case2-8 後悔
『狐憑き事件』報告顛末書
被害者:星野 叶(36歳)は、◯月◯日に狐憑きを発症。特殊類希事件捜査課及び陰陽師探偵『白石直人』に清祓を依頼。
今回は下記の症状により『狐憑き』と判断されていた。
・人語が話せず、狐の鳴き声になる。
・通常よりも多く食事を必要とする。
・夜目が利く、聴覚に異常をきたす
調査の結果、狐憑きではなく被害者に縁のある怨霊が原因だった。それを祓い清め、怨念を祀る神社を建立した。
清祓により被害者は症状がなくなった。以上を以て事件解決とする。
――星野はコーヒーに口をつけ、豊かな香りを飲下す。普段はあまりの苦さに顔を顰めるコーヒーも、類希課が淹れてくれるものは格別だった。
朝イチで報告書を提出しようとしていた神々廻を止め、警視総監である彼は『今後は類稀のコーヒーを飲ませて欲しい』と告げた。
神々廻は首を傾げていたが、鬼一はすぐに納得して報告書とともにコーヒーを手渡してくれた。なんとも分かりやすい二人である。
「確かに、これでは苦労する。自分たちが何をどう解決したのか、具体的な情報がない。神々廻は出世欲がないようだ」
ポツリと呟き、胸の中に広がる温かさに口端が上がる。彼は、自分への承認欲求がない。ただ純粋に職務を全うし、事件さえ解決すればそれこそが正義なのだと……そう、思っているから。
突然出世街道に載せられた頃の自分を思い出し、微笑みは苦笑いに変わった。
(今後、彼の出す報告書は自分が直して提出しよう。いつか大きな機密を事実だからと書いてしまいそうだ)
鍵付きの引き出しに書類をしまい、星野は決意と共に施錠した。
腕時計はもうすぐ終業を告げるが、それまでには終わるだろう。彼はここに座るまで、散々それを書いてきたのだから。
報告顛末書に事実を記すのはもちろんだが、都合の悪いものは省く。そして、神々廻が活躍した内容をなるべく目立つように書き、他は流し読みされる事がとても重要なのだ。
事件番号(カクヒ/三六七五八六零番)解決顛末書
発生日時:〇月×日
発生場所:刑事部旧官舎 ハ-5号
被害者一覧
A石垣 譲 (旧官舎隣人)
B清水 優 (旧官舎土地管理人/娘)
C佐渡 綾(宅配便配送スタッフ)
D山田 冴(警察庁交通局交通企画課)
E由良 任(警視総監秘書室)
F星野 叶(警視総監)
発生経緯:刑事部旧官舎 ハ-5号に於いて〇月×日、特定怨霊憑依事件発生。被害者A~Fの順に精神錯乱・身体機能の異常変化が発症。
警察庁公安部特務課により『狐憑き』と誤認。
症状は星野叶を最後に感染拡大は停止された。
特務課での潔斎が功を成さず、特殊類希事件捜査課により本件は解決に至る。下記詳細を記す。
『さくらイ-00』へ特殊類希事件捜査課を介し、協力依頼。怨霊発生原因(※1)・正体を明かし、清祓。
怨霊には土着の狐神が融合されており、祓えば土地神を脅かす。
狐神の消滅を防ぐべきと裁あり、特殊類希事件捜査課からの提示通りに処理。
事件原因である『怨霊』を祀り上げ、『さくらイ-00』により神格化した。
被害・損害状況:被害者各位・星野叶は示談完了済み。
再発防止策:怨霊の標的である 星野叶による神社日参。警視総監周辺人員へ護符を配布。今後、特殊類希事件捜査課による定期的チェック義務化。
届出:(※1)秘匿
状況: 解決
「よし、こんなものかな。送信、と」
パソコンを打ち終えて事務に送信を終えた段で、デスク上の電話が鳴った。
「秘書室です。本日20時より会食のご予定が追加に――」
「断ってくれ」
「は……?あの、お誘いは警察庁長官からですが」
「あぁ、誰が相手でも同じだ。私はやらねばならない事がある。『御用がおありなら執務室が開いている時間に』と伝えてくれるか」
「はい、いえ、しかし、」
「頼んだぞ」
終話ボタンを押し、彼はコートを着てビジネスバッグを掴む。「最初からこうしておけばよかったのだ」と妙なおかしさが込み上げた。
「部下には信頼して仕事を任せなきゃだな、トゥルース」
頭の中で明るい応答の声が聞こえて、彼は部屋を出た。
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「懐かしいなトゥルース。この川沿いは、私たちが初めて一緒に帰った道だよ」
「あの時、お前は大層しょぼくれてたな。私が引退後に引き取ると言っても信じてくれなかった。相棒なのに、酷くないか?」
「お前はいつも、諭してくれた。厳しい状況下で怪我する可能性があっても、指示を出さない私を怒ったな」
「それから、お前はいつも癒してくれた。私が上官から怒られた時は黙ってそばにいて、いつもは頭を撫でさせたりしないのに……時々顔を私の膝に乗せて『撫でていいぞ』って言ってくれた。本当に癒されたよ、お前の毛皮を撫でてると落ち着くんだ」
「たまにはトゥルースも失敗してたな。その時は私がどう励ますべきか悩んでいた。そうしたら、お前が頭を押しつけて甘えてくれた。
君枝と出会う前は、知らなかったんだ。甘えられるのは幸せな事だって……それを教えたのはトゥルースだよ」
河川敷の道を、星野は歩く。まだ茜色の空のうちに帰宅するのはもう十数年ぶりかもしれない。
自分の中にトゥルースが居ると言われて、本当にうれしかった。あの家で待ち続けてくれたのだと知って、幸せだった。
だから、怨霊して恨みを果たしに来たのなら……それを甘んじて受けようとしたのに。神々廻は、白石はそれを許さなかった。
これから先を生きるために、トゥルースと共に『死ぬほど苦労して生きろ』と言うのだ。
怨霊としての穢れを祓っても『神』になってしまったトゥルースを支えるには、大変な苦難が伴う。
常に意識が乗っ取られそうになるし、頭痛に吐き気、眩暈のオンパレードだ。
だからこそ、彼に話しかけ続けている……だが、トゥルースはたまにしか返事をくれない。
いつかのように身を寄せて、温かい体温で星野を癒し、綺麗な瞳で彼を見上げ、ふさふさのしっぽで励ましてはくれない。
トゥルースの肉体はもうこの世にない。星野は自分のせいで、大切な妻とトゥルースを失ったのだ。
――自分の力が弱かったから。
それだけが全ての理由になる。
「ごめんな、トゥルース。私のせいで、もう……美味しいおやつも食べられないし、大好きな散歩もできなくなってしまった」
「情けない男ですまない……お前が恋しくて仕方ないんだ。立派な毛を触れない事が寂しい。お前は……私を慰めたくても『そうできない』のに」
橋の下を潜り抜けようとして、星野は膝から崩れ落ちる。橋脚に背を預け、川に向かって哭いた。
耳を下げて『キュウン』と言う声を出すトゥルースが頭に思い浮かび、ますます泣けてしまう。袖で拭い、擦っても止まってくれない。
雫が地面に落ちた瞬間、耳の奥に彼の声が届く。
――あーあ、全く。昔みてぇに泣き虫か?――
(白石先生……覗き見ですか)
――うっせーな、神々廻が心配してるから仕方なくだ。えーと……、んー……――
(お待たせして、すみません)
――謝れとは言ってねぇ。まだこっちは準備できてないから、時間を潰して来い。待っててやるよ、今までみたいにな――
「ぐしっ…………はい」
低く、柔らかいその声は昔も今も変わらない。ずっと、ずっと彼は彼のままでいる。
星野は瞼を閉じて、熱い雫を噛み締めた。




