case3-1 兆し
花吹雪が青空に舞う。薄桃色の花弁は風の形を描き、ふわりふわりと舞い降りてくる。
白石邸の中庭、リクライニング式のガーデンチェアに横たわった鬼一は安らかな寝息を立てていた。
普段のスーツ姿とは違い、柔らかな生地の白いワンピースを着ている。
締め付けのない服に着替え、まとめ髪を解き放ち、顔色が良くなってきたようだ。
すぐそばに置かれた香炉からは不思議な香りが漂い、草木の香りに違和感なく馴染んでいる。彼女の頬に落ちた花びらを拾い上げ、白石は微笑んだ。
「これでよし。今弱ってるからしばらくは逗留してもらう。お前さんはどうする?」
「……え、お師さんの家に泊まるってことですか?オレは、」
弱りきった部下が管内で倒れ、慌てた様子でここに連れてきた神々廻。彼は気まずそうな顔をしている。
鬼一の服が白石邸に用意されていたこと、普段無防備な姿を見せないのに安心しきっていること、さまざまな要因が頭を掠めるが、神々廻はなんとなしに居心地が悪いと感じているようだ。
「年頃の娘さんが、独身男性の家に泊まるのはちょっと」
「俺は独身じゃねぇよ」
「えっ!?」
「ヤキモチか」
「ちがっ……何言ってんですか!と言うか、指輪なんてしてたんですか!?」
「あぁ、付けてからはずした試しはねぇな」
白石は左手にはまったシルバーリングを眺めている。観察眼は人よりあると思っていたが、見落としていたことに神々廻は落胆しているようだ。
人の視覚は、陰陽術で左右できる。全体的にぼやけた印象を与えるものもあれば、一部分だけ事実を捻じ曲げて見せることもできる術だ。
神々廻にも説明したが、彼は『光の屈折利用ですか?3D眼鏡ってことか……?』と独特な解釈をしていた。白石の術とは機能的には全く違うものではあるが、〝一般的には〟間違いではない。
「俺の認識操作の術は脳にバグを起こさせるんだ。色眼鏡って解釈は一般的な陰陽術としては正解だ」
「うっ……ぬぅ」
「科学的な見解を楽しみにしてるぜ?現実主義者殿」
「…………はい。あのー、指輪外したことないって、何歳で結婚したんスか?」
「………………………………何歳だっけな。あの頃には自分の年齢なんか覚えちゃいなかった。星野に聞けばわかるぜ」
「なんでですか!歳覚えてないって、お師さん何歳なんですか」
「何歳に見える?」
年配者独特の返しに辟易しつつ、神々廻は鬼一の膝に自分の上着をかけてやった。暖かいとは言え、風はある。細やかな気遣いにニヤついた彼女の師匠を睨め付けた。
「で、昨日の話は説明してもらえるんですよね」
「おー、そのつもりだが。そんなに鬼一の事が気になるんだな」
「なるに決まってます。オレの唯一の部下ですよ」
「それだけか?」
「……お師さんが奥さんのことを愛してるのはよーくわかりました。師匠っていう割に風上に立ったり、道路側を歩いたり、鬼一に対してスマートな心遣いをしてるのもわかってます。そりゃーそう言った方面にはお詳しいでしょう」
「お?おう」
「恋愛ってものは、自分の世話で精一杯な奴にはできませんよ」
「…………まぁ、そうだな」
『察しろ』と言われて、白石は苦笑いに変わった。神々廻の出生から知っているかどうかの〝カマカケ〟だったが、あえて乗ってやることにしたようだ。思った通りの返答で満足したのか、神々廻はふんっと鼻息を吐いた。
「さぁ、洗いざらい吐いてください」
「おん、別に隠すような話じゃない。長話になるが、あいつの出生が厄介でな。鬼一が最初生まれた時は、白い石だったんだ」
「…………………い………………石?」
「あぁ、それを産んだのが、あれっ……なんだこりゃ」
話しながら庭をあてもなく散策する白石は、桜の木の根元に木屑を見つけて首を傾げた。
膝を落としてそれを拾い、神々廻が眉を顰める。
「フラスです。ここの虫除けはどうなってます?」
「そんなもんこそした事がない。この庭には虫がつかないはずだから」
「でも、これ〝クビアカツヤカミキリ〟に寄生されてますよ」
「外来種のアレか。最近ニュースで話題になったな」
「はい、もうすぐお花見シーズンだから自然とそう言った施設に注目が集まったんでしょうけど。前々から問題になってましたから」
「行政が駆除するんだろ?中身を食っちまうから、木が枯死して倒木が起こる」
「はい。でも、このフラスがでてるってことは、中にもういます。排糞孔が……あ、ありました」
「……ふむ、こりゃ一大事だな」
白石が虚空に手をかかげ、黒い袖が揺れる。それに目を取られていると、いつのまにかカラスが停まっていた。首に金の飾り紐をつけていないし、足は2本しかない。普通のカラスのようだ。
「アリスに伝えてくれ、近郊のバラ科樹木を調べろって」
「カァ!」
小気味良い返事を返した黒い鳥は飛んでいく。それを見送ると同時に神々廻のスマートフォンが着信を告げる。
「左近だ。出ろ」
「ええぇ……出る前にわかるのなんなんですか。はい」
『――神々廻さんお疲れ様です、左近です。現在地はどちらですか』
「おつかれさまです。今、お師さんのところに、」
『あっ!!それは素晴らしい!!新しい捜査がありますので、書類データをお送りします。白石先生にお伺いを立てていただきたいです』
「え?また珍事件ですか」
『珍事件しか扱いませんよ、特殊類希事件捜査課は。詳細は書面にてご確認下さい、では』
「え、ちょっ!?左近さ……切れてる」
「なるほど優秀な差配だな」
「どこがですか!?毎回お師さんに頼りっきりなのもどうかと思いますけど。あ、データ届きました」
「印刷してやるよ、ついてきな」
「はい!」
二人は駆け足で室内に戻る。途中眠ったままの鬼一の傍に黒猫の『饕餮』と3本足のカラス『アリス』がいるのを見て、神々廻はホッとしていた。
(正体を知らないままでも、鬼一を守り得る物だとわかってんな。こりゃ本当に有能な人材だぜ)
白石は一人ほくそ笑み、リビングの明かりをつけた。
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「とりあえず駆除剤を買ってきます。その足で本庁に承諾書届けてきますんで」
「あいよ、鬼一は預かっとく」
「頼みます。えーと、何か食べ物買ってきますか?鬼一は何が食えますかね」
「たまには俺が作ってやるよ。オムライスは好きか?帰る前には全員分用意しておく」
「うおぉ……好きです!じゃ、行ってきます!」
書類を抱えて、神々廻は入り口の鳥居に頭を下げてふわりとその姿を溶かした。彼が見えなくなってから、白石はしかめ面に変わる。
手首にある黄金色の細い腕輪に吐息を掛けると、小さくつぶやいた。
「マジか……結界が緩むなんてありえない。何かがおかしいな。もしかして、もう崩壊が始まってるのか?」
――不思議な帰り道を難なく乗り越え、神々廻は住宅地に降り立った。手作りのオムライスが昼食になったことに期待を膨らませつつ、書類をまとめてカバンに入れ、ふと気づいた。
「鬼一の話を聞き逃した!」
住宅街に響く声は、塀の上の猫のしかめ面を誘うような大きさだった。




