7.愛情を知らない魔物
カーミラはチェスが出て行ったあと、冒険者ギルドでその帰りを待つことにした。
ローブを目深に被り、幽霊のように音も無く移動して、テーブル席にすとんと腰かけた。
異様だった。
それが、この街で有名な薬草師の学士であることを多くの住人が知っている。
だが、誰一人声を掛けない。
よそ者は声も出ない。
誰もが、その理由に心当たりがない。
目に映るのは何とも魅惑的な体つきの整った顔をした女。
荒くれの冒険者たちが、口説くことも無く、ただ黙って居心地の悪さに耐えていた。
「あのぅ、薬師様。そこに居られますと怖いんですけど」
いつも対応していて慣れている受付嬢が声を掛けた。
「アハハ。君は正直だね。だが、今ちょっと虫の居所が悪くてね。話しかけない方が安全だ」
受付嬢は泣きながら引っ込んだ。
彼女、カーミラは人間ではない。
人間の中に紛れ込んだ一匹の魔物だ。
それも野山に潜み、街道を通る人間を襲い食らうただの魔物ではない。
大国で最高峰の魔導師たちが集う魔塔ではこう講義が展開される。
魔物を専門とする魔導師が引き合いに出したのは、数千年以上も前のおとぎ話。
「魔物の中には知性を持ち、人に擬態できる上位種が存在する。古代の記録ではとある魔物が数百年に渡り、街で人間として暮らしていたという記録がある」
「街の人々は気が付かなかっただろうか? 街には神官もいたのだろう?」
「驚くべきことに、その魔物は神官たちに教義を授け、薬学の知識を広めた。そうして人間の中でも地位の高い存在として崇められた。無限に近い寿命を持ち、人間よりも人間として暮らした結果、その魔物は人間の理を理解し、模倣し、完璧に成り済ましたのだ」
専門家の話に魔導士は疑問を呈する。
「ならば、なぜその話が伝わっているのだ?」
人間だとバレないのであれば、魔物が人間として暮らしていたこと自体明るみにならない。
「諸兄、御同輩よ。御存知の通り、魔物が人間と異なる点が三つある。魔石の有無、天授技能・加護・レベルの恩恵の有無、正の感情の有無だ」
人間と魔物の三つの違い。
それらは常識とされる。
魔物の体内には魔石がある。それは魔物や魔獣と人間を分ける絶対的指標だ。
人間は魔石を持たない代わりに、神より与えられた恩恵がある。
それはレベル補正と天授技能、時には加護。
これらは神が魔物と戦うべく人間に授けたとされる。
それゆえにカーミラをはじめとした魔物のステータスは人間とは全く異なる。
魔物には愛情が無い。それ以外にも人間が持つ感情の多くが魔物には無い。
欠落しているのではなく、元々そういう生物として生まれたのだ。
「魔石の有無は殺してみなければ確認のしようがない。ステータスは見せないことは可能だが、数百年隠し通したのであれば明確に何らかの対抗策があったのだろう。だが、人間には人間とそれ以外を区別する高度な知性が備わっておる」
「要するに、直感で気づくということか?」
専門家は首を縦に振った。
「神に選ばれし勇者と、神殿の聖女、この魔塔より当時の大賢者が討伐に赴いた」
「……完璧に成り済ましても、人間は見破れる。それでも数百年潜伏していたというなら、その魔物は勘付いた者を殺して回っていたのだろうか」
専門家は首を横に振った。
「この魔物は、例外的事象として記録されておる。どうやら、人々は多くが、それが魔物だと勘付いていた。だが、魔物は人間に危害を加えず、人間のフリを続けたという。人間を食わないならばなぜこの魔物は人間のフリをしてまで街に居続けたのか」
「……人間的感情を持つ魔物がいると?」
「いや、それは無いだろう」
「おそらく、高過ぎる知能が人間の生産物や文化を享受する方が豊かな暮らしができると解したのではないだろうか?」
「うむ、確かにその考え方が合理的だ。だが、どうも違うらしい」
受講者たちは首を傾げる。
「魔物の考えなど分からなくて当然だ」
「この魔物は例外的なのだ。この魔物が例外的であるのは人間のフリをしていたからではない」
受講者たちはまさかと息を飲んだ。
「その魔物、勇者たちが討伐をしたのでは?」
専門家は険しい顔の険をより一層深め、言葉をためた。
「討伐は……できなかった」
一同からどよめきが沸き上がる。
「それは史実ですか?」
「真実だ。当時の記録では撃退したと明記され、その生死はうやむやにされているが、当時の大賢者はその戦いを詳細に記録に遺した。後世の者が誤って接触しないように」
「一体、その記録には何が?」
「『無限の魔力、聖剣を弾く黒い盾、聖魔法を貫く赤い槍、瞬時に回復する再生能力を有する』らしい」
「では……、その魔物は?」
「今も生きている。例外的と言っただろう。人間として対話を望めば、平和的に話すことが可能なのだ。対話ができる魔物は、今も生きている。その後幾度となく時代の勇者が討伐に出向いたが、誰も討伐できずにいる」
魔塔ではこの情報が連綿と受け継がれてきた。
次代の勇者や聖女が来ても、同行しないように。
◇
佇むこと半日。
彼女は考えていた。
なぜ、突然チェスの態度が変わったのか。
1つだけ心当たりがあった。
「なぁ、君」
「え、おれ?」
たまたま近くにいた冒険者に尋ねた。
「君が怪我をして正教会に入院したとする」
「お、おれ、入院させられる?」
「仮定の話だよ」
「は、はあ……」
「母親が見舞いに来る。それは冒険者としてどうかね?」
「別に……あ、ありがたいっす。はい」
「そう? 逆に、母親が見舞いに来なかったらどう?」
「べ、別に……忙しいとかあるだろうし」
カーミラはチェスが見舞いに来なかったことを怒っているのではないかと考えた。
しかし、どうやらそうは考えないのが普通のようだ。
見舞いに行っても嫌な顔をされるとわかっていたから行かなかった。
チェスが子ども扱いを嫌うのは良く知っている。
「アハハ……ならなぜチェス君はよそよそしくなったんんだ? えぇ?」
「えぇ!? 知りませんよぉ! チェスって誰なの???」
小刻みに震える冒険者の男をよそに、カーミラはその時が来るのを待っていた。
彼女を前にすると皆こうなる。
チェスも同じになってしまった。
悲しいとかは無い。そんな感情は無い。
ただ、また退屈な日々が続くことにうんざりしていた。
「おい」
見上がると自分を見下ろしている男がいる。
人間の中でも自分に似て、欠けている存在。だから分かり合えた。
今は、それが補われている。
それを成長というのかは、知りようも無い。
「……チェス君」
「なんで家にいないんだよ。冒険者ギルドにいると迷惑だろ。帰るぞババア」
チェスはこれまで通りのチェスに見えた。だがそれは表面的なふるまいだけで中身は様変わりしていた。それをカーミラは見逃さない。
カーミラには無い感情がチェスにはあった。
愛情だ。
愛情を知る者は自分を避ける。
愛情を知らないから分かり合える。
カーミラは自分と人間を隔てる、この愛情が何なのか興味があった。だから人間の傍でずっと観察してきた。
カーミラには愛情が無い。
必要に迫られれば、今にでもチェスを殺せる。
愛情は無い。そのはずだ。
カーミラはスススとチェスに寄る。
薬草を確認。
満足したようだ。
「やはり君に任せて正解だよ。でも、これは頼んでいないよ。効果が薄いからね」
「子供用に使えるだろ」
「……そうだよ。よく覚えているね」
自然と昔話をしながら、二人はカーミラの家がある街の隅まで並んで歩いた。
だが二人はわかっていた。
これはただの演技。
互いに何も気が付いていない振りをして調子を合わせているだけだ。
いずれ、互いのことを打ち明ける日が来る。
そう確信していた。
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