第86話 ウオウオ兄弟とブリンゲッツ
イライラしているからか、めちゃくちゃ威圧的だった検問官の横を抜け、検問所を通る。
仰ぐほどの大きさをしている大門を潜った僕の目に映ったもの。
それは、ヤイヤイガヤガヤとしていて騒がしいのだろうと勝手に想像していた首都の光景とは丸切り違う、まるで『通夜』を行う前のような、シーンとしていてとても静かな現状だった。
あ、あれ? 事前に用意していた想像とは百八十度違っている、都市の状況。
僕はそれに、つい首を傾げてしまった。
通夜? そんなの関係ねえ!!
と、人混みを縫うように走り回っている元気な子供達。それを見て、僕は肩を揺らした。
ここで立ち止まっていると、後からくる人に迷惑が掛かる。それに、あの検問官にどやされる気がするから、僕はこの静けさを探るように頻りに首を動かしながら、街中へと足を向けた。
今まで立ち寄ってきた都市と比べれば、露店が少ない。
何かしらの制限、規制が掛かっているのだろう。
しかしそのおかげで幅広な道路。
僕はすれ違う人たちの顔を覗きながら、情報を探っていく。
……して、分かったこと。
すれ違う彼等彼女等が『祭り』に対して興奮しているような、素振りはあった。
だが、それを何故だか『楽しんではいけない』感じで、大人しくしている様子。
「もしかして『聖歌祭』というのと関係があるのかな?」
持ち得ている情報と、周囲の静けさ。それの点と点を繋ぎ合わせてみれば、聖歌祭なる祭事と関係があると導き出せた。僕は可能性が頗る高いそれを呟きつつ、人混みの中を進んでいく。
知らないことを考えても答えは出ない。というか、出るわけがない。ピースがないのだから。
そう頭を切り替えて、目移りしてしまう露店に並んだ、美味しそうな『食べ物』に集中した。
「へいらっしゃい!」
香ばしい香りと、匂いが乗っている煙を漂わせていた露店の前に立つ。
この香ばしい匂いの元。炭火でじっくりと焼かれている紫色の魚。
それを見て、僕は『あれ?』と眉毛をピクピクさせた。そして凝視する。
もしかしなくともこの紫色の魚って『ドクアリドクナシ』では? いや、そうに違いない。
「んん!? あなたは——フリューのおじさん!!」
「へ? 急にどうしたんだ兄ちゃん。ほら買った買った! ミファーナの名物『ウオウオウンマ』だよ——ッ!!」
「やっぱり!!」
ソルフーレンで出会った時は『フリュー名物』とかなんとか言っていたのに。
今度は同じ料理を『ミファーナ名物』って言ってるよ。
もうどこでもいいんじゃないか。
ウオウオウンマってまったく聞いたことがない料理だなって思っていたけど、やっぱりただの売り文句だったんだな。
そりゃあ、押し売りされかけて逃げた客のことなんて覚えていないんだろうけど、僕はハッキリと覚えてるぞ。この人はフリューのおじさんだ——間違いない! だって顔が瓜二つだし。
「あの、ウオウオウンマって、フリューの名物じゃなかったんですか? 前に言ってたことと違ってますけど」
「はあ? ウオウオウンマっつったら、歴とした『ミファーナ名物』だよ! つーか、どこのどいつが勝手にそんな出鱈目を言いふらしたってんだ! 商売敵にも程あるぜ」
「どこのどいつがって——あなたじゃないですか!」
「はあ!? 俺はここでで商売始めて十五年だ! フリューなんて行ったこともねえよ!!」
「ええ!?」
は、話が絶望的に食い違っている
ミファーナで商売を始めて十五年って。半年前にフリューで会ったはずなんだけどな。
え? もしかしてだけど、まさかだけど、信じがたいかど、人違いだったりする?
いや、顔も声も押し売りしてきたあの『おじさん』にソックリ。
というか寸分違わない本人だ。
しらばっくれてるって感じはしないし、もしかして赤の他人なのかも。
いやいや『ウオウオウンマ』とかいう謎料理を作っちゃってるし、そんなはずはないよな。
「分かったぞ! そりゃ、俺の兄弟だ! フリューってことは南。ということは三男の『サノマル』に違いねえ!」
「きょ、兄弟って——似すぎでは…………」
「俺達は『六つ子』だから顔も声も同じなんだよ。つーかあの野郎、俺のウオウオウンマで勝手に商売しやがってるたぁ許せねえ。おい兄ちゃん! サノマルのを食ったことあるんだろ? じゃあこれ食って味比べしてくれ! あいつに味で負けてるなんてこたあねえはずだ!!」
「え? あ、はい」
急に手渡されたウオウオウンマ。
騒ぎ立てているおじさんの迫力に気圧さて、咄嗟に渡されたそれを受け取ってしまった僕は、別人が作っているのなら、確かに味の違いとかあるのかもと思い、小骨を気にしながら齧った。
魚に魚を挟むという、真似しようと思わない独特奇抜な料理。
それを口に入れた瞬間に感じたのは、ちょうどいい塩加減と、炭焦げのほろ苦い味だった。
噛めば噛むほど、魚の油が口に広がる。それはもう一口と思わせる濃厚な旨味を広げ、乾いた心と言葉にならない充足感をいっぱい与えてくる。
けど、この小骨の多さはなんとも言えないなぁ。魚二匹分だし、それはどうしようもないか。
「すごく美味しいですけど、特段、味の違いは——」
「そんなわけねえ。ほら、もう一つ!」
「はあ…………?」
フリューの味、ミファーナの味。差異などまったく感じられないそれ。
僕は露店横に置かれているゴミ箱に包装紙を入れて、正直な感想を述べた。そんな僕に対して、不服げな表情をしているおじさんは、再び焼きたてのウオウオウンマを渡そうとしてきた。 それを考えなしに受け取ろうとしていた僕は、天啓を受けたように肩を揺らし『僕を罠に嵌めようと』していたおじさんからババッと距離を取った。
「お金、取るんですよね?」
「……………………そりゃあ、商売だからね」
や、やり口が巧妙になってやがる! フリューの時は押し付けパワープレイだったってのに。危なかった。マジでギリギリだった。
あのまま乗せられていたら、僕は満腹になるまでウオウオウンマを食わされ続けて、満腹で動けなくなったところに全額支払いを要求してくるとかいう『罠』に嵌められるところだった。
僕は必死にしらばっくれようとしているおじさんに、心底軽蔑した疑いの目を向けつつ。
ここにいたら危ないと、ウオウオ一つ分の代金を、露店の代金皿の上に乗せた。
「ちょいちょい! 足りないよ! 一つ百ルーレン!!」
「えっ!? フリューは一つ八十ルーレンでしたよ! また騙そうとしてるんですか!?」
「ち、違うわい! 本当に百ルーレンなんだわい! 本当に一〇〇ルーレンなんだわいっ!」
「ええ…………」
これが『物価の違い』というやつか。渋々ながらもそう納得した僕は、警戒の目を向けながら、足りないという二〇ルーレンを代金皿に乗せた。
そして、次は無い、と警告するようなピリピリ感を向けながら、危ない露店から離れていく。
そんな僕と視線を交差させるウオウオおじさんは、
『やってみろよ。俺達は手強いぜ?』
と言うように、片目を閉じながら腕組みをしていた。
六人兄弟という話だったから、もしかすると、今後の旅の中で他の『ウオウオ兄弟』たちと出会うことになるのかもしれない。
彼等は例外なく、油断できない『やり手の商売人』だろう。
多分他のところでも同じ料理を売っているだろうから、次は騙されないように気を付けよう。
謎すぎる『因縁』が生まれてしまった僕とウオウオ兄弟達の死闘は今後も続く。
旅人と六兄弟の決着は如何に……。
+ + +
「はあ……危うく詐欺師に騙されるところだった」
ウオウオおじさんがいる東大通りの露店道から離れるために、小走りで街中を移動。
注文を受けて絞り作るジュースや、視線を持っていかれるかき氷を取り扱っている露店がちらほらと見られる、乙女像が持つ花瓶から水が出ている、噴水公園で息を吐く。
予想外にドッと疲れてしまった僕は、顎先に溜まっている汗の粒をワイシャツの袖で拭いながら、辺りをキョロキョロと見回して、この都市に来た目的の一つである、背負われているリュックの中で眠ったままでいる『爺ちゃんのコート』の修復を依頼するために服飾店を探した。
アロンズのクソ野郎が振るう槍の連撃を食らって、着るに堪えないほど無惨な姿にされてしまっているコートを修復可能なのかは分からない
が、行ってみるだけでも、聞いてみるだけでもいいと思いたい。まあ、ここに来るまでに寄った、いろんな町村の服飾店では、口を揃えて「できない」って言われちゃってたんだけどさ。
「んー、探し回るにしては街が広すぎるから、ここに住んでる人に聞いたほうがいいかもな。あ……すいません。ちょっといいですか?」
「おや、どうしましたか?」
立ち上がった僕は公園の周りを走っていた健康志向の老夫婦を見つけ、ランニングをするための軽装であることから、観光客ではなさそうだなと思い、軽く挨拶をする感じで声を掛けた
「あの、諸事情あってコートがボロボロになってしまって、それがとても大切なものだから捨てられなくて……それで、この辺で衣類の修復ができる店って——知りませんか?」
「あらぁ、それは困ったわねぇ。スーツを仕立ててくれる店なら知ってるけれど、コートの修理が出来るのかは分からないのよねぇ。けど、腕利きだからできると思うわよねぇ」
スーツの仕立て屋か。これは立ち寄った町村にはない部類。
コートの修復とかできるのかな。
なんとなくコートも取り扱ってそうだし、もしかするかも。
「その『仕立て屋』は『ミファーナでも有名』なところだから、破けたコートの修理くらいは出来ると思うけどねえ」
老父は片腕を台に、法杖をつく老婆の話を補足する。彼の『いけるかも』との話を聞いた僕は、少なくない希望の光が差し込んでような気がして、その仕立て屋について詳しく話を聞く。
「修理できるか聞いてみるだけ行ってみようと思います! あの、そのお店はどの辺にありますか?」
「仕立て屋は南大通りを西に抜けた路地のところにあるよ。ここからだと遠いから馬車に乗って、そのあとは徒歩になるねぇ。詳しくは南大通りにある店の人に聞くといいよ」
「分かりました! 散歩を止めてしまってすいません。本当にありがとうございました!!」
「「気にしないで〜。元気で良いねえ」」
さすが歌の国と言うべきか。それとも長年連れ添った二人だからか。おそらく後者だろうな。
老夫婦の息のそろった声を聞いて、たまらず苦笑してしまった僕は、笑顔で手を振ってくれている二人に大きく頭を下げてから、広い噴水公園を後にした。
小走りで、煉瓦造りの集合住宅、四、五階のアパートが連立する、高層建築物でできた影に満たされている路地裏を移動していく。
すると、大通りと比べれば地味で暗くて人通りの少ない、開けた公道に出た。
「…………」
歩道を歩く。前を歩いている人にぶつからないように縫いながら進んでいた僕は、露店が一つたりとも並んでいない公道を見て、不思議な気分に浸ってしまっていた。
こうっては悪いのだが、先ほどまでいた大通りと比べれば格段にしょぼい。値段も手頃なあまり新鮮さのない品物で揃っている小ぢんまりした八百屋や。
白牛や角豚、清鳥などの生育に手間暇が掛かってしまうため、仕入れが困難だという高級肉ではなく、入手が容易なお陰で安価な価格帯で出回っている豚肉や鶏肉を取り扱っている肉屋。
一言で言えば、質素。なんの飾りもない、寂れた商店道……。
そこを歩いている人々の格好は、ラフ、としか言えない感じだった。
すれ違う彼等彼女等が持っている、安物だろう木編みのハンドバッグや、ボロボロで薄汚れたショルダーバッグからして、たくさんのお金を用意してきている観光客ではなさそうだった。
恐らく、ミファーナの住人達ばかりだと思う。
そんな、この都市の包み隠さない『日常』の中を、僕という異物がキョロキョロと忙しなく歩いているという現状が、僕に違和感というか。
何とも言えない『息苦しさ』を感じさせた。その、普遍的な日常の中を早々に走り去った僕は、道端に停まっていた馬車を見つけて駆け寄り、声を掛ける。
「あの、南大通りまで行けますか? 南大通りを抜けた路地にある『スーツの仕立て屋』に行きたいんですけど」
「ああ〜『ロッキィの仕立て屋』ね。南大通りまでは遠すぎるから無理だけど、途中までなら良いよ」
「じゃあ、それでお願いします! あの、運賃の方は?」
「片道『三百ルーレン』。でも、出血大サービスして、二百五十ルーレンでいいよ」
「わ! ありがとうございます! それでお願いします!」
「はいよ。乗った乗った」
木の板に座っているような、という木の板製の硬い座面。それを全席平等に広げている馬車に乗り込み、扉を閉めた僕は、車内のカビ臭さに顔を顰めそうになったものの、フリューと比べれば結構な安価で街中を移動できると言うことで、それくらいは快く受け入れる。僕は手綱を打たれて走り出した馬車の窓に映る、流れゆくミファーナの日常を見て、軽く、息を吐いた。
+ + +
僕の故国、ソルフーレン。その首都『フリュー』の三倍はあるという広大さ。
オルカストラの首都、ミファーナの大通りを発ってから、一日半が経過した。
「遠いなー」
と。秋の終わりが近づき、冬の到来を感じさせてくる冷え冷えとした空気が辺りに満ち出してきたため、暖を取るためにも早めにコートを着たいなと思う僕は、逸る気持ち口から溢した。
何度も何度も「行けるのはここまで」ということで降ろされてしまった、目的地の途中にある見ず知らずの公道。そこを歩き回り、路肩に停まっていた馬車を見つけては、少なくない運賃を支払って『乗り継ぎ』を行い、日が暮れるまで移動を続けては、
『もう馬車は出ないよー』
そう言われ、付近にある空室ありの宿屋を必死に探して、かなり高いと感じる宿泊費を『こればっかりは仕方ない』と半ば諦めながら支払って、一人寂しい夜を明かす。
そして朝が来れば、客を待つように現れた馬車に乗っては降りるを繰り返した。
多大なる運賃と宿泊費。どんどん痩せ細っていく何度も財布に涙を流させながら、目的地であるスーツを仕立ててくれる店——ミファーナでも有名な『ロッキィの仕立て屋』に到着した。
今、僕がいる場所は、南大通りを西に抜けたところにある極細の道を進んでいった先。
穴場というか、隠れ家的な飲み屋がありそうな薄暗〜い路地の真ん中だ。
家庭用のゴミ箱が置かれている路地を進んでいた僕の足元を鼠が『ササーッ』と走っていった時は、本当にこんなところに『ミファーナでも有名な店』があるのか? と疑ってしまった。
しかし、本当にあった。目的地の仕立て屋が。僕はそっと誰もいない路地で胸を撫で下ろす。
ここが、ロッキィの仕立て屋。
ここまで長かったなぁ。
財布の中身が見る見る減っていってたから、心配だったんだけど、何とか無事に着いたな。
多分、修繕費くらいは財布に残ってるだろうし、早速、店の中に入ろう。
ミファーナに来るまでに入っていた財布の中身。所持金額の合計は『三万ルーレン』をギリ下回っていたいかないくらいだった。
さすが大都市というべきか、宿泊費と食費が馬鹿にならず。
今の中身は二万ルーレンの半ば近くまで来てしまっている。
運賃は国からの補助金が出ているらしくて比較的安価だったのだが、物価はフリュー以上。
僕の体感だけど、一・三倍くらいの開きがあるように思えた。
フリューの宿泊費は知らないけど、一泊『六〇〇ルーレン』は高いと思う。
食費なんかはウオウオが良い例だな。
フリューではエリオラさん達に負んぶに抱っこ状態で、恥ずかしながら財布は痛くも痒くもなかったんだけど、一食が余裕で二百を超えてるから手痛い。ハザマの国では百〜二百くらい——高級魚料理屋を除く——で美味しい物が食べれてたんだけどな。
まあ、こんな痛苦を旅人である僕が喘いで何になるって話だ。
切り替えて、環境に適応していかないといけないよな。
多分だけど、これから先に行くことになるだろう世界中の国々の中には、ここ以上の物価の地域があるはずだし、この程度でへこたれるのは弱すぎるというか、駄目だと思う。
「よしっ!」
僕は頬をパンッと叩き、気合を入れ直す。
そして両開きの硝子扉に手を掛けて、押し開けた。
カランカラン、と。扉の上側に付けられていた、潤ったような鈴の音が鳴り渡る。
店内は、想像していた通り、田舎者の僕が来るような雰囲気ではなかった。
農具なんてものが売っている感じではない店内の様子。
落ち着いた木目調の壁に、壁と同じ色をした棚に置かれているのは、革靴。
黒や藍、灰色のスーツが掛けられているハンガーラックは店内の中央にどんと置かれており、店の端側には依頼されたスーツを作るのだろう、細かすぎる目盛りが取り付けられている机や、皮や布を切る刃物などなど、本当に様々な仕事道具が用意されていた。
こういう専門の道具が置かれている『職人の仕事場』は『聖域』で、下手に素人が近づくと殴り飛ばされてしまうと聞いたことがある。
だから、興味本位で近づかないようにしないといけないな。
と、それはそうなんだけど、もしかして『留守』なのかな?
店の扉を開けたのに店内には誰も見当たらないし、出ても来ない。店の戸締まりをせず、外に出て行くなんてことは考えられないから、まさか僕が来たことに気づいてない感じか?
「すいませーん! 誰か居ますかー?」
僕は『シーン』としてしまっている店内で大声を上げる。すると、僕が居る場所のちょうど真上——天井の方から、ガタガタと、床を急いで踏み歩いている足音が聞こえてきた。
どうやら、ここの店主は二階の自宅? のようだ。
そこで休んでいたらしい。
僕はカウンターの奥にある、二階へと続いている階段があると思しき扉を見詰めながら立ち尽くした。僕が大声で呼び、それに呼応するように上階から音がして、約二分。
待ち侘びたその人は勢いよく扉を開けて、カウンターから覗き込んでいた僕と目を合わせた。
「いや、ごめんねごめんね! お客さんが来てたとは微塵も分からなかったよ。さてさて、ご注文をお聞きしよう」
扉から出て。いや、落ち着きなく飛び出してきたのは、白緑の作業ズボンに、白色無地のワイシャツを着た、片側しかレンズのない変わった眼鏡。
所謂『片眼鏡』を右目に着けている初老の男性だった。彼は綺麗に染まっている白髪を掻きながら、ぎこちない笑顔で『人が居て良かった』と安心している僕に声を掛けた。
「あ、ここに来たのは『これ』を補修してほしくて——」
要件を聞かれた僕は、手短に話を済ませながら背負っていたリュックを下ろし、そこからボロボロのコートを出した。
何に斬られたんだと思わせてくる、あちこち『切り傷』だらけで、着るに堪えないそれを見た店主らしきおじさんは、僕が見せるように持ち上げていたやや重たいコートを、
「重いねえ!」
と驚愕の声を上げながら受け取り、率直に思ったことを口から漏らす。それを苦笑しながら見ていた僕は、職人の目でコートを見ているおじさんの言葉をただ待った。
「ほうほう。あちゃーこれは凄い。切り傷だねぇ。傷的に凄まじい業物なのもあるし、信じられないくらいの実力の持ち主が放った攻撃を受けたような傷に見える。しかもこのコート、帝国製の防弾使用の特別品だな。しかも『ブリンゲッツ作』の超ビンテージ物じゃないか……」
ブツブツとよく分からないこと言っているおじさんに、これ、そんな高価値の物なのか? と首を傾げていた僕は、自分の世界に浸っている彼に、そーっと慎重に声を掛けた。
「あの、それ、直せますか……ね?」
「あ、ごめんねごめんね。これねぇ……直せるけど難しいかなぁ。これって防弾仕様——まあ、端的に言っちゃうと『超頑丈』なのね。それで直すのには『特別な素材』が必要になって、その材料費だけで凄まじくお金が掛かるんだ。だから直すのはあまりオススメしないかなぁ。それだけのお金があれば新品が買えるからねぇ。でも、ブリンゲッツ作なんだよなぁ、これ」
「ブリンゲッツって人? のことはよく知らないですけど、これは故郷にいる祖父からもらった大事な物なので、いくら掛かっても構いません。補修をお願いできませんか?」
「分かった。ビンテージ物は補修が難しいから時間が掛かるけど、何とかやってみるよ」
「ありがとうございます! よろしくお願いします!!」
歓喜一色に染まる僕の声を聞いた店主のおじさんは『任せてくれ!』と言うように胸を張り、祖父譲りのお下がりコートを店の端にある作業台の上に、そっと置き広げた。
「それでなんだけど、お金足りるかな? 三万ルーレンくらいになると思うんだけど……」
「えっと、今の手持ちは二万七千ルーレンくらいなんですけど、これで足りなければ今から魔獣退治をしてきます」
「ええー!? 魔獣退治!? な、なるほど、若いのに冒険者だったのかぁ。大丈夫。多分それで足りると思うよ」
「本当ですか!? じゃあ、これ!」
僕は手に持っていた結構な膨らみがある財布から、ルーレン通貨を全てカウンターの上に出し、それを店主が数え終わるのを、まだかまだかと待ち侘びた。そして。
「はい。多分足りるよ。そうだな、出来上がりは……一週間後くらいになるかなぁ。その時に忘れずに取りにきてね。あ、名前を控えとくから、ここにフルネームを——」
僕は自分の名前を紙に書いた後、よろしくお願いします。と念を押し伝えながら店を出た。
無一文になってしまった僕はもう宿に泊まれないし、食事も摂れない。
ので、今日中に街を出て、出稼ぎ——魔獣狩り——をしようと決意する。
「そうする前に——観光でもしようかな」
もしかしたら補修できずにリュックの肥やしになるかも。という心配が去り、肩の力が抜けた僕は、凝り固まった肩の疲れを解消するために首を回しながら、そうボソリと口から出した。
ここに来るまでに乗ってきた馬車の御者から聞いていた、カカさんとの勉強でも教えられるほどに有名な世界三大劇場の一つ『ミファナの星』を見にいこう。
僕は抱えていた不安が消えて軽くなった心身を動かし、その世界三大劇場があるという、町の中央へと馬車よりも速い、人間離れした脚力で駆け出して行く——。




