第73話:急転直下の衝撃(篠原瑠衣)
応接スペースで、私と莉子ちゃん、そして会長のお孫さん――住田梨花さんの三人は、静かに待っていた。
さっきまでの会議室の緊張が、ドア一枚を隔てただけで、まるで別世界みたいに思える。
梨花さんは、最初に会ったときとは違って、すっかり「社会人の顔」に戻っていた。
五菱商事の会長室所属――つまり、トップシークレットが飛び交う部署。
だけど、ほんの少し前まで「本物のRICOさんに会えるなんて!」と少女みたいに目を輝かせていた人でもある。
そんな梨花さんが、さっきのやりとりを思い出したのか、頬を押さえて照れ笑いした。
「……さっきはすみません、完全に取り乱してしまって」
「いえ、全然! すごく嬉しかったです。
私も、あんなふうに喜んでもらえるのが一番うれしいんです」
莉子ちゃんが笑顔で答える。
その柔らかい声に、場の空気がほんの少しゆるんだ。
そのとき、会議室の扉が開いて、直也センパイが姿を見せた。
「住田会長がお呼びです。三人とも中へどうぞ」
私たちは立ち上がり、軽く礼をして会議室に入った。
さっきより、空気が透きとおっている。
――もう、何かが決まったんだ。
住田会長は、ゆっくりと頷きながら言葉を継いだ。
「改めて紹介しよう。
こちらは私の孫の梨花だ。
現在、五菱商事会長室に所属している」
「……初めまして。五菱商事の住田梨花と申します」
梨花さんは深く一礼した。
さっきまでの柔らかい笑顔とは違い、今は完璧にプロの顔。
会長は、そんな孫娘に視線を向けたまま言った。
「梨花。洋上風力発電事業の撤退を正式に――しかも迅速に対外公表する。
これは社に戻り次第、直ちに進める」
「お祖父様。
そんなことをしたら……!」
梨花さんが息をのむ。
けれど、会長は穏やかに微笑んだ。
「もう私は充分働いたよ。
だから後任をどうするか、体制の大きな見直しも並行して一気に進める事になる。
問題は――再生エネルギー関係の事業再編だ」
その声には、どこか達観した静けさがあった。
まるで、長い闘いを終えた人の安堵。
「この件が落ち着いた後で結構だが、――どうか一ノ瀬COO。
そちらで進めているGAIALINQ ARCに、我々は非常に高い関心を持っている。
その件でお力添えを頂きたい。
そして、今後の連絡がしやすいように――この梨花を窓口とさせてもらう。
どうかよろしくお願いします」
会長が、深々と頭を下げた。
――まさか、そこまで。
私は息を呑んだ。
センパイはすぐに立ち上がり、丁寧に応じた。
「会長のご高配に、深く感謝いたします。
そして御社へのご協力の件も、もちろん是々非々にはなると思いますが――広く日本のため、世界の環境問題への対処のために、大きな視点にて対応させていただけるよう、最善を尽くすことだけは、誓って今ここでお約束いたします」
その声の落ち着きに、部屋の空気が少し震えた気がした。
さっきまで “重かった空間” が、今は “静かな信頼” に満たされている。
会長は満足そうに頷くと、莉子ちゃんに目を向けた。
「RICOさん。後日、当社のグループ広報の責任者と一度お話する機会を作らせていただきます。
五井物産さんのアイコンでもあるので、起用の仕方は慎重に考えさせて頂きたいが
――一ノ瀬COOからの頼みでは聞かないわけにはいかない。
……ウチの孫娘がファンのようなので、今後とも是非ご活躍ください」
莉子ちゃんは一瞬驚いた顔をして、それからぱっと笑顔になった。
「ありがとうございます。精一杯、頑張ります」
……もう、完全に会長の懐を掴んでる。
交渉どころか、空気そのものを味方につけてる。
センパイ、ヤバい人だな……。
五菱商事の会長にここまで言わせて、GAIALINQを守って、さらにはRICO支援まで正式に取り込んで――。
この短時間で、どれだけの盤面を同時に動かしてるんだろう。
私は背筋がぞくっとした。
あれだけの重荷を背負っているのに、
この人は、まるで迷いがない。
……でも、気になるのはそこじゃない。
“今後の連絡は、この梨花を窓口に” ――って、会長が言った時。
あの視線、ちょっと意味深じゃなかった?
うーん……。
まさかとは思うけど、これ、政略結婚とか狙ってるんじゃないでしょうね……?
孫娘で会長室所属の才色兼備女子を、独身イケメンCOOの “窓口” に任命。
――うん、いや、どう考えてもフラグ立ってるでしょそれ。
まったく、センパイ。
こういうのに気づかないで後で揉めるタイプなんだから。
亜紀さんも玲奈さんも麻里さんも後から知ったら確実に荒れるな。
センパイの周辺の女性関係がカオス化決定?
……まぁ。
でも、そうなった方が、最終的な私の勝利に繋がりそうな気もするけど。
つまりこのお孫さんを取り込む事が私にとっての優先事項って事だな。
会長が退出したあと、
センパイは静かに立ち上がり、深く頭を下げたまましばらく動かなかった。
その横顔は穏やかで、どこか遠い場所を見ているようだった。
――ほんとに、どこまで行くんですか、センパイ。
その背中を見ながら、私は小さくため息をついた。




