唯香の想い、マーヤの想い
〝兎の世界〟が正常に戻ったことで、俺とマーヤが結婚する必要性が無くなった。マーヤが俺たちの世界に来た目的は〝兎の世界を救済してくれる人物〟を探すことであり、結婚相手を探すことではなかったから、世界が救済された今、そのどちらも必要とはされていないのだ。
「ケイスケよ、まさかお主、既に世界が救済されたと思うてはおるまいな?」
「えっ? 違うの?」
マーヤはため息をついてから言う。
「はぁ〜、やはりお主は〝鈍感系ラノベ主人公〟だったようじゃのぉ。この世界の呪いが、そんなに簡単に解呪できるような代物のはずが無かろう。この城を一歩出れば、唯香ちゃんがかけた〝魔法?〟の効果が及ばず、裸の男女がうじゃうじゃいるのじゃ」
そう言って、マーヤは指先で何やら奇妙な動きをする。すると、室内に設置されたモニターに外の景色が映った。セバスちゃんに聞いた話によると『この世界の住人は、脳内にARチップが埋め込まれており、指先の動作でいろんなことが出来る』らしい。つまり、マーヤは城門の前に設置された監視カメラの映像を、室内に設置されたモニターに映すための〝リモコン操作〟をしたのだ。
マーヤが、さらに操作を続けると、モニターの映像が徐々に鮮明になっていく。モニターが、裸の男女がうじゃうじゃいる様子を映し出す。俺たちはモニターの映像を覗き込む。
「こっ! これはっ!」
「……私、男女混浴の露天風呂って、初めて見た。ケーくん、今度一緒に入りに行こう」
そう、ミユキの言う通り、どう見てもこれは〝男女混浴の露天風呂〟にしか見えない。モニターに映っていたのは主に老人ばかりで、たまに子連れの母親とかが映る程度だ。いくら見てもエッチな気分にはならない、とても健康的な風景だった。
「ほれ、この通り、裸の男女がうじゃうじゃいるのが、動かぬ証拠じゃ。この世界はまだ救済されておらぬのじゃ」
どうやらマーヤは、露天風呂を御存知ないようだった。
「マーヤ、あれは〝露天風呂〟だから、俺たちの世界でも見かける光景だ。他の場所を見たほうが良いと思うぞ」
「なんと? そんな場所が存在していたとは、妾としたことが不覚だった。では、少しカメラを引いてみるとするかの」
そういってマーヤがカメラを引くと、案の定、服を着た男女が歩いている姿があった。
「はて、どうやら街を見る限りでは、価値観が戻っておるようじゃの。やはり、世界は救われておったのか。ならば、やはり『妾とケイスケが結婚する』という話は無かったことにするしかあるまい」
「やたっ! これでケーくんは私と結婚して二人だけで幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし……って出来るのね。齋藤真綾っ、あんたの事は嫌いだったけど、今はもう、そうでもないわ。これから先、〝友達〟として、仲良くしてあげても良いわよ」
マーヤが結婚話を白紙に戻したため、ミユキが喜びマーヤに『友達になろう』と進言した。
「ちょっと待ったーッ!」
唯香が、突然大声で叫ぶ。
「えっ? 何? 一体どうしたっていうの?」「何事じゃ?」
二人が慌てるなか、唯香はマーヤに言った。
「マーちゃん。この世界が救われた程度で、お兄ちゃんをポイなの? マーちゃんの愛って、そんなに安っぽい物だったの?」
「むぅ……。妾は、この国の王女じゃから、他国の王子と結婚したほうが国のためになるし、仕方がないのじゃ」
「そんなんこと聞いてないよっ! ボクが聞いてるのは、『マーちゃんは、お兄ちゃんのことが好きなのかどうか』ってことだよっ!」
唯香が激昂する。妹がこれほどまでに怒りを露わにしている姿は、俺ですら初めて見た。それを直に受けているマーヤは、唯香の勢いに呑まれてすっかり怯えた様子を見せている。
「さあ、どうなの? マーちゃんの返答次第では、ボクはこの世界を滅ぼすことも全然厭わないよ」
「なっ? それは恐喝ではないかっ! 妾がそんな脅しに屈するとでも思うたか?」
「へえぇー、言いたくないんだぁ……。じゃあ、まずは……」
そう言うと唯香は国王様に向かって魔法を放つ。
「えいっ! 『カエルになっちゃえ!』ッ!」
次の瞬間、国王様は小さなカエルの姿に変わってしまう。
「へっ、陛下ァァァ!」
マーヤが叫ぶが、それを一瞥した唯香はさらに言う。
「さあ、マーちゃん。言わないともっと酷いことをするよ」
「わっ! わかったのじゃ。言うっ、言うから待って欲しいのじゃ……!」
「あれぇ〜? まだ、自分の立場がわかってないみたいだねぇ〜。誰が待ってあげるなんて言ったかなぁ?」
唯香は、さらに魔法を使う。すると、国じゅうの建物が全て消滅した。
辺りを見回しても誰一人として見当たらない。どうやら、俺とマーヤとミユキを除くすべての人間がカエルの姿になってしまったようだ。
「ゆ、唯香っ! もうその辺で――」「ちょ――」
「お兄ちゃんたちは黙っててッ!」
唯香の一言で、突然、俺は身動きが取れなくなった。これは、ひょっとしたら魔法か? そんな素ぶりは微塵もなかったような気がするが……。
唯一動かせる目だけで、横を見ると、ミユキが片足立ちで、つま先だけが地面についているという、なんともおかしな格好で固まっている。どうやらこいつも俺と同じように身動きを止められてしまったらしい。
「妾のせいじゃ……。民がこうなってしまったのは、妾のせいじゃ」
マーヤが、がっくりと肩を落とす。
「良く分かってんじゃん! さあ、マーちゃん。これが最後の質問だよ。マーちゃんは、お兄ちゃんのことが好きなの? それとも嫌いなの?」
「嫌いなわけが無かろう。ケイスケは、あちらの世界で唯一、〝妾に言い寄ってこなかった男〟じゃぞ。此奴に好かれようと、妾がどれほど努力しても……じゃ。
しかも、付き合い始めてなお、お主やあの女と仲ようしておるではないか。
彼奴は一体なんなのじゃ? 女ったらしでゲスな、最低の奴じゃ。
本当に……憎たらしいほど……くっ……愛しておるわっ!」
マーヤがそう言うと、世界が一瞬にして元に戻り、ミユキがそのまま転んだ。
マーヤの回答に満足したのか、唯香が嬉しそうに言う。
「……だって、お兄ちゃん。マーちゃんってば、NTR属性の変態さんだよ。お兄ちゃんが他の女の子とイチャイチャすればするほど喜んじゃう、正真正銘の変態さんだったね〜。……良かったね、お兄ちゃん」
「おい、俺がそういうの好きみたいに言うなよ」
「えー? でもお兄ちゃんの部屋の、本棚の後ろにある〝隠し扉〟の奥に、そういう漫画がたくさん有ったよ」
妹よ、なぜ俺のエロ本の隠し場所を知ってる……。というかあの隠し部屋があることをなぜ知っているのか。隠し部屋前の本棚、普通の人には動かせないようにして細工してあったはずだぞ。
「ボクは、お兄ちゃんがハーレム王になってくれれば、それで良いんだよ。〝あの漫画〟みたいに……。そして、そのハーレムにボクも加えてもらえれば、それだけで満足なんだよ。〝あの漫画〟みたいにっ!」
「そんな〝あの漫画〟みたいに、毎回エッチなハプニングに見舞われるのはゴメンだよ」
「えー、違うよ。ボクの言ってる〝あの漫画〟ってのは、お兄ちゃんの隠し部屋で一番下の棚に置いてある、あの本のことだよ」
んー? 一番下の棚は、確かラノベしか置いてなかったはずだけど……。あっ、もしかしてこいつ、表紙だけ見て漫画だと勘違いした? そういえばそんな感じのタイトルの本が有ったような気も……。
「まあ、そんなわけで、お兄ちゃんハーレムは、これからも安泰。次回に続くのでした」
「あっ! こらっ、勝手に締めるなっ!」
グダグダのうちに終わってしまったが、マーヤと唯香の真意は分かった。分かってしまうと、これからの生活に不安を感じずにはいられないが、俺たちはこれからも仲良く暮らしていけそうだ。
そうして、俺は、今ある平和を噛み締める。
その時はまだ、天からの飛来物に気付く者は、一人もいなかった。




