悲しいことにやっぱりクズだった
正直に言えば、会いたくない相手だった。
驚いたようにわたしの顔を凝視していたが、すぐにその口元に酷薄な笑みが浮かぶ。どこか獲物を見つけたような視線を向けられ、体が震えた。
わたしは防衛本能に従い、謝罪を口にする。
「失礼しました……」
ゆっくりと、本当にゆっくりと扉を閉めた。男の感情を逆なでるつもりはないので、極力音を立てないように扉を動かす。
「おっと」
閉まる直前に足が差し込まれた。革靴が扉の隙間に挟まれるのを見て、慌てて力の限り扉を引っ張りる。がっちりと差し込まれた靴によって扉は閉まらない。
そのうち男の大きな手が扉の隙間に差し込まれた。男の手に焦りながら全体重を乗せて、扉を閉めようと躍起になった。
ぎしぎしと木製の扉が不快な音を立てる。
「今すぐ扉を開けろ!」
怒りの籠った低い声で恫喝され、わたしは青ざめた。
絶対ダメだ。ここを開けてしまったら、良からぬことが起きるに違いない。
それは直感であったが、外れそうもない予感でもある。全身を使って扉の取っ手を引っ張りながら、助けが来ることを祈った。
「命令だ! ここを開けろ!」
「いえいえ。第1王子殿下にお好みでないわたしの顔など見せるなど、恐れ多い!」
とりあえず耳障りの良い言葉を並べ立てた。淑女らしからぬ悲鳴のような声になってしまったのは許してほしい。
心臓がドキドキバクバク煩い。嫌な汗が背中を伝う。
男の人が怒ったところも怖いが、廃嫡されたといえどもつい最近までは傅いていた相手。反射的に従いそうになってしまう。
従ってしまったら、わたしのこれからが終わる。
それだけは避けたかった。
「もう一度言う。開けろ」
低い声。
ヴィクトル殿下とはまた違った怖さがある。
取っ手を力の限り引っ張りながら、ひたすら今の状況が好転することを神に祈った。ここを開ける選択肢はまずありえない。
だが悲しいかな。
わたしはごく一般的な可もなく不可もない伯爵令嬢で。
今は後宮に一室をもらっていても、それもただ単に運が悪いだけ。
秀でた知能があるわけでも、絶対的なカリスマを持っているわけでも、素晴らしい筋肉があるわけでもない。
全力で阻止していたにもかかわらず、扉はあっさりと開いてしまった。
開け放った入り口には怒りの形相で立つ第1王子。素晴らしい美貌を持っているためか、鬼気迫る迫力に腰が抜けそうだ。
彼はわたしに近づいてくると、本当に近い位置で立ち止まった。後ずさるが、逃げることは許されなかった。彼の右手が伸びわたしの顎を捕らえる。無理やり上向かされ、目がばっちりと合った。地味に掴まれた顎が痛い。
「お前、名前は?」
「名乗るほどの者では……」
名乗りたくて口にしたものの、尻つぼみになる。冷ややかな怒りを湛えた瞳は底光りして、口元に笑みが浮かんだ。
「丁度いい。お前、人が来るまで俺に奉仕しろ」
「奉仕……ですか?」
奉仕など言い始めて、疑問符が飛ぶ。
この状況で、何もないのだ。奉仕も何もないだろうがと内心首を傾げる。わたしのしてきた奉仕といえば、孤児院への慰問や差し入れだ。今のこの状況にはそぐわない。何を指しているのか、理解できずに混乱した。
「そうだ。お前、前に俺に纏わりついていた令嬢だろう? 覚えているぞ」
覗き込むようにして顔が近づいてくる。言い逃れは許さないと言われている気がする。それよりも、婚約者候補だったことに気が付かれていたことにひくりと顔が引きつった。
「違います。似ているかもしれませんが、全然違います」
「へえ。俺に隠し事をするつもりか?」
「隠し事など……ほほほほ」
自分でも誤魔化せないと思いつつもしらばっくれる。しらばっくれたのが悪かったのが、目を細めて意地悪く笑った。
「違うのなら、お前は平民なんだな」
「それは……」
平民であると認めるのは非常に悪手だ。元がつこうとも、第一王子が何をしても許されてしまう。平民はそれほど弱い存在だった。
どうしよう。
上手く切り抜けられない。
じんわりと涙が出てきた。どうしてこんな立場にいるのか。やはりさっさと婚約者候補から辞退して、領地に引っ込めばよかった。ここから無事脱出出来たら、今度こそ領地に帰ろう。
「俺は優しいからな。素直に従えば今のことは不問にしてやる」
「……」
もう何と言っていいかわからず、ただただ見返していた。
「何も言い返せないのか? まあ、いい。とりあえず服を脱げ」
「え?」
どうして服を脱ぐことになるのか。
嫌な予感がひしひしとしてきた。ああこういう時の予感はとても当たるのだ。第1王子はゲスな笑みを浮かべた。
「お前の体で俺を慰めろ」
ひえええ!
それって男女のナニをするということですか?!