20.魔術師の帰還(2)
すうぅと無理やり深く吸おうとしているような、ぎこちない呼吸音がエリオスから聞こえる。
「…………それは、本当、に?」
「はい。重ねて申しますと、今現在ご主人様は234歳でございます」
「——————嘘だろおぉっっっ!!!!!!」
夜も更けた屋敷に、魔術師のらしくない叫びがこだまする。
茶器類が飛び上がるほど、激しくテーブルを叩いて立ったエリオスは、手をついて前屈みになり挑むような体勢をとった。
対しアンティゴンは背もたれにゆったりと身を委ね、当て付けかと思えるほどノンビリとした仕草でお茶をすする。
間に挟まれたミーティアは、どうしたものかと目を白黒させながら、ふたりの顔を交互に見つめるばかりだ。
「おやおや、そんなに驚かれるとは」
「いや、おかしいだろ! 普通そんなに生きられないからね!?」
「はあ、それはそうかも知れません。普通の人間ならば、ね。でも、並みの人間と比べ桁違いに大きな魔力をお持ちのご主人様ならば、そういうこともあるのかなぁと思いまして」
すまし顔で主張するアンティゴンの言葉の影で、エリオスのこめかみにうっすらと青筋が浮き出るのがみえる。
「そういうこともあるのかなぁ、じゃないよ!! さすがに、そんなに長い間居なくて——君が言うには216年か——突然戻ってきたら、なんかこう、もっと驚くというか、確認というか、ともかく別の反応があって然るべきじゃないか! あんなにっ……あんなに落ち着き払って出迎える状況じゃないだろ!!」
気が付くと、エリオスの近くにあった茶器や背後に置かれていた盤上遊戯の駒が、その昂りに呼応するように宙に浮いている。それらは巣を守ろうとするハチの集団のごとく、ビリビリとした攻撃的な空気をまとっていた。
「ほほほ。そうは言いますけどね、ご主人様。正直なところ、百年二百年なんてものは私にとって——」
そういうとアンティゴンは、パチッと素早く瞬きをする。
「あなた方でいう、まさにこれくらいの時間でして。もちろん、突然行方不明になられたこと自体は、私もショックでございましたよ。でも、年月自体はそれでどうこう言うようなものじゃないのですよ。——それに、ご主人様が生きてらっしゃるのは予めわかっておりましたので」
「予めだって?」
エリオスが怪訝そうな顔をすると、宙に浮いていた物たちもぴたりと動きを止める。
「ほら、以前教えてくれたじゃありませんか。魔術の効力は、【使役者が解く】あるいは【使役者が死ぬ】まで発揮されるっていう、アレですよ。この屋敷の周りにご主人様が張り巡らしていた見えない壁は、今日まで健在でございましたので、これは生きておられるなと」
「……まあ……それは一理あるが……」
「ね? 私の側にもそれなりの言い分があるのですよ。——さあ、もう少し落ち着いてくださいませ。こんな可愛らしいご客人の前で、そんなにお怒りになるものではございませんよ」
戸惑いと怒りが混ざる複雑な表情をみせていた青年は、アンティゴンの言葉にはっと我にかえり、自身の顔を覆った。
「はあ……。またも僕は恥ずかしいところを見せてしまったか。とはいえ、これは……。
——そうだミーティア、君は今の話をどう思う? 何か思うところがあれば教えてくれないか」
「わ、私ですか……?」
突如話を振られて驚いてしまったが、実は——食事の時に話を聞いてから、ずっと引っかかっていることがある。それは先程から、この話とひどく関係しているような気がしていたのだ。
(言ってみた方がいいわよね……?)
「実は……一つだけあります!」
「!」
「——ごめんなさい。話が本当なのかどうかは、私には全くわかりません。……私がわかるのは、あのウル火山の初めての噴火は“230年前”だということだけです」
絶望したように大きく息をのむ音がする。一方で、その通りだというように、アンティゴンが大きく頷くのも見えた。
「あの山は……噴火から数えて5年ごとに大きな祭りをしていて、ちょうど数日前に46回目の大祭が行われたばかりなのです。それで、お食事の最中にアンティゴンが『噴火の際にあれこれしてくれたのがご主人様』と言っていたのがずっと気になっていて……」
「僕らが出会ったのは、ちょうどあの山が出来た時だったから…………そうか——でも、だからと言ってこんなこと……。でも、アンティゴンはともかく、君が嘘をつくとは思えないし……」
力なく呟いたエリオスは俯き、頭を抱えた。同時に浮いていたものたちも、そそくさと元の持ち場に戻っていく。
アンティゴンは何も言わなかったが、脚を組み靴の先をプラプラと揺らす様子は、どこかこの状況を楽しんでいるようにも見えた。
エリオスはテーブルから離れ、部屋をウロウロと歩き回って独り言を口にする。
「……でもちょっとおかしいとは思ったんだ……。移動するとき、上からみえる景色がずいぶん変わっている気がして……不思議には思ったけど、目印の火山は変わらなかったし、ミーティアも抱えているからともかく急ごうと……。でも、この近くの木も妙に大きいし増えているなって感じもしたんだよな。以前は、草ばかりだったのに、立派な木がびっしり生えていて……。————そうだ、僕は何で気が付かなかったんだろう、全てがおかしかったのに」
「ご主人様って興味がないものに関しては、本当にポンコツですものね」
もしゃもしゃと頭をかきむしり、細やかな髪を鳥の巣にしたエリオスは、からかうようなアンティゴンの言葉ももはや耳には入っていないようだ。
「ううぅ……考えすぎて、なんだか頭が痛くなってきた。これは、一度ひとりきりで考えた方が良さそうだな。二人とも……もう先に休んでもらっていいよ。ミーティアも、今日は疲れただろうに、気づけばこんな遅い時間まで付き合わせてしまって悪かったね。色々ありすぎて、あまり君と話せていないのが残念だけど、それはまた明日にも……はあ」
明らかに無理をして微笑みを作ったエリオスは、気を落ち着けるためか、もう一杯お茶を飲もうとするーーーーが、口をつける直前、急に低く唸るような声を出し口元を押さえた。
「…………! 食べすぎたかも知れない……!」
青ざめて言うなり、タタタタと猛スピードでどこかへと駆けていく。
「えっ? お、お待ちください……!!」
ここにきてはじめて焦った表情を見せたアンティゴンが、床をすべるように走り、その姿を追っていく。
「……ちょっ! やめて、ご主人様! そこでだけは……!!」
遠くでアンティゴンが悲鳴にも似た声で叫ぶのが聞こえたが、それも一度きりだった。
静まりかえった部屋にとり残されたミーティアは、しばらく二人が帰ってくるのを待ってみたが、途中であきらめて二階の客人用の部屋へと戻った。
そして、自分なりに色々考えているうちに、知らず知らずに眠りへと落ちていたのだった。
◇◇◇
あくる日の早朝、再び階下へと向かうと、階段の踊り場にぐったりと座り込むエリオスの姿があった。
寝ているのかと思ったが、長く垂れた前髪の隙間から暗い水底のような瞳がチラつくのが見え、起きていることが辛うじてわかる。
「……大丈夫ですか?」
声をかけると、エリオスは階段へと投げ出すようにしていた足を慌てて引っ込め、バツの悪そうな顔をした。
「おはよう。……ずいぶんと早起きだね」
横に腰かけようとすると、不思議そうに一瞬したものの、すぐに体を動かしてスペースを開けてくれる。
「…………昨日はごめんね。その……君も気になるだろうから言うけど……あの話、本当だったよ」
力なくそうこぼす彼の目の下には、うっすらと隈ができている。ほとんど——あるいは全く、寝ていないのだろう。
「さっきまで外にいて、色々確かめていたんだ。改めて見てみたら、景色はどこももう変わっていた。木や花はみんな僕のことを知らない、見たこともないって言うのさ。仲が良かった薔薇も……もう、どこにもいなかった。でも、僕が昔、種を植えた樫の木だけが、久しぶりって覚えていてくれてね。それで——やっぱり前に会ってから200年以上たってるって言うんだよ」
しょんぼりと、今にも消えそうなほどか細い声で言われると、こちらも切なくなる。無意識にミーティアは、うなだれるエリオスの頭を撫でていた。
雨に濡れたと思われる髪が、指先にひんやりとした感覚を伝える。このままにしていたらきっと風邪をひいてしまうだろう。
(きっとこの方も、それは分かっているはずだわ。それでも乾かそうなんて気が起きないほど、今落ち込んでいるのね……)
思いつめたその様子に、今までどこか半信半疑だった二百何年という月日の話が、ミーティアのなかでだんだんと真実味を帯びたものに変わっていく。
(そうであるならば、私にできることは)
「……あの、エリオス様」
ミーティアは夜中にひとり考えていたことを、思い切って伝えることにする。
魔術師は初めは驚いたような顔をしていたが、話をするうちに、瞳に急速に光を取り戻していった。
暗い海に朝日が差すようなその情景を見て、ミーティアは自分の提案が悪くないものだったと確信する。
「本当にいいのかい? 迷惑じゃない?」
エリオスの声には、まだ不安が滲んでいる。
「もちろん。私がそうしたいんですもの」
聞くなり、頭に置かれたミーティアの手をとって、エリオスは勢いよく立ち上がった。
握った手を嬉しそうに自身の頬に押し当てて呟く。
「…………ありがとう。こんなに何かが楽しみなのは、生まれて初めてだ」
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これで序章が終わり、次話からは2章に入ります。
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