Case4-2 奥里の姫神
天は青に染まり、雲のちぎれた端がじんわり空に溶ける。山の端まで若い緑が染め、暖かな風が草原をなびかせ春の気配がふわふわと漂っている。
木々の間を飛び回る小鳥の声が耳に心地よく、足先が土を踏む度に穏やかな季節を感じさせる。
のどかな春――それは、誰もがここを訪れれば感じるものだろう。
「天童の奥里へようこそ、お待ちしておりました」
長い白髪をひとつにまとめた老人が村の入口に立つ、二人の目前で微笑む。衣服は木綿の布地、色は生成、腰に紐を巻いている。まるで布袋に穴を開けて頭を通したような簡素な衣だ。明らかに時代の異なる装いに神々廻はたじろいだ。
「こ、こんにちは。お世話になります……え、ええと」
「私共は県庁から依頼されて参りました。この度は『神社のお引越しをしたい』とのお話でしたね」
神々廻が鬼一の助け舟にホッとしていると、横腹に突きを食らってしまう。
そう、今回の事件は『潜入捜査』なのだ。
警察手帳を所持しているから、手癖で懐に手を突っ込もうとしていた。すんでのところで手痛い指摘によって動きを止めた。
村の依頼をこなしながら、事件の裏を取る。そのために、身分は明かせない――と、改めて思い出したのだ。
「あなた様のおっしゃる通りです。ご案内いたす前に、潔斎をして下さい」
「潔斎とは?」
「そこな椿に触れていただければ」
「えっ!?こ、これ椿なのか!?」
「……なるほど、これは見事ですね」
天童の山深くにある『奥里』は名も無き集落。ガス、水道、電気の文明の利器は届かぬ場所にある。
ここには元々〝産土神〟が祀られていた。土地から生まれ、土地を守る、その使命を持った神に守られ、大きな天災もなく長きに渡り人々は穏やかに暮らしていたのだ。
見渡す限りの家々は、タイムスリップしたかのように古来の様式だった。村の入口には大きな木の門があり、椿の木が植えられている。緑の印象が強く花自体が小さい場合、大体の樹木では原種に近いことが多い。
しかし、椿は生垣のように植えられるのが一般的ではあるものの、見た目は、もはや一本の大樹そのものだった。人の背丈よりも数倍高く背を伸ばし、たくさんの枝葉を広げて……風に硬い葉が擦れ合い、カラカラと乾いた音を鳴らしていた。
「ご老公、この椿は樹齢1000年を超えているのではありませんか?」
「はい。早う触ってくださいね」
「……すみません」
笑顔のままの老人は口端だけを上げ、歯を見せて笑う。あからさまな作り笑いを顔に貼り付けた案内役は、世間話をしようという気はないようだ。二人は居心地悪げに椿に触れた。
手のひらが触れた瞬間、木肌はわずかに温かかったような気がして……二人は気味の悪さに眉を顰める。
「あぁ、良かった良かった、これで外の悪いモンは全部落ちます。さぁ、詳しいお話をしましょう。奥にどうぞ」
くるりと踵を返し、歩き出す老人。彼の影に重なっていた複数人がその後ろに列をなし、足を揃えて歩き出す。
足音はひとつしかなく、機械のように揃った足並みは乱れることはない。
先ほどまであった柔らかな風は止み、暖かな日差しだけが降り注ぎ、ねっとりとした特有の熱が首筋に絡みつく。
村の奥へと進む道は舗装されておらず、意思がごろごろして歩きにくい。途中には井戸が、土に掘られた水路がある。その水路では洗濯板を使って衣服を洗う人の姿があった。
時が止まったかのように、過去に生きる村人たち。それらは来訪者へ剣呑な眼差しを向けていた。
ひとりではそれを耐えきれず、神々廻は鬼一に耳打ちをした。
「鬼一、なんかここ変じゃないか?」
「――ここでは偽名を使いましょう。本名は口になさらないでください」
「え?な、なんでだ?」
辺りに目線だけ巡らせた彼女は眉を顰め、老人たちの足並みを眺めている。奥に行くにつれ、眉間のシワは深くなるばかりだ。
「ここ、匂います」
「トイレ、汲み取り式だもんな?その匂いってわけじゃ、」
「ありません。不穏なんですよ」
「不穏ねぇ。だからってなんで偽名を……なんでもない」
「フン」
鬼一の睨みを受け流し、神々廻は口を閉じる。頭の中に叩き込んだ『陰陽師のなんやかんや辞典』は、本名を隠す時は『自身の危険がある場合』と答えを出した。
「7人も迎えがあるなんて。明らかに他人同士なのに、リアクションや足並み、息遣いまで揃っているなんて、本当におかしいです。この方たちの表情を見ましたか?まるで、人形のようじゃありませんか」
「な、なるほど?」
「とにかく、課長はあまり喋らないでくださいね。本名漏らしそうなので」
「ハイ」
二人が話しているうちに、村の中央に配された大きな集会所にたどり着く。土壁の上に茅葺屋根を乗せた建物の扉が、ゆっくりゆっくりと開かれた。
「さぁ、どうぞ。お話の前に姫神様にご挨拶を」
「姫神様、ですか?」
「えぇ、この村に20年前お生まれになった新しい神様です。見目麗しく、人の病や怪我を癒し、土地を豊かにして下さります。神社を取り壊したいのは、姫神様のご意思ですので」
「…………わかりました」
神々廻は低いドアを潜るために頭を下げ、そのまま中へ足を踏み入れる。
次の瞬間、神々廻の胸にドスッと衝撃が走った。
「ゴフッ!?」
「「お前は誰じゃ!?」」
「痛いんだが!?何事……」
衝撃を受け止め、神々廻は胸元から聞こえた双つの声の主を確かめる。そこには黒髪を真っ直ぐに切りそろえた二人の少女が満面の笑みを浮かべていた。
ふっくりとした頬は赤く、唇も同じように色づいている。
だが――本来あるはずの眉はなく、額の上に、短く描かれた眉だけがある。
そのせいか、表情が妙に読み取れない。
笑っているはずなのに、どこか〝偽物〟のように見えた。
「え?ちょっ……誰?なんでタックルしてくるんだ?!」
「「私たちが先に聞いている」」
「スイマセン、オレは山田太郎です」
「「太郎!お前、太郎って言うのね」」
「ハイ」
鬼一のジトっとした目線を受け取り、神々廻は苦笑いを浮かべる。事前に打ち合わせをしていなかったとはいえ、あまりにも安易な偽名だろう。咎められても仕方ない。後で怒られるだろうな、と口の中で呟いた神々廻は膝よりも背丈の低い少女2人を抱き抱えた。
その瞬間、わずかな違和感が首をもたげる。
少女であるはずの背丈、軽いはずの体が、妙に〝詰まっている〟――と。
「……え?重っ……あれ、そういえば生まれてから二十年って言ってたような?あの、この子達は」
神々廻が背後を振り返ると、村人達は合わせた両手を掲げて額を地面に擦り付けている。建物の周囲にいた人達にもその動きは広がり、村民は皆頭を垂れていた。
地に伏した人々から手だけが生えて、ゆらゆらと揺れる様はこれまた気味の悪い風景だ。鬼一はそっとため息を着く。
「えー……、ど、どうしたらいいんだこれ?何が起きてるんだ」
「「お前!太郎、気に入った。宴をする!!」」
「ははぁっ!姫神様、かしこまりました!!」
「かしこまらないでくれよ村人さん!!……待って!君たちが姫神さんなのか?」
「「そうよ、太郎。私たちのおもちゃになりなさい」」
「!?!?」
姫神の声は甘く、あどけない。
だが、その響きには一切の迷いがなかった。
驚きのまま声を失った神々廻、今までにないほど険しい顔になった鬼一、ひれ伏したまま微動だにしない村人達は沈黙に付す。
青空に飛ぶ小鳥だけは、何事もなかったかのように自由に囀っていた。




