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剣を置き、腰布をとり、湯殿へ、これまた精緻な浮き彫りの施された入り口をくぐる。
広々とした湯船は、他の部分とは対照的に、黒地にほのかに白い筋が入った石で作られていた。卵形になっていて、ややとがり気味の両端には、同じ石から彫り上げられたものらしいクフィラが一羽ずつ羽根を広げている。開いた鋭い嘴の間から、熱い清らかな湯が音をたてて、湯船の中へ落ちていた。これほどの湯をこれほど無尽蔵に用意して振舞える、ミダス公の力に驚く。
「あつ…」
少し足先を浸し、小さく声を上げた。しゃがみ込んだ時にまた、右肩の筋肉を捻った。
(早く治さなきゃ)
同じ場所を怪我し続けているから、治りが遅いのは感じている。だが、それだけではない、体の奥から見えない支配が届いているような気がする。
(怪我をしている部分を知らせるな)
傷ついていると知らせるな。痛みがあると悟られるな。なぜなら、そこを攻められる。そこから崩される。そしてやがて、身動きできなくなっていく、傷ついた部分を癒しもしない、庇いもしない、むしろ晒して歩くようなことをして、なお繰り返し傷つけてしまうから。
(剣の罠)
ゼランがユーノに植え込んだという、危険に自分を晒すような動き方は、こんなところにまで響いているのだろうか。
「…」
唇を引き締め、右肩をそっと左手で覆った。
傷にこんなふうに労るように触れるのは初めてかも知れない。でこぼこしてつるつるした奇妙な手触りを感じると、心のどこかが記憶を思い出して悲鳴を上げる。傷つけられた瞬間の恐怖、また傷つけられるかもしれないという不安、そしてさっきのリディノのようにただただ恐れられ、どれほど訴えようと誰にも伝わることのない苦痛を、扱いあぐねる脆い自分が剥き出しになって。
(そうか…)
ふいに気づいた。
ユーノが危険に飛び込むのは、ゼランの植え込んだ罠のためだけではなく、きっとそういう自分を見たくないからだ。恐怖と不安と苦痛に向き合えない自分に気づきたくないからだ。
剣を握っていないと生きていくことさえできない、脆くて弱い自分を知りたくないからだ。
(アシャは…気づいてたのかな…)
繰り返し、傷をきちんと治せと言われた、その裏には、強く雄々しい振舞いで突っ張りながら、その実、自分の弱さにも脆さにも向き合えない未熟さを読み取られていたからかも知れない。
(気づいていたよな……きっと)
仮にもラズーンを継ぐ存在であったとしたら。それに。
(そりゃ…剣士としては…困るよな…)
ましてや、自分が守らなくてはいけない相手で、しかも時に背中を預けなくてはならない存在だとしたら。
(……怖いよな……)
きっと、アシャにとって、ユーノとの旅は本当に心身ともに負担だったはずだ。
(私ってほんと……子どもだよなあ………)
そんな娘を、どうにかしようと思うはずもないだろうに。
「…」
落ち込みながら湯に滑り込むと、湯に浮かべられたライクの、甘い独特の香りが中枢を柔らかく浸し、蕩けさせていくのを感じた。ゆっくりと体を伸ばし、首を仰け反らせ、もたれかかれるようになっている窪みに体を寄せる。そろそろと左手を外していきながら、無意識にしかめていた眉を緩めた。
「ふぅ……」
意識して息を吐くと、体の緊張が解けた。腕が重く、体が重く、湯の中にやんわりと抱き取られている自分を感じる。
(こうやって、きっと、ずっと、見えないところで守られてきたんだろうなあ…)
夜の闇を怖がっているくせに、わざわざそちらへ背中を向けて強がっている子どものユーノを、アシャが、イルファが、時にはレスファートでさえ、そっと支えてくれていたのだ。
(他に皆……一杯、いろんな人が守って……支えていてくれたんだ……きっと…)
だからこれほど弱い自分でも、こうして今、生き永らえてこれたのだ。
(だから、何とかここまで辿り着けた)
セレドを飛び出したとき、一人で何とか切り抜けていけると思っていた自分は、何と幼かったのだろう。何と視野が狭く、愚かだったのだろう。身近の敵、カザドを凌げているからと、ただそれだけで、生きる術も旅する知恵もないまま発っていたら、レクスファでさえ抜け切れなかったかも知れない。
(レスファートやイルファを巻き込み、どうなるかさえ考えないで)
どれほどの命の重みを背負うのかも理解していないまま。
(そう、だよな…)
額から流れる汗に目を閉じる。
(守ることなんて…わかってなかったんだ…)
自分一人が守れない者に、他の誰が守れるのだろう。
(怖くて死にたくなくて生き延びたくて、ただただ必死に走ってきただけなんだ…)
そうして駆け抜けている世界は、遥かに大きく遠く果てなく、様々なもので満ち溢れていて、ユーノ一人など幻のように呑み込んでしまいそうだ。
「小さい……なあ…」
脳裏に、得たばかりの知識が湧き上がってくる。




