第103話 『またね』は海を駆けて
四年に一度の周期で来たる、枯れ葉を散らす『秋』が終わりを迎えて、全てを白一色に埋め尽くす『冬』が始まる、一一月三〇日。
復活した魔王を、その日の内の十分間で封印してしまう、オルカストラ一の祭事『聖歌祭』
その聖歌祭が終幕してから、かれこれ一週間が経過した。
聖歌祭が無事に終わり、それを祝う宴が三日三晩も開かれていた、冷え込む冬の空の下。
あれだけ熱気に満ちていた『ミファーナ』の地は、まるであの熱狂を忘れてしまったように、必要最低限の外出に留めるという閉塞期を迎えていた。
吐き出した息が『白』に染まってしまう冷気、極寒の冬が到来したのだから、それもそうだ。
輝かしい太陽が照りつける日中にも『寒さ』を身体の芯まで感じさせてくる中。
既に骨折した腕と、罅の入った肩を完治させてしまった僕は、閑散としているミファーナの路地裏を歩き、都市の南大通りを抜けた先にある、とある場所へと向かっていた……。
「相変わらず、鼠が走ってるなあ……」
僕の足元を鼠のつがいが並んで走っていく。非常に近寄り難い、都市の路地裏。アングラな雰囲気が漂っているそこをたった一人で、迷いのない歩みで向かっていた『とある場所』とは。
以前、アロンズに斬り裂かれたコートの修復を依頼し、僕の期待以上の、文字通りの完全修復を成し遂げてくれた、オルカストラ一の仕立て屋と名高い『ロッキィの仕立て屋』であった。
僕は短期間で『二度目』の修復依頼を出し、快く承諾させてしまった仕立て屋の扉を開けて、
「すいませーん! ソラです!」
と大きな声を上げながら店の中へと入った。
「ああ、ソラ君! 頼まれていた通り、左袖の複数の切り傷は修復完了したよ。ほら、そこに掛けてあるやつね」
「すいません、ロッキィさん。こんな短期間で二度も修復をお願いしてしまって……」
店の中に入った僕に視線を向けて、気のいい声を掛けてくれたのは、誰かが注文したのだろう藍のスーツを仕立てている、この仕立て屋のオーナーの『ロッキィ』さん、その人であった。
修復を依頼していた宝物のコートを受け取りに来た僕を見た彼は、仕立ての作業を一時中断して、僕のもとへと心配そうな目で近寄ってきた。
「いやいや! あの『魔王』と戦ったんだから、傷付かないわけないさ。それよりも腕の方の経過はいいのかい?」
僕の左腕の負傷は、聖歌祭の終わり——祭事の締めの際に行われた『凱旋パレード』で広く知れ渡ってしまったため、僕はラーラに誘われた食後の散歩などですれ違った、ミファーナの住人たちに『折れた腕は大丈夫なのかい?」などなど、心配してくれて心からありがたいと思うが、多すぎで戸惑ってしまうくらい多数の『心肺の声』を掛けられ続けていた。
その心優しい人々の例に漏れず、ロッキィさんも僕の腕のことを心配してくれている様子。
それに対し、僕は堪らずにくすぐったさをこぼした苦笑を浮かべ、わざとらしく頭を掻いた。
「えっと。骨折した腕は『もう治った』ので大丈夫です」
「え? 骨折したのって一週間前じゃなかったっけ?」
「はい。ちょうど一週間前ですね」
「もう治ったの? 動かせるの?」
「はい? まあ、この通りです」
骨折した左腕が『たったの一週間』で治った。コートの修復依頼を出しに来たときは折れていたのに、もう治ったの?
そんな疑問がある風なロッキィさんに、僕は自分の完治している左腕を、上へ下へ、前へ後ろへと動かして、腕が治ったことの証明——自身が嘘を吐いてない、潔白の身だと見せつけた。
「ええぇ……骨折が一週間で完治とは、すごいなぁ」
「この腕を診てくれてたお医者さんも驚いてたんですよね」
「だろうねぇ。普通、みんな驚くと思うよ?」
「そうですかねぇ」
「そうと思うよぉ」
こういうなんとも言えないやり取りがあったものの、僕はメロに掴まれた際にできてしまった、無数の刃物を刺したかのような傷——メロは刃物を所持していなかったから、おそらくカラスが使っていた刃を生やす魔法、もしくはそれに類する魔法を無詠唱で使ったのだろう——が出来てしまっていたコートの修復を、完璧に完了してくれていたロッキィさんにお礼を言って、新品同然の出来になっているコートを受け取り、仕立て屋を後にするため店の扉を開けた。
「え? もう、ミファーナを出るの? 聖歌祭が終わったばかりなんだから、まだ、ゆっくりしていけばいいのに」
仕立て屋を後にする別れ際。
明日の朝、ミファーナを出るということを告げた僕に、ロッキィさんは眉尻を下げた。
「僕としては、本音を言えば、もう少しゆっくりしていてもいいかなって思ってはいるんです。だけど、これ以上ここに滞在していたら、いざ旅立ちだって時に足が竦むんじゃないかなって思って。まだ、居なくなった母も見つかっていないですし、立ち止まるわけにもいかないから……僕は行きます。本当にお世話になりました、ロッキィさん。また、いつか会いに来ます」
「そうか。僕より四〇も年下なのに、ソラ君は強いんだね。うん。またね、ソラ君。君が有名になったら、僕も鼻が高いってものだよ。是非是非。うちを宣伝しておいてね」
「はははっ! はい! それじゃあ、失礼します」
「ああ。またね、ソラ君」
「はい! また会いましょう、ロッキィさん」
僕達が顔を合わせたのは、二回の依頼と、二回の受け取りの際の、計四回ほどだ。
されど、確かに知り合った仲である二人は、別れの挨拶を済ませる。
店を出てまで僕を見送ってくれたロッキィさんに背を向けた僕は、グッと力強い足取りで路地を歩き、ラーラ達が待っている屋敷へと帰るのだった。
+ + +
トントン、と。不恰好だが、包丁を使って野菜を切っているのは、僕が骨折している間、料理番を率先して行ってくれていたラーラだ。この一週間、二回ほどパリオットさんとその同僚の女性が屋敷にやって来て、買ってきてくれたオードブルを夕食にしていたりしていたが、それ以外の料理は、全く慣れていない、危なっかしい手付きのラーラが一人で作ってくれていた。
「料理って結構面白いわ! ハマっちゃったかも!」
とかなんとか、ラーラは言っていたが、その真偽は不明だ。
しかし、僕の腕が治るまでの一週間、彼女がまったく慣れていなかった料理を根気強く続けていたのことに対して、その言葉を信じるに値するだけの価値があるように思えた。
そんな感じで。聖歌祭が始まる前まで「ヒュウル! アンタが作りな!」と命令されて、半ば強制的に料理を作り続けていた僕は完全に『お役御免』となってしまい、今では、煮る際の火加減や食器に料理を装うだけの雑用係になってしまっていたのである。
「ソラ、そこの調味料を取ってちょうだい」
「はい」
「サンキュ…………よしっ、完成!」
して、堂々完成である。
ラーラ手製のピラフとコーンスープ。そしてポテトサラダ。その三種を二人掛かりで皿に装っていき、相変わらず何も手伝わない、底を突きかけている焼酎の酒瓶を呷っているボイラさんが待つ、何故か『三人用』に買い替えられている、少し広くなった食卓の上に並べていった。
「それじゃ、いただきます!」
「いただきます」
「ラーラ! そこの胡椒を取ってくれ」
「ええ? これ、ちゃんと味付けしたのよ? お婆ちゃん、まだ一口も食べてないじゃない」
「いいから取れって言ってんだよ!」
「ええ……はい、どうぞ」
相変わらず、味の濃いものが好きなボイラさんは、まだ味見もしていないというのに、ピラフに大量の塩胡椒をかけて、それを豪快に食し始めてしまう。それに対して『至極不満』といった顔をするラーラを脇目に、僕はピラフを一口食べてから、こっそりと塩胡椒を振り掛けた。
「ああ、ラーラが作ったにしては結構美味えじゃねえの」
「そりゃあそう——って、さっき味足ししてたじゃん!」
「おう、塩が効いてて美味えぞ」
「もうっ!」
やや味付けの薄かったピラフに大量の塩胡椒を振り掛けてしまったせいで、盛られた米の表面が黒っぽくなってしまっているピラフを食べて「美味えぞ」と言うボイラさん。
そんな彼女に対し、ラーラは不満さを露わにして、ボイラさんのピラフの上に振り掛けられた塩胡椒を、自身のスプーンを使って強引に取り除こうと立ち上がる。
それを、ラーラの隣に置かれた椅子——なぜか、椅子との距離が近く、ラーラと僕との距離はお互いの肩が当たりそうなほど——に腰掛けていた僕が『仲裁』をするという体で、椅子から立ち上がる寸でだったラーラの肩をポンっと軽く押さえた。
「まあまあ、そんなに怒らないで落ち着いてってば」
「ムッ! ソラもさっき振り掛けてたわよね?」
ギクッ。
「…………」
「もお……二人とも! そんなに味の濃いもの食べてたら身体を悪くするんだからね! 以後、気をつけるように」
「はい…………」
「やーなこった」
「もーーーーーーーーっっっ!!」
ミファーナを発ち、遥か北にある『九国大陸』を目指す前日の夜。まるで『一家団欒』であるかのような、すごく、すごく温かい遣り取りがあったことを。食事を摂り、身体を洗い、ラーラに誘われた食後の散歩を終えて床に就いた僕は、真っ白な、もう見慣れてしまった天井を見上げながら思い出して——溢れ出てくる大きな寂しさを噛み締めながら、そっと目を閉じた。
* * *
『いつでも来い、馬鹿息子! 今度は母親を連れてね!
オラ、さっさと行きな! ここはお前の家じゃないよ!』
という、ボイラさんの至極溌剌とした、めちゃくちゃ独特な別れの言葉を受けて、歌の国の首都ミファーナを出発してから約三週間後の、十二月二十七日。
僕は九国大陸へと向かう船があるという、オルカストラ最北の港町を——
「んんーー! 塩のいい香りね!」
何故か、ここまでついて来たラーラと共に歩いていた。僕達を『ニューギルス』が引く馬車に乗せて、ここまで連れて行ってくれたパリオットさんも町に居るが、これまた何故か、パリオットさんは旅立つ僕の見送りを馬小屋で済ませて、今は僕とラーラは二人きりになっている。
「塩の香りって、そんなに良い匂いかな?」
「んーー……嗅ぎ慣れてないから良い匂いだと思うわ」
「ええ? それじゃあ、嗅ぎ慣れたらどうなるのさ」
「さあ、その時になってみなきゃ私にも分かんないわよ」
なんてことない、ただの雑談。今日で終わる、二人の時。
その時計の針を、一歩、二歩、三歩と進めていく僕とラーラの間に流れるのは、蒼穹が広がっている美しき空とは違い、雨が降りそうな曇り空を思わせる、非常に重たい空気だった。
あまり会話が弾まないなと内思っている僕は、隣を歩くラーラの顔をチラリと覗き見る。
彼女は今にも泣きそうな、辛さを我慢しているような顔をしていた。
そんな顔を見てしまった僕は、彼女に何を言えばいいのか。何をどう動けば、我慢しても溢れ漏れて出てしまう悲しみを発露している彼女を、泣かすことなく別れられるのかを熟考した。
なんとも言えない、二人の時間。重苦しい空気。それが堪らなかったのか。
ラーラは狭めな道の端にずらりと並んでいる露店の一角。
貝殻などで作られやアクセサリーが売っている、やや小汚い露店を唐突に指差して、
「お婆ちゃんと、パリィへのお土産があるかも! ソラも行ってみましょ!」
と。突然すぎて困惑していた僕へ溌剌に言った。そうして、僕は無理やり晴れさせたような、作ったような笑顔を浮かべているラーラに手を引かれるまま、その露店の前へと走り向かった。
「いらっしゃ〜い。いいもの揃えてるよ〜〜〜!」
やたら陽気なおじさん店主の声を聞きながら、義母と友人の土産にするのだろう貝殻や、真珠のアクセサリーを吟味しているラーラの後ろで腕を組み、彼女の審美眼に叶った良物が発掘されるのを待とうとした僕はハッと肩を揺らして、彼女のもとから離れ、別の店へと向かった。
「んー…………ごめんね、おじさん。何もなかった!」
「ギャハハハっ! そりゃ残念だ! また来てね〜〜〜」
「ええ。…………? ソラ? え、あれ!? おじさん! 私の後ろにいた茶髪の男の子はどこ行ったの!?」
「あ? さっき、一人でどっかに歩いて行っちまったよ」
「ええーっ!?」
困惑極まったラーラの声が露店街に響くのを認めた僕は、彼女を待たせてしまっている先ほど露店へと全速力で走る。凄まじい速さで人混み中を縫い駆けた僕は、キョロキョロと辺りを見回して、突如として自分の側から居なくなってしまった僕の姿を探す、ラーラの肩を叩いた。
「ごめん! ちょっと、探し物しててさ…………」
「もう! もう、もう、もう!! 置いて行かれたかもって怖かったわ!! 黙ってどこかに行くのはやめてよ!」
「ご、ごめんって……あ、はいこれ」
「…………え?」
怒り心頭で『牛語』を話し出したラーラを宥めるために、僕が彼女の側から居なくなった原因——十二月二十四日に誕生日を迎えたという、ラーラへのプレゼントを手渡した。
それは、恩人の女性を真似して伸ばしているという——ラーラはその恩人のことを、僕の母ではないかと言っていたが、夜には必ず一緒に食卓を囲んでいた母が、オルカストラまで行っていたとは考えられず、おそらく別人だろうという話で疑問は決着した——美しい長髪の彼女ならばと思い、僕が魔王戦の報奨金を三〇〇〇ルーレンも使って購入した、緑宝貝とかいう希少な貝を加工して作られている、煌めく薄緑色の髪飾りを、ラーラは驚愕しながら受け取った。
「…………これは?」
「これ、誕生日プレゼント。ラーラ、三日前に誕生日だったんでしょ?
ラーラの誕生日はボイラさんから聞いていたから、僕が当日に祝えなかったボイラさんの代わりに祝わないとなって思って……だから、それを買ってきたんだ。サプライズのつもりだったからさ、何も言わなかったんだけど、心配させてごめん。誕生日おめでとう、ラーラ」
「………………ふふっ。うん! ありがとね、ソラ!」
緑宝の髪飾りを髪に結い付けたラーラの笑顔を正面から見た僕は、サプライズ成功の嬉しさと、悲しみを感じさせていた彼女の雰囲気が明るくなってくれたことに安堵し、柔らかい微笑を浮かべる。そうして、僕とラーラは港町の最北へと移動していき。
九国大陸行きの船の切符を一〇〇〇ルーレンで購入した僕は、やたらと物騒な荷物が積み込まれていく大型船に乗る手前で、船に乗らない、オルカストラに残るラーラの方へ向き直った。
今にも泣き出してしまいそうな顔をするラーラに、僕は困ったように眉尻を下げて、エリオラさんからの受け売りを口にした。
「この世界は思っているよりも狭いって、知り合いの人が言ってたんだ。
だから、またいつか——必ず会えるよ」
「………………うん」
「…………それじゃあ、もう出発の時間だから、行くね」
「………………うん」
出港すると決まっている時間に急かされる。僕は言葉少なに『行くね』と言った。
すると、ラーラはついに我慢できなくなったのか、目尻に大粒の涙を浮かべてしまう。
嗚咽を我慢しているのだろう、肩を小刻みに揺らすラーラに背中を向けて、船と波止場の間に架けられている船橋の上を歩いていく。
一歩、二歩、三歩。
船橋を歩いて行き、船に乗り込む寸前。僕はラーラの方へと振り返って、笑って手を振った。
「————またね、ラーラ」
「…………うんっ! またね、ソラ!!」
互いに、互いの姿が見えなくなるまで、大きく、分かりやすく、目立つように手を振り続ける二人。それを見届けるカモメの声が響く中。晴れやかなオルカストラの景色を視界から遠のかせていく僕は——新たな大陸に、まだ見ぬ景色に、まだ見ぬ世界に思いを馳せて。
広がる海の上を、天空を自由自在な姿で飛び回る海鳥たちを見ながら……そっと目を瞑った。
「ソラ様、見えなくなっちゃいましたね……」
「うん……でも『また会える』って言ってくれたもの。だから、泣かない」
「ラーラ様は強いですね」
「ふふっ、そうでしょ? パリオット…………ミファーナに帰りましょ」
「ラジャー!」
「ふふふっ……。ソラが、お母さんを見つけられますように…………」
歌の国・オルカストラ編——【完】
次回、強国・ジオドラム編。の前に、ルカンルカン編




