いように見えた。
それに微かに狼狽した。
「な、にが、どうなってーェ・・・?」
僕は守った。
身を挺して、暮ちゃんの方向に攻撃がいかないように。
彼女の体を守り続けた。
そんな奴が、守られていた奴が、涼しい顔して人が命を賭して戦っているのを見ている奴が、ダメージの通らない体とは、到底思えない。
それ故の慢心であり、油断であり、傲慢であり、心の揺れ動く僅かな隙でもあった。
トテップさんのことを、誰かが後ろから抱きしめた。
固く、硬く、頑なに。
刹那、慣性が働いたのか、トテップさんは前のめりになる。
「待って下さい、お待ち下さい・・・!」
その声には、まだ聞き覚えがあった。
軽やかな声で、少々しゃがれていた。
少女の声だった。
少女は角が生えていて、その服はだぼだぼと大きく、布地が余り、どこかから盗んできたのだろうかと思われる。
昨日助けたばかりの、奴隷少女だった。
「あァ・・・?お前、誰だよーォ・・・。」
「貴方の、幹部様の国民です・・・!違うのです、その方は違うのです!その二人は違う!魔族だから奴隷になっていた私を、助けてくれた、他の方はそういうものだと受け入れていたものを否定してくれた、崇高な精神のお方なのです!!」
そう、泣き叫ぶような声色で、悲痛な面持ちで、半ばやけくそ気味に言うと、また咳き込んだ。
トテップさんはそれに動揺していた。
彼女は多分、近付きたかったのだ。
しかし近付けなかった。
彼が刃を振り回していたから、人の話を聞けるような状態ではなかったから。
何より先程の音は、奴隷少女が柵の向こう側で接近を試みたのではないだろうか。
そして唯一通れる、アロト君とディエスちゃんのいる扉の場所に移動した。
そこで二人は状況を察して通してくれたのだろう。
無論交渉は必要だったようで、僕がそこに口を挟む訳にもいかない。
その時間稼ぎもあって、それは功を奏した。
それに、暮ちゃんを切っていない状態、僕に話し掛けているあの時に普通に話しかけても、切り捨てられて終わっていたのではないだろうか。
結局どちらも必要だったのだ。
ふと見れば、トテップさんの動きは完全に止まっている。
「・・・おい、放せよーォ。」
「申し訳ありません、放せません。私は、私たちはね、この人を殺してしまっては、今度こそおしまいだと思うんです。おしまい。終わってしまうわ。種族の垣根を越えられる、善悪の区別の付かぬ善行。それが出来る人、きっと世界に三人もいない。それを殺してしまっては、死んでしまうわ。知性や道徳なんて、無くなってしまう。終わりです。本当の。」
そう言うと、トテップさんの腹部を、両手で更に、ぎゅっと抱き締める。
力強い抱擁にも見える。
国民、人に虐げられてきたか弱い一般市民。
戦う力すらない子供。
ふとあの王族少女達が、何をさせようとしていたのかが分かった。
僕に助けさせて、何をしたかったのか。
ここまで読んでいながら、僕のあの愚行を読んでいなかったと?そんな戯言が、この世に一体いくつある?
あの二人は、最初からこの展開を望んでいたのだ。
ここの封鎖を解かせて、帰らせて、奴隷を助けさせ、幹部とぶつけて、幹部を止める。
それだけの為に。
馬鹿らしい。
何たる茶番。
茶番にもならない戯曲。
「私奴隷にされていました。日光の心地すら忘れていました。魔王様への信仰に近い思いと、人間を根絶やしにしてくれる、そして解放してくれる、そんな夢想だけを胸に秘めていました。けれどもそれもまた、下らない現実逃避で、現実で助けてくれたのは彼と彼女でした。どうか、どうか、お助け下さい・・・!貴方様にまだ、少しでも理性と誇りがあるのならば・・・!」
涙ながら、その緩やかに膨らんだ下瞼に涙を溜めながら訴えかける。
あんな、楽しそうに歪な剣を振り回す幹部に近付こうと思うのも、その殺戮を止めようとするのも、相当な勇気を要するだろう。
その勇気すらも、何人かの人でなしが仕組んだものだと知ったら、どんな反応をするのだろう?
トテップさんは、少しだけたじろいで、首の後ろや手首を無意味に触って、剣を下ろした。
「・・・一応聞いておいてやるよーォ、その、シャチョウ?シュチョウ?をよーォ。」
「主張、ですよ。恐らく。」
地面に仰向けに倒れたままだった暮ちゃんが、依然として地面に背中を預けながらそう言う。
あんな目に遭いながらも、その顔色は変わっていなかった。
不気味な人形のようで、人形が話しているようにも映る。
「そうかーァ。言われてみれば、主張だったなーァ。」
そう言って、自分を止めた細い腕をそっと掴み、そっと放させる。
あの異常な、戦闘狂を体現したような姿はもう無い。
いや、正確には、その人間性、魔族性と言い換えた方が良いのだろうか?人格を形成する場所に、未だ深く存在しているようなのだが、それは力を持たない小市民の存在によって息を潜めている。
幹部というのは、高潔なものなのだろう。
自分の邪魔をする市民の叫びを忌憚の無い意見を、咽び泣くような願いを察して、それを自分に落とし込めるのだろう。
少女の頭を二度触れる。
撫でているのだろう。
「お前の主張は分かったしよーォ、俺もそれには賛成だ。魔王様もきっと、この場にいりゃ止めるさ。誇りも、矜持も、それくらい守るべきもので、特にこの、侵略戦争の最中なんざ、矜持だけが争いを肯定する要だ。それさえかなぐり捨てれば、生きていることが許されねーェ。人でないし、ろくでも無い。」
そして、その優しげな雰囲気のまま、剣を構え直した。
「それなら俺はなーァ、人でなしのろくでなしでいーぜーェ。」
ぐるり、と僕の方を鋭く睨む。
初めて、明確な殺意以外の感情を向けられた。
睨まれる、という行為自体が、実の所、意外ではあるが、会って以来初めてのことであった。
「駄目だよなーァ、こいつはーァ。こんな奴、生かしてはおけねぇ。放っておけば、数百人の魔族が、下手すれば幹部どころか魔王様も死ぬ。相互理解は不可能だよ。なーァ?」
「・・・でしょうねぇ。」
僕は両肩を竦めて見せた。
結局、お互いに価値観と心境を、考え方と心情を擦り合わせようとした時間は無駄だったのだ。
彼は質問により僕の人間性を見抜き、僕は観察により彼の精神性を見抜いた。
その結果だ。
互いに武器を強く握る。
奴隷少女が、何かを言おうとした。
その気配に、名残惜しそうにトテップさんが視線を向けた。
今だ、と思った。
僕は駆け出した。
この行動は、恐らく彼も、了承済みだっただろう。
針を片手に持ち、ナイフを片手に持ち。
ナイフは残り一本だった。
これが折れればもう後が無い。
今度こそ死んでしまうだろう。全員だ。全員。きっと体をバラバラにされて、細かくされて、血液と臓物、髄液、あらゆるものをぶちまけて惨めったらしく地面に転がり、潰されて、いとも平然と立ち去っていくだろう。
しかしそんな、ぐらぐらと心臓が揺れるような悍ましい、きっとあらゆる人間を震え上がらせるような大きな心配は、どうにも天地杞憂だったと言わざるを得ない。
このナイフは、深々と、彼の体に、トテップの体内に侵入し、その体内、その肉塊、その臓器、その機能一つ一つを丹念に破壊せしめたのだから。
胸、心臓を穿った。
先の一件、ホルへさんの件で魔族と人間の体内に大した違いが無いのは分かっている。
これで彼は死ぬ。
「自己再生」を持っていないのだから。
ナイフを引き抜いた。
血潮が噴き出た。
服にかかる程で、少々楽しかった。
目を見開き、口元を歪め、その様子は、普通の人間とそう違わなかった。
内側を破る感覚も同じで、なんだ、対して変わらない、つまらない、ただの殺人の一つか、と、心と精神、何かを感じる部分が急速に、ただでさえ温度らしいものを持っていなかったと言うのに、それよりももっと、冷え切り、固まっていくのを知覚した。
「は・・・ーァ・・・?」
何が起こっているのか、理解できていないのか、はたまたそれを咀嚼できていないのか。
口元から、口の端から、少し粘り気を持った液体が流れて行っている。
「お前、そんな、速く、動けて・・・?」
「お互い、苦労しますねぇ・・・助けたり、信じたり、裏切られたり、気を遣ったり・・・。」
全身が悲鳴を上げて、晦渋して、筋繊維が解けて行くのを感じる。
それでも良い。
この状況、危機的状況は脱したのだから。
温存しておいて良かった。
ギリギリを攻めていて良かった。
わざとゆっくり動いていて良かった。
「ふふ・・・まぁ、お互い、のんびりやりましょうよぉ・・・。」
体がぐらつく。
トテップさんも仰向けに倒れる。
その瞬間、彼の口元が一瞬緩み、にやけたように見えたのは、きっと気のせいだろう。
余裕の笑みにも、僕の心に触れることが出来たことによる喜びにも見えたのは、僕の心の陰の反映だろう。
「ひっ・・・。」
奴隷少女が悲鳴を喉の奥で上げて、逃げようと背を向ける。
いや、違う。
あれは。
「アロト君!ディエスちゃん!」
喉の奥からやっとこさ声が出た。
二人が駆け出した。
しかし遅かった。
彼女は地面に刺さっていたナイフを引き抜き、涙を流しながら、その頬を濡らしながら、「ごめんなさい!!」そう、鋭い慟哭を、号哭を喉の奥から獣のように捻り出しながら、その微かに膨らんだ胸と胸の間、心臓よりも少しずれた場所に、真ん中に、突き刺した。
大量に血液が流れる。
「おい!!」
アロト君が一度地面に押し倒し、ナイフを取り上げようとするが、突き飛ばされる。
そうやって動く度にその花の蕾のような唇から血液が噴き出る。
またナイフを握り直す。
何度も刺す。
自分の胸を。
自分の体を。
止められなかった、何も出来なかった、その無常感から。
肉が裂ける音がする。
そして刺す度に、体が少しびくつき、地面から離れ、そして地面に衝突する醜悪な音がする。
その音が鳴る度、刺されているのを感じ取る度、「あぁもう良いか、もう、あれらを気にしなくても、あれらの言葉を真摯に受け止めなくても」、という晴れやかな気分にも似た、無感情、無関心、無感覚、青年と少女に関する事柄に対する興味が移ろい、変質し、消えていく。
僕の中の興味までもが、ゆっくりと死んでいくのがわかった。
暫くして、少女がぐったりと動かなくなった。
死んだ、と思った。
体が拒否するそれを、本能を押し込み、激痛に耐えて死ぬことは、どんな度胸と覚悟が必要なのだろう。
しかしそれを考えるような興味は残っていなかった。
最後に一瞬、少しだけ、思い出したように一度痙攣して。
それで終わった。
僕もまた、地面に倒れ込んだ。
植物が頬を撫でる。
「ちょっと!」
二人が駆け寄ってくるのが見える。
暮ちゃんも起き上がる。
視界すらもぼやけてきた。
「あー・・・。」
あの時よりは酷くない。
あの時、最初に暴れた時、最後に暴れた時より。
いや違う。
破壊し終わった後なのだ。
痙攣すら起こらぬ限界。
もはや体の隅から隅までもが反応も出来ない程壊滅的に絶滅している。
これでは絶命まで、もう数分も無いだろう。
「自己再生」が無ければまともに戦えないのか、僕は。
そんな自己嫌悪に近い感傷が湧いてきて、自分で自分を嘲笑う。
最後は、もう終わっても良いと思った。
どうでも良くなったのだ。
あーもういいやと、面倒臭い、何でこんなことをしているのだろう、と、少しだけ、ほんの少しだけ、刹那に、思ってしまったのだ。
死のうが、生きようが、その後どうなろうが。
ただ、やらねばならないということだけをぼんやりと意識しながら、殺せてもそうでなくても良いと思っただけ。
それが偶然良い方向に転んだだけ。
人生なんて、そんなものだ。人間なんて、そんなものだ。
どんなにやっても奮闘しても懸命にやってもどうせ死ねば無かったことになる。
例えば人に施したことを誰かが覚えていても、その人間が死ねば、皆死ねば無かったことになる。
結局何したって、僕が「彼女」と会えたって会えなかったって同じことなのだ。
そんなどうしようもない虚無感に苛まれて。
苛立って、それすらも空虚になって。
結果、こうして、大して熱烈に勝利を望んだでもない、ただ他人を、何となく、仲間を守りたいな、守れたら良いなとしか思っていないような僕が勝ったのだ。
人道と、道徳を捨てて。
高潔に終わろうとした幹部と、殺戮行為を命をかけて止めてくれた少女を心の中で切り捨てて。
最後まで理解しようと足掻いていたトテップさんと違い、僕は放棄をして、考えるのをやめて、今、無かったことにしようとしてい。
それこそ世の常、憎むべき世相であり、常に僕に付き纏う陰鬱な、陰惨な正体なのである。
「あー・・・三人共、無事です・・・?」
「なんて言ってんのか分かんねぇ!!呂律回ってねぇぞ!!」
「え、本当ですかぁ・・・?自分では発音しているつもりなんですけどぉ・・・。」
「あんた止血・・・はされてるし、どこ手当てすれば良いのよ!!」
そうやって必死に僕の体を、二人は丁寧にまさぐっている。
無理だ。無駄だ。
これは内側の組織が壊滅しているからこその、自壊だからこそのもの。
外からの手当てでどうにかなるものではない。
「先生。」
暮ちゃんがそっと僕の手を握ったのが分かる。
暖かな手だ。
普段よりも僅かに体温が上がっている。
「彼女」は冷たかった。体温的な意味で。
きっとあの時が冬だったからだろう。
雪が降っていた。
吐く息は悉く白く、どこまでも突き刺すような冷気が肺に潜り込み、世界で僕と「彼女」、二人しかいないようだった。
それは楽しかった。
ここではそんな夢想も見られまい。
死ぬのなら、それで良い。
「先生。諦めていらっしゃるお顔ですね。酷い顔です。見ていられない。」
「お前そんなこと言ってる場合かよ!?早く人呼んでくるぞ!!」
「人払いは済んでいるようですし、難しいでしょう。先生。聞いて下さい。貴方が先程、何を思っていたのか私に計り知れるものではないでしょう。今何を考えているのかも分からない。情けない限りです。共に道を歩む仲間だというのに。だからね、先生。私、貴方の視線ばかりを追っている。いつもここではないどこかを見ているのだけは分かるから。今もそう。少しばかり、口惜しいですよ。隣にいるのに、横にはいない。そんな感覚。だから先生、これはその報いと思って下さい。」
「・・・?」
暮ちゃんはその服の内側からナイフを取り出した。
太い、大きな刃渡りのナイフ。
鈍色に、光を受けて、それ自体が光っているかのように日光を反射しているナイフ。
それを両手に構えているように、見える。
「おい、お前何しようと・・・。」
「あ、待って私分かったかも止めなきゃじゃない別の方法考えましょそうしましょ流石に荒療治というか強引な治療法が過ぎるという駄目だったらどうするのよそれ」
「そいっ。」
腕に、嫌な感覚が走った。
刃物が、ずぶずぶと肉を断ち切る感覚があった。
痛みは殆ど無い。
前にも切られたことはあるし、切ったこともある。
「自己再生」がある中で。
「あの、暮ちゃん・・・?」
恐る恐るといった風体で一応問いかけてみる。
今の僕の視力はそこそこ悪いから。
しかし流石に冷や汗が頬を伝う。
そこまでのことをしただろうか。
これ以上体にダメージが入ったら死ぬ気がする。
大いに死ぬ。それは一度この状態を見た暮ちゃんも分かっている筈だ。
「先生。どうか動かないで頂きたく。」
「いやそれは難しいんじゃないでしょうかねぇ・・・?」
そうしてまたナイフが振り上げられる。
ナイフはナイフで、鉈のようには切れない。
特に暮ちゃんのナイフでは。
何度も振り下ろされ、その度に血が噴き出る。
ぶしゃぶしゃと地面が汚れていき、その血液を体の下に感じる。
暮ちゃんがしたいようならもう好きにさせてあげようと思い、なるだけ動かないように心掛ける。
段々と節々の感覚が無くなっていく。
体内の器官が一つずつ泡のように弾けて、液体となって消えていく、そんな感覚を最後に身が削られていくようだ。
意識も朦朧としていく。
その意識の中に、やけにはっきりと、滲む視界の中に、やけにくっきりと、「彼女」によく似た暮ちゃんの姿がある。
「彼女」の声が、僕に何かを囃し立て、せき立てる。
あぁいっそ。
このまま死ぬくらいならば。
君に殺されるのも悪くはないけれど、それでも、やっぱり。
君と死にたいよ。
君と、誰もいないような、遠い世界で、美しい、善も悪も無いような場所で、君を殺して僕も死ぬ。
そうやってこの世から、痕跡一つ残さずに消えたいよ。
あの時、君と出会った時に抱えていた、今でもずっと抱いている自殺衝動、あまりにこの「否定症候群」が重篤過ぎるあまりに許されない自決への誘惑。それは今も、子宮という揺籃から生まれ落ちた時から変わらず根付いている。
心中、素敵な響きだ。どうか君と、二人で、遠くで、想い合ってとまではいかずとも、最期まで君を見ながら死にたいよ。
どうか連れて行ってよ。
隣に置いてよ。
段々と、暮ちゃんと「彼女」が重なっていく。
面影が、輪郭が、ぼんやりと形を失っていく。
「切れた。」
ぽつり、と、軽やかな、安堵を含んだ声が耳に落ちる。
瞬間、全身の機能が、一気に沸き立つように復元されたように感ぜられた。
ぶるり、と体が内側から震える。
感覚が戻ってきて、新鮮な刺激を五感が取り込もうとしている。
緩やかに、殆ど無くなっていた呼吸が一気に正常に戻り、激しく咳き込む。
「これは・・・?」
「うわお前ジジイみたいに声しゃがれてるぜ。洒落てやがる。」
「いや、どうなっているんです?これぇ。」
暮ちゃんは切り落とされた腕を持ち上げる。
その物体となった腕には光っていた腕輪がその禍々しさを失い、ただ当然のように嵌っている
僕の体から切り落とされた、物体。
「腕を切り落としました。腕輪でしたので、そうすれば先生の「自己再生」は復活するかと。」
「あぁ、成程・・・。力技ですねぇ。」
「正直、お前なら真っ先に切ると思ってたよ。」
アロト君は僕の腕を掴んで引っ張る。
僕もふらつきながら立ち上がる。
「まぁ、正直、死にかけているのを押して戦ってましたからねぇ。あそこで腕を落とすとなると、先に死んでしまいそうだな、と危惧してしまいましてぇ・・・。」
「やっぱりあんた、いつもよりもずっと鈍ってたのね。何だかずっと、鈍くて、どうしようも無い、どこにでもいそうな凡夫みたいだったもの。そんなリスクヘッジ出来るような奴でも無かったでしょう。」
「正直、僕もそれは思いましたよぉ。思考がぶれてぶれて・・・あぁ、気持ち悪かった。」
僕は両腕を上に伸ばして、うん、と伸びをする。
とっくに全身は回復している。
やはり「自己再生」は良い。
何でも出来そうな心地になる。
もう、先程までの迷いは消えている。
どうせ全ては僕に関係無い話だ。
今の僕を止められるものなんて消してしまえば済む話。
「・・・ところで暮ちゃん、さっき必要以上に脅かしていたように思えたんですけどぉ。」
「言ったでしょう。報いです。」
ついと僕から視線を逸らす。
怒っている、という程ではないようだけれど、何かしら不満はあるだろう。
当たり前だ。
「とりあえずあんたが無事で良かったけど、大丈夫なのね?本当に。」
「大丈夫ですよぉ。どうやらもう全快みたいですしぃ。一度死にかけてしまえば、蓄積した精神的な疲労も吹き飛ぶというものですよぉ。」
「それこそ最上級にストレスありそうだけどね。」
「僕と君とじゃ精神構造が違う。」
ふふ、と笑ってみる。
脛を蹴られた。
痛かった。
「はーぁ。僕は記憶力が良いだけで、別に頭が良い訳じゃないですもんねぇ。今回はあの王族少女二人に出し抜かれた、いや違うな、利用された形になっちゃったんですねぇ。」
「そうですね。あんなにことが上手く運ぶ訳がないですからね。」
「そう。今回もですよぉ。何だかどうして、何やかんやと上手くいってしまって。警戒しておかなくちゃ。その人、死んでますぅ?」
アロト君が蹴り上げる。
しかしそれでもぴくりとも動かない。
「あぁ。多分死んでるよ。気配察知にも引っかからない。こいつは死んでる。」
「それは良かった。」
僕は止血に使っていた針を引き抜き、学ランを羽織る。
血だらけで酷い有様だけど、それでも羽織っていたい。
特に今は。
ふと、過去が脳裏をよぎる。
中学生をやっていた頃、僕を気遣う人間がいた。
どうやら僕は人気者になれていたようで、特に僕が最も嫌悪する人種に好かれる傾向があったのだけど、そんな僕が無理をしていると感じ、察して、声をかけてきた人物。
しかし僕はどうやら、そんな心配にも、無意識の内に感じている微かな同情と軽蔑を感じ取った。
人の性であった。それはどうしようもない、不可抗力な侮蔑。
それを感じ取って、どうしたのだっけ。
「・・・良いや。」
どうせもう死んでいるだろう。
あの日の大虐殺に巻き込まれて。
街の人間の殆どが死んだあの事件に、巻き込まれて、痛みを感じる隙も無く死んだに決まっている。
そうでなければ有り得ない。
「行きましょうかぁ。他にも魔族が居ないとも限りませんしぃ。まぁ居たとしても殺すから良いんですけどぉ。」
「吹っ切れてない?何か。どうしたのよ?」
「聞くなよ、いつもの情緒不安定だろ。」
「僕普段そんな情緒不安定じゃないですよぉ。」
「そうですね、先生も繊細ですからね。」
「皆して・・・。」
ふと二つの死体を見る。
地面に転がる、無様な、先程までの僕のような格好悪い、血に塗れた肉塊。
これから先、時間が経つ程に、肉に蛆が湧き、骨が露出し、髪の毛は爛れ落ち、すえた、悪臭が漂うだろう。
それでもそれを因果応報と言える精神と図太さを、僕は持ち合わせていない。
あの二人は悪人とは言えなかった。
ただ自分なりの生き方を持っていただけ。
それが僕らと違っただけだし、同じだったのかもしれない。
少なくとも、騙し討ちするべきではなかっただろう。
「・・・何、後悔でもしてるの?」
じんなりとした、湿り気のある視線を向けられる。
珍しい、そんな珍奇なものに向ける前向きなものではな。
きっと僕らは、無意識の内に互いを軽蔑し、侮蔑して、それを連帯感として繋がっていて、仲間としての強固な絆を感じている。
同じ人種だという連帯感。
だからこそ、僕は、今、試されているのだろう。
あのくらいで、今更後悔なんてしないよな?
そういう類の試験。無論、そんなものは無い。
「いいえ。後悔だなんてとんでもない。何も感じてはいませんよぉ。ただ・・・。」
「ただ、何だよ?」
「ただ、魔王軍の人に見付かったら厄介なことになるな、と。」
「まぁ、それはそうね。」
幹部ともなれば、流石に本腰を入れて殺しにくるだろう。
そうなれば魔王に頼んであちらの世界に帰してもらうという作戦も通じなくなるかもしれない。
それは素直に困る。
「そうだ。死体を埋めてしまいましょぉう。失踪という扱いにするのが一番平和的かとぉ。」
「平和的の意味知ってるか?」
「表面的に争いが起こらないことですよねぇ?」
「・・・まぁそうか。」
うん、と頷く。
「では解体しましょう。」
「それこそ平和的じゃなくね・・・?」
「大丈夫です。私達は平和に過ごせます。」
納得している。
そこで納得してはいけない気がする。
「・・・じゃあ今から解体しますぅ?早く移動した方が良い気もしますけどぉ。」
「どっちでも良いわよ。それより、ナイフとか、針とか、大分無くなったんじゃない?大丈夫?」
「それはそうですねぇ。ナイフは買い替えれば済む話ですけど、針ばっかりはどうにもなりません。あっちでも珍しいというか、はい、違法というか、特殊なものだったのでぇ。こっちの世界では期待出来ないでしょうねぇ。」
「大変ねー。」
それぞれが所持しているナイフで肉体を刻み始める。
ぐちゃぐちゃと金属が生きていた生物を、死んだ物体をこれ以上無い程に辱め、貶めるように細かく、尊厳を消し去っていく。
それは、僕が本気で人を殺した後の惨状に似ている。
僕らみたいなのが人を殺すと、本当の意味で殺そうとすると、後に残るのは何かよくわからないものだ。
人間という記号を剥奪され、強奪され、獣に喰い荒らされたように荒々しく、仰々しく、何か、人だったことすらも、死体だという事実も忘れさせ、生物を真の意味で無に、無機物に至らしめる犯行であり凶行。
「病院」の患者の犯行はそんなものばかりで、暴力的で、事件について調べてみればその被害者数は必ず、十件や二十件では足りなかった。
だから、目の前でそれに非常に近い犯行を見られるというのは新鮮な気持ちだった。
「・・・。」
にしたって時間が掛かった。
よくミステリの小説において、人を解体するのに時間がかかるという条件というか、前提を見るが、まさにそうだと思う。
日が暮れる。
小ぶりなナイフでは人の骨を断つのは難しいのだろう。
僕も経験があるが、骨は硬い。肉よりも時間がかかる。
以前、必要があって警察と探偵を欺く必要があり、殺した人間の体を刃物でバラバラにしなければならず、大変に苦労した。
探偵は甘党で、天然で、人形なんか抱えていて、子供っぽく、気まぐれで行動が読めず、しかも大変に鋭く、女刑事さんと共に追い詰めてきた。
女刑事さんもまた別の方向性で鋭く、力が強く、タバコの代わりに、禁煙だと言って棒キャンディを加えていて、酒を片手に勤務をしていた。
あの二人も相当怖かった。怖いというか、もう、なんと言うか、あの殺人が露見して仕舞えば、僕は「病院」に逆戻りする羽目になっていたので、人生が左右される所だった。
だからあの二人のことはよく記憶に残っている。
それは置いておいて、流石にこれでは他の魔王軍の人が来てもおかしくはない。
封鎖に協力していたこの国の人間が戻ってくるのも時間の問題だろう。
「僕もやりますよぉ。」
「良いのですか、悪い気もしますが、先生がそう言うのでしたら致し方ありません。よろしくお願いします。」
「ありがとうそれじゃあよろしくお願いするわよ。いや本当は手伝いたいけどしょうがないわね。」
「一人でやってくれるとはお前も見上げた精神だな。そのお前の崇高な精神に頼ることにするわ。」
「君達・・・。」
良いけど。
僕はまず奴隷少女の腕を掴み、その腕の付け根に手を当てがい、引き千切る。
血液がぼたぼたと靴に飛び散る。
そして更に胴体に手刀を繰り出し、何度も何度も繰り返し、真ん中辺りをぐずぐずに柔くする。
それを千切る。
足も千切り、ぐずぐずにし、また千切る。
そうやって細かくしていく。
刃物さえ使わなければ案外簡単にどうにでもなるものだ。
ぼたぼた、ばたばた、と血潮に塗れた部品が増えていく。
「こんなものですかねぇ。」
「・・・うん、そうね。」
「?どうしたんです。」
僕は手に持っている大腿部を放り投げる。
べちゃりと生々しい音がする。
「とりあえず俺はお前に無為に逆らわないことにしたよ。」
「はぁ・・・そうですかぁ・・・?」
何か怯えているように見えるが気のせいだろうか。
暮ちゃんは無言で散らばった死体を集めている。
「穴を掘りましょうか。それとも埋めますか?」
「燃やしてから埋めましょうよ。そっちのが分かりにくいし。」
「成程ぉ。じゃあ何か火を点ける道具を・・・。」
「あ?そんなの要らないだろ。」
アロト君が前に出る。
「『着火』。」
そう呟くと共に、アロト君の細い、白い掌を、橙色の光が照らす。
「・・・火?」
「炎って言え。これで燃やすんだよ。」
アロト君はその火を死体に放り投げる。
途端、油を含んでいたのだろうか、死体が一気に炎上を起こす。
「君、こんなの使えたんですねぇ。」
「この世界の人間はな、大体は火を起こすくらいなら出来るんだよ。お前と暮くらいだよ、出来ないのは。」
「文明の利器を用いればこの程度は訳ありません。先生、ライターを。」
「持っていませんがぁ?まぁ、針で良ければぁ・・・。これの摩擦を、こう、上手いこと利用して・・・。」
「お前らそれはずるくね?」
というか死体が炎上を続けているが、穴を掘ってからの方が良かったと思うのは僕の考え過ぎだろうか。
まぁ燃やしてしまったものは仕方がない。
「じゃあトテップさんもばらばらにしちゃいますねぇ。ばらしたら埋めましょう。」
手際良く死体を千切っていく。
頭を千切る。
彼が寄り添おうとしてきた記憶を捨てた。
腕を千切る。
彼が振り回していた剣を処分することを思い出した。
足を千切る。
彼の踏み締めていた地面は抉れていて、その強大さを実感した。
胴体を千切る。
この命を奪ったという感慨は無く、何を動揺していたのかという呆れが生まれた。
最後に、千切り落とした頭を潰した。
頭蓋を破壊し、脳髄を擦り潰し、眼球を、鼻を、口を、歯を、壊して、潰して、殺した。
後に残ったのは肉とも呼べないような物体だけだった。
これを僕が作った。または壊した。
これこそが、僕だと思った。
これが僕だ。
骨。
この穢らわしい肉を破って、しらじらと哀れみに洗われ、ヌックと出た、骨の先のような凶暴性。
それは光沢のない、ただいたずらにしらじらと、哀れみを吸収する、誰かに吹かれる、幾分愚かさを反映する。
「・・・酷い骨だこと。笑えますねぇ。中原中也に謝った方が良い。酷い奴だ。」
無性に可笑しく思えてきた。
これを愉快と言わず何と言う。
穴を掘ろうにもスコップもシャベルも無い。
「・・・どうしますぅ?」
「木のうろにでも入れたら?」
「はぁーい。」
そこらの木のうろに、敬意も何も無く突っ込む。
しかしこれでは木も一緒に燃えてしまう。
だから出した。
この無駄な行動が、先程までの僕の全てを表していた。
動揺していた残穢が残っているようで、面白かった。
死体が燃える。
白い煙が上がる。
もわもわと、煙たくなる。
偉大な存在が、ややもすれば普通の人間以下の物体の扱いをされている。
死体に対する最大限の侮辱だ。それこそが「否定症候群」の人間らしい発想なのかもしれない。
燃え殻というか、燃えかすの火が引くのを待って、それをさっさと木のうろに放り込む。
多少の火傷も気にしない。
どうせ「自己再生」で治る。
全ての作業を合わせても一時間足らずで終わった。
「さて、行きましょうかぁ。」
「あー、うん。」
「案外すぐに終わりましたね。」
「そうですねぇ。・・・あ、そうだ。硫黄か何か使おうかな。」
「?何の話ですか?」
「何でも無いですよぉ。こんな状況であれば、使いたい人もいるか、という話です。」
取り敢えずあの二人、僕にとんでもない状況を作ってくれたあの王族二人への復讐の方法をじわじわと頭の中で組み上げながら、歩き始める。
生き残りの枠を得て感じるのは、ざらざらとした虚無感と、通常的な、人に寄り添う余地のある人間への劣等感と、こんな、生き残るのに執着していた訳ではなく、ただ気に入らなかったからという理由で殺したことに対する、殺せたことに対する無常感。
「・・・今日は街に着いたら、何か作りましょうかぁ?ご飯。」
「まずは封鎖されているっていう街の状況を確認でき次第、安全確保じゃないの?」
「人の気遣いをー。」
「お前が人の気遣い、とか、やめておけよ、似合わない、そぐわない。」
「先生のお料理ですか・・・お手伝いしましょうか?」
僕らの足元には血が滲んでいる。
後ろを振り返ればその床には、ベッタリとした赤がこびりつき、僕らの後を追っている。
影は血溜まりによってぐずぐずと赤っぽい色に染まっている。
それを最も誇らしくこき下ろし、愚鈍だ何だと思っているのは僕らで、それはきっと、この世で最も酷いことなのだろう。
それを自覚しているからなお酷い。
罪を罪とも思わないような連中という意味だ。
「先生?」
「いいえぇ。」
一度だけ振り返る。
あの二人を想像することも出来ない。
もう忘れた。
捨てた。
声はおろか、顔すら思い出せない。
そういう風になっている。
さようなら、僕は貴方達を忘れます。
もっと早くに、僕が本格的に本懐を迎える一歩手前、あの冬の日までに会っていたのなら、僕はきっと魔王やトテップさんに心酔し、傾倒していただろうけれど、今はもう違います。
寄り添いは不要だし、同情は寒々しく、共感の言葉も欲していません。
「彼女」さえいれば、それで。
僕はもう、それだけで充分だ。
だから殺して先を生きます。
「おい、ほっぽってくぞ?」
「あ、はぁーい。」
地面を軽く踏む。
森の中には人の歩む音、話し声、動く気配、それだけが残り、煙の残滓が名残惜しそうに空に向かう。
そこに残るものは何も無かった。
先程までの乱闘による轟音は嘘のように消え、静寂の残響だけが静かに響いていた。
「何よ、たらたらじゃない。」
そう言ったディエスちゃんは笑っていた。
ばらばらにしたのは辱めを防ぐ為で、燃やしたのは敗北を覆い隠す為で、それを強行したのは吹っ切れる為で、今、まだそれが、その行為が、正常な作用をしていないのではないか、という深読みの意図を感じた。
「何を言うんですぅ。」
僕はまた後ろを向き、前を向く。
もう二度と、振り返らなかった。




