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蒼ノ旅人 ー蒼風のヘルモーズー  作者:
『オルカストラ』編〈1〉
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第79話 死しても二人は隣り合う

「はあ、はあ、はあ……ロンっ! お父様が——パパがあっ!」 


「…………っ」


 アイネの手を、過ぎ去ってきた道を戻らせないように、ぎゅっと強く握りしめる。

 魔人との戦闘で、利き腕を失ったアエル。アイネの肉親。

 それを死地に置き去りにした。

 ロンは、愛する人が愛している人を、殺した。見殺しにした。

 今は、アイリの花園を越えた先にある、仄暗い影が満ちている森を二人で駆けている。 

 アイネは誰よりも大事な人だ。愛している恋人だ。ただただ愛おしい人だ。

 そんな彼女を、彼女の父親から連れ去るように逃げ出してしまった。

 しかし、遠くから、魔人を自分たちのもとへと行かせない意思が響いてくる。 

 ロンは目の端から滂沱の涙を溢れさせた。

 動揺し、混乱し、恐怖して、嗚咽を漏らしている彼女を心底安心させてあげるために、滂沱に流れる涙を、吐き出したい弱音を、絶対に彼女に見せることはなかった。

 愛している人に弱さを見せるわけにはいかない。だから、ロンは心身に蓄積している疲労で息が切れないように腹に力を込めながら、彼女が転んでしまわないくらいの、ついて来れるくらいの微々たる走力で、これからの行く末を先導するように、手を引きながら連れ去っていく。


「ロンっ……パパがっ、パパがぁっ……うぅっ……」


「…………」


 ロンが振り返ることことができない後ろを、何度も振り返るアイネは、唯一の肉親であるアエルの身を心から案じていた。

 何度も何度も、止まっちゃいけないのに、走っている足を止めようとする。

 自分だって止まりたい。この足を止めて、踵を返して、みんなの元へ馳せ参じたい。

 それでも、ここまで送り出してくれた皆んなの、自分の尻を強く蹴ってくれたソラの思いを無碍にするわけにはいかないロンは、絶対に立ち止まらせないように、道を戻らせないように。

 震えてしまう足を叱咤して、力強く地を蹴り続けた。

 ロンが纏っていた『友の風』は、アエルからアイネを散れ去った際に『もう必要ない』というように霧散して失われてしまった。今はただただ、世界に二人きり。


「ロンっ……私っ……私……」


 アイネは目端から溢れた大粒の涙を過ぎ去っていく場所に残しながら『何か』をロンにを伝えようとしている。


『父親を置いてきてしまった場所に戻りたい』


『私は死んでしまっても構わない。だから、だから……』


 ああ、伝わってくる。何も言わなくても分かってしまう。 

 彼女の考えが、恋人の思いが、アイネの願望が……。


『皆んなで仲良く、一緒に食卓を囲みたいの』


 いつか、いつか。ずっと、ずっと昔に彼女の口から聞いた言葉。

 ロンがいつまで経っても叶えてあげられなかった、彼女が欲していた心からの願い。

 ロンは彼女の望みに何も言ってあげられない。何も言えるわけがない。

 だって、いつまでもいつまでも、自分が弱かったせいで、逃げ続けたせいで、何一つ叶えてあげられなかったんだから。知ってて逃げた僕が、叶えてあげようとしなかったんだから——

  

『二人で村を出ましょう?』


 何も言い出せない、何も成せなかった僕にアイネが言ってくれた逃げ道。

 僕のために用意してくれた彼女の優しさ。

 それも、彼女の心からの願いだったと思う。

 弱すぎる僕に用意してくれた希望の光——それが今、叶っていると言うのに。

 死別——なんて恐ろしいのだろう。

 もう二度と、この世界で会えることがないなんて。

 何年も。

 何十年も。

 何百年も。

 アイネと添い遂げることができるこの時を、僕は望んでいたのに。

 二人でどこか遠くへ。

 二人、ずっと一緒に。

 ああ……思い出したよ。思い出したさ。ずっと、ずっと昔からこの時を——。


 アイネが泣いている。

 アイネが悲しんでいる。

 僕は、何を言えばいい?

 どうやって、彼女の涙を止めたらいい?


 どこからか吹く風で開かれた灰雲の隙間から現れたのは、どこまでも続いているのだろう思わせてくれる壮大な蒼穹。 

 何も存在しない天空に敷き詰められた美しい『蒼』に見守られながら、スポットライトの如く、鮮烈な太陽から放たれた極光が僕達だけを照らしている。

 命を散らしかねない戦場から逃げ出した、後戻りできない状況で、僕は——

 

「……アイネ。これから、これからどこへ行こうか? 

 僕は、僕にはさ、行きたいところがいっぱいあるんだ。

 ソラの故郷のソルフーレンにも行きたいし、

 鬼ヶ島にあるっていう『富士の山』にも行ってみたいんだ。

 でさ、だから、君にも行きたいところがあると思って。だから」


 アイネからの返事はない。ただただ、僕を見つめている。

 僕がアイネを安心させてあげるには。

 彼女の心配を取り除いてしまうには。

 僕の力で『アイネの心』を攫わないといけないんだ。

 だから言うんだ。絶対に足踏みするな!! 

 逃げるんじゃないぞ、バカヤロウ。


「アイネ。僕は——俺は、君をずっとこうしていたい。

 この手を離したくない。世界で俺だけを見つめていてほしい。

 実は、ソラに嫉妬していたんだよ。

 俺の大好きなアイネと一つ屋根の下なんてーってさ。

 だから、えっと、だから」


 ロンは覚悟を決めたように、風を全身に入れて——言う。


「俺は、何時までも何処までも、君を連れ去るよ、アイネ。だから俺と、ずっと、死んでも一緒にいてほしい!!」


 ロンの愛の告白は、晴れ切った蒼穹に吸い込まれていく。

 アイネが流していた『悲しみの涙』は、今この時。

 愛おしい人からの愛を受け入れた『歓喜の涙』へと変わった。


「……うんっ。私を離さないで、ロンっ! 何処へでも何時までも、私を連れ去って——」


「ああ。絶対に、死んでも離さないから。ずっと、ずっと、君を何処へでも連れて行く——」


 二人は仄暗い森を飛び出して、開かれた大平原を駆ける。その平原には、アイリの花が一面に咲き誇っていて、二人を歓迎しているかのように、全てが美しい輝きを放っていた。

  

 二人の知らない秘密の花園。そこに、今は二人だけ。

 愛を結んで満たされた二人は、光の粒となって消ゆ。

 二人の魂を縛っていた『愛離の呪縛』は、一人の『旅人』によって解かれた——……

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