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紅里の風  作者: 泉 五月
第二章
52/55

2-4

 

 チギの呟きに、一瞬で隊全体に緊張が走った。それは先頭の阿耗あもうも同じだった。チギへの文句を飲み込んだのが、その証拠だ。

 チギが左側後方を注視したまま、ゆっくりと体の向きを変えた。傾斜の先の林に体の正面を向け、腰の剣に手をかける。みんながそれに倣い、朱夏もそうした。

 木々の間から現れるかもしれない「何か」を、固唾を呑んで待つ。やがて、かすかな音が聞こえてきた。複数の人の気配。

 それはみるみる近付いてきて、堪えきれずに一人が剣を抜いたのと同時に、現れた。


「うわぁっ!」

「待て!」


 驚いた声に、チギの制止がかぶさる。


「味方だ!」


 それは自分の隊だけでなく、突如現れた相手にも向けられた言葉だった。

 こちらに気付き慌てて足を緩めたのは三人。顔に赤い模様はないし、防具もよくある見慣れたものだ。その背格好と今この山にいることからして、宋重の兵士であることは間違いない。しかし、所々泥と血にまみれ、抜き身の剣をこちらに向けた様子は、尋常ではなかった。


「奇襲か? 他のやつらはどうした」


 チギの問いが聞こえているのかいないのか、三人はしきりに背後を気にしている。一度は止まったその足が、すぐにうわついたように駆け出した。


「どけ!」

「は、早く逃げろ! 追ってきてるぞ!」

「なに?」

「タイゴの戦士だ!」


 叫びながら斜面を駆け上がり、先頭の一人が隊列を押しのける。しかし、それに続こうとした一番後ろの一人が、弾かれたように急に倒れた。


「えっ」

「おい、大丈夫か」


 助け起こそうとした男の手が止まる。

 倒れた男の首に、後ろから深々と短刀が刺さっていた。


「誰かいるぞ!」

「タイゴの戦士だ!」

「構えろ!」


 男たちが声をあげ、騒然とした場で朱夏が目にしたのは、茶色い突風だった。

 それが目の前を通り過ぎたかと思うと、いつの間にか先に逃げようとしていた二人も倒れていた。代わりにそこに立っていたのは、よく日に焼けた逞しい男たち。結って背中に垂らした長髪、張りのある筋肉をまとった肩、簡素な防具、頬に塗られた赤い線。朱夏がタイゴの戦士を見るのは今この時が初めてだったが、一目で彼らがそうなのだとわかった。

 その数、たった二人。逃げていた男たちを足元に転がし、隊列の真ん中あたりに立った彼らは、敵の只中に突っこんだにも関わらず、落ち着き払っていた。数はこちらが勝っているはずなのに、彼らがそこに立っているだけで、圧迫感がある。


 二人はじっとしていなかった。その姿がぶれて見え、再び茶色の風が起きたかと思うと、あちこちで剣のぶつかる音やうめき声が聞こえ、早々に三人が倒れた。

 チギが舌打ちをする。


「自分とこだけ全滅するならともかく、引き連れて来るなよな!」


 朱夏もすでに剣は抜いていた。腰をため二人の動きを目で追っていたが、速い。

 そして、強い。


「たった二人だぞ! 囲め!」


 誰かが叫ぶ。

 しかし、すでにそれをやろうとして、近付けていないのが実情だった。そんなに長い剣ではないのに、それ以上の間合いがある。斬りかかる剣を片っ端から弾いて、返す刃で斬りつけてくる。血飛沫が飛ぶ。


「二人を離せ! 背中合わせで戦わせるな!」


 チギが指示を出す。隊の先頭を歩いていた阿耗あもうは、現状一番タイゴの戦士たちから遠い。尻込みしている何人かを後ろからわめきたてている。


「ったく……やっぱ役に立たねえじゃねえか!」


 吐き捨てると同時に、たった今兵士を斬り伏せたタイゴの戦士へ、チギが横から斬りかかる。チギの体は、タイゴの戦士と向き合うと一回り以上小さく見えた。


「囲め! 数の多さを利用しないでどうする!」


 仲間を奮起させながら、チギが自分に振り下ろされた剣を弾こうとした。

 が。


「うおっ!」


 がきん、と音がして、チギが握っていた剣が半ばから折れた。


「まじかよ! って、くそっ……!」


 武器を失っても容赦なく襲いかかってきた刃から身をかわすと、チギは退くどころか戦士に体当たりをした。


「誰か何でもいい! 武器寄越せ!」


 一緒に地面に倒れこんだチギが叫ぶが、それが叶う前に、倒れたままのタイゴの戦士が、剣を逆手に持ち変えるのが見えた。

 勝手に、足が動いた。

 地面を蹴り、倒れこんだ二人と距離をつめると、今まさにチギの横っ腹を突き刺そうとしている戦士の剣を、朱夏は自分の剣で弾き飛ばした。

 しかし、戦士の切り替えも早い。剣を失った戦士はチギの顎に肘打ちをかますと、その腹を蹴り上げて朱夏にぶつけるようにチギの体を引き剥がした。素早く立ち上がり腰の短刀を抜くと、周りの兵士たちに対峙する。


「ってぇ……さっさと囲め!」


 腹と顎を押さえて起き上がりながら、チギが怒鳴る。

 チギの体当たりのおかげで、タイゴの戦士二人の間に、わずかだが距離ができていた。もう一人の戦士は、阿耗あもうたちが相手をしている。何人かが間に入り、戦士を前後から挟む。しかし戦士は焦るどころか、おもしろそうに笑っていた。

 手の中の短刀を回し、戦士が言う。


「お前タチガそこニいるってことハ、お前タチも俺タチに挟まれてルってことだゾ」


 喋り方が、どこか不自然だった。しかし、その理由を考えるよりも先に、戦士が逆手に持った短刀を構えると、目を細めた。


「後ろニ気をつけナ」


 その言葉に、振り向かないまでも視線が揺れた兵士が、二人一気に斬られた。


「おい馬鹿! 目の前の相手から目を離すな!」


 誰のものか新たな剣を手に持ったチギが、戦士に斬りかかる。


「お前ハ少しは、骨があリそうだ」

「うるせえよ!」


 戦士に突っ込んだチギを避けるように、仲間が脇へ寄る。多勢を活かそうと思ったところで、全員が一気に剣を振り回すのは無理だ。それなら、個の力が勝っている者に任せたほうが勝率は上がる。単純に、チギの勢いに押され場を譲ったという面もあっただろう。

 チギと二、三人の男に同時に剣を向けられても、タイゴの戦士に焦りはなかった。まるで背中にも目があるかのように、前後左右からの攻撃をかわし、隙あらば懐に詰め寄り短刀を振るう。その身のこなしは軽く、舞でも舞っているかのようだった。


「待てっ!」


 離れたところで上がった声に振り向くと、阿耗たちが囲んでいた戦士が輪を抜け、斜面を駆け下り林の方に向かっていた。振り返りながら何かを叫んでいる。


「何デ?」


 答えたのは朱夏たちのほうにいる戦士だ。襲ってくる剣を弾きながら、離れていく戦士を目で追っている。それにまた声を寄越した戦士の言葉は、聞き取れなかった。声が小さいわけでも、早口だったわけでもない。言葉自体がわからなかったのだ。

 すると、朱夏たちの前にいた戦士も急に身を翻し、西側を塞いでいた男たちに斬りかかった。できた輪の隙間から飛び出すと、あっという間に先を行く戦士を追いかけ、斜面を駆け下りていく。


「おい待て!」

「いい! 追いかけるな!」


 チギの制止に、斜面を駆け下りようとしていた男たちが足を止める。その隙に、戦士二人の姿は木々の奥へ消えていた。

 その方向を口惜しそうに見たのは一瞬だけで、チギは隊の男たちに目を戻した。


「怪我人の手当てが先だ」


 その言葉に、自分たちの隊の現状を知らされる。相手はたった二人だったのにも関わらず、倒れている者が九人もいた。逃げてきた三人と、隊の六人。彼らはぴくりとも動かなかった。そして倒れてはいなくても、傷を負っている者はそれ以上にいた。傷の程度はばらばらだが、すぐに手当てをしないとまずそうなものも中にはある。


「手を貸せ」

「え?」


 声をかけられてそちらを見ると、チギが動かなくなった兵士の腕を掴み、上体を起こしていた。


「ここに置いたままだと、後から来る隊の邪魔になる」


 遺体を肩の上に担ぐと、チギは傾斜を降りて行った。その腕には斬られたのか赤く滲んだ線があったが、意にも介していないようだった。

 朱夏も一番近くにうつ伏せに倒れていた男に近付くと、その体を引っくり返した。むわっと広がった血の匂いに、思わず息を止める。首と片方の頬が真っ赤だった。首に一太刀。ぱっくりと割れた肉が目に入り、思わず目をそらす。自分の首の同じ部分が、冷たくなっていくような気がした。

 その感覚を振り払うように首を振ると、握ったままだった剣を男の手から引き抜いた。両脇に手を入れて上体を持ち上げると、触れた部分からまだあたたかい体温が伝わってくる。そのあたたかさから、無理矢理意識を引き剥がした。


 チギのように担ぐことはできないため、そのまま斜面を引きずっていく。男の首ががくがくと揺れ、今にもちぎれて落ちてしまうのではないかと心配になったが、チギが横たえた男のところまで辿り着いた時も、まだ首は繋がっていた。地面に横たえた時、その角度は少しおかしかったが。

 胸元で渦巻く気持ち悪さを抑えつつ隊のほうへ戻っていると、横を歩くチギが口を開いた。


「さっきは助かった」

「え?」

「お前があいつの剣を弾いてなかったら、俺の腹にも風穴が開いてたかもしれない」

「ああ……」


 チギが戦士と一緒に倒れた時、刺そうとした戦士の剣を弾いたことだ。感謝されようと思ってやったわけではない。体が勝手に動いただけだ。

 でも、とチギが続ける。


「次は、腕ごと斬れよ」

「え……?」


 思わぬ物騒な言葉だった。


「剣だけ弾いたのは情けのつもりか? それとも人を斬るのはまだ怖いのか?」


 斜面を上がり戦いの現場だった場所に戻ると、チギはまだ残されている死体に近付き、さっきと同じように肩に担いだ。チギの体つきは逞しいとは言えない。立ち上がりの一、二歩はふらついたように見えたが、体をまっすぐ伸ばすと、もう足下はぶれなかった。

 あの時、チギが戦士に覆いかぶさり、戦士から朱夏の姿が見えていなかったあの状況でなら、確かに剣を弾くだけでなく、腕ごと斬ることもできたかもしれない。でも、あの瞬間は。


「そんなの……何も考えてなかった」


 それが正直なところだった。


「なら、考えられるようになれ。今日落とさなかったあいつの腕が、今度会った時、お前を殺すかもしれないぞ」


 チギは言うと、先に斜面を下りて行った。

 朱夏は周囲を見渡し、まだ放置されたままの死体に近付くと、さっきと同じように引きずった。今度の男は肩から腹にかけてをばっさり斬られていた。

 頭の中では、今チギに言われたことではなく、なぜか、かつて下央かおうに言われたことを思い出していた。キスパの山の中で射損じたウサギを、すぐに殺せなかった時のことだ。

『ウサギの一匹も仕留められないようじゃ、人間なんて殺せない』

「ウサギと人は違う」と言い返した朱夏に、下央は重ねた。

『お前が突っ立っている間に、刺されて死ぬぞ』


 死体は重い。そこまで大きな男ではなかったが、見た目以上の重さを腕に感じた。五年前、朋朱ほうしゅの隣に寝かせるために、公衛こうえの体を矢己しきと一緒に引きずったのを思い出した。その重みと一緒だった。

 斜面の途中に並べられた死体の横に、男の体を置いた。腰を伸ばして顔を上げると、怪我の軽い男たちも手伝っていたため、もう朱夏が死体を運ぶ必要はなさそうだった。額に滲んだ汗を拭う。


「行くぞ」


 チギに促されて、その場を離れる。

 自分は無意識に、人を斬ることを避けたんだろうか。

 それは、相手がタイゴの戦士だったからか。それとも、相手が誰にせよそうなっていたのか――。

 元いた場所に戻って、斜面の下を見下ろした。

 地面の上に無造作に並べられた死体を見ても、悲しくはならない。

 ただ、これから自分があんな死体をつくるのかと思うと、少しぞっとした。




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