第4話:自慢の息子
キッチンから夕食の味噌汁の香りが漂い始めた頃、康が帰宅した
一旦二階に上がって荷物を置いてくると、そのままキッチンへと入っていく。いつもの光景だ。最初に見た時には驚いたが、実際康の料理の腕は加奈にも全く引けを取っていない。
康とは、血は繋がっていない。加奈と結婚した時、連れ子だった康は十二歳になったところだった。
幸い、出来の悪いドラマのように、互いに憎しみ合うような展開になったことはない。私は私で精一杯愛情を注いでいるつもりだし、康は康でよくできた息子だった。親想いで優しく、文句ひとつ言わず家事をこなす孝行息子。血の繋がっていない私に対しても、気を遣い過ぎず無礼過ぎず、まさに「親子」のように温かく接してくれる。
交友関係に少し癖はあるものの、そこに目をつぶりさえすれば理想の息子だ。
「運ぶのくらいは手伝うよ」
料理が出来上がりそうな頃合いを見計らってそう申し出たが、康にやんわりと断られた。
「何であの人のことをそう甘やかすの。私たちが夕ご飯作ってる間、テレビの前で寝転がってただけよ。体力なら有り余ってるわ」
「まあまあ、親父にはいつも稼いでもらってるじゃん。それに下手に転んだりしたら危ないし、料理も駄目になっちゃうよ」
あんたたち、何でお互いにそう甘いのよと口を尖らせる加奈に苦笑しながら、康がこちらにちらりと視線をくれた。顔にはやれやれという文字が浮かんで見える。
結局普段と変わらず、私は箸を運んだだけで食事の席に着いた。
「最近どうだ、学校は」
「学校と言うと、つまり勉強のこと?」
「もう、しっかりしてよ。そうに決まってるじゃない」
鼻息の荒い加奈を宥めながら、康に先を促す。
「数学が難しすぎて頭パンクしそうだよ。最近は起きてても仕様がないから目を瞑ってる。そうすると、段々気持ちよくなってくるんだ。で、気づくとお昼」
「何言ってるの。寝てたら授業から置いて行かれるわよ」
先ほどとは一転して心配そうな加奈をよそに、康は平然としている。妻が感じるほどの危機感は感じていないようだ。
全く、肝が太いのか鈍いだけなのか。
「そう思って頑張るんだけど、昼ご飯食べた後はお腹に血が集まるじゃない。で、例のごとく段々気持ち良くなってくる」
「気づいたら残りの授業も終わってるってわけか」
「そ。で、そのまま部活」
朗らかな康とは対照的に、加奈は益々眉を顰めていた。教育熱心な彼女としては頭が痛いことだろう。
「……部活は良いけど、あんまり打ち込みすぎたら駄目よ。一つ上の坂上君、引退後も週に何度も練習に行ってたら志望校落ちちゃったって」
それは言い訳というやつだ。心の中で呟いたが、口には出さなかった。余計な火種を生むことはない。康も重々心得ているようで、口元を皮肉に歪めただけで反論はしなかった。
「心配しないでよ。引退したら勉強に完全に切り替える。約束は破らないよ」
康はテニス部に入っていた。中学生の時から続けているから、もう五年近くになる。初めは毎日落ち込んで帰って来るものだから両親揃って不安がったが、メキメキと実力をつけ、今では県大会で入賞するまでの腕前になった。
努力家の息子だ。また同時に、自慢の息子でもあった。勉強だって、本腰を入れてやればきっと成績はすぐに上がるだろう。加奈だって口を酸っぱくして言っているが、本当は分かっているはずだ。
「テニスの方はどうだ」
勉強の話ばかりじゃ気が沈むだろうと思い部活の話題を振ると、康は嬉々として飛びついてきた。
「僕、結構強いみたいなんだ。他のレギュラーと試合しても、滅多に負けない」
「そうか。実は父さんも昔はテニス部でな。随分鳴らしたもんだよ」
でまかせだったが、案の定康は乗ってきた。
「またそんなこと言って。ストロークの打ち方すら知らなかったじゃないか」
「腕の力をぬいて、一気に振りぬく、だろ?知ってるさ」
そう言って、手をラケットに見立ててゆっくりと振りぬいた。加奈が露骨に嫌な顔をする。
「お行儀が悪いわ。もう良い歳なんだから、良い加減率先垂範してよ。これじゃ反面教師だわ」
自分でも子供っぽいなと思う。
だが、加奈や康とのこうした何気ない日常が、私に生きる活力を与えてくれる。口にすれば大袈裟だと言われるかもしれないが、私としては誇張しているつもりはない。家族と過ごす時間が、無色透明だった私の人生を色彩豊かに彩ってくれている。
私のようにだらしのない男には、勿体ないくらいの妻と息子だ。
「ごちそうさま」
食事を終え席を立とうとしたところを、加奈に呼び止められた。
「あ、ちょっと待ってあなた。康に話を……」
恐らく、タバコの件だろう。正直、全く気乗りがしなかった。
「すまん、今日は疲れてるんだ。もう寝るよ」
非難がましく睨む妻と極力目を合わせないようにしながら寝室に引っ込んだ。ため息が出る。争い事は苦手だ。タバコの件に関しても、出来ればあまり波風を立てたくない。
不甲斐ない父親だ。活が入るかと思い頬を叩いてみたが、ただじんわりとした痛みが顔全体に広がっただけだった。




