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竜の愛し子と魔法使い  作者: 中村悠
第五章 執務官アドニス 十六歳の秋
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02.癒しの手



 アドニスはその日もいつも通り学校へ向かい授業を受けていた。だが、沿岸に設置されている魔法櫓から警鐘がけたたましく鳴り響いた。その音に一瞬体が固まる。幼き頃、母親の腕の中で一度だけ聞いたことのある鐘の音。その音が鳴ると母親はアドニスを抱いたまま一目散に町のシェルターへと避難したのだった。アドニスが三つになるかならないかの頃だった。

響く鐘の音に以前聞いたことがあることだけは思い出せた。そしてそれが瘴気に見舞われるという合図だということも。

幸い授業中ということもあって生徒たちは皆一斉に避難した。数年に一度見舞われる瘴気に国はきちんと対策を講じてくれている。地下の大型シェルターとそれに向かう地下道がありの巣のように張り巡らされているのだ。


 教師たちの誘導の元、シェルターに向かう道でアドニスはふと母を思った。朝食の席で何気なく「今日は初めて訪れるお宅なのよね」と楽しみだと笑った母親の顔が浮かぶ。母は魔導士ではないがある程度の魔力を持っておりその魔力を治癒力に充てていて、町ではそれなりに名を馳せた癒術師として生計を立てていた。今日は海辺のすぐそばのお宅だと嬉しそうに話していた。


 新しい客はいつものことだろ、と自分に言い聞かせるも、心は焦って波立つ。


(行ったことのない場所だって、避難ルートはわかりやすくなっているんだ。無事にシェルターに逃げ込むさ)


 そう言い聞かせても母の笑顔が頭から離れない。


シェルターに向かう道を引き返し母が訪れるといった場所へ向かおうか、だが魔法学校の生徒は警備に関与してはならない。規律違反は最悪退学処分だ。だけど、母親の安否が気になる。こんな胸騒ぎは生まれて初めてのことだった。


(しない後悔よりした後悔の方がいいって、どこかの国の書物にあったかもな)


 アドニスは友人たちが驚愕の眼差しを向けるのも気にせず、一人シェルターを背に駆け出した。








 ******








「母さんっ」



 町の中に全く人の気配がない中で、母と今日の患者であろうその人物は寄り添うようにゆっくりと歩いていた。



「!アドニスっ?どうしてここに?でも助かったわ。この方は足が足が悪くていらっしゃるの。わたしでは運んであげることが出来ないから」


「わかった。俺が運ぶから母さんは先にシェルターに行っててくれ」


「それはできないわ。わたしの患者様を放っておくことはできないもの。一緒に向かいましょう」



 アドニスは焦れて母親に悪態をつきそうになったが、そんなことをしている場合ではない。いつ瘴気に襲われるかわからないのだ。だが責任感の強いこんな母親だからアドニスは規則を破ってまでも探しに来てしまったのだ。

溜息をつきそうになるがそれよりもと母と一緒に居た老婆を軽々と抱きかかえた。精霊のお力をお借りして女性の周りに気を纏わせる。これで重力をあまり感じさせずに抱いて走れるだろう。



「かなり揺れますが我慢してください」



 そう言うとアドニスは母を伴って一目散に駆けだした。アドニスはこの町だけではなく沿岸地域のシェルターの位置は全部把握してある。魔法学校の生徒なら誰だって記憶してあることだ。大抵は人の集まりやすい街の広場や教会にある。このあたりなら海のほんの傍にある見晴らしの良い広場が入り口だったはずだ。迷いはない。だが、もうすぐシェルターの入り口だというところまで来たとき、町中にまた鐘の音が大きく鳴り響いた。


 

 心臓の鼓動がドクッと強く打ったような気がした。言葉にできない不安に怯えながらも前へと進む、が全身にざわざわと鳥肌が立ちその言いようもない恐怖に足が重くなる。背後から襲い掛かる負の感情に思わず後ろを振り返った。




 水平線の遥か、黒雲のような大きな闇が海上を覆っている。あんなに大きな瘴気に飲み込まれたら一溜りもない。恐怖で鉛のように感じる足の重みに顔を歪めながら、いや本当は恐怖に顔を引き攣らせているであろうアドニスはそれでも前に進んだ。その時、母の手がアドニスの背中に触れた。幼いころより知っている、母の温もりだった。



「大丈夫よ。きっと間に合うわ」



 そういって背中から伝わる温かさに強張っていた心がほどけていくのがわかる。それは小さなころからいつも添えられていた、アドニスを救ってくれる癒しの温もりだった。

体が解れたおかげでアドニスはようやく冷静になれたようだ。海の上空には沢山の魔法士たちの姿が見える。それぞれがかなり距離を取って横並びに空中に浮かんでいる。こちらに背を向けたまま振り返りもしない。海の上で瘴気を抑え込むつもりなのだろう。シェルターに入りそびれている住民には目もくれない。


 緊張の解けたアドニスはさっきまでのままならなかった体が嘘のように軽やかに走った。気を纏わせているから振動はさほど気にならないだろう。

ようやく目の前にシェルターの入り口が見えたそのとき驚愕の景色が目に飛び込んできた。アドニスの手に抱かれた女性のように年老いて歩くこともままならない者達や足に怪我を負っているものがまだ数人、シェルターにたどり着けずにいたのだ。

皆真っ直ぐに入り口へと向かっている。咄嗟に後ろを振り返る。黒霞はさっきより巨大に広がっており陸に近づいている。ここで躊躇ってはいられない。「母さん」と振り返って母をみつめた。



「この女性を頼むよ」



 気を纏わせている女性なら母でもそれほどの苦も無く支えられるだろう。だがさらに精霊にチカラを借り気を纏わせると女性を母に預けた。そしてアドニスは長い術式を展開し始めた。


 自分の魔力量でここにいる者達を救えるだろうか。だが考えてみたところで何も変わらない、わからないのだ。ただ瘴気に包まれた時、ここにいる者達とシェルターの入り口までのシールドを展開させなければならない。その前にまず、皆が歩みを進めるための補助魔法を掛けなければとアドニスは意を決した。










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