表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅里の風  作者: 泉 五月
第一章
19/55

3-12

 

「え?」

「連れて行くかどうかは、お前の腕を見て決める」


 つまり、朱夏しゅかの腕が話にならなければ、連れて行かないということだ。

 男の求める力が、どの程度であるのかはわからない。そもそもその気がなくて、朱夏を追い払うためにこんなことを言い出したのかもしれない。相手は黒雀こくじゃくだ。弱いわけがない。

 でも――。


「やるのか、やらないのか?」


 腰に下げていた短剣の鞘の止め具を外し、男が柄に手をかけている。

 朱夏は息を深く吸い込んで、止めた。そして決める。

 今はもう、この男にぶつかる他はない。


 目の前の剣を取ると、立ち上がり、ゆっくりと鞘から抜いた。

 朱夏しゅかに渡した長剣に対し、男が手をかけているのは短剣。片足に体重を乗せた姿勢からは、とてもこれから剣を受けるつもりがあるとは思えなかった。だが、油断は禁物だ。

 肩を回すと、体に張りついた服のわずらわしさを感じた。それでも今さら、服を絞るからちょっと待って、とは言えない。


「さっさとしろ。来ないなら……」


 最後までは言わせなかった。

 地面を蹴って距離を詰めると、両手で握った剣を下から掬うように振り上げた。切っ先が鼻先をかすめたと思った時には、男はすでに離れていた。

 もう一歩踏み出して返す刃を斜めに下ろす。また空振り。

 まるで遊ばれているようだった。朱夏が二歩で近づくところを、男は一歩で離れていく。届いたと思ったら残像で、男は未だ剣を抜いてさえいない。こんなことじゃ、だめなのに。


「逃げるだけなんてっ、卑怯よ!」

「お前が怪我するぞ」

「っ……!」


 男の返答に、歯を食いしばった。

 ものの数秒で、そう判断されたことが悔しい。


「少しぐらい怪我したって、どうってことない!」

「ふうん?」


 ゆらり、と男の体が揺れた。まるで幻のように。

 朱夏しゅかの構えとは逆のほうに体が倒れ、と思ったら腕に強い衝撃が走った。いつの間にか抜かれた男の短剣で、剣を弾かれていた。腕の動きが見えなかった。思わず取り落としそうになった剣を慌てて握り直す。そこへ逆から、もう一発。刃こぼれしそうなくらいの力で叩かれた。体まで持っていかれてつんのめる。その背中を、蹴飛ばされて膝をついた。


「何すんっ……!」

「戦場じゃ何でもありだ。文句言ってるうちに首が飛ぶぞ」


 四つん這いになって振り向いた朱夏を見下ろして、男は言い放つ。


「もう終わりか?」

「……まだよ!」


 立ち上がると同時に突っ込んだ。薙いだ剣を切っ先でずらされて、弾かれる。開いた体に逆に詰め寄られ、襟元を斬られる。飛び退いてもすぐ距離を詰められる。


「逃げるだけか?」


 同じ言葉を返されて、かっとなる。

 それでも、何度振っても朱夏の剣は男に届かない。かわされ、逸らされ、絡め取られる。


(何で)


 どうして。

 これまで何もしてこなかったわけじゃない。

 途斗ととにだって、ずっと挑んできた。満足な腕ではなくとも、上達はしてきた。そのはずだ。なのに。

 力を見せなければ、この男を納得させることはできないのに。

 がきん! と目の前で火花が散って、男の短剣が柄の根元を押さえ込む。両手で押し返しても、びくともしない。


(何で)


 なんで。


「なんっ、で、よぉおお――……!!」


 気付けば、叫んでいた。

 切っ先が頬を掠めるのも構わず、体ごと男にぶつかっていった。


 悔しい。

 力がないことが悔しい。

 男は二、三歩下がったものの、すぐに突っ込んできた朱夏しゅかを横に押し払った。それでもまた突っ込んでいく。


「何で! 何でっ……!」


 頭のどこかでは駄目だとわかっている。こんな姿を見せたら、逆効果になるに決まっている。でも、叫びは止まらなかった。

 宋重そうじゅうが憎い。

 でも誰も力を貸してくれない。

 目の前の男一人さえも、味方につけることができない。


 悔しい。

 剣を届かせることも、納得させることもできない非力な自分が。

 悔しい。

 それでも、ぶつかるしか道が残されていない状況が。


 剣を振り回し続け、次第に剣と自分と、どちらが振り回されているのかわからなくなってきた。

 幾度となく弾かれた剣が、ついに手から離れて舞う。その行方を目で追った瞬間、腕を取られ、引き倒されて膝をついた。

 首に、硬い感触。


「これで死んだな。もう五回目だ」


 首に当てられたのは短剣の腹だった。刃を立てられていれば、確実に皮膚が切れている。


 すぐには、立ち上がれなかった。

 息は完全に上がっていたし、頬が濡れている。――泣いていたらしい。

 手のひらで頬を拭うと、男が朱夏しゅかに当てていた剣を引いた。


「……馬鹿正直な剣だな」

「……?」

「誰かに習ったのか?」


 男は泣いていたことには触れてこない。手も足も出なかった朱夏を、からかう様子もない。


「ちゃんと習っては、ない……」


 いつも途斗ととの技を盗み見て、矢己しき相手にひたすら練習していただけだ。


「単純すぎる。後半にいたっては、滅茶苦茶だ」


 男は短剣を腰の鞘に戻した。

 駄目なんだろうな、と思った。

 この男が望む基準からは、朱夏しゅかの腕はきっと大きく下回っているのだろう。こんな夜に黒雀こくじゃくに会えるなんて、自分のために何がしかの力が働いたのかもしれないとさえ思ったのに。結局は自分の、勘違いだったのか。それとも、その機会を掴めないほど、自分は非力なのか。

 そう思い始めていたから、その後の男の言葉に、耳を疑った。


「強くなれれば、それでいいのか」

「……え?」

「お前の復讐とやらに興味はない。だが、お前一人が力をつけたところで、一つの国相手に何ができるとも思えない。お前は、結果のわかりきった無駄なことに、俺を付き合わせるつもりか?」


 一瞬、ぽかんとしてしまった。

 こんなことを聞いてくるということは、まだ望みは残っているということか。


「どうなんだ?」

「無駄になんかさせない!」


 反射的に反論していた。

 男はかすかに首を傾げて朱夏しゅかを見た。その言葉の根拠を求めるように。

 その目に朱夏は、少なからずたじろいだ。向き合った男に、それまで勝手に想像していた黒雀こくじゃくの男たちとはかけ離れた、冷静な一面が備わっていることを感じた。

 だから考えざるを得なかった。口にしたくもない可能性を。剣を振りながら、頭を過ぎった可能性を。


「……確かに、あたし一人強くなっても、何も……もしかしたら、何も、できないかもしれない……けど」


 地面に着いた手に力を込めると、草がはげ、抉れた土が爪の間に入った。


「けど……弱いままじゃ、もっと何もできない」

「…………」


 誰も助けることができなかった。反宋はんそう軍にも入れなかった。茗野めいのを連れて行く兵士を止めることもできなかった。だから。

 朱夏しゅかにとって重要なのは、もはやできる、できないの可能性の話ではない。「する」ために、何をやらなければならないかだ。


 そのためにはまず、自分が強くならなければ。でなければ、自分の手で兵士と戦うこともできないし、見込みのない人間のもとには、協力してくれる仲間も現れないだろう。だから今、力のない自分が、目の前の男を引き止められるかどうかにすべてがかかっている。

 剣では無理だった。それならもう、言葉で伝えるしかない。


「次に何をすべきかは、まず自分が力をつけてから考える。でも、約束する。あんたの時間をあたしに使わせることを、絶対、無駄になんかさせない。あたしは、あたしの目的を叶えて……そしてそれを必ず、あんたに見せる。必ず……!」


 男の静かな瞳を、朱夏しゅかは真っ直ぐに見返した。言ったことに、嘘偽りはない。それを実現させるために死に物狂いになる覚悟はすでにできている。

 男はしばらく朱夏を見つめ返した後、ふっと視線を遠くに投げた。


「……気が遠くなるな」

「…………」


 意味を図りかねていると、男が長い息を吐いた。朱夏しゅかに視線を戻す。


「始終構ってやるつもりはないし、見込みがなければ、すぐに放り出す」

「っ、それでいい!」

「なら、勝手にしろ」


 言うと男は、地面に放っていた袋を持ち上げた。


「お前のせいで馬を逃がした。だいぶ歩くぞ」


 男の態度は淡々としたものだった。あれだけ渋っておいて、決まった途端のあっさりとした態度に拍子抜けする。


「あ……えっと、ごめん……」


 とりあえず謝っておくと、「まあどうせ盗んだ馬だ」と寄越してくる。謝ったことを少し後悔した。

 荷物を肩にかけた男が、朱夏を振り返る。視線の意味を悟って慌てて立ち上がり、落とした剣とその鞘を探す。抜き身の剣を収めると、男は行くぞとも何も言わずに朱夏に背を向けた。その背中を追いかける。


 男の足はキスパ山脈に向かっていた。濡れた服が風に晒され冷たくなっていく。

 しかし朱夏の胸の中は、確かにじわりと熱くなっていた。目の前を歩く男の背中に、これまでようとして掴むことのできなかった、小さな期待と高揚を感じていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ