過去の亡霊
千尋side
紀伊ちゃんとクレープを食べて帰ってきたのに、ちゃっかりと夕飯は食べた。
交代でお風呂に入ることになり、私が先に入って今は紀伊ちゃんが入ってる。
こんな時間に、二人でマンションに居るなんて久し振りだなぁ。
お風呂上がりにミルクコーヒーを飲みながらぼんやりする。
しかし、あの人達は何がしたかったのかなぁ。
クレープ屋で北本先輩達が途中で乱入来たのを思い出す。
そして、やり取りの事を考える。
そう言えば助けてもらったお礼、完璧に忘れてたな。
人としてダメだと思うけど、北本先輩に苦手意識を持ってるから、記憶の底にしまってたんだろうなぁ。
やっぱりこのままじゃダメだよね。
それは分かるんだけど。
助けてもらった最初の頃は覚えてた。
でも、大学内で北本先輩に話し掛ける気力なんてなくて、ずるずるしてるうちに忘れたんだよ。
これって、仕方なくない?
渋沢先輩と大学内の人気を二分してる北本先輩に、私の方から易々と近づけるはずないよ。
化粧の濃いお姉さん達の標的にされるなんて嫌だし。
大翔の時もそうだったけど、イケメンと居るだけで妬まれる。
嫌みを言われたり、ちょっとした嫌がらせをされたり。
平穏な世界を崩されるのは嫌なんだもん。
ピンポーン、インターフォンが鳴る。
こんな時間になんだろう? と思いながら応対する。
「はい」
『ねこねこ運輸です、配達に来ました』
「あ、すぐ開けます」
宅配便らしい。
印鑑を持って急いで玄関に向かい、ドアを押し開ける。
「神宮寺琴実さんから、お届け物です。こちらに印鑑をお願いします」
宅配の人が箱を両手で抱えていた。
お母さんからの支援物資が届いたようだ。
時々、こんな風に色んな物を詰めて送ってくれる。
「あ、はい」
受け取り印を押し、荷物を受けとる。
なかなかの重量のあるそれに、うっと声が漏れる。
「大丈夫ですか?」
心配されてしまった。
「大丈夫。ご苦労様でした」
「毎度ありがとうございました」
帽子の鍔を掴んで一礼すると宅配の人は去っていく。
よいしょ、と腕に力を入れて荷物を奥の部屋へと運んだ。
もう、お母さんたら、どれだけ送ってくるのよ。
必死な顔で詰めてるお母さんの顔を想像して笑みが浮かぶ。
「まったく、あいつらって意味分かんないわよね」
脱衣場の方から紀伊ちゃんの声が聞こえてくる
きっと北本先輩達の事だ。
お風呂に入りながら、イライラしてたんだろうね。
「あんまり構わないで欲しいよね」
北本先輩達が来ると女の子達の視線が刺さって痛いし。
「本当よね。何が紀伊ちゃんよ。勝手に名前呼ぶんじゃないわ」
うちの女王様は相当お冠だ。
「確かに北本先輩も千尋ちゃんて呼ぶんだよね」
親しげに呼ばれるのは本当困るな。
最近は勝手にソフトタッチしてくるし。
クレープ屋で口元に指を触れられた時の感覚が蘇って、なんだか恥ずかしい気持ちになる。
あんなの反則だよ。
「北本先輩、千尋に気があるのかしらね?」
そう言いながらリビングに姿を表した紀伊ちゃんに、
「それはないでしょ? 紀伊ちゃんの考えすぎだよ」
と苦笑いする。
瓶底眼鏡のひっつめ髪の女の子に触手が動くとか、それこそどうかしてると思う。
「そうだったら良いけど・・・」
浮かない顔をした紀伊ちゃん。
北本先輩みたいなイケメンにとったら、私みたいな変なのは物珍しいだけだと思うけどなぁ。
紀伊ちゃんの話を聞きながら、届いたばかりの荷物を開封する。
「宅配届いたの?」
「うん、お母さんから」
段ボールのガムテープを剥がして顔を上げた。
「うわ、また一杯送ってきてくれたね」
開けた箱を覗き込んで笑う紀伊ちゃん。
缶詰や即席ラーメンなどの、保存食品が沢山詰まってる。
「本当、こっちにも色々売ってるのに」
「そこが親心ってことよ」
「ん、ありがたいよ」
実家にあんまり帰ってない娘なのに、お母さんはいつも心配してくれる。
こんな風に思われてる事が幸せだね。
「お、手紙入ってるよ」
紀伊ちゃんが段ボールの前にしゃがみこんだ。
「本当」
荷物の隙間に挟まってるそれを掴みとる。
今回の手紙はなんだから分厚いな。
「早く開けてみてよ」
紀伊ちゃんはお母さんからの手紙を毎回楽しみにしてくれてる。
お母さんは紀伊ちゃん宛に書いた便箋も入れてたりするんだよね。
紀伊ちゃんが小さい頃に母親を亡くしてるって知ってから、自分の娘のように可愛がってるんだよね、うちのお母さん。
「はい、先に見ていいよ」
紀伊ちゃんの逸る気持ちを優先してあげる。
そんなにうちのお母さんの手紙を楽しみにしてくれてるなんて、嬉しいし。
「ありがとう」
嬉しいそうに受け取った紀伊ちゃんは、急いで封筒を解放する。
私はそれを横目に、箱の中身を分別していく。
庭で取れたらしい野菜もチルドパックに入ってる。
クール宅急便で送ってくれてるから、鮮度は落ちてなさそう。
「千尋、封筒の中にこんなの入ってたよ」
折り畳まれた封筒を紀伊ちゃんが気難しい顔で差し出す。
ん? なんだろう。
「何かな?」
受け取ったももの、なんだか開けるのに戸惑う。
「先におばさんからの手紙を読んでみる?」
「そうしようかなぁ」
嫌な予感がするんだよね。
それは紀伊ちゃんも同じ様で、私の持つ手紙をしかめっ面で見ていた。
「こっちが、千尋宛だよ」
「ありがと」
二人でお母さんからの手紙を読み始める。
いつも書き出しは元気にしてる? って言葉で、それからは食生活を心配してる文字が続く。
結構、頻繁に電話してるのに、手紙でまで心配してくれるお母さんに感謝だな。
読み進めていくうちに、いつもとは違う文字が綴られていく。
目に入ったその文字に、手紙を持つ手紙を震えた。
大翔が、うちに来て私の居場所を知りたいと土下座したと。
お父さんが怒り心頭に追いかけしたことも書いてある。
どうして、今さら。
今まで、なにもなかったよね。
大翔の浮気がバレて、別れた当初は会いに来たり電話が来たりしてだけど。
全部、拒否し続けたらいつしかそれも無くなったのに。
それなのに、何年も経った今になってどうして。
「千尋、どうしたの? 顔が真っ青だよ」
私の異変に気付いた紀伊ちゃんが心配そうに顔を覗き込んで来た。
「き・・・紀伊ちゃん、大翔が」
そう言うのがやっとだった。
込み上げてくる胸のむかつきに、喉が詰まる。
「大翔? どう言うこと!」
声に怒りを含んだ紀伊ちゃんに、お母さんの手紙を差し出した。
紀伊ちゃんはそれを受けとると素早く目を通す。
「あのバカ! 今さらなんだって言うのよ。千尋をまた苦しめようって言うの」
ダンッと床を握り締めた拳で叩き付けた紀伊ちゃん。
大翔の亡霊に、いつまで囚われ続けなきゃいけないんだろうね。
息苦しさに目を瞑った。
「おばさんの言う手紙ってこれのことね」
後で見ようと置いてあった未開封の封筒を紀伊ちゃんが手に取る。
お母さんが大翔から預かったと言う手紙には、何が書かれているんだろうか。
「・・・こんなの要らないよ」
今さら、何を言われても苦しいだけだよ。
どんなに話をしても、どんなに時間が経っても大翔がやったことは変わらないし。
分かってる・・・大翔だけが悪いんじゃないってこと。
あの時の私には、大翔を引き留めて置くだけの魅力が無かったことも。
彼女の誘惑から大翔を守れなかった責任が私にもあるってことも。
だけど、許せないんだ。
誰かに触れた大翔に触れられる事も、嫌悪以外の何物でもない。
穢らわしいと・・・感じてしまう。
離れてしまえば、苦しまないでいいとこんな所まで来たのに、私はまだ囚われたままなのかな。
「千尋、私が読んでもいい?」
紀伊ちゃんが意を決して私を見る。
「うん、お願い」
私は見たくないもん。
「ありがと、読むね」
紀伊ちゃんはそう言うと封筒を乱暴に開いて、中から便箋を取り出した。
目だけで読み進めていく紀伊ちゃんの顔がどんどんと険しくなっていく。
「チッ、あのバカ、今度地元に帰ったら絶対に絞めてやる。今さらどの面下げてこんな手紙書いてるのよ。無視でいいわ」
読み終えた紀伊ちゃんが、便箋をくしゃりと握りしめる。
「・・・・・」
「内容しりたい?」
どっちでもいいのよ、と紀伊ちゃんは言う。
知っておいた方がいいんだろうな。
でも、知るのが怖いと思う私もいる。
「千尋、いつまでもあんな奴に囚われてちゃダメだと思う」
「・・・うん。分かってる」
「だったら。一度向き合ってみる? 千尋には黙ってたけど、大翔の奴、まだ地元の友達に千尋の居場所を聞いて回ってるのよ」
「えっ?」
どうして? 大翔は彼女を選んだのに。
「向き合って、吹っ切らなきゃ千尋はいつまでも引き摺ってしまうような気がするのよ」
「・・・そうだね」
力無く笑った私に、紀伊ちゃんは微笑む。
「そろそろ前に進も。千尋は新しい恋をして幸せにならないと」
「紀伊ちゃん・・・分かった」
頷いた私に紀伊ちゃんは、ゆっくりと口を開いて手紙の内容を伝えてくれた。
大翔からのメッセージは、誰と過ごしても私を忘れられないと。
どうしても会って話がしたい。
彼の自分勝手な言い分に思えた内容に、苦笑いを浮かべたのは、長い時間の間に私の中から大翔が薄れていっていたのからかも知れないな。




