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「よっ、お疲れさん」
「お師さん……来てたんですね」
警視庁本部本庁、通称『桜田門』と呼ばれる巨大な建物から出てきた神々廻は、背を丸めて眉を下げている。
霞ヶ関にある巨塔は日本の首都を守る〝警察本部〟だ。
ここに出入りしている関係者はみな背筋を伸ばし、凛とした顔で仕事に励んでいる。そんな中で、神々廻は突然現れた白石から目を逸らし、俯いた。
「事件解決したんだろ?随分しょぼくれてるじゃねぇか」
「ハイ」
「迎えに来てやったぜ。俺が下請けをやるには、契約書やら誓約書があるって聞いたから」
「……ハイ」
「今日は鬼一の修行も休みだ。商店街で買い物しよう。夕飯食っていくだろ?」
「…………はい」
しょぼくれた神々廻を連れて、白石はゆっくりと歩き出す。下を向きっぱなしの彼の視線の先には、黒い足袋を履き銀が刺繍された草履の鼻緒がある。その紋の柄は一通り調べてみたものの、どこにも存在しない組み合わせだった。
(この人は黒が好きなんだろうか、身につけているものが何もかも真っ黒だ。
鼻緒の刺繍もお師さんの羽織にある紋と同じか。葉っぱが丸まって、中心に花みたいな……こんな家紋は見たことないし、調べても情報は出てこなかった。
公安のデータベースにさえ、存在しないんだ……この人は)
「言うのを忘れてたが、俺のことを調べてもなんにも出てこねぇぞ。警察にも、役所にも、情報は残していない」
「そうみたいっすね」
「時を止めているのは、俺の住まいを隠すためだ。あそこは特別だからな。海もあるし、庭もあるし、山も川もある」
「海があるんですか?」
「あぁ、砂が五色の浜辺なんだ。珍しいだろ?現存している場所だと、新潟にそんな浜辺がある。ウチの近所では魚が取れて、沖ノ島には神社があってな」
「首都一等地のど真ん中に海があって、釣りができるんすね。島まで……」
「そうだ。あそこは首都であってそうじゃねぇ。頭の中が読めるのは俺の属する命の在処では普通のことだ。鬼一は元々陰陽師だが、まだ安定してねぇから読み損ねることもある」
「アイツ、陰陽師なんすか?」
「鬼一法眼っていう先祖を持ってる。室町時代辺りから表舞台に出た、稀代の法術師だった」
「だからお嬢様ってことッスか」
「うん、そうだな。あいつの前世は同じ家系の剣豪だ。この世で最も尊い神を守って死んだ」
「………………」
「お前が嗅いだ俺のタバコは、その守られた女神が作ったレシピでな、相性のいいやつしかチョコパフェの匂いがしない。他の奴には痺れ薬になっちまう」
白石が情報を与え続けるかたわら、神々廻は彼の本意を測り損ねている。鬼一からの前情報では【人間嫌い】だったはずで、政界の重鎮を無碍にできる身分を持っている。
そして……彼を特殊類希事件捜査課のサポート役として登録するために調べていたら、それを察知した警視庁のトップである警視総監、その上の警察庁、公安からも『決して無礼を働かぬように』との内密な通達があった。
神々廻は、白石の言う『命の在処』を聞くべきか迷っているのだ。今日一日で起きた出来事、得た情報が処理しきれず完全に混乱していた。
頭の中で考えていることが筒抜けならば、それを本人が知らぬはずもない。陰陽師探偵『白石直人』はその話題を避けてくれている。自分で考え、自分で決めろと神々廻を尊重していると言うことだ。
白石の人物像がまとまらぬまま、商店街に辿り着く。足を踏むたびに目まぐるしく変わる景色、それは確かに魔法のような不思議な術でなければ見られないものだった。
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かたり、と文机の上に湯呑みが置かれる。ハッとした神々廻は顔をあげ、何食わぬ顔で障子戸に背をもたれる白石に目を向けた。
肩にかけられた黒い羽織は、佐々木氏の膝にかけてやったものと全く同じだ。いつのまにか回収していたらしい。
呆然としたまま、月明かりに照らされる彼を見つめてもう一度気づく。白石邸にやってきてから、夕暮れは月夜に変わっていた。
「そろそろ話できそうか?」
「っ……す、すみません!オレ、考え込むと時間がわからなくなって、」
「いいよ。『何事も熟慮すべし』がお前の家の家訓だろ?何代目かの伊勢巫女がうっかりやらかした失敗が元だ。お前の代まで引き継がれているのはとてもいい。神々廻の家は好きだぜ」
「………………」
いつのまにか白狐、黒猫が彼のそばにいる。膝下に乗せた古びた伝記をめくり、彼は気楽な様子で喋った。
小さな爪が木を引っ掻くような音がして、黒いカラスが現れる。青灰色の瞳をした鳥は『ふん』と大仰なため息をつき、白石の肩に飛び乗った。
「お師さんは、街の人に愛されてました。肉屋で山ほどおまけのコロッケもらってたし。八百屋ではでかい果物をもらってたし、お茶屋さんでは腹が破裂しそうなくらい試飲させられてました」
「ふ……そうだな。俺はあそこに通って長いから」
「オレは、この仕事についてから前よりもずっと慎重になりました。真実を知るためには、誰かを助けるためには心の奥底にあるものを見つけなきゃならない。
見た目とか、性格とか、その人の抱えた事情とか……表に出ている情報は嘘が多いから」
「うん」
「お師さんが夕陽に向かって頭を下げ、手を合わせる様は……ずっとずっとそうしてきたと思わせる美しさがあった。オレが色々と迷っているのを知って、月が上るまで黙って待っててくれた。そんな人が、」
「結論から頼む。待つのはいいが、話題を遠回しされるのは嫌いでね」
「………………………………………………アレは、よくないっす」
たっぷりの沈黙のあと、眉を下げて切なげに言う神々廻。それを見て彼らは吹き出した。
――白狐、黒猫、カラスも含めて全員が吹き出したのだ。まるで、人間のように。
「それが結論かい」
「オレは、あんたがやったことの辻褄が合わなくて困ってます。
雪崩に巻き込まれた他人を助けて麓まで降ろしてくれた。日々関わる人に愛されていて、陽に向かって敬虔に祈る人が、」
「報告書にはなんて書いた?」
「あ、はい」
話途中で遮られた神々廻は、怒りも不満も表さず頷きながらメモ帳を取り出す。あまりの素直さに動物たちは驚き、白石はニヤリと笑んだ。
『貸金庫の鍵紛失事件』報告顛末書
被害者:佐々木 希誉(82歳) は、貸金庫の鍵を飼い猫の首輪につけていた。その猫が◯月◯日に猫が失踪、特殊類希事件捜査課に捜索依頼を提出。
猫は佐々木氏の末裔を名乗る男が預かっており、課が貸金庫の鍵を発見、佐々木希誉に戻した。
別件で佐々木氏の直径子孫である 佐々木龍太郎が逮捕となっているが、その報告は捜査一課にて行われる。
以上を以て事件解決とする。
報告書の読み上げを聞き、白石はタバコを咥えてさらに笑い出す。必要最低限の話しか書いておらず、事件の詳細が何もない事に言及した。
「書けないんです。新しく現れた『偽ひ孫』が陰陽師の端くれで、殺しをやろうとした猫又を捕まえて諭してたとか。本物のひ孫が佐々木のばあちゃんを財産強奪のために虐待してたとか。それから……」
「佐々木のばあちゃんは全部わかっていて、虐待をわざと受け、厄介者である本物のひ孫の罪を作った。ボケちゃいないし、なかなかの切れ物だ。
猫を使って本物のひ孫を殺すはずだった算段は崩されたが、彼女の望む通りの遺産相続者を見つけた」
「…………はい」
本事件の概要は、こうだ。
佐々木 希誉はボケたふりをして、自身の財産相続者を見定めていた。金を作るのに疲れてそろそろ隠居したい、と思っていたそうだ。
あるものは離れ、あるものは突然媚を売り、あるものは脅迫してきた。一番顕著な反応があったのは実のひ孫である龍太郎。暴力を振るい、彼女を支配して財産を相続しようとしていたのだ。
そこに現れた救世主は噂を聞いて『偽のひ孫』として現れた怪しい男だ。
彼は、希誉との接触時に実のひ孫からの暴力に気付いた。身を守る術を与えるべく、ネット知識で『お守り』を作り、希誉に渡した。そしてそれを使った老婆は龍太郎を排除するために、猫又である愛猫に殺しを依頼。
だが、その途中で偽のひ孫に猫又は捕えられて諭されていた。猫又は殺しをすることなく、老婆は偽の孫を後継として選び、暴力を振るっていた龍太郎は逮捕とあいなった。
「オレは、お礼をしていいのかわからないんです」
「別に礼なんかいらねぇよ。俺は何にもしてない」
「そんなわけないでしょう。あのあと、偽のひ孫と『偶然』鉢合わせて、オレの服についたあんたのタバコの匂いで『陰陽師が裏にいる』と知られて、あいつ突然全部ゲロったんですよ。
猫又から事情を聞いて、婆ちゃんの策謀を聞いて……問いただそうとしたら、今度はばあちゃんから連絡があった」
「へぇ?」
「あんたが正気に戻したんでしょう。よくわからん饅頭食わせて、羽織にもなんか仕込んでたんじゃないんですか。偶然にしては都合が良すぎるし、ばあちゃんがまた馬鹿正直に言うもんだから、」
「びっくりしたか?がっかりしたか?」
「どっちでもないですけど。ただ、猫が可哀想だとは思った。
猫又はばあちゃんが大好きで、長年連れ添ってきたから役に立とうとしてたのに。ばあちゃんのために命をかけてたのに」
沈黙ののち、白石は煙を吐き出す。その匂いを嗅いで、神々廻は肩を落とした。チョコレートパフェの匂いは、鼻の奥にこびりつくほど甘く香る。
まるで、彼との相性がいいのだと思い知らせるかのように。彼の力の恩恵を受けられるのは、この匂いが嗅ぎ分けられる者だけなのだ。
「ばあちゃんをちょっとシャッキリさせて、偽のひ孫に『なんか嫌な予感がする』って思わせただけだぜ、俺は。偽のひ孫がネットで話題の陰陽師崩れだから助かったな」
「やっぱ、それも知ってたんスね」
「俺が受けた依頼はそっちだ。ネットに転がってる、まがいモンの情報を本物にしちまう奴でな。これから先問題を起こしかねないから潰さなきゃならなかった。あいつが作った『お守り』は『怨嗟の増幅』に働いたな」
「……なるほど」
「偽のひ孫はどうするって?」
「偽のひ孫は、本物でした。戸籍を辿ったらばぁちゃんの孫の隠し子だったんです」
「ふふ、鍋島騒動そのままだったな。あそこも佐賀藩の揉め事の結末はそうだった。本家の藩主が臣下に家督を引き継がせたが、隠し子が後から見つかったんだ」
「…………はい」
「その反応だとちゃんと調べたんだな、よしよし。今後もそんな感じで色々勉強しろよ、次は陰陽師探偵『白石直人』の仕事も手伝ってもらうから」
「オレは、あなたに『銀の警笛』を任せられないと思ってます。これを最初から知ってたのに、事態を悪化させかねない手出しをして。倫理観に疑問視が残ると言うか……でも知ってたって何もできないか。うーん……」
「くっくっ、面白いな」
「そう言うの、本当に良くないっす」
「そうだな、だがこれが俺だ。わかってくれとは言わんが、お前さんは契約するしかねぇと思うぜ」
「え?」
「俺は今回手出しをしたのはちょびっとだからまけといた。これが請求書」
手渡された紙には、0が沢山並んでいる。それを指折り数えた神々廻は顔を青くした。
「高い……」
「だろ?それでも安くしてやってるんだぜ。払えないなら、俺の仕事を手伝ってくれ」
「それで対価になるんですか」
「なんねぇな、だから別で報酬をもらう。
お前がつけられた目印の先、生きるはずだった年数の寿命をいただくよ」
「オレの寿命を?」
「悪魔契約みたいなモンだが、俺が神々廻の命を握る事になる。要するに下僕になってもらうんだ、将来的にな。オレはとっても忙しいから」
「たしかに、お偉いさんからの仕事が絶えないって聞いてます」
「ふん。さて、約束は一年後……いや、もう一年以内か。解約できなかったとして、お前が死ぬことはない。先に施された呪いに横入りできる力が俺にはあるし、新しい契約でお前の寿命が伸びる。いい話だろ?」
「おどしじゃないっスか、そんなの」
「別に脅しちゃいない。お前の命の行き先は、お前が決めるべきだからな。俺は強制したりしないぜ?」
さらにたっぷりの沈黙をした後、神々廻は胸元から契約書を取り出す。渋い顔をして彼に署名をもらい、丁寧に受け取る。
契約書にはひんやりとした冷気が宿っており、それが指先から伝わって身震いした。
「さて、契約はこれで終いだな。これからよろしく、せいぜいこき使ってやるから」
「よろしくしたくない……」
神々廻は人の悪い笑みを浮かべた彼に向かって渋々頭を下げ『よろしくお願いします』とつぶやいた。さっさと退席しようとして、徐に振り向く。
「――あ、そうだ。気になってるだろうから伝えておきますけど」
「あん?」
「猫は陰陽師崩れの元偽孫が引き取りました。それから、彼は財産相続しないそうです。よかったですね」
「…………」
「じゃ、失礼します」
「…………おう」
白石は鳥居に頭を下げ、去っていった神々廻を見送る。帰り道に小さな石につまづいて、少しだけハラハラする小さな呪いをかけて。




