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ラズーン 3   作者: segakiyui
8.ミダスの姫君

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63/115

3

 陽はもう薄暗い闇に沈んでいた。

 ユーノ達はミダス公の屋敷の一室で様々な話を聞き、話をし、そして多少なりとも、この統合府について、この世界が今迎えようとしている事態について知識を得ていた。

 今は今夜の宴のために準備をしているところだ。

「どうぞ、こちらへ」

 侍女がユーノを導いていく。幾つかの回廊を巡ったところで立ち止まり、深く腰を曲げた。

「ここが湯殿でございます。何かお手伝いすることは…」

「いいよ、自分でやれる」

「わかりました。もし御用がございましたら、その戸口の花の細工をお押し下さい。すぐに参ります」

「ありがとう」

「では…」

 侍女は再び軽く腰を曲げ直し、元来た通路を戻っていく。

(どっちにせよ)

 ユーノは溜め息をついて向きを変え、湯殿の入り口を飾っている花の彫り物を見つめた。

(戻る時は呼ばなきゃな。とっても一人じゃ帰れそうにない)

 ミダス公はラズーン四大公の一人、いわば小領主だと聞いていたが、この屋敷の広さ大きさは、とてもセレド皇宮の比ではなかった。入り組んだ回廊があちこちの小部屋に繋がり、あるものは物見用の部屋、あるものはテラスへと突き出して終わっている。

 今更ながら、世界の大きさと、自分が生きていたセレドの小ささを感じる。

 湯殿の入り口を入ると、薄赤く煙ったような半透明の色の石板が互い違いにたてられていた。その間を擦り抜けていくと、こじんまりとした、だが嫌というほど手の込んだ造りの脱衣所に出る。

 ラフレスの花を象ったらしい衣類入れ、二人の乙女の像によって支えられている等身大の鏡、壁一面に浮き彫りが施されているのは言うに及ばす、天井まで続く柱にはびっしりと小さなライクの花が彫り込まれている。床はおそらく、一度浮き彫りを施した上に、透き通った水晶のような板を重ねてあるのだろう、足の下の方に複雑な模様が立体的に浮かび上がって見える。

「ふう…」

 隣から漂う甘い匂いと熱気に頬が熱くなる。急いでチュニックを脱ぎにかかって、つい右肩を強く擦り、眉をしかめる。傷は塞がっているものの、動かすのにはまだ傷みが残る。

『ユーノが女あ?!』

 唐突にイルファの素っ頓狂な声を思い出して、くすりと笑った。

 湯殿へ案内しようとした侍女が、ユーノだけを自分達と違う別のところに連れていこうとするのに、どうしてなんだと尋ねたのだ。アシャがきまり悪そうな顔で事情を説明しても、イルファはどうにも合点がいかないと首を捻り続けていた。

『ユーノが女かもしれないと思ったことはあるぞ、そりゃな。だが、あいつが女なら、俺だって女って可能性もあるかも知れんだろ? だがそれはあり得ないからな』

『…どういう理屈だ、それは』

『いいかげんに失礼なこというの、やめてよ!』

 訝しそうに眉を寄せたアシャときりきりしたレスファート、あげくには証拠を見せてみろと言い出しかねないイルファに、急いで引き上げてきたのだが。

(女、なんだよね、残念なことに)

 シートスの口調を真似て心で呟き、額帯ネクトを外す。

 星の剣士ニスフェルとしての役目ももう終わりだ。本来の、もっとも苦手な『ユーナ』・セレディスの役を務めなければならない。

(ユーナ・セレディス、か)

 アシャがつい最近、ユーノのことをそう呼んだ。妙に生真面目な、不思議に熱っぽい目で見つめながら。

(アシャ)

 あれは何だったんだろう。

(もしかして)

 付き人としてとか、友人としてなら、あんな目をするだろうか。

(もしか、して…)

「ごめんなさい。アシャと一緒に来た人って」

「!」

 ふいに声がして、ぎくりとして振り返る。半透明の石板を透して深緑のドレスが動き、制止をかける間もなく、ひょいと石板の端から顔を出したのは、プラチナがかった金髪に、日差しに淡く透けそうな薄緑の目、白い肌にほんのりとした紅の唇の少女。

「何かお手伝い……きゃ…」

 あどけなく笑みかけたその顔が、一気に強張った。小さく上げてしまった悲鳴を恥じたように、口元に握った小さなこぶしをあてる。

「あ…」

 その目が自分の体の傷に注がれていると悟って、思わず顔が熱くなった。

「ご、ごめんなさい」

 少女は慌てて身を翻し、立ち去っていく。

 その足音を聞きながら、ユーノは次第に体中の力が抜けてくるのを感じた。のろのろと落とした目が、咄嗟に掴んだ片手の剣を見つける。

 もし、今の少女が刺客であったなら、ユーノは確実に左手で剣を抜き放ち、一刀のもとに切り捨てていたに違いない。

(私…)

 ぼんやりと目を上げる。自分の姿が鏡に映っている。ばさばさの短い髪、ぎらつくような黒の瞳、乾いた唇、片手に剣を持ち、腰布一枚の半裸の体には大小無数の白い傷痕がある。右肩には星形の大きく引き攣れたような傷痕。

「星の剣士ニスフェル、か」

 何と皮肉な呼び名だろう。

 そっと手を伸ばし、鏡に触れて、ユーノは淡く笑った。

(これじゃ確かに、怖がるのも無理ないや)

 疲労が一気に溢れ出す。

(可愛いひとだったのにな)

 金の髪、薄緑の目、あどけないおもむきの、だが、この配色はどこかで見たことがある。

(どこでだ?)

 ユーノは考えを巡らす。

(昼間だ……ミダス公…?)

「!」

 剣を降ろしかけてはっとした。入り口の方を慌てて振り返る。

 ミダス公の一人娘、リディノ・ミダスか。

(確か…同い年…)

 自分との間に、何と隔たりがあるものか。剣を手に荒くれるしか能のない娘と、愛らしいとまず思ってしまう少女と。

「…」

 胸の中に広がった靄を、首を振って払いのける。

(今はそんなことより考えなくてはならないことが一杯ある)


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