第78話:私の新たな思い(桐谷侑里香)
「……まさか、ここまで一気に進むなんて」
思わず、ペンを握る手に力が入った。
五菱商事グループとの調整――それは想像以上の速度で現実化していった。
GAIALINQ ARC Ver.2.0を先方のバイオマス発電事業において、採用する方向で、正式な協議に入る事になったのだ。
しかも、そのきっかけを作ったのは、住田会長ご本人だった。
先方の再エネ部門トップ、グループ傘下でバイオマス発電事業を展開している会社の社長、そして――一ノ瀬直也。
私はその打ち合わせに、GAIALINQサイドにおいて、GAIALINQ ARC Ver.2.0の取りまとめ役を果たした者として、直也さんと瑠衣さんと一緒に同席させて頂くことになった。
正直に言えば、心臓がバクバクしている。
「鏡さん、大変恐縮ですが、御社側での議事メモの作成対応を鏡さんにお願いできますか?」
「はい、承知しました!」
AI活用による議事録たたき台作成で楽になっているとはいえ、誰が何を発言したのかを正確に記録するのは意外と難しいので、人によるチェックは欠かせない。
特に今回のような極めてクリティカルな内容の協議を進める場合は、並行した人によるメモランダム作成はまだまだ重要なのは事実だ。
――とは言ったものの、もう、心の中は全く“議事録”どころじゃなかった。
それもそのはずだ。
住田会長の孫娘――住田梨花さんが、普通に会議に参加しているのだ。
しかも「会長室付」という肩書を堂々と使い、先方側の議論の中心で、まるで当然のように発言している。
あの令嬢オーラ。
正直、少し……いや、かなり気になる。
「実は、お祖父様――失礼、当社会長の住田が、GAIALINQ ARC Ver.2.0のCognitive Policy Layerを、我々の再エネ事業で取り扱っている、全領域の統合システムとしても適用できないかと考えております」
梨花さんがそう切り出した瞬間、私は思わずペンを握りしめた。
――それが本当だったら、これは大事過ぎる。
そんな重要な戦略方針を経営陣から託されて発言できるなんて……こんな人を“敵”に回したら、ちょっと勝てる気がしない。
その直後、ドアがノックされた。
会議室の空気が、一瞬で張り詰める。
「住田会長がお見えになりました」
えっ……まさか。
そのまさかだった。
白髪交じりのスーツ姿がゆっくりと入ってくる。
後ろには五菱商事の副社長や再エネ部門の幹部たち。
――この人数、明らかに異常事態。
隣の瑠衣さんも、思わず背筋を伸ばした。
私も姿勢を正す。
ここにいる誰もが、歴史の分岐点に立っているのを感じていた。
「本日はお忙しい中、わざわざありがとうございます」
直也くんが立ち上がって深々と頭を下げる。
住田会長は柔らかな笑みを浮かべながら、静かに言葉を続けた。
「今日は、皆さんに直接お伝えしたいことがあって参りました。
――我々、五菱商事としても、GAIALINQスタイルの事業展開を実施させて頂きたいと考えています」
空気が凍りつく。
でも直也さんだけはすぐに頷いていた。
「GAIALINQスタイルの事業展開……というのは、どういう意味でしょうか?」
直也くんが確認するように問い返す。
「わが社でも、地熱発電とAIデータセンターを直結させるモデルを進めたいと具体的な検討に入る方針です。
そして、その中核制御層にもバイオマス発電同様に、GAIALINQ ARCを正式に組み込みさせて頂きたいと考えています。
我々は既に九州大分エリアでの地熱井に注目していて、そこでパイロットから始めようと考えているのです」
会議室がざわめいた。
住田会長の声は穏やかだったけれど、その言葉の持つ意味は、あまりにも大きい。
地熱×AIデータセンター――。
それは、GAIALINQプロジェクトが五井物産を中心に構築してきた “中核領域” そのものだ。
つまり五菱商事は、ライバルでありながら、GAIALINQの理念に正式に乗るという意思表示をしたのだ。
「……GAIALINQプロジェクトのCOOとして、大歓迎させていただきます」
直也くんが、静かに答える。
その声には、喜びよりも、重みがあった。
「正直申し上げて、五井物産主導で、日本国内で同時に複数エリアを動かすのは現実的に難しいと考えておりました。
ですから、五菱さんが九州大分で我々と同様のスタイルで新規の事業構築を進めていただけるのは、AIデータセンター事業としてだけ見れば大変強力なライバルの出現を意味する可能性もありますが、一方で、GAIALINQ ARCを世界標準化を目指す立場からすれば、これほど頼もしい味方はありません。
我々にとっても大きな推進力になります」
住田会長が頷いた。
「お互い総合商社としてはライバルであることは変わらない。
だが、地球環境保護という視点では同じ方向を向いている。
むしろTOP2の総合商社として、協調すべきところは協調したいですね」
――その瞬間だった。
直也くんが、ごく短く息を吸い、
微笑を浮かべながら一歩踏み出した。
「ありがとうございます、会長。
GAIALINQ ARCは、“覇権ではなく共創” を掲げています。
五井物産と五菱商事、この二つの商社が同じ理念で動き出すことは、きっと日本だけでなく、世界にとっても大変なインパクトをもたらすでしょう。
実はここ何回かの御社とのお打ち合わせ機会を通じて、そのような『共に創る=共創』事業展開をお考え頂けるのではないかという推測を私自身もしておりました。
ですので、実はそのような場合においては、大歓迎し握手させて頂きたいという私の考え方を、五井物産経営陣にも内々でご相談済みです。
無論私の方針に賛成頂いております」
直也さんのその言葉は会議室の多くの参加者に大きな驚きをもたらした。
――そこまで先読みしているなんて……。
住田会長は、その言葉に深く頷いた。
「……共創。いい言葉です。
私はあなたのその言葉を信じて、共に手を携えて進みたいと思います」
隣で瑠衣さんが、そっと息を吐いた。
私は、ただその光景を目の前で見ていた。
――この瞬間、GAIALINQは “日本発の共創モデル” として、新しいフェーズに入った。
それも日本が世界に誇る総合商社のTOP2社の共創という衝撃的な取り組みとして。
頭では分かっているのに、体がまだ現実を受け止めきれていない。
「こうやって、歴史って作られるんだね」
瑠衣さんが小さく呟いた。
私は頷くことしかできなかった。
GAIALINQ ARC Ver.2.0。
それは、私が中心になって取りまとめた。
仕様については相当詰めている自信はある。
もちろんこれから具体的な発電プラントにおける実証実験を重ねてデータを収集し、追加学習を繰り返す事が必要となる。
ただ、その下地となるものは作り上げてきたという自負を私は持っている。
けれども――。
今、私の目の前で起きているのは、そうした “設計” 的な話しではなく、もう世界の “新たな歴史” そのものだった。
直也さんは、机越しに五菱の幹部メンバーと握手を交わしている。
会議室に出席しているメンバーから――それは五井物産も五菱商事の何れも関係なく――大きな拍手が拡がった。
GAIALINQという巨大なプロジェクトが、こうして確かな現実に形を変えていく。
それに携われている事が、今、たまらなく誇らしかった。
そして――心の奥で、もうひとつの感情が生まれていた。
あの日、明治村の夜道を並んで歩いた時に感じたもの。
私も、この歴史を作っている人――一ノ瀬直也の隣を歩き続けたい。
その思いが、再び、静かに燃え上がっていった。




